2台のバイクが次第にその姿を小さくしていく。だが、唸る風の中、未だしっかりとバイクのエンジン音が聞こえる。どちらも怪我人を乗せている為か、いやにスピードが遅い。しかしそれも次第に遠ざかっていき、同時に、ユキムラの自分を呼ぶ声も遠ざかっていく。
 必死に自分を呼ぶユキムラの声に、何度彼を追いかけて行きたくなったか分からない。その度に、己の掌中にある十字架を握り締め、必死で宥めていた。
「―――命令違反かな・・・?」
 ユキムラの悲痛な声を聞きながら、ファータはぽつりと呟いていた。
 彼は自分に、
『良い子にしていろ』
 というmission与えた。それを、今破ってしまっただろうか。
「・・・・」
 破ってしまったかもしれない。ユキムラに、あんなに悲しそうな顔をさせてしまったのだから。
「――それでも」
 それでも、こうすることが正しいのだとファータは思ったのだ。こうすることが、ファータなりの良い子だと思ったのだ。誰よりも、何よりも大切な人なのだ、彼は。そんな彼を命懸けで守ることのどこが悪いのだろうか。


 だから、このままmissionを遂行するだけ――


 じっとバイクを見守っていたファータだったが、己にそう命令を下し振り返る。すると、数歩先にフォーラの姿があった。いつの間にか、こんなに近づいてきていたらしい。
「・・フォーラ」
 いつも側にいた片割れが、向かってくる。自分の隣に帰ってこようとしているのだろうか。そんな期待を抱いたのも一瞬だった。
 彼女はファータを見つめてはいなかった。ファータを通り越し、次第に遠ざかっていくバイクだけを見つめている。否、そのバイクに乗っているユキムラだけを、フォーラの瞳は捕らえていた。
 彼女もまた、motherからmissionを与えられたドール。missionを敢行するため、フォーラがファータの隣を通り越そうとしたその瞬間だった。
「フォーラ!」
 ファータがフォーラの前に立ちはだかり、強い口調で片割れの名を呼んだ。そこでようやくフォーラはファータを見る。その瞳が僅かに細められたのは、おそらくファータを障害物として認定したからだった。フォーラは「退け」とでもいうように、腕でファータを押しやろうとした。
 だが、それをファータは許さなかった。伸ばされたフォーラの腕を、ファータはそっと握った。そして、そのまま彼女の手を両手で包み込み、フォーラに語りかける。その瞳は悲しげに細められていた。
「ねえ、フォーラ。ファータたちのママは、あの人だけだよね? あんな人がママだなんて、イヤだよね??」
 問いながらファータは、部下たちに囲まれ、自分たちの方に駆けて来るジグナを見遣る。
 彼はなかなかmissionを敢行しようとしないフォーラに焦れているようだった。だが、ファータに見られていることに気付くと、慌ててその足を止める。
 彼は、彼女らHomicide Machineド ー ルを恐れている。
 そんなジグナからフォーラに視線を戻し、無表情のまま見つめ返してくる彼女にファータは笑いかける。
「―――だったら・・いいよね。ね?」
 フォーラから答えは返ってこない。その代わりに、
「フォーラ、早くあの男を追え!」
 鋭く飛ぶのは、フォーラのmotherの声。
 だが、その声に従う者は、いない。
「フォーラ!」
 ファータは、再び片割れの名を呼んだジグナに視線を移し、言い放った。
「あなたの言うことなんて聞かないわ。ファータたちのママは、あの人だけだもの」
「何だと!?」
 ファータの言葉に憤慨し言い返してくるものの、ジグナはファータにも、ましてや自分のド ー ルにも近寄ってこようとはしなかった。その瞳は恐れている。彼女ら、Homicide Machine殺人兵器に近付くことを、恐れている。
 ――こんな人間が、motherであるはずがない。認めない。
 Homicide Machineであった自分たちを、普通の子供たちと代わらず愛し、叱り、抱き締めてくれたあの人とは違う。自分たちを人殺しの道具としてしか見ていないジグナがファータは許せない。
 ジグナから視線を外したファータは、フォーラの体に手を伸ばし、そのまま抱き寄せた。
 いつものように抱き返してはくれなかったけれど、フォーラは何の抵抗も見せなかった。ファータのなすがまま、抱き締められている。
 その様子にファータは、フォーラの答えを聞いた気がした。彼女はきっと分かってくれている。自分が何をしようとしているのか。それでも、許してくれている。好きにさせてくれているのだと、そう思った。
 フォーラの耳元で、ファータはそっと囁く。
「―――フォーラ。一緒に行こうね」
 片手で、ぎゅっと強く強くフォーラを抱きしめる。そして、フォーラを解放したもう片方の手にあるのは、いつの間にか姿を変えた十字架だった。


 ――それは、終わりを告げる笛。














 その笛に息を吹き込む前に、ファータはその唇で、囁く。
 心を込めて。
 届きはしないけれど、大好きなあの人に向けて、ファータは囁く。


「大好きよ。大好き・・」


 Homicide Machineド ー ルは囁く。


「「―――・・ママ。大好き」」






 ピイイイイ――――――――――――・・・






「―――鳥・・」


 耳元で唸る風を吹き飛ばすように、その澄んだ音はユキムラの鼓膜を大きく震わせていた。
 それは、いつだったか聞いた鳥の声によく似ている。
 そう。あれは、フォーラとファータが、初めてC−cityに来た日の夜。暗い宵闇を切り裂く、澄み切った鳥の声。綺麗な綺麗な鳴き声。
「フォーラ。ファータ」
 何故だろう。ふと、フォーラとファータがいなくなったような気がした。鳥が連れ去ってしまったと、不意に思った。
 美しい鳥の鳴き声が、娘達を連れ去る――


『・・・・また、聞けるかな?』


 天を裂く。夜を裂く。耳に残る、澄んだ鳥の鳴き声。
 また鳴きはしないだろうかと待ってみたあの日。あの日から、どんなに耳を澄ませていても、届くことのなかった鳥の鳴き声が、今―――
「グリフォードくん! 止まろう!!」
 辺りに響き渡った笛の音に、都筑が慌ててブレーキを踏む。
「え!?」
 急にスピードを緩めた都筑に、グリフォードは僅かに遅れてブレーキに足をかけ、踏み込んだ、ちょうどその瞬間だった。


 ドオオオオ――――――――――――ォォォン!!!


 笛の音を掻き消し、辺り一帯に響き渡ったのは凄まじい爆音。そして、それに続くのは地面を這う爆風。
 背後から襲いかかってきた爆風は、容赦なくバイクを攫っていた。激しい衝撃に、けれどスピードを十分に緩めていた都筑と意識を失ったアズマを乗せたバイクは横向きに転倒しただけで事なきを得た。
 だが、まだ十分にスピードを落としきれていなかったグリフォードとユキムラの乗るバイクは爆風に煽られ、バイクのスピードを保ったまま前転し空に舞い上げられる。だが、全くスピードを緩めていない状態であったならば、爆風に乗ってスゴイ勢いで転倒していただろう。それを思えばまだマシだ。
 高く宙を舞い、その途中でグリフォードとユキムラを放り出したバイクは、大きな音を立てて地面に落下した。その後を追うようにして、グリフォードとユキムラも地面に落ちる。咄嗟に受け身を取ったグリフォードはすぐさま起きあがり、すぐ後ろに横たわっているユキムラの体を揺すった。
「ユキ!!」
「――痛・・」
 眉を寄せ痛みを訴えるものの、ユキムラに先程負った以外の怪我は見られなかった。
「大丈夫かい!?」
 都筑がバイクを押し、二人の側にやって来た、その時だった。


 バラバラバラ・・・


 突然、空から何かが降ってきた。
「何だ、コレ―――」
 空を仰いだグリフォードは、肩に頭にコツコツと当たったそれを手に取り、その瞬間、目を瞠った。
 同様に、都筑も地面に落ちたそれらを見遣り、きつく瞳を閉ざす。
「・・?」
 そんな彼らの反応に、痛みを堪えユキムラも空を仰ぐ。だが、
「ユキ! 見るな!!」
 グリフォードの分厚い胸板に顔を押しつけられてしまう。


 ―――ミタクナイ・・


 そんな言葉を、誰かがポツリと呟く。グリフォードでも都筑でもない。それはきっと、ユキムラ自身が呟いたもの。
 ユキムラは今何が起こったのかを知っていた。パラパラと地面に降り注ぐモノが何なのかも気付いている。だから、見たくないと、そう呟いていた。
 しかしその呟きが誰のものか考えている。自分の声ではないと言い聞かせて。
 ――それは、知っていることを、知りたくないから。
 必死に体を捩り、グリフォードの肩の向こうに見えた空は青。曇りのない青い空。空気が澄んでいるのだろうか。驚くほどに透き通った空がそこには広がっている。
 その空から降り注ぐ、黒い小さな影。粒の大きな雨のように、パラパラと地上に降り注いでいる。
 そして、ひときわ大きな影が空を横切っていった。
「―――・・鳥?」


 ピイイイイ――――――――――――・・・


 耳の奥に残る、天を切り裂く高い音。
 やはりあれは鳥の鳴き声だったのだろうか。その姿を見たい見たいと望んでいた鳥が現れたのだろうか。
 ――だったら、フォーラとファータは・・?
 あれは、フォーラとファータを連れ去ろうと鳴いていた鳥ではないのか。二人は何処に? 鳥は何処に――? やはり青い空を横切るあれが、鳥だろう。


 ―――ミタクナイ・・


 否。それは、鳥ではない。
 その事実をユキムラは知っている。けれど、どこからか聞こえた呟きを、ユキムラはまた無視し、空を飛ぶ黒い塊を凝視する。
 知っているという事実を、知りたくなかった。知らないままでいたかった。
 弱々しい力で、それでもはっきりとグリフォードの体を押し返すと、徐に彼は腕の力を解き、ユキムラを解放した。
 視界一杯に広がる青い空。その空を舞うのは――


「―――フォーラ・・ファータ・・」


 ――娘達のカケラ。
 そして、鳥だろうかと思ったあの大きな影が落ちてくる。


 ドン!


 それは――娘の首。
「―――」
 フォーラのものだろうか。それとも、ファータのものだろうか。二人を判別する要因となっていた髪は焼き焦げ短くなっている。片耳ずつに付けていたピアスも、耳朶がとれている所為でなくなってしまっている。
 どちらにしろ、それは娘のものだ。
「―――・・」
 その顔は、微笑んでいた。今は閉ざされた唇で、いったいどんな言葉を囁いたのだろう。今は閉ざされた瞳に、いったい何を写し、空を舞ったのだろう。それがあの青く美しい空であればいいと、思う。
「・・フォーラ・・ファータ・・」
 ユキムラは体を引きずり、必死で娘に体を近づける。名を呼ぶその声は、とうの昔に枯れてしまっていた。それでも、こんなに近いのだ。枯れていても届くはずなのに、閉ざされた瞼はピクリとも動かない。
「フォーラ。ファータ」
 ようやく手が届いた。すぐさま膝に娘を抱え上げる。呼んでも呼んでも目を開けてはくれないけれど、それでも、
「――帰ってきたんだな・・」


『行って来ま〜す♪』


 そう言ってどこかに少し散歩に行くようにヒラヒラと手を振っていたファータ。
 ――なんだ。本当に、少し出かけていただけだったんだ・・
 鳥に連れ去られたのではなかった。ちゃんと母親である自分の元に、二人で戻ってきてくれた。戻ってきてくれた。
 娘を、ユキムラはその胸にきつくきつく抱き締める。強すぎる程の力で、二度と離すまいとしているかのように抱き締める。だが、「痛いよ」「離してよ」という賑やかな抗議の声が閉ざされた唇から零れることはない。
「――おかえり」
 娘の耳元で、そっと囁く。
 声が震えてしまうのは、何故だろう。
 そんなことを、まるで他人事のようにぼんやり考える。分からないから、放っておく。
「もう・・何処にも、行くな――」
 そっとそっと、言い聞かせるように唇に乗せる。
 そうして囁きながら、ユキムラは自らの体が傾いていくのを感じていた。同時に、意識が闇の中に引きずり込まれていくのを感じる。
「ユキ!!」
「ユキムラくん!!」
 ユキムラの名を呼ぶ二人の声も、慕いに遠のいていく彼の意識を現実に引き止めることは出来なかった。
 そこでユキムラの意識は途切れた。




 ピイイイイ――――――――――――・・・




 あの日、鳴いていたのは鳥。天を裂く。夜を裂く。澄んだ鳥の声。
 今日、鳴いていたのも鳥。一瞬にしてフォーラとファータを連れ去った、残酷な鳥の声。
 それは、予期すらできない、あまりにも早すぎる終幕。


 ――これは、いったい何だ――?


 驚くほどに短かった。鳥が鳴くまでしかなかった、このあまりにも刹那の物語。
 あの日鳴いた鳥が再び鳴く間での、この優しく穏やかで楽しかった。そしてあまりにも切なすぎるこの物語。


 ――全て、夢であればいいのに・・・


 青く澄み渡った空の下、今は風だけが鳴いていた。






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