「ママ――――――――ッッ!!」 ファータの悲鳴が響き渡る。フォーラに引き渡され、スイッチが切れているふりをしていたファータだったが、ユキムラを襲った事態に気付き、素早く体を起こした。そして、目にしたのは、 「やめて!! フォーラ―――ッ!!」 腕の傷をおさえ茫然と座り込んでいるユキムラに襲いかかろうとしている片割れ・フォーラの姿だった。再び悲鳴にも似た叫びを上げ、ファータは地面を蹴る。 それは、恐るべきスピードだった。一瞬にしてフォーラの背後にまで移動したファータは、フォーラを背後から両手で羽交い締めにし、彼女の動きを制していた。 それを見たアズマは、すぐさま行動を起こした。 「走れ、ユイ!! ユキムラ、来い!!」 アンリを抱えたユイを走らせたアズマが、ユキムラに鋭く命令する。だが、立ち上がろうとしないユキムラを見て、アズマは小さく舌打ちした後、茫然としているユキムラをすぐさま引き起こし、有無を言わさず腕を引き走らせる。ユキムラが躓くのにも構わず、ただ振り返らず走る。今は一刻も早くこの場から離れなければ危ないと、本能がそうさせていた。 「―――フォーラ・・」 必死で走っているアズマに、その囁きは聞こえなかった。ユキムラは、徐に背後に視線を移す。そこには、ファータに羽交い締めにされ、それでも自分に向かって来ようと血に染まった手を振り上げているフォーラの姿があった。 「―――」 ユキムラの二の腕に横に走った傷から、ポタポタと血が滴っている。その生暖かい感覚より、その熱を放っているかのような痛みよりも、ユキムラを茫然とさせているのはフォーラが自分を傷付けたという事実。殺そうとしているという事実。ユキムラはまだ、割り切ることができないでいた。 ――フォーラが、今まで自分をママと慕ってくれていた、あのフォーラじゃないなんて・・。 「ユキ!」 アズマに連れられ、自分たちの元へ駆け戻ってきたユキムラを引き寄せ、すぐさまグリフォードが傷を調べる。ポタポタと鮮血を滴らせるその腕の傷を一瞥すると、グリフォードは己のTシャツを引き裂き、慣れた手つきでユキムラの腕の付け根をきつく縛り、止血する。それでも滴る血が完全に止まることはないが、それでも出血量は減った。 「ボス―――ッ!!」 悲鳴にも似た声を上げ駆けてきたのは、ファータだった。茫然としているユキムラに飛びつき、ファータは涙の溜まった瞳をゴシゴシと拭う。 「・・・大丈夫だ、ファータ」 体を震わせている 娘 に、ユキムラは何とか平静を取り戻した。否、取り戻したと言うにはまだ早いのかもしれない。彼自身の腕も声も、僅かに震えを帯びていた。それでもファータを安心させようと、傷付いていない右手で彼女の背を優しく撫でてやる。 「フォーラは!?」 ファータが帰ってきたことで、ファータが解放されたことを悟ったアズマは、慌てて視線を巡らせる。フォーラは、いつの間にかジグナの元に戻っていた。ひとまずほっとするが、未だ頭の中でガンガンと鳴り続けている警鐘はやまない。 「――・・奴ら、俺たちを殺すつもりだ・・」 「そうみたいだな」 震えるアズマの言葉に、グリフォードが冷静に、けれど強張った声で答える。 アズマがこれからどうするべきかと口を閉ざしたときだった。 「ユイ、アンリを連れてc−cityに戻れ」 突然、ユキムラがそう口を開いた。視線をユキムラに移すと、彼はいつの間にか立ち上がり、ユイを見つめていた。それは、いつものリーダーの瞳。 「でも――」 「戻ってみんなを地下に避難させてくれ」 イヤだと首を横に振ろうとしたユイに、ユキムラはゆっくりとした口調で言った。だが、その言葉には、ユイの否の答えを許さない力があった。 「ユイ、頼んだ」 再度、念を押すようにユキムラは言った。 しばしの沈黙の後、 「――分かったわ」 ユイは、リーダーの命令に従い頷いた。今、自分がここにいても何にもならない。そればかりか、幼いアンリは・・言ってしまえば戦いの足手まといになってしまう。自分も、同様だ。一度大きく息を吐き、己の非力さに対する腹立たしさを消し去ったユイは、すぐさまバイクに跨った。 「行きます!」 「頼んだ」 ユキムラの強い瞳に送られ、ユイはバイクを急発進させた。腕の間に乗せたアンリが、驚いたようにしがみついてきたが、それを宥めている暇はない。今は、少しでも早くこの場から離れること。そして、ボスを戦いに専念させる方が先決だったから。 走り去っていくユイを乗せたバイクを、ジグナが追うことはなかった。チラリと見遣り、拡声器を口許に運んだ。 「Homicide Machineを渡す気はないということか」 その言葉に、ユキムラは声を張り上げて答えた。 「当たり前だ! フォーラとファータのmotherはオレだ! お前には渡さない。フォーラを返せ!」 ジグナはしばしの沈黙の後、再び拡声器を通して口を開いた。 「・・・今ならば、君たちも君たちのcityのことも忘れよう。Homicide Machineを渡せ」 その要求を鼻で笑い言い返したのはアズマだった。 「信用できるわけねーだろ」 先程、ユキムラをフォーラに襲わせたくせに、のうのうとそんな台詞を言い切るジグナを信じることなどできない。そんなアズマの言葉と、同様の面持ちで立っているユキムラとに、ジグナは己の説得が無駄なことを悟ったのだろう。 「死にたくなければ、渡せ」 語気強くジグナは言った。 ようやく本性を見せたジグナに、ユキムラは気を引き締める。 ――闘いは、ここからだ。 「・・ファータ、本心じゃないからな」 小声でそうファータに告げたユキムラは、首を傾げながらもファータが頷いたのを見てから口を開く。 「それはこっちの台詞だ。こっちにもHomicide Machineがいるんだってことを忘れるなよ」 言って、ユキムラはファータの頭を撫でた。ファータを道具のように使ってごめんなという思いを込めて。それに、「大丈夫」と、ユキムラに寄り添うことでファータは応える。 そして、両者の間に沈黙が降りる。時折お喋りをして沈黙を壊すのは、唸るような風だけ。 人質だったユイとアンリを取り返した今、ユキムラとジグナとの立場は対等。どちらもHomicide Machineを持っている。人の頭数ではユキムラ側が圧倒的に不利ではあるが。 沈黙を破ったのはアズマだった。 「・・・どうする」 張りつめた緊張感の所為だろうか。いやに口の中が乾くのを感じながら、アズマがユキムラに問う。 「・・・」 ユキムラからの返答はなかった。じっとジグナを見つめたまま、彼は思案を巡らせているようだった。そんなリーダーの邪魔をするつもりはないが、アズマは一つの選択を提示するため、口を開いた。 「ユキムラ。フォーラを取り戻すには、アイツを―――」 そこで、アズマは言葉を切る。 その続きはユキムラにも分かった。フォーラを取り戻すためには、ファータにジグナを殺させ、motherを解除するしかない。きっとアズマはそう言いたかったに違いない。その選択は、既にユキムラの中でも一つ挙げていたものだった。そして、その他の選択はと言うと――ゼロ。今のところ、それ以外の選択はない。 だが、その選択でGOを出すことは、ユキムラにはできなかった。 ジグナを殺せとファータにmissionを与えてしまえば、自分はジグナと同じになってしまうのだ。フォーラを人殺しの道具としか見ていないジグナと同じに。 ――それだけは、できない・・・ 必死で他の可能性を模索しているユキムラの真剣な表情を見上げていたファータが、不意に彼の腕を引いた。 どうしたと視線をファータに落とすと、彼女も真剣な瞳を自分に向けていた。強い意志を宿す瞳。 「・・ボス、ファータはいいよ」 はっきりと、ファータは言った。 「フォーラを取り返さなくちゃ。フォーラのママは、ボスだけだもん。あんなママ、ファータは嫌い。フォーラもきっとそうよ」 言って、ファータはジグナを鋭い瞳で睨んだ。 「ファータ・・」 ファータの覚悟は、決まっている。Homicide Machineとしてできることをしたいと望み、Homicide Machineとしての力を解放しているファータは、フォーラを取り返すためならば、ジグナを殺すことすら厭わないと、覚悟を決めていた。 ――どうすればいい。 あとは、ユキムラのmission一つ。とても簡単なことなのだ。たった一言、 「ジグナを殺せ」 そう言って、ファータの腕に触ればいい。そうすれば、ファータはHomicide Machineの力を駆使し、何があってもジグナを殺す。だが、missionを完遂するには、フォーラがそれを邪魔するだろう。フォーラはフォーラで、先程ファータがしたように、motherを守るために応戦するのだろう。 ――フォーラとファータを戦わせることはできない。 ユキムラは知っていた。負けるのは、優しさと、人を愛するという感情を知っているファータだということに。 ――・・言えない・・! きつく唇を噛むユキムラの横顔を見つめていたグリフォードが、徐に口を開いた。 「・・答えが出ないのなら、今は逃げることだ」 「でもフォーラを――」 フォーラを連れて帰りたいというユキムラの言葉を、グリフォードは遮る。 「ユキ。ファータを手に入れるために、ジグナはどうすると思う? motherを解除するために、奴はどうすると思う?」 ファータを手に入れるために。motherを解除するために。 それは、ユキムラ自身も今考えていたことだ。フォーラを取り戻すために。motherを解除するために。そして、自分はどんな答えをだした――? その答えに、ユキムラは目を瞠った。 「――オレを・・」 その先が、上手く紡げない。 代わりに、Homicide Machineの父 親である都筑が、その答えを口にした。 「そうだよ。君を、フォーラに殺させるだろう」 「―――フォーラが・・オレを・・・?」 その事実に蘇るのは、ほんの数分前に見たフォーラの冷たい瞳。自分を殺そうと見下ろす瞳と、血に染まった手を何の感傷もなく掲げる、Homicide Machineとしてのフォーラの姿。 思い出したかのように、腕の傷が痛む。 動揺に視線を揺らすユキムラに、都筑は自身も言葉にするべきか否か迷いつつ、だが、厳しい現実を彼に告げた。 「・・あのフォーラはもう、君の知っているフォーラじゃないんだよ」 「―――」 それは、ユキムラ自身が、どうしても否定したかった真実。けれど、どうしたって変えようのない事実。 それを告げる都筑の瞳は、とても悲しそうだった。 長い間両者の間に漂っていた緊張感が弾けたのは、その時だった。 「来たぞ!!」 声を上げたのはじっとジグナの方を窺っていたアズマだった。指差す先には、こちらに向かってゆっくりを歩を進めてくるフォーラの姿があった。 何のつもりだろうかとジグナからの要求を待つが、彼は何も言わなかった。拡声器を口許に運ぶこともせず、彼は懐から出した葉巻を口にした。もう、話すことなどない。そう、彼の表情が物語っていた。 いよいよ、フォーラにmissionが下された―― 「行こう、ユキ!」 言って、グリフォードはバイクに飛び乗る。 「ファータ、俺の後ろに乗れ!」 そして、エンジンをかけたグリフォードは、都筑が既にバイクに跨っているのを確認したあと、アズマを見遣った。 「アズマ!」 そう急かすと、彼もすぐバイクに飛び乗った。そして、ユキムラを手招く。 「・・ユキムラ、乗れよ」 「・・・・」 ユキムラは、眉を寄せ、アズマとフォーラとを交互に見遣っただけだった。フォーラ一人を残して、この場を去ることが、ユキムラには出来ないでいるようだった。 そんなユキムラに、アズマが声を荒げた。 「乗れ!! 死にたいのか!?」 その言葉にも、ユキムラはバイクに乗ろうとしない。けれど、 「フォーラに自分を殺させたいのか!!?」 「―――」 ユキムラは、唇を噛みしめる。きつく閉ざした瞼裏に蘇るのは、フォーラの笑顔だ。ファータと共に笑い、泣き、怒り、忙しいのではないかと問いたくなるくらいにコロコロとよく変わる表情のフォーラ。そして、スイッチがオフにされる前、最後に見たフォーラはどんな表情をしていただろうか。思い描いたフォーラの表情は、motherに銃をつきつけたユイに、ひどく怯えていた。それが、最後―― そして、motherを新たに設定され、今までの記憶が全てリセットされたフォーラはというと、何の感情も知らないフォーラの顔に浮かぶものはない。それでも、何故だろう。その顔に、最後に見た怯えの表情が張り付いて見えるのは。 「―――・・」 ユキムラには何故か、フォーラが怯えているように見えるのだ。 ――何故? 置いて行かれるのが嫌なのだろうか。それとも、かつのてmotherを殺すことが、怖ろしいのだろうか。 そんな風に考えてしまうのは、まだあの日のフォーラが消えたことを信じることが出来ないでいる所為なのだろうか。 「乗れよ」 地に根付いてしまったのだろうかと疑いたくなるほどに微動だにせず佇むユキムラに、再度アズマはそう促した。それは先程までの強い口調ではなかった。何故なら、アズマは、 「――ああ」 ユキムラが、そう頷くことを予想していたから。大切な娘の為と言えば、彼が動かないはずはないと知っていたから。 ユキムラを自分の後ろに乗せたアズマは、すぐさま地を蹴り、バイクを発進させた。 「行こう!!」 ファータを乗せたグリフォードのバイクと都筑の操るバイク、そしてアズマのバイクは全速力でバイクを走らせる。誰もが真っ直ぐに前を向いているその状況で、ユキムラだけがただ一人、背後を振り返っていた。 「――フォーラ・・」 次第に遠ざかっていくフォーラの姿がそこにはある。そっと、小さな声で名を呼ぶ。 Homicide Machineである彼女には、小さなその声でも聞こえたはずだ。けれど、フォーラは何の反応も示さない。 ――やはり彼女の顔に、表情はなかった。 |