風が耳元で唸る。真っ直ぐに前に向けられた瞳には、灰色の地面が映っている。 鳥が鳴いていたあの日、フォーラとファータを見つけたあの名も知らないfall cityに、ユキムラは再びやってきていた。
 夜はとうに明け、太陽の光がその強さを増す。
「あれは・・・」
 ユキムラは瞳を細めた。以前は何もない、ただただ灰色の地面が広がっていただけのfall cityに建物のようなものが建っている。 それが何なのかは、定かには見えない。
 その答えをユキムラに与えたのは、彼の後ろに乗っているファータだった。
「テントがたってる」
 missionを与えられ、Homicide Machineド ー ルとしての力を解放しているファータには、 ユキムラたちには見えない遠くのものでも見ることが出来る。その瞳がいち早くfall cityの、そして、自分たちの状況の変化に気付いた。
「ボス!!」
 唐突に声を上げ、肩を叩くファータに、ユキムラは「どうした」と鋭い声で問う。隣に並んでバイクを走らせていたアズマも、 後ろに並んでいたグリフォードと都筑も息を詰め、ファータの声に耳をすませる。
「誰か出てきた!」
「―――」
 ドクンと一つ、緊張に胸が大きく高鳴る。それがやむのを待ってから、ユキムラは努めて冷静にファータに問うた。
「・・・誰だ?」
 しばし前方をじっと見つめていたファータだったが、不意に目を見開いたかと思うと、バイクの上に立ち上がり、前方を指し示して言った。
「フォーラだ!! アンリも! ユイちゃんもいる!!」
 ようやくユキムラたちの瞳でも、自分たちの方に向かって歩いてきている男達の姿がはっきりと見えてきた。 それでも、列を成す4、50人ほどの男達の中に、ファータの言ったフォーラやアンリ、そしてユイの姿を探し出すことは出来なかった。
「――止まろう」
 隣のアズマ、後ろのグリフォードと都筑にも聞こえるよう声を張り上げ言ったあと、ユキムラはバイクを止めた。そして、灰色の地面に降り立つ。 同様に、ファータもポンと身軽にバイクから飛び降りた。その後に、アズマたちも倣う。
 年若いユキムラやアズマを守るためにか、グリフォードと都筑は、彼らより一歩前に出て歩みを止めた。
 硬く大粒なコンクリートの破片が、ザリザリと足下で鳴る。それをチラリと一瞥した後、
ユキムラは視線を真っ直ぐ前方に向けた。
 その距離は200メートル程だろうか、そこに男達が居た。全身を黒い服で揃えた男達。 ピッタリと体に張り付くその服は、太陽の光を浴びてギラギラと光っている。時折きらりと強い光を放つのは、銀のボタンの所為だろう。
「・・ユキムラ」
 じっと前を向いたまま、何の行動も起こそうとしないユキムラに焦れたのか、アズマが彼の隣に並び小さな声でその名を呼んだ。 だが、視線はユキムラと同じく、敵の一挙一動でも見逃すまいと、男達に注がれたままだ。
 ユキムラは答えなかった。じっと、男達の列を見つめたままで居る。それでも、その身に纏っている張りつめ、そして研ぎ澄まされた空気は、隣にいるアズマの肌をちりちりと焦がすようだった。
 その様に、アズマは再び声をかけるために開いた唇を閉ざす。今、ユキムラの意識は、敵だけに向けられている。自分の声が届かないことに気付いたから。
 ユキムラが見守る前で、男達はその歩みを止めた。張り上げた声が届くか届かないかの位置。
 向こうは乗り物は持っていないようだ。これ程の距離があれば、何かあったとき、バイクに飛び乗って逃げることが出来るだろう。傍らにとめたバイクの位置を確認した後、ユキムラは相手の出方を待つ。すると、止まっていた男達の間を縫い、一人の男が姿を現した。
 所々、白を交じらせた髪はきっちりと撫でつけられ、鋭い眼光とは対照的に、歳の所為か緩んだ頬の肉。それでも、かつては勇猛な軍人ででもあったのだろう、がっちりとした広い肩はそのままだ。
 その男が誰なのか、ユキムラたちは知らなかった。けれどただ一人、都筑だけが彼の名を知っていた。
 そして、男達の前に堂々と立ったジグナも、都筑の名、顔を知っていた。都筑が居るのを見つけたジグナは、細い瞳を瞠った後、手に持っていた小さな拡声器を口許に運んだ。
「都筑博士ではありませんか。ようやくお会いできましたね」
 拡張され、さらに嗄れて聞こえるその声は穏やか。けれど表情は硬いまま、ジグナは都筑にそう声をかけた。
 ようやくお会いできましたね。
 ジグナたちラジスタの軍人達は、血眼になって都筑を捜していたのだ。彼が開発していた世界最強の人型兵器、Homicide Machineド ー ルをその掌中におさめるために。
 ジグナのその言葉に、都筑は一つ呼吸をおいた後、声を張り上げて彼に答える。
「そうですね。光栄です、ジグナ総統」
 そして、返事を待つことなく、都筑は要求を口にした。
「不躾で申し訳ありませんが、ジグナ総統。娘を、返して頂けませんか?」
 その言葉に、ジグナは目を丸くした後、都筑の言う娘が誰かを察したのだろう。チラリと後ろに視線を遣り、軽く手招く。すると、男達の間を縫って彼の隣に姿を現したのは、
「フォーラ!」
 たまらず、ユキムラの隣にピッタリ寄り添っていたファータが声を上げる。けれど、その声がフォーラにまで届くことはなかった。 フォーラは無表情でジグナの隣に立っている。その瞳は、真っ直ぐ前を向いているにも関わらず、何も写していない。 まんじりとも動かない。そんなフォーラの隣に立つジグナは、徐に腕を上げ、ユキムラの隣にいるファータを指して問うた。
「娘というのは、それと、これのことですかな?」
 ジグナの手がフォーラに触れたのを見て、ついにユキムラが声を上げていた。
「フォーラに触るな!!」
 その声は凛と澄み、真っ直ぐ男達の鼓膜を震わせる。直接体にぶつかってくる強い声、そして遠く離れていても彼の体から放たれる強い怒りの空気に、 ジグナは眉をひそめる。
「・・誰だね、君は」
 その問いに返ってきたのは、語気の鋭さは消えていても、それでも強さを失わない声。
「コイツらのmotherだ」
 ユキムラの答えに動揺を露わにしたのはアズマとグリフォードだった。
「バカ野郎!!」
「バラしてどうするんだ、ユキ」
 ジグナはファータがHomicide Machineド ー ルであると言うことを知っている。 そして、ファータを手に入れんと狙っている。そんな時、真っ先に狙われるのはHomicide Machineド ー ルの全てを握っている motherだということは、ユキムラも分かっているはずだ。それとも、忘れてしまっているのだろうか。
 ユキムラの言葉に一瞬目を瞠ったジグナだったが、その事について言及することはなかった。別の言葉をユキムラに向けた。
「どうだ? 取引せんか?」
 それは、唐突な言葉だった。
「・・・取引?」
 ユキムラが怪訝そうに眉を寄せ、その内容を問う。
 するとジグナは、先程フォーラを呼んだようにチラリと背後を一瞥し、ヒラリと手を振った。そして、その合図に従い姿を現したのは、
「アンリ! ユイ!!」
 自分たちの前から姿を消した仲間の姿だった。思わず声を上げたアズマに、アンリが手を振る。見知った仲間の姿に安堵したのだろう。パッと表情が明るくなったのが遠目にも分かった。二人の姿を見て、ユキムラたちはジグナの言う取引の内容を察していた。
「我々はこのお嬢さんたちを、君たちに返そう。君たちは我々にHomicide Machineド ー ルを渡してくれ」
「・・・」
 想像通りの要求に、誰もが口を噤む。
「どうだ?」
 返事を急かしてくるジグナに一瞥をした後、アズマは真一文字に口を引き結んでいるユキムラに視線を移した。
「・・どうする、ユキムラ」
 到底、彼の要求をほいほいと呑むわけにはいかない。ユイとアンリを返して貰うことが、この場にやって来た第一条件ではある。だからと言って、ジグナの要求を呑めば、フォーラだけでなくファータまで彼の手に渡ってしまう。2機のHomicide Machineド ー ルを手に入れた彼はいったいどうするのだろうか。自分たちの命が危うくなるばかりか、ようやく平和になった世界に、再び争いの火が灯るかも知れない。否、確実にHomicide Machineド ー ルを手にしたジグナは戦いを始めるだろう。簡単にファータを渡してしまえるわけがない。そして、フォーラを取り戻すことも、ユキムラたちの目的の一つ。
 じっと口を噤んでいたユキムラは、しばしの間の後、声を張り上げて問うた。
「一つ訊きたい! どうしてフォーラとファータを欲しがるんだ? ラジスタはもう滅んだんだろ?」
 その言葉に返ってきたのは、あまりにも激しい語気の台詞だった。
「滅んでなどいない!!」
 拡声器がキィィ…ンと、耳障りな音を鳴らす。だが、それでもジグナが声を静めることはなかった。
「我が国は一時世界最強の戦力を誇ったんだ! ラジスタ国は蘇る。人型兵器の力で!!」
「また戦争をするつもりか!?」
 たまらず声を荒げたアズマの言葉尻を奪うようにして、ユキムラが口を開く。
「戦争じゃない。今の国はどこも戦う意思も力もないんだろ? アンタがしようとしてるのは人殺しだ・・! ただの反乱だ!!」
「・・反乱?」
 ユキムラの言葉に、ジグナは瞳を瞬かせた。まるで反乱という単語が理解できなかったかのように繰り返す。それとも、何故、ユキムラが反乱などという単語で自分の行為を表すのかが分からないのか。しばしの逡巡の後、ジグナは徐に口を開いた。
「違う。違うんだ。世界をあるべき姿に戻す・・作り替えるのだ! 我が国が戦争に勝利し、この世界の統治者となるはずだったのだ。今の世界は間違っている」
 恍惚とした表情でジグナは語る。戦争に負けたという現実を受け入れられない悲しい妄想にとりつかれた男に、ユキムラは怒鳴る。
「間違ってんのはお前だ!!」
「・・・・」
 鋭い言葉に、ジグナはユキムラに視線を移した。いつの間にか恍惚とした表情は消え、つい先程まで見せていた厳しい顔に戻っている。そして、しばし口を噤んだまま、ユキムラに言葉をかけることはなかった。
「・・・・」
 同様に、ユキムラも口を噤んだままでいる。じっと自分を凝視しているジグナの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
 しばしの間、相手をうかがうように視線を交わしていたユキムラとジグナだったが、先に動いたのはジグナの方だった 。唐突にユキムラから視線を外したジグナは、隣に立つユイとアンリの方に足を向けた。そんなジグナの唐突な行動に、ユイ が慌ててアンリを自らの腕の中に抱き込んだのが遠目にも分かった。
「待て!!」
 徐に歩を進めようとするジグナに、ユキムラが声を上げる。ユイとアンリに近寄るなと、警告を発する。ジグナが何をするのか分からない。 何のためにユイとアンリの傍に寄ろうとしたのか。もしかしたら、彼女らに危害を加えるつもりかも知れない。
 同様のことをアズマも感じたのだろう。ユキムラが警告を発するのとほぼ同時に、腰に常備してあるレーザーガンに手を伸ばしていた。
「アズマ」
 それを、後ろに立っているグリフォードが静かに宥める。ジグナまでの距離は遠い。レーザーガンが正確に彼を射ることができるかは分からない上、 人数では向こうの方が圧倒的に多い。こちらから仕掛けるのは、自分たちの身にとっても、 そして何より、向こうに囚われているユイとアンリの身が危険にさらされてしまう可能性が高い。
 そんなグリフォードの意図を悟ったのだろう。アズマは唇を噛みしめながらも、レーザーガンから手を離していた。
 ユキムラの警告が届いたのだろう。ジグナが足を止めた。そして、ユキムラに視線を移す。その瞳は、鋭い。
「さあ、話を本題に戻そうか。どうする? Homicide Machineド ー ルを渡すか、この子達を失うか」
「―――」
 その直接的な言葉に、ユキムラは口を噤む。答えを促す声はない。
 訪れようとしていた沈黙は、すぐさま風によって消されていた。激しく鳴る風に、地面を覆っていたコンクリートの欠片がカラカラと音を立てて転がっていく。
 砂を巻き上げる風が、息がつまるほどの緊張を抱えるユキムラを宥めるよう、絶えず包んでいた。






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