時は少し遡り、未だ宵闇が濃く残る明朝。 何もない、コンクリートの残骸ばかりが地面を埋め尽くす灰色のfall cityを、ユイは歩いていた。何もないcity。そんな彼女の隣には、フォーラが立っている。だが、それはもういつものフォーラではなかった。あんなにくるくるとよく変わっていた表情が、今は一つもない。口を真一文字に引き結び、ただただ前ばかりを見つめている。冷たいその表情は、本当にドール―ただの人形だった。ユイは、そんなフォーラに、決して視線を向けようとはしなかった。彼女を無表情にしてしまったのは、自分の責任だったから。己の罪の証に目を向ける事は、できなかった。たとえ彼女のmotherになったとしても、その罪の意識が消える事はない。 そう。フォーラの新しいmotherは、ユイだった。 無言で歩くユイとフォーラの前を、黒い服に身を包んだ男が立って歩いていた。胸元に光るバッジが、彼がラジスタの―正しくは旧ラジスタ軍の人間であることを物語っている。会話を一言も交わすことなく、三人はfall cityの真ん中に建てられている、大きなテントに辿り着いてた。その中では、やはり黒い服に身を包んだ十名ほどの男達と、彼らの中央のイスに座って煙草を吹かせている男が居た。 きっちりと撫でつけられた髪は、白髪を交じらせ灰色になっている。背丈はあるが、歳の所為か余分な肉が目立つ。鋭い眼光と頑固な口許とは対照的に、頬の肉は醜く垂れ下がっていた。 彼が旧ラジスタの政権を握っていた男―ジグナだった。 テントに入ってきた部下と話に聞いていた少女、そしてその少女の横を歩く無表情な少女を一瞥し、ジグナは嗄れた声でユイに問うた。 「それがドールか?」 「―――ええ」 「こちらに連れてこい」 自分から立ち上がる事はせず、鷹揚な態度でそう命じるジグナに、ユイは大人しく従う。フォーラを連れ、彼の前まで歩みを進める。 ジグナはというと、隣に立っていた男から何やら紙を受け取り、それに目を通していた。その紙の正体が何なのか、ユイはすぐに察した。それは、彼女も目にした、Homicide Machineの説明書だった。いったいどこからどう手に入れたのか。憎々しい思いでユイはその説明書と、フォーラをじろじろと見つめているジグナを見遣る。 「ほぅ、コレがセンサー。これがスイッチだな」 確かめるように一つ一つ口に出し、そして触れ、ジグナはHomicide Machineの説明書を読み耽る。そんな彼に、ユイは我慢の限界に来たらしく、不躾にも唐突に口を開いた。 「ねえ、アンリはどこ?」 語気の強いその問いに、けれどジグナは説明書から視線を外すことなく答える。 「そう急くな」 「今すぐ会わせて」 否の答えを許さないと言わんばかりのその口調と、遣った視線の先で自分を見つめている鋭い眼光に、ジグナは小さく溜息を洩らした。 「仕方ないな」 そう呟き、ちょいと手を振ると、すぐさま後ろに控えていた男の一人が姿を消した。おそらく、アンリを連れに行ったのだろう。ユイが男が消えていくのを見送っていると、ジグナがユイの名を呼んだ。 「それではユイ、お嬢ちゃんがくるまでに、motherを私に変えようか」 その言葉に、ユイはすぐには答えなかった。視線を伏せ、しばし何か考えた末、首を横に振った。 「・・・先にアンリを返して。私がmotherを解除するのは、私たちがこのcityを出てからよ」 その台詞に、ジグナは勿論、テントの中に居た男達も眉をひそめる。 「・・何?」 「私はアンリとフォーラを連れてこのcityを出るわ。出たところでmotherを解除してフォーラを置いていく」 テントの中に張りつめた険悪な雰囲気にもケイは屈しなかった。堂々とした態度でジグナを見据え、言い放つ。それは案に、貴方たちを信用していない、そう言っているも同然の台詞だった。 Homicide Machineを連れてくれば、アンリは返す。 そういう契約だった。けれど、ユイは信用はしていなかった。子供ばかりのcityだからと襲撃をしかけてくる汚い大人を、ユイはたくさん見てきた。それに加え、ジグナはHomicide Machineを殺人兵器として欲しているような人間だった。簡単に信用は出来ない。 鋭い視線を向けてくるユイに、ジグナは肩を竦める。 「私は君たちに危害を加えるつもりはないよ」 そんな台詞にも、ユイは表情を緩めなかった。逆に、断固として言い切る。 「そう言って裏切るのがお約束でしょ。悪いけど、何を言われても信用はしないわ」 あくまでユイは強気だった。今は自分の方が有利だということを、彼女は自覚していたから。 「今、何かオカシナことしたら、フォーラがあなた達を殺すわ」 その台詞に、ジグナは目を瞠る。そして、数秒の後、全てを理解したようだった。 「・・missionか」 「ええ」 motherを自分に設定してすぐ、ユイはフォーラにmissionを与えた。 『もしも彼らが私達に危害を加えようとしたら、殺して』 それは、容赦のない命令だった。ユイは戦いが何であるかを知っている。その戦いに、容赦など必要がない事も、忘れていない。戦争が終わり、グループ同士の抗争も終わりを迎えて久しい。それでもユイは、戦い方を忘れてはいなかった。 「私は裏切らないわ。ちゃんとフォーラのスイッチを切ってから行く。貴方にあげるわ。その代わり、絶対にもう私達のcityには来ないで」 「・・・・・」 その命令にも似た要求に、ジグナは口を噤んだ。おそらく、彼女の言葉が真実か否かを探っているのだろう。ユイがジグナを信用していないように、当然の事ながら、ジグナもユイを信用してはいない。 沈黙が落ちる。 それを破ったのは、テントに入ってきた男だった。それは、アンリを迎えに行ったのとは別の男だった。 「・・ジグナ様」 テント内の雰囲気を察したのだろう。遠慮気味に、それでも男はジグナの側に寄った。 「少々失礼」 ジグナはケイにそう断りを入れ、その男の言葉に耳を貸す。 ジグナと部下が何やら二言三言話していたその時だった。再びテントの中に男が入ってくる。その男の側には、アンリの姿があった。アンリはと言うと、いつも通りのニコニコ顔で、ユイの姿を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた。男も、それを阻止する事はしなかった。 「ユイ姉ちゃ――ん!」 元気そうなアンリの姿に、ユイはホッとする。「丁重に扱う」アンリを連れて行った男のその言葉は本当だったらしく、アンリは新しい服まで与えられ、大切に保護されていたらしい。 「アンリ!」 ユイが初めて表情を緩め、向かってくるアンリを抱きとめようと手を広げたその時だった。 「待て」 ジグナの嗄れた声がそう命じ、それと同時に先程までジグナと話していた男が、アンリの腕を捕らえ、引き戻した。 「――・・何よ」 突然険しくなったジグナの表情に、ケイは不安に駆られる。冷たい声で答える事で、なんとかその不安を表に出さないよう務める。一体何が起こったのかは分からない。けれど、きっとこちらに不利な事が起こったに違いない。 重たい沈黙の後、ジグナは口を開いた。 「黙っていたな」 「え?」 何の事だと訊ね返すと、ジグナは言い放った。 「ドールが2体あることを、だ」 「―――・・」 その言葉に、ユイの顔から血の気が失せる。 C−cityで男に会い、アンリを囚われた際に交わした契約は、『Homicide Machine。フォーラという名のHomicide Machineを連れてくる事』だった。その時、ユイは察した。彼らはまだHomicide Machineが2体ある事を知らない、と。そして、2体なら難しいが、1体であれば連れ出せるかもしれない。そして、上手くいけば彼らを騙し、殲滅してしまう事もできるかと。 何も答えないユイから、ジグナはアンリに視線を移し、そして歩を進める。 それに気付いたユイが悲鳴のような声を上げる。 「やめて!!」 ジグナはアンリの肩に手を触れさせただけで、それ以上は何もしなかった。 ユイに視線を戻したジグナは、冷たい瞳で言った。 「何もしない。もう1体も連れてきてくれればな」 その言葉にユイは激しく首を振る。 「ムリよ! フォーラを連れ去ったのが私だってばれてるのに――」 「連れてこい。分かっているだろう?」 ユイの言葉を遮ったジグナは、有無を言わせぬ口調で言い、徐にアンリの頭を撫でた。 アンリはと言うと、ユイの常とは違う険しい様子に、次第に何かが起こっている事を察し始めたらしい。 不安げにジグナとユイとを見つめている。 そんな何も分かっていないアンリを人質に無理な要求をするジグナ。ユイは彼を睨めつけるように見遣り、低い声で言う。 「――その子に手を出したら殺すわよ」 未だ、フォーラのmotherはユイだ。ジグナがアンリに手を出せば、フォーラがジグナを殺すようmissionを設定してある。完全にユイの方が下にいるわけではない。立場は微妙な均衡を見せながらも、五分五分。 そのことをジグナも分かっているのだろう。黙り込む。 「・・・」 「・・・」 緊張感の漂うその沈黙を破ったのは、ばさりとテントの入り口を勢いよく翻しやって来た男の焦りに満ちた声だった。 「ジグナ様!」 「・・・どうした」 ユイから視線を外さぬまま、ジグナは問う。その問いに、男は早口に答えた。 「こちらにバイクが近づいてきます!」 ようやくジグナは視線を部下に移す。 だが、その答えに反応を示したのはジグナだけではなかった。ユイも、目を瞬く。 ―――もしかして・・・ そんな期待が胸をかすめる。 「いったい誰だ」 「分かりません。けれど、その内の一人に金髪の少女が居ます」 その言葉に、ユイは確信した。 ―――ボスだ・・! ユキムラとファータがやって来たのだ。アンリを救うためか、フォーラを取り戻すためか。もしかしたら・・・自分を・・・・。そんな期待を捨てきれない自分に、ユイは苦笑する。 全て、自分一人で終わらせようと思っていた。cityのボスであるユキムラをこの戦いの場に出すつもりはなかった。彼は、戦い方が下手だ。ボスは誰を犠牲にしてでも生き残らなければならないという基本中の基本を守ろうとはしない。だから、そんな彼を守るナンバー2も、C−cityには必要だった。だから、ナンバー3である自分が全てを引き受け、終わらせるつもりでいたのだ。フォーラを連れ去り、アンリを取り戻し、もしもうまくいけば、フォーラに彼らを殺させ、諸悪の根元を絶つ。そして、二人をC−cityに戻す。もしも、こんな自分の行動を許してくれるのであれば、讃えてくれるのであれば、自分もC−cityに戻りたいと、そう思っていた。けれど、何一つ達成できなかった。自分はただ、ユキムラからフォーラを奪い、ボスを戦いの前線に送り出す事しかできなかった。 ―――私に、cityに帰る資格はない・・ 悔しさに唇を噛むユイに、ジグナは言った。 「どうやら、あちらから出向いてくれたようだな」 「―――」 「さあ、お嬢さん。motherを解除してくれないか?」 その台詞に、ユイは伏せていた視線を上げる。ジグナを探るように見つめる。 ユイの瞳を見つめ返し、ジグナは懐から取りだした小さなナイフを掲げた。 「やめて!!」 アンリには見えないように、ユイにだけ見せるように、アンリの頭上に掲げられたナイフに、ユイは必死で叫ぶ。 「君たちの命は補償しよう。・・・賢い君になら分かるだろう?」 たとえHomicide Machineにmissionを与えていても、死ぬものは死ぬのだ。ジグナを殺す事は出来ても、アンリを生き返らせる事は出来ない。 ユイは瞳を閉ざした。 ―――もう、無理だ・・ 「・・・分かったわ」 震える声でユイはそう答えた。徐にフォーラの首筋に手を伸ばす。 「――ごめんね」 小さな小さな声でそう詫びると同時に、フォーラのスイッチを切った。 カクンと、フォーラは地面にくずおれる。それを男達が運んでいく。それを絶望的な瞳で見送っていると、唐突にユイの足にアンリが飛びついてきた。 「アンリ・・!」 「ユイ姉ちゃん」 無事、アンリは解放されたようだった。けれど、まだ不安は消えない 。今度は、自分とアンリがとらわれの身となってしまった。もう、ユイに抵抗する術はない。 武器は一応隠し持っている。その武器で、それなりには戦える。 けれど、アンリを守りながら、このテントの中にいる男達全員を殺し、逃げおおせる自信はない。やはりユイにはもう何も出来なかった。 「ユイお姉ちゃん・・」 不安げにしがみついてくるアンリを、ユイは抱き締める。そして、彼女の耳元で、安心させるように囁いて聞かせる。 「大丈夫よ。大丈夫。今、ボスが迎えに来てくれてるから、帰れるわ」 おそらく、一緒にC−cityに帰る事は出来ないけれど、何としてでも、命をなげうってでも、この子だけはあのcityに帰そうと、ユイは心に誓う。 「行くぞ」 ジグナの短い命令に従い、男達がテントを出て行く。ユイとアンリも、ジグナとそして彼をmotherに設定されたフォーラに連れられ、テントを出る。 いつの間にが日が昇っている。 おそらく、綺麗に晴れ渡るだろう空の下、ユイの耳に数台のバイクの音が微かに届いた。 ――――戦いが、始まる・・・。 |