夜が間もなく終わる。
 白み始めた空の下、2台のバイクが乾いた砂を巻き上げ、真っ直ぐ南を目指していた。先を行くバイクには、長い髪を風になびかせるユキムラと、彼の腰にしっかりと腕を回しているファータ。後ろを走るバイクには、険しい顔をしたアズマが乗っている。
 C−cityを出てから、3人は無言でバイクを走らせ続けていた。
 耳元で鳴る風が、煩い。急げば急ぐほど、風の音は高まり、耳に障る。
 どれほどバイクを走らせただろうか。太陽が地上に姿を見せ始めた時だった。不意に、轟々となる風の中に、ユキムラは自分を呼ぶ声を聞くことになる。
「・・ボス」
 風に負けぬよう耳元によせられた唇から、明るいソプラノの声に名前を呼ばれた。
「何だ? ファータ」
 前方をしっかりと見据えながら、ユキムラは風に流されぬよう、大きな声でファータに返事を返した。すると、耳元でファータの真剣な声が囁く。
「お願いがあるの」
「ん?」
「さっき、ファータにはファータにしかできないことがあるって言ったでしょ?」
「ああ」
 耳元で鳴る風。そこに、今は耳に心地の良いソプラノ。いつもはくだらないことや泣き言ばかり洩らしているファータが、今は真剣に言葉を紡ぐ。それを、ユキムラは静かな相槌と共に聞く。
「あのね・・・」
 続く言葉が、消えた。しばしの間が生まれる。僅かな逡巡の後、ファータは言った。
「・・・ファータにできること・・・Homicide Machineド ー ルにしかできないこと・・・」
 そこで再度ファータは口を閉ざしてしまう。
 彼女の次の言葉を待つユキムラの耳に、震える吐息がかかった。ファータの迷いを、ユキムラは感じる。だから、促すことはしない。彼女が自分の口から言葉を紡ぐまで、ユキムラは待つことにし、バイクを走らせ続ける。
「あのね・・・」
 意を決し口を開いても、そこから先がなかなか出てこない。
 言うべきか、否か。それは、決まっている。ただ、その言葉を口にすることに要する勇気が、なかなか生まれない。過去に犯した過ちが邪魔をする。
 Homicide Machineド ー ルだったから、犯してしまった罪。
 だが今、Homicide Machineド ー ルだからできることがある。そう、思えるようになった。それは、いつだったか、ユイが言ってくれた言葉のおかげだった。


 ―――覚えてなさいね。人は誰しも、その人にしかできないことがあるの。それは、とてもステキなことなのよ。


 Homicide Machineド ー ルだったから、あの日、幼い兄弟を死なせてしまった。
 Homicide Machineド ー ルでさえなければ、トーラやクレア、マリーのように、何も気にすることなく、ユキムラに甘えることができる。センサーに触れられないように、常に肩を隠す必要もない。美味しいご飯を食べて、大きくなって。美人になって、ユキムラの自慢の娘になって、ユキムラのために美味しいご飯を作ってあげて、ユキムラと共に歳をとって、いつか死んで逝く。
 それが、Homicide Machineド ー ルである自分たちには許されていない。
 ―――どうして、Homicide Machineド ー ルなんだろう。
 そう思ったこともある。その事実を憎んだこともある。忘れようとしたこともある。
 けれど、どう足掻いたところで、逃れられるわけでもない。自分はHomicide Machineド ー ル。その事実は、どうしたって変わることはないのだから。
 そして、Homicide Machineド ー ルであったが故に犯してしまった罪――幼い兄弟の命を奪ったこの罪は、常に胸の何処かにある。
 同時に、その罪を思い、涙を零したユキムラの姿が、瞳の奥に焼き付いて離れない。それは、Homicide Machineド ー ルであったが故の、何よりもの罪。重い重い罪。motherマ マを悲しませてしまったこと。
 その記憶が、邪魔をする。
 そして、今、ユイが姿を消したのも、こうして危険が待っているかもしれない場所に行くのも、自分がHomicide Machineド ー ルであった所為なのだ。
 だからこそ、ユキムラたちについてきた。自分たちがHomicide Machineド ー ルであった所為で起こったこの事態を、自分で解決したかった。せめて、自分の所為でこうして危険な目に遭うかもしれないユキムラやアズマを、守りたいと思った。そして、それができるとも思った。
 ファータは、Homicide Machineド ー ルだから。


 ―――覚えてなさいね。人は誰しも、その人にしかできないことがあるの。それは、とてもステキなことなのよ。


 Homicide Machineド ー ルであるファータにも、できることがある。
 今は、それを信じてみたい。
 何度も口を開いては閉じ、それを繰り返していたファータだったが、一つ大きな溜息を零した後、ようやく口を開いた。
「・・・mission、ちょうだい」
「―――ファータ・・」
「悪いヤツらをこらしめるために」
 ファータの思いがけない台詞に、ユキムラは目を瞠る。チラリとファータに視線を遣ると、彼女の瞳は声音同様、真剣なものだった。怯えの光も見える。けれど、ファータはそれを唇を噛みしめることで堪えていた。
「――――」
 ユキムラが答えられないでいると、ファータは彼の腕をぎゅっと握りしめた。
「アズマさんやユイちゃんを守りたい。ボスを守りたいの。きっと、ファータにしかできないことなの」
「―――ファータ・・」
「ファータはファータにしかできないことをするの。だから、Homicide Machineド ー ルとしての力を使いたい。ファータはHomicide Machineド ー ルだから・・・ボスたちとは違うから、ボスにはできないことができると思うの。ファータを取り戻したいの。ボスの力になりたいの!」
「・・・・」
「お願い、ママ・・・!!」
 真っ直ぐ前を見つめたまま、けれどユキムラは戸惑いで瞳が揺れるのをおさえられないでいた。
 ファータの気持ちは分かる。けれど、ファータのHomicide Machineド ー ルとしての力を恐れるのは、彼もまた同じだった。蘇るのは、Homicide Machineド ー ルとしての自分を自覚できず、笑顔のまま幼い兄弟を殺してしまったファータの姿。
「・・・・」
 いつの間にか、ユキムラの隣に並んでバイクを走らせていたアズマは、黙って二人を見守っている。
 ユキムラは、黙って風の音を聞く。だが、その中に答えはない。
 溜息を零す。その溜息が少し震えていた。
「ファータ」
 名を呼ぶ。その声に、もう震えはない。覚悟は、決めた。
 ―――信じよう・・。 
 そしてユキムラは、ゆっくりとファータへと手を伸ばした。その手を、ファータが無言で自分の左腕へと導く。そして、触れさせる。そこにあるのは、センサー。手に触れた冷たいファータの肌の感触を確かめた後、ユキムラは徐に口を開いた。
 その唇から、与えられたのは、
「・・・良い子にしていろ」
 あの時と同じmission。知らずセンサーに触れ、命じてしまっていた言葉。
 そしてあの時、ファータは兄弟を殺してしまった。ただ、少し手を上げて、叱ったつもりだった。だが、Homicide Machineド ー ルであったばかりに、少し手を上げたつもりだったが、死なせてしまった。だが、あの時とは、違う。ユキムラはそう信じていた。
 あの日から数日が経った。苦しんだ。ファータも、自分も、十分すぎるほど苦しんだ。そうして、成長することができたと信じたい。
 ―――否、信じている。同じ過ちは繰り返さない、と。
 祈るような気持ちで、背後にいるファータの様子を窺う。しばし風の音が耳を支配する。その後、
「――――インプット完了。missionを実行します』
 カション・・カション・・カション・・
 風の合間に、あの日は聞こえなかった音が聞こえてきた。ファータの体の中で、見えない変化が起こっている音。その変化を、Homicide Machineド ー ルを作った都筑博士は戦闘モード≠ニ言っていただろうか。
 そして、その音もすぐにやんだ。
 ファータからは何の反応も返ってこない。それが、ユキムラを不安にさせる。
「―――・・ファータ?」
 徐に彼女の名前を呼んでみる。すると、すぐさまファータが応えた。
「分かったわ、ママ。ファータ、良い子でいる」
 それは、いつも通りのファータの声。言葉。ぎゅっと、腹に回された腕に力が込められたのが分かった。
 ファータは大丈夫だよ。
 そんな気持ちを、伝えようとしていたのかもしれない。
「――ありがとうな、ファータ・・」
 ユキムラは、小さな声でそう言った。Homicide Machineド ー ルとしての力を解放させた今のファータにならば、どんなに小さな声でも、自分の声は届くことを知っていたから。
 案の定、ファータが背中に頬をすりよせてきた。
 再度、ユキムラは「ありがとう」と囁いた。
 恐れ、憎んですらいたHomicide Machineド ー ルとしての力を、使ってくれてありがとう、と。
 いつの間にか顔を見せた太陽が、3人を照らしていた。






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