ピィィィィ――――――――――――――――――・・・ それは、いつだったか、聞いた音。 暗い宵闇を切り裂く、澄み切った鳥の声。珍しい鳥の鳴き声に、もう一度鳴きはしないだろうかと、待ってみたけれど、二度と鳥は鳴かなかった。 また、聞きたいと思った。 天を裂く。夜を裂く。耳に残る、澄んだ鳥の鳴き声。 闇を、裂く。闇が、終わる。 そして、ユキムラは目覚めた。 ゆっくりと瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは見慣れた部屋の、見慣れた天井。僅かに身じろぎしてみると、体に僅かな痺れが残っていることが分かった。この痛みは、いったい何だろう。ふと沸いた疑問に、答えは見つからない。疑問はやがて消え、痛みの次に思い出したのは、冷たい地面の感触。そして、そこに打ち付けた体の衝撃。 ―――死んだんじゃ・・・? 自分は死んだはずではなかっただろうかと、ぼんやり考える。何故、生きているのか。何故、部屋のベッドで寝ているのか。もしかして、全て夢だっただろうか。 次々と浮いては消える疑問は、一向に答えをもたらしてくれない。思考が、うまくまとまらない。 「そんなバカなことあるかよ!!」 唐突に、鼓膜を揺らしたのは怒鳴り声。アズマのものだった。一気にユキムラの意識は現実へと浮上させられた。 「アズマ、可能性の一つをあげただけだよ」 それに答える声は、オーディーのもの。落ち着いた声で、アズマを宥めようとしている。それでもアズマの勢いは止まらないようだった。 「その可能性はゼロだ! そんなことあるわけねーだろ!!」 「俺もそう信じたい。・・でも、ゼロじゃないだろう?」 「――でも・・ユイが俺達を裏切るなんて・・あり得ないっつってんだよ!!」 「―――アズマ・・」 オーディーとアズマの口論に割って入ったのは、彼らにとって意外な人物だった。 「ユキムラ!」 「「ボス!」」 自分に向けられた声は三つ。続いて駆け寄って来た足音も、三つ。すぐさま視界に映ったのはアズマとオーディー、そして、 「――ファータ・・」 「大丈夫!? ボス」 眩しい黄金色の瞳と髪。明るいソプラノの声は、涙に濡れている。そして、ファータの隣に、いつも居たもう一つの黄金色が居ない。 ユキムラはそこで全てを思い出した。 フォーラとファータと共にcityの外れに行ったこと。ユイに会うために。そして、撃たれた。レーザーガンでユイに撃たれたのだ、自分は。 そこでユキムラの記憶は止まっていた。気を失ってしまったらしい。撃たれたその時は、死んだと思っていた。だが、ユイのレーザーガンのレベルは、人を死に至らしめるほどのレベルには設定されていなかったらしい。 「ユイ・・?」 部屋の中をぐるりと見回し、ユキムラは問うた。自分を撃ったユイは、いったい何処にいるのだろう。否、そもそも、ユイが自分を撃ったという事実が、まず信じられない。本当は夢だったのではないかと、何度も自身に問うてみたが、答えが変わることはない。体に残る痺れがレーザーガンによるものだということは、曲げようのない事実。 「ユイは?」 「・・・」 何故か、応える声はない。唇を噛んだアズマと、視線を落とすオーディー。ファータは黄金色の瞳に涙を滲ませただけだった。 「おい、ユイは? フォーラも。何処だ? ・・おい、アズマ!」 体をベッドの上に起こしたユキムラは、答えがないことに焦れて、アズマの腕を掴む。 「―――」 促してもなおアズマは答えなかった。言いたくないと、硬く口を閉ざしている。代わりに、見かねたオーディーが口を開いた。 「・・・ボス、ユイが消えた」 「―――は?」 ユキムラは訊ね返す。聞き取れなかったわけではない。ユイが消えたというその言葉をどう受け止めていいのか分からなかったのだ。グループのナンバー3として、十数年の時をこのcityで共に過ごしてきたユイが、まさかこのcityを出て行ったということなど、ユキムラには考えつきもしなかったのだ。ならば、消えたというのは、いったいどういうことなのだろうか・・・。 ぼんやりと訊ね返すユキムラに、オーディーは言葉を足して言った。 「ユイがフォーラのスイッチを切って、連れ去ったんだ」 「―――・・は?」 今度の問い返しは、信じられなかったから。 今ここに居るはずのフォーラが居ないその理由が、信じられなかったのだ。 部屋で寝ているわけではない。ちょっと一人で遊びに行っているわけでも、得意の激マズ料理を作りに行っているわけでも、フォーラと喧嘩をしているわけでもない。 ―――フォーラは居ない。 「――・・スイッチを・・切って・・・?」 もう、この世の何処にも、ユキムラの知るフォーラは居ない。 スイッチを切ってしまった時、それまで蓄積された記憶は削除されてしまうことを、彼女のmotherであるユキムラは、しっかり覚えていた。すぐに分かった。その所為で、すぐさま、胸を抉るような衝撃が、体中を駆け巡っていった。 「――痛・・」 その衝撃は、体に残るレーザーガンの衝撃よりもはるかに大きい。 茫然と目を見開いたままのユキムラに声をかけたのは、瞳に溜めていた涙をついにぽろぽろと零し始めた ファータだった。 「あ、あの後ね、ユイちゃんがボスの指で、フォーラのスイッチを切って・・ バイクで連れて行ったの・・ッ!」 たまらず、ファータはユキムラに縋り付き、泣き始めた。 激しく震える小さな体を、ユキムラは無意識のまま、抱き締める。 いつもは精一杯両手を広げても包みきることができないのに、何故だろう、 すっぽりとファータの体が腕の中に収まるのは。 ―――フォーラが、居ないから。ユイが、連れ去ってしまったから。 混乱する中、ただただ、縋り付いてくるファータを抱き締め、問うことしかユキムラにはできない。 「―――・・どういうことだよ・・・」 その問いに、すぐに答える声はなかった。落ちた沈黙を破ろうとする者もいない。 アズマは頑なに口を噤んでいる。ファータはユキムラの腕の中で泣きじゃくり、ただひとり、 オーディーだけが、自分が答えを口にしてもいいものかと、何度か口を開いては閉じたりしている。 しばしの沈黙の後、オーディーが小さな声で言った。 「・・・ユイが向かった方向が・・その・・南、だったらしい」 「―――南・・?」 その方角がいったいどうしたのか。眉を寄せたユキムラにオーディーは補足する。 「ほら、昼にレーイが言ってた・・」 「! まさか・・ッ!」 そしてまた、沈黙が落ちる。 ユキムラはそのまま口を閉ざし、視線を落とす。思考は目まぐるしく回転を始めていた。 昼、隣のScarlet cityのリーダー・レーイが教えてくれたのは、フォーラとファータを見つけたcity―かつて、都筑博士達が人型兵器の開発を行っていたそのcityに、最近住み着いた怪しい人間達がいること、だった。さらに、金髪の少女を捜していると聞かされ、新型兵器を手に入れ、世界をラジスタのものにしようと企んでいたラジスタの人間が、Homicide Machineであるフォーラとファータを狙って来たのだろうかと不安に思ったのだった。 だが、ラジスタ国は滅んだ。国としての機能を保ち続けることができず、ラジスタの隣国レンディエンのcityの一つになった。そして、Homicide Machineを狙っていた旧政府も解散したとグリフォードから聞いた。 もうフォーラとファータが狙われることはなくなったのだと喜んだあの日が、懐かしい。そして、戻りたいと、真剣に思う。同時に、最悪の結末が、頭をよぎる。 それをユキムラの代わりに口にしたのは、やはり静かな声のオーディーだった。 「多分、南にやってきたってのはラジスタのヤツらで、ユイはラジスタに――」 「だからそんなことあるワケねーんだよ!!」 オーディーの言葉を遮ったのは、アズマの怒声だった。あまりにも大きな声に、ユキムラの腕の中で、ファータが大きく肩を揺らす。それに構うことなく、アズマは声を荒げて言った。 「ユイがラジスタにフォーラを売ったなんてあるわけねーんだよ!! ・・何か・・何か理由があるんに決まってんだろ!!?」 それに応えたのは、オーディーでもユキムラでも、ましてやファータでもなかった。 突然、押し開かれた扉が、ユキムラの部屋の空気を一瞬にして凍り付かせる。 「――トーラ・・クレア・・」 開け放たれた扉の向こうには、トーラとクレアが佇んでいた。 話の内容を聞かれてしまったかと、一同は息を呑む。ユイがフォーラを連れて行ってしまったなどと、グループの子供たちには知らせたくなかった。 「トーラ!」 まず声を発したのはクレアだった。トーラを咎める声。どうやら彼女が止めるのも聞かず、トーラが扉を開けたようだった。だが、クレアの叱責の声にも、トーラは譲らなかった。 「今だと思うんだ。今言わなくちゃ」 その言葉に、ユキムラの部屋にいた一同は眉を寄せる。 クレアが自分の言葉でついに口を閉ざしたのを確認してから、トーラはクレアと共に部屋に入り、扉を閉ざした。 「どうしたんだい? トーラ」 張りつめた雰囲気のトーラに、オーディーが優しく問いかける。 「あのね・・・」 「何だ、トーラ?」 ユキムラが促すと、トーラは唇をしめらせた後、おずおずと口を開いた。 「ユイ姉ちゃんから黙っててって言われたんだけど―――」 「何か知ってるのか!? トーラ!」 何か知っているらしいトーラのその台詞に、たまらずアズマがトーラに駆け寄る。 「・・・うん」 しばしの沈黙の後、トーラははっきりと頷いて見せる。全てを打ち明ける決意を固めたようだった。 一昨日、アンリが大人を見かけたこと。ユイがその男達と接触したこと。男達に連れられて、アンリが帰ってこなかったこと。ユイが昨日、一昨日とユイが男達と接触を重ねていたこと。そして、そのことを誰にも言うなと硬く口止めしていたこと。トーラは全てを、ユキムラたちに聞かせた。 トーラの話が終わった後、部屋には、もう何度目かの沈黙がおちた。 それを破ったのはファータの不安そうな声。 「・・・どういうこと?」 ボクの考えなんだけど、と前置きをしたあと、トーラは一つ一つ自分の言葉を確かめるかのようにゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。 「きっとユイ姉ちゃん、アンリのためだったんじゃないのかな・・・。アンリのために、フォーラを引き替えに行ったんだよ。あの男の人たち、悪いヤツだったんだよ。悪いヤツに脅されて・・・アンリを人質に取られて・・・仕方なく行ったんだよ、ユイ姉ちゃん。だって、それ以外考えられないよ! ユイ姉ちゃんがボクらを裏切るなんて・・!」 「何でそれを早く言わなかったんだ!!」 「―――痛ッ!」 「ユイ姉のためよ」 興奮してトーラの腕を掴んだアズマを制したのは、クレアだった。毅然とした声で言い放ち、トーラを掴むアズマの腕を外させる。その強い声と視線とに、アズマはされるがまま、トーラを解放し、クレアの言葉に耳を傾ける。 「ユイ姉が私たちのために一人で戦っていたから・・多分、一人じゃなきゃダメで、知らせたらユイ姉の行動が全てムダになるからよ。だから私たちは言わなかったの」 「―――」 その言葉に口を閉ざしたのはアズマだけではなかった。ユキムラもオーディーも、クレアの言葉に聞き入る。 「ユイ姉はこのcityを巻き込まないために一人で行ったのよ」 「――・・」 その言葉に、ユキムラは思い出していた。 『すぐ終わる・・終わらせるわ、私が』 自分に銃を突きつけたユイが、呟いたその言葉を。 「ユイ・・・」 トーラとクレアの言う通り、ユイは一人で全て終わらせようとしていたのだろうか。一人で全てを背負って、このcityを守ろうとしていたのかもしれない。 ユキムラは徐にベッドを降りた。一同が、一体どうしたんだと見つめる中、体が何ともないことを確認すると、ユキムラは口を開いた。 「―――行くぞ」 「ボス?」 唐突なその言葉にファータラが首を傾げる。そんなファータの頭を撫でながら、ユキムラは付け加えて言った。 「ユイの所に、だ。ユイとフォーラ、アンリを迎えに行くぞ」 「でも、ボス! 体が・・!」 「大丈夫だ。あのcityに着くまでには治る」 「でも―――」 心配するオーディーに、ユキムラはヒラヒラと手を振って大丈夫だと笑ってみせる。 だが、それでも心配そうに顔をしかめる年長者に、ユキムラは真剣な顔で彼の名を呼んだ。 「オーディー。このcityは任せた」 「え?」 ボスの思いがけない言葉に、オーディーは目を丸くする。いったいどういう意味かと問い返す前に、それを答えるべくユキムラが口を開いた。 「もしかしたら、本当にラジスタのヤツらかもしれない。そうなったとき、ここには被害がないように注意はする。 でも、万が一何かあったら、みんなを地下に避難させてくれ」 cityに、戦力となる少年たちは残していく。けれど、彼らへの説明をする気はない。説明をすれば、ユイが自分たちを裏切ったかもしれないこと、 何より、フォーラとファータがHomicide Machineであったことを知らせなくてはならない。 それは避けたいとユキムラは考えていた。だから、少年たちは何も知らず、このcityで一日を過ごすだろう。 そこへもし、武器を持ったラジスタの人間がやって来たら・・? 子供たちばかりのこのC−cityはひとたまりもないだろう。 考え過ぎかもしれないけれど、最悪の事態を考えるのがリーダーであるユキムラの責任だった。 「オレはユイを迎えに行く」 「ボス、まさか一人で!?」 その言葉を否定したのは、問われたユキムラではなく、いつの間にか彼の隣に並んだアズマだった。 「いや、俺も行く」 「アズマ・・」 「こいつ一人は任せてられないからな」 アズマの言葉に続いたのは、「はい!」と元気良く手を上げたファータ。 「ファータも!」 「ファータ、お前は――」 「行く!」 cityに残っていろ、とユキムラは言うつもりだった。さらわれたフォーラと同じく、ファータもHomicide Machine。 何故、フォーラだけを連れて行ったのかは分からないけれど、そこへファータを連れて行ってしまっては、 ややこしいことになるのではないかと危惧したのだ。 だが、ユキムラはファータを止めることはできなかった。 「行く! だってフォーラは私の分身だもの。それに、ファータはHomicide Machineだもの」 ファータの後半の台詞に、ユキムラは首を傾げる。 「ファータ?」 どういう意味だと問うと、ファータは真っ直ぐユキムラの瞳を見つめて言った。 「ファータはHomicide Machineだから、ファータにしかできないこと、あると思うの。だから行く!」 「・・・」 思いがけず、Homicide Machineとしての力で小さな兄弟を死なせてしまったという心の傷はある。怖いけれど、Homicide Machineの力があるからこそ、できることがあるはずだ。ファータは真っ直ぐな瞳で、ユキムラを見つめていた。力になりたいのだと、訴えてくる。 しばしの沈黙の後、ユキムラは答えた。 「よし、じゃあ、オレとアズマとファータでいく」 「おう」 「うん!」 心配そうな顔をしてはいるものの、オーディーももうユキムラを止めようとはしなかった。 ただ、部屋の隅で、トーラとクレアだけが、納得のいかない顔で顔を見合わせていた。 「「・・・」」 一緒に連れて行って! そう、言いたかったのだ。けれど、トーラとクレアは言わなかった。自分たちが足手まといになることは間違いない。 だから、黙って見送るしかないと、二人は理解していたから。そして、自分たちのボスは、きっとユイとアンリ、そしてフォーラを連れて帰ってきてくれると、信じていたから。信じることしか、自分たちにはできそうになかったから。 顔を見合わせた二人は、「仕方ないね」と、肩を竦めた。 そんな二人の隣に並んだオーディーは、トーラの肩に手を置き、ユキムラに笑顔を見せた。 「分かったよ。後のことは俺たちに任せて」 「さんきゅ、オーディー。分かってると思うけど、ギリギリまで誰にも―――」 口止めをしようとしたユキムラの言葉尻を奪い、オーディーは大丈夫だと笑って見せる。 「言わないよ。な?」 「うん」 「分かってるわよ」 オーディーの言葉に、トーラが大きく頷いて見せ、クレアが「当たり前じゃない」と言いたげに胸を張って見せた。そんな二人の頭を「ありがとな」と言って撫で、ユキムラはアズマとファータに視線を遣った。 「――よし、行くぞ」 夜明けを前に、ユキムラとファータ、アズマを乗せた2台のバイクが、C−cityから南へと向かって行った。 |