夜。
 cityは闇に包まれていた。街灯などない。あるのは、宵闇と、耳が痛くなるほどの静寂。
 しかし今日は、それのどちらもこのcityには訪れていなかった。いつになく明るい月明かりが、cityを救っていた。もう一つ、いつもは誰も外に出ない夜のcityを歩く、3つの足音が静寂を追い払っている。
 cityのリーダー・ユキムラと、彼をmotherマ マと慕うフォーラとファータだ。彼女らの小さな手は、しっかりとユキムラの手に繋がれている。ユキムラはと言うと、先程までは恥ずかしいわ暑苦しいわで取られた両手を取り戻そうと奮闘していたのだが、フォーラとファータの執念に負け、今は彼女らの好きなようにさせている。
 そんな彼の首元には小さなライトがぶら下がっていた。
 大きな建物が建ち並ぶcityの中心部では、頼りない月明かりでは地面を照らすことができない。中心部を過ぎると、爆撃によって倒れたり崩れたりした建物ばかりになり、月明かりが道を照らしてくれる。役目を終えたライトが、ユキムラの首元で揺れていた。
 3人はcityの中心部から外れへと向かって歩いていた。
 夜の散歩。ではない。彼らには目的の場所があった。
 cityの南端。ポツンと立った枯れ木の下が彼らの目的地。そして、そこで待っている人が居る。
「「何だろうね〜ご用って」」
 握ったユキムラの手をぶんぶんと大きく振り歩きながら、フォーラとファータが声を合わせた。月明かりに映える金色の髪と、同じく金色の瞳が揃ってユキムラを見上げた。
「さあ。何だろうなァ」
 あくびを一つ噛み殺し、ユキムラは答える。


『今から、cityの端、南にある木の下まで来てください。大切な話があります。
 フォーラと一緒に。誰にも内緒で。
 待ってます。
ユイ』



 ユイからのこんな手紙だった。
 詳しくは書かれていなかったが、南にある木というのが、葉を全く付けていない枯れ木であることは分かった。眠気を堪え、ユキムラは言われたとおり、フォーラを呼びに言った。何故、フォーラだけなのだろうか。疑問だったが、行けば分かると思った。フォーラを呼びに行き出かけようとしたのだが、ファータが自分も行くと騒ぎ、仕方なく3人でcityの南を目指しているのだ。
『家』からかなり離れたので、仲良く歌を口ずさんでいるフォーラとファータを宥めることもせず、ユキムラは歩いていく。二人は初めての夜の散歩、そして久しぶりのママとの家族(違)水入らずの散歩が楽しくて仕方がないらしい。にこにこにこにこ笑顔を零しっぱなしだ。
 だが、その散歩もひとまず休憩に入る。南の端、ユイが指定した木の下に着いたからだ。
 「もういいだろう?」
 と二人から自らの手を取り戻し、笑顔を浮かべて自分たちを迎えたユイの側にユキムラは寄って行く。その場所が、ユイが密かに男達とコンタクトを取っていた場所であることは露知らず。
 ユイは、木の側にあるコンクリートの塊の上に座り、二人を待っていた。ファータという余計なお客様がいることに一瞬驚いたようだったが、それでも夜中に彼らが来てくれたことにほっとしたようだ。
 すぐさまユイは、彼女の身長ほどもあるコンクリートから飛び降り、申し訳なさそうに眉を下げて言った。
「こんな時間にごめんね、ボス」
「別にいいさ。気にするな」
 ユキムラは快活な笑みを浮かべてみせる。フォーラとファータがそれに倣ってニッと笑う。
「ありがとう」
 助かったわ、と微笑みを浮かべていったユイに、ユキムラが訊ねる。
「で、どうしたんだ?」
 すると、唐突にユイは黙った。
 一気に耳が痛くなるような静寂が4人を包む。その静寂を恐れてか、フォーラとファータがユキムラに体を寄せた。
 ユキムラはフォーラとファータの頭を撫でる。ユイに向けられた視線が、逸らされることはなかった。先程まで笑っていたユイの表情が、静寂が訪れたと同時に変わっていたから。笑顔は変わらない。自分を見つめる瞳に、真剣さが増したから。
 静寂を破ったのは、ユキムラのおちゃらけた、明るい声だった。
「あ。もしかして、愛の告白かァ?」
 それに応えたのは問われたユイではなく、
「「ダメ――――――ッ」」
 という、フォーラとファータの大きな声だった。今度は違った意味でユキムラにしがみつく。それを笑いつつ、ユキムラは宥める。
 ユイは、笑わなかった。ユキムラがフォーラとファータに視線を外したすきに、緩く吊り上げられていた口許が、急激に下がる。
 視線を戻すと真顔になっているユイに気付いたユキムラはなお明るい調子で続ける。おそらく、彼女のツッコミによって自分の冗談は終わるだろうと思いながら。
「いやー、困るなァ。ずっと一緒だったのに、今さらそん―――」
 ユキムラの予想通り、彼の言葉はユイによって遮られていた。だが、その方法は、ユキムラが予想だにしていなかった。
 彼の目の前に、銃口が突きつけられていた。
 それは、
「―――・・ユイ」
 ユイのレーザーガン。
 こんなツッコミはいままで経験したことがない。新手のツッコミだろうか。それにしては心臓に悪い。
「お、おい、ユイ。それはない―――」
 ひきつる頬を抑えられないまま、それでも笑って言ったユキムラのセリフを、またもやユイが遮った。今度は、その口で。
「黙って」
 それは、静かで、けれど威圧的な口調だった。
「―――」
 ユキムラは言われたとおり黙る。
 驚きに見開かれた瞳は、ユイを見つめている。
 ユイは、真剣だった。冗談ではないようだ。鋭い光を宿す彼女の瞳を見て、ユキムラは彼女が本気であることを悟る。
 再び訪れた沈黙が、緊張感も加わってより一層4人にささる。
「「――ユイちゃん?」」
 沈黙を破ったのは、怯えた瞳で銃と、ユイとを見つめているフォーラとファータだった。
「二人とも、動かないで」
 その命令も、冷たく鋭い。
 フォーラとファータは動きを止める。止めなければ、ユキムラが危ないと思ったからだ。だが、従ったとしても、ユキムラに向けられた銃が逸らされることはない。ユキムラを助けたい。けれど、二人は動けなかった。
 何度目かの沈黙。
「・・・大丈夫」
 それを破ったのは、ユイ自身が零した、独り言のような言葉だった。いや、確かにそれは独り言だった。視線はユキムラに向けられていたが、その言葉が自分に向けられているものではないことを、ユキムラは悟っていた。
 問い返す間もなく、ユイは再び呟いた。
「すぐ終わる・・終わらせるわ、私が」
 言って、僅かにユキムラから遠ざかる。銃口が、ユキムラの頭から、胸へと映される。レベルの調節ダイヤルに添えられたユイの手が、カチカチカチ、とダイヤルを回す。いつもならば最低のレベルに設定してあるダイヤルを、彼女は回した。
「・・・ユイ、いったいどうしたんだ?」
 一体何が起こったのだろうか。
 自分に何が起こったのかは分かる。ユイに、レーザーガンで殺されそうになっているのだ。だが、自分を殺そうとしているユイに何が起こったのかは、全く分からない。ただ、彼女が本気であることだけは分かった。
「ユイ」
 一歩、彼女に近寄る。
 ユイは撃たない。
 それが、彼の2歩目を促した。けれど、
「ユイ、いったい―――」
「「ボス――――――――――――――――――ッッ!!」」
 音もなくユキムラに吸い込まれていった青白い光と、途切れた問い、悲鳴。次にフォーラとファータの鼓膜を震わせたのは、ユキムラが地に伏すその音と、自分たちの元に寄ってきたユイの鋭い命令。
「静かに!!」
 だが、二人は従わなかった。ユイにしがみつく。
「どうしてよ、ユイちゃん!!」
「どうしてボスを撃ったの!!」
「「どうして!!?」」
「返して!」
「ボスを返して!」
「「返してよォ!!!」」
 興奮状態にある二人を落ち着かせたのは、ユイの冷たい言葉だった。
「・・まだ生きてるわ。死なせたくないなら、黙りなさい」
「「―――」」
 ピタリと、二人は口を閉ざした。すぐさま視線をユキムラに転じると、意識はないようだが、痛みを感じているのだろうか、時折眉を寄せている。彼はまだ生きていた。ひとまずほっと息をつくが、まだ状況は変わらない。自分たちに、自由は約束されていない。
 視線をユイに戻すと、彼女はユキムラに向けた銃のダイヤルを更に回した。逆らったらユキムラを殺す。無言の暗示だった。フォーラとファータは自分たちに抵抗する術がないことを悟り、二人体を寄り添わせ黙る。
 そんな彼女らにユイは視線を転じた。銃口はユキムラに無けらたまま、命じる。
 その瞳は、驚くほどに冷たい。フォーラもファータも、そんなユイの姿を知らない。今目の前にいる彼女が本当にあのユイなのか、疑問を禁じ得ないほど、今のユイは冷たい目をしていた。
「フォーラ」
「「!」」
 名指しされたフォーラは僅かに肩を震わせ、ファータはそんなフォーラを守るようにぎゅっと抱き締める。
「こっちに来て」
 有無を言わさぬ口調。
「「―――・・」」
 フォーラとファータは顔を見合わせる。
 ―――怖い。行きたくない。
 ―――怖い。行かせたくない。
 二人が躊躇しているのを見て、ユイが動いた。
「大好きなママが死んでも良いの?」
 二人が止める間もなくユキムラの側まで歩き、倒れている彼のこめかみに銃口を押し当てたのだ。
「「やめて!!!」」
 再び二人の悲鳴がこだまする。
「行くから、やめて!!」
「フォーラ・・!」
 ぎゅっと抱き締めてくるファータの腕を優しくどかし、フォーラは言われたとおり、ユイの傍に寄っていく。その歩みに迷いはない。ユキムラを殺されること以上に怖いことなど、この世には存在しない。
 おとなしく自分の側までやってきたフォーラに、ユイが与えた次なる命令は、
「座って」
 というものだった。
 彼女の意図を理解できぬまま、それでもフォーラは地面に腰を下ろす。すぐそばに、ユキムラが居る。ピクリとも動かない。
「・・ママぁ」
 涙を滲ませるフォーラをよそに、ユイは突然ユキムラの手を掴んだ。
「やめて!!」
 一体何をするのだろうか。ユキムラに触れたユイに、思わずファータが声を荒げる。しかし、ユイは彼女を一瞥しただけだった。もう、黙れとは言わない。相変わらずユキムラに向けられた銃が、ファータの自由を奪っているのだということを知っているから。
 ファータに命令する変わりに、ユイはフォーラに「動かないで」と命令する。
 何を思ったかユイは、ユキムラの手を離し、頷いたフォーラの髪をかき上げた。肩に掛かっていた金色の巻き毛が、揺れる。同時にフォーラの肩も怯えて揺れた。
「これね」
 小さな声で呟いたユイは、再びユキムラの手を取り、無理矢理フォーラの首元に押し当てた。その行為がいったい何を意味しているのか、
「ユイちゃん!!!」
「イヤ!! ママ―――――ッ!!」
 それを知っているファータと、彼女がしようとしていることに気付いたフォーラが悲鳴にも似た声を上げた。その時だった。
「フォーラ!!!」
 パタンと、フォーラが倒れた。それは人間らしさを全く感じない、操り人形の糸が途切れたかのような動きだった。









 フォーラの電源がOFFに変わったと同時に、motherが解除された。
「――――」
 茫然とするファータの前で、ユイはユキムラに覆い被さるようにして倒れているフォーラを抱き上げた。そして、そのまま歩いていく。もう彼女は何も言わなかった。
「フォーラ!」
 涙に濡れた声で叫ぶファータ。
「ユイちゃん! フォーラをどうする気!!?」
「―――」
 ユイは答えない。振り返りもしない。すたすたと、ユキムラとファータを残して歩いていく。
「ユイちゃん!!!」
 ―――行ってしまう。
 ファータは叫んだ。あまりに強すぎる衝撃の所為か、もう動いてもいいことを、ファータは忘れてしまっていた。それほどに、衝撃的だった。
 ―――今までずっと一緒だったフォーラが、居なくなってしまった。
 今までずっと一緒に育んできた、ママと、トーラと、クレアと、アズマと、そしてユイとの思い出データが、消えてしまった。
 フォーラがフォーラではなくなってしまった。
「フォーラ―――――――――!!!」
 ファータがたまらず駆けだしたときには、既に手遅れだった。
 コンクリートの裏に隠してあったエアバイクにまたがったユイの姿は、フォーラと共に闇の中へと走り去って行こうとしていた。
 静かなバイクのエンジン音。
「フォーラを連れてかないで!!」
 ファータの哀願を背に、ユイは夜の闇の中に消えていった。
 いつの間にか、月が厚い雲に飲み込まれていた。
 真っ暗な闇の中、フォーラを追いかけていたファータは、石につまづいて転ぶ。立ち上がったときには、バイクの音は聞こえなくなっていた。
 闇に一人取り残され、ファータは混乱する。
「やだ・・・どうしよ・・どうしよう・・!」
 涙が止まらない。一度にたくさんのことが起こりすぎて、処理できない。ただ、涙を流すことしかできない。震えが止まらない。
 ―――怖い。怖いよ、ママ・・・!
「ママ! ママ!!!」
 そこでようやくファータは自分がすべきことを思い出す。闇に覆われおぼつかない足取りで、それでもファータはユキムラの元まで辿り着く。手を伸ばし触れる。肩に、そして頬に。
「ねえ、ママ」
 応えない。動かない。
「ママ! ママ!!」
 揺らすが、ユキムラは応えない。再びファータの瞳から涙が溢れる。おさまらない震えが、その激しさを増す。
 ―――怖い・・!
 闇よりも、何よりも、ユキムラが死んでしまうことが。
「誰か! 誰か――――――!!!」
 ファータの悲鳴が、夜のC−cityに響き渡っていた。






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