先程まで晴れ渡っていた空に、幾つか雲が顔を出し始めている。
 小さいけれど、厚みのある雲。
 時折かげる太陽の下、C−cityでは、子供たちがcity中を駆け回って遊んでいる。 いつもはその中心になっている、おチビちゃんたちのリーダー、トーラとクレアが、今日はその中に居ない。
 彼らは今、『家』の裏に居た。遊んでいた彼らをそこへ呼び出したスカイの姿もある。
「昨日、何があったの?」
 周りに誰もいないことを確認するなり、スカイはトーラとクレアに問うてきた。
 昨日、トーラとクレアがユイを呼び出してから、彼女の様子がおかしいことに彼女は気付いていたのだ。
 スカイはユイと年が近い上、C−cityのグループが一つに統合されるまでは、アズマ率いる、 ユイと同じグループに所属していた。ユイとは長い付き合いになる。そんな彼女が、常には見られないほどに何か考え込んで いるのだ。険しい表情をしている。ユイと姉妹のようにして育ってきたと言っても過言ではないスカイが、 彼女の異変に気付かないはずはない。そしてその原因が、ユイを呼び出したトーラとクレアならば知っていると思うのも当然だ。
「どうなの?」
 何も答えないトーラとクレアに、スカイが焦れたように再び問う。
 トーラとクレアは困ったように顔を見合わせた。
 スカイがユイの異変を心配している気持ちは、トーラとクレアにも分かる。 けれど、言うべきか否かの答えはすぐに出た。
「・・・今はまだ、言えない」
 知っているけれど、言えない。そう言ったトーラに、スカイは僅かに眉を寄せる。
 何故? とは訊かなかった。それは、二人の真剣な表情を見たからだった。
 理由を訊ねる代わりに、スカイは別の質問を口にする。
「・・誰にも?」
 それは暗に、ボスにも言えないのかと、スカイはそう訊ねている。 それほどまでに守らなければならない理由なのか、と。
 しばしの沈黙の後、クレアはきっぱり答えた。言葉にはしなかった、スカイの思いの全てを悟ってもなお。
「・・・・ええ」
「・・・」
 スカイから返されたのは沈黙。彼女の淡い青の瞳が、トーラとクレアをじっと見つめている。 その瞳は疑っているようでも、二人を責めているようでもある。
 怒られるだろうかと縮こまる二人に、スカイは溜息を一つ零したあと、口を開いた。
「ま、あんたたちがそう言うなら、そうなんでしょうね」
 言って、肩を竦める。
 聡い二人の言うことだ。彼らの判断を信じたようだった。
「わざわざ呼び出して悪かったわね」
 トーラとクレアの頭をわしゃわしゃと撫でたスカイは、夕食の準備に戻るからと言って、『家』の中に入っていった。
 スカイの追求が終わったことにほっと安堵したあと、二人はスカイのあとを追うように『家』の中に戻る。 『家』の前で遊んでいる子供たちの輪に入ることはできなかった。そんな気分ではない。 そして何より、二人には仕事があった。誰に頼まれたわけでもない。自分たちの判断の元での仕事。それは、ユイの監視。
『家』の中に入った二人は、ロビーのソファに座り、何事かを考えているユイに視線を遣った。
「・・・いるね」
「そうね」
 ユイのことを信用していないわけではない。けれど、胸の中を渦巻く不安は、消えない。
 あの男達は誰なのか。アンリは何処に行ったのか。何故ユイは、何も言わないのだろうか。 ボスにさえ黙っているのだろうか。
 ざわざわ。
 その擬音が一番適当だろうか。不安は次第に激しさを、大きさを増し、二人の中を走り回る。小さな胸を、埋め尽くす。
 ―――何かが起こる。
 それを、彼らは本能的に感じ取っていた。
 二人がユイや、ロビーにいる他の子供たちに気付かれぬよう、何くわぬ様子でソファに座り、ユイの行動を見守っていると、
「「あ」」
 ユイが、唐突に立ち上がり、歩き出した。ユイは、厨房に向かったかと思うと、二、三、中の少女達に声をかけ、『家』のエントランスに向かい始めた。
 顔を見合わせたトーラとクレアは、どちらからともなく立ち上がっていた。
「行くわよ」
「うん」
 ユイには気付かれないように距離をあけ、けれど見失わないよう素早く、二人は『家』を出たユイを追って駆けだしていた。
 cityの中で遊び回って育ってきたトーラとクレアにとって、ユイの尾行は簡単だった。壊れた建物の影、小さく細い道、 崩れかけた建物の中を抜け、ユイを追う。勿論、足音はたてない。
 険しい表情で足を進めていたユイが足を止めたのは、C−cityの外れ。そこは、昨日と同じ場所だった。そして、
「・・・やっぱり」
 トーラが思わず呟く。
 その場所には、黒服に身を包んだ男が居た。人数は昨日とは違い一人。彼らが連れて行ったアンリの姿はない。
「・・どういうこと?」
「さあ」
 何もかもが分からない。状況を推し量ることさえ今はできない。唇を噛んで問うクレアに、トーラも首を傾げることしかできない。
 二人の場所からでは、ユイと男の会話は聞こえない。ただただ、見つめることしかできない。
 ユイと男は、真剣な表情で何事かを話している。
 しばしその様子を見守っていた二人だったが、堪えきれずに口を開いたのはトーラだった。
「―――・・このままじゃダメだよ。何となくだけどダメな気がする」
 理由はない。けれど、高まる不安は、トーラを急かす。
 それは、クレアも同じだったらしい。
「・・そうね」
 視線はユイ達から外さないまま、クレアも首を縦に振った。
 その仕種で、二人の中ではもう決意は固まっていた。ユイに全て訊こう、と。
 このままだと、大変なことが起こるとなにかが告げている。 何が起こるのかは分からないけれど。訊かなくてはいけない。訊かなくては公開すると、ただそう思ったのだ。
 二人が固唾を呑んで見守っていると、十分ほどして、ようやくユイと男に動きが見られた。
「終わったわよ」
 話が終わったらしい。男が近くに止めてあったバイクに乗り、cityから姿を消していった。 ユイはと言うと、その場に佇んだままでいる。男を見送っているのかと思ったが、そうではないらしい。視線は遠ざかっていく男ではなく、彼女の足下におとされていた。
 男の姿が完全に消えたのを確認してから、俯き佇んでいるユイに、二人はそっと近づいて行った。
「ユイ姉」
「!」
 そっとクレアが声をかけると、ユイはそれまで二人の存在には全く気付かなかったらしく、大きく肩を震わせ振り返った。
「トーラ、クレア。どうして・・・」
 そこにトーラとクレアの姿があることを認めると、ユイの表情が強張った。
 それを見て、トーラは慌てて謝る。
「ごめんなさい! 心配で・・・こっそりついて来ちゃったんだ」
「ねえ、ユイ姉」
 おずおずとそう口にしたトーラとは対照的に、クレアがはっきりとした口調でユイに声をかけた。まさか、いきなり詰問を始めるのではと心配したトーラの予想は的中した。
「今、一体何が起こってるの? あの男の人たち、誰? アンリは何処に行ったの?」
 矢継ぎ早な質問。
 クレアは鋭い視線をユイに向けている。
「―――」
 クレアのその質問から、トーラとクレアが自分の行動の全てを知っていると悟ったのだろう。ユイは溜息をついた。けれど、それきり口を開こうとはしない。何か思案しているのか、それとも沈黙を貫こうとしているのか。
「答えてよ、ユイ姉!」
「クレア!」
 焦れたクレアがユイの腕を掴み揺さぶる。それを止めたのはユイではなくトーラだった。
 クレアにきつく掴まれた腕に抵抗することなくされるがままになっていたユイだったが、しばしの後、口を開いた。
「―――ごめんね。言えない」
「ユイ姉・・」
 申し訳なさそうに、けれどきっぱりとユイは言い切った。
 そして、付け加えられた言葉も、強い。
「このこと、誰にも言わないで」
「「え?」」
「誰にも、よ」
 念を押すユイ。その表情は険しい。
 たとえ、ボスにであっても駄目だと、彼女の瞳は二人に告げている。
「・・教えてくれないの?」
 クレアのように強い口調ではないが、トーラも訊ねる。どうしても、誰にも言えないのか、と。
「・・・言えない」
 ユイは、そう繰り返した。そしてトーラから外された視線は、地面を映す。
 伏せられてはいるが、二人に垣間見える瞳には、強い意志の光があった。 どんなに追求しても、ユイはきっと答えないだろう。そのことを悟らされる。
 ユイに腕を解放したクレアは、ユイの瞳を覗き込み口を開いた。そのクレアの瞳は鋭いままだ。
「一つだけ教えて」
「何?」
「ユイ姉が黙ってるのは、私たちのため、よね?」
「クレア!」
 そのセリフ、そしてクレアのその眼差しは、明らかにユイを疑っている。 その様子を隠しもしていない。それを見てトーラが咎めるように彼女の名を呼んだが、 クレアはその眼差しを解くことはしなかった。じっと、ユイを見つめている。
 一瞬、驚いたように目を見開いたユイだったが、僅かの逡巡の後、首を縦に振って見せた。
「―――・・ええ。そうよ」
 答えが返されるまでの僅かな間の所為か、それとも自分を見つめ返し てくるユイに瞳が僅かに揺れている所為か、クレアはすぐには答えを返さない。 じっとユイを見つめ返す。ユイの瞳に真実が隠されているとでもいうのだろうか、探るような瞳でユイを見つめ続けていた。
 長い沈黙は、クレア自身によってやぶられた。
「・・・・分かった。信じるわ」
 溜息交じりの言葉だった。だが、視線の険しさは解かれている。
 そのことに気付いたユイは、僅かに表情を緩めた。
「――ありがとう」
 二人に送られたその言葉は、疲れているのか、申し訳がないためか、とても小さかった。
 その時だった。
「おい!!」
 突然、三人の場に介入してきた声があった。
 周りへの意識が足りなかったらしい。いつの間にか、自分たちに近づいてきていた二台のエアバイクの存在に気付かなかった。
 三人して、弾かれたように首を巡らせると、そこにいたのは、
「ボス!? アズマさん!?」
 ユキムラとアズマだった。
 ユイの表情が強張る。いつからそこに居たのだろうか。4、5メートル離れてはいるが、会話が聞こえない距離ではない。聞かれていただろうかという不安がユイの血の気をさらっていく。
 そんなユイにチラリと視線を遣ったあと、トーラがいつもの明るい調子で二人に声をかけた。
「アレー? どうしたのー??」
 明るいトーラの声に、三人の側に寄ってきたユキムラとアズマは、その場の雰囲気がおかしいことには気付かなかった。 表情は明るいまま変えず、トーラはそのことにほっとする。
「お前らこそこんなトコで何やってんだ?」
「「―――・・」」
 アズマから逆に返された問いに、トーラとクレアは黙る。彼の視線が、鋭かったからだろうか。
 それに答えたのはユイだった。
「何でもないわ。それよりどうしたの?」
 その表情はいつも通り。先程までの強張った顔は一体どこにいってしまったのだろうか。 ユイは完璧なまでにいつも通りの表情、仕種で二人を迎えた。
 どうしても、彼らに知られるわけにはいかなかった。疑われるわけにはいかなかったから。
「いや、レーイに会ってな、変な男達がうろついてるらしいんだ」
 バイクを降りながら言ったユキムラに、トーラとクレアは思わず顔を見合わせる。
 隣のcityのリーダーが言っていたというその男達が、先程ユイが会っていた男だということは想像に難くない。
「「・・・・」」
 チビたちが顔を見合わせたことに、幸いにもユキムラもアズマも気付かなかった。そのまま会話を続ける。だが、
「もしかしたらラ――」
 そこでユキムラは言葉を切った。今この場に何の事情も知らないトーラとクレアが居ることを思いだしたのだ。
 案の定、突然会話をやめたユキムラに、トーラとクレアがきょとんとして自分を見ている。
「・・と思って、心配で戻ってきたんだ」
 ユイにはだいたいのことは伝わっただろうと判断したのか、ユキムラは強引に話を終えた。
 トーラとクレアに問いかける暇は与えられなかった。すぐさまアズマが口を開いたからだ。
「何か変わったことはなかったか?」
「・・・ないわ。大丈夫よ」
 僅かな間も、ユイのいつも通りの笑みの前には、何の違和感も残さなかったらしい。
 ユイの答えに、トーラとクレアは悟る。
 先程、彼女は「誰にも言わないで」と言った。彼女は誰にも知らせないつもりなのだろう。 ボスやナンバー2のアズマにさえも。
 安堵の溜息を洩らしているユキムラとアズマの隣で、トーラとクレアが不安げな瞳でユイを見つめていた。






← TOP →