「「ボス!」」
 唐突にドアが開く。続いてユキムラとアズマの鼓膜を震わせたのは、二つのソプラノ。 高いけれど、決して不快ではない声。それは、鳥の鳴き声に似ている。
 それが誰のものかは、問わなくても分かる。
 視線をドアへと向けたユキムラの瞳に飛び込んできたのは、フォーラとファータ。
 僅かに胸が高鳴ったのは、未だに払拭しきれない、ファータへの罪悪感の所為。
「・・・・」
 何を唇に乗せていいものか判断がつかないユキムラの代わりに口を開いたのはアズマだった。
「どうしたんだ? フォーラ、ファータ」
「ボス!」
 ファータは、アズマの問いに答えようとはしなかった。金色の瞳は真っ直ぐ、ユキムラに向けられたままでいる。 そこに秘められている強い光に、アズマは彼女らの瞳に自分が映っていないことを悟り、口を閉ざした。
 その光が先程までユキムラが浮かべていたものだと同じkとおに気付きながら。
「ボス! ファータね、ボスに嫌われても、ボスの傍にいたいの!」
「フォーラもなの!」
 唐突に何を言い出すのだと問われる前に、一気に言い放つ。そして、間髪を入れずフォーラがその言葉に続いた。
「ファータ・・・フォーラ・・・」
 一体、何から言えばいいのか迷っているのだろう。ファータは口を開いては閉じ、また開いては閉じを繰り返している。
 ユキムラは、彼女の言葉を促そうとはせず、黙って待っている。待つしかない。ファータが一体何を言おうとしているのか、 自分には分からないのだから。
「あのね・・グリフのお兄ちゃんがね、言ってくれたの。ファータもボスも悪くないって」
 ようやくファータはそう口にした。
 その言葉に蘇るのは、アズマの言葉。


「お前もフォーラも、悪くない。誰も悪くないんだ」


 アズマと同じ言葉を、グリフォードもファータに送っていたらしい。
 黙ったまま自分の言葉を聞いているユキムラをチラリと一瞥し確認してから、ファータは小さな声で続けた。
「・・でも、ファータは悪い子なの」
 消え入りそうなほど、小さな声。
 ぎゅっときつく握られた掌は、己を責めるためか、それとも、ユキムラに罪を告白することへの恐怖からか。 そのファータの腕を、フォーラがぎゅっと握っている。その瞳は、ファータとは違いユキムラを真っ直ぐに見つめている。
 ――ファータを叱らないで。
 そう訴えてくるフォーラの瞳を見るまでもない。ユキムラは、すぐさまファータの言葉を否定するために口を開いた。
「・・違う、ファータ。オレが―――」
「だって・・・」
 だが、その言葉はファータ自身によって遮られてしまった。
「だってファータは、あの子たちを死なせてしまったことよりも、ボスに嫌われる方が怖いの。 ボスが悲しんでることの方が悲しいの」
 一息に、ファータは言い切った。震える声に反し、伏せられた瞳に涙はない。
 怖いのは、ドールとしての己の力よりも、ユキムラに嫌われてしまうこと。
 悲しいのは、罪もない兄弟を殺してしまったことよりも、ユキムラが悲しんでいること。
 何故なら、ファータにとってユキムラは絶対の存在なのだ。唯一の母親ママ
「ファータはボスが一番好き! ボスのためだったら、人だって殺せるわ!」
 伏せられていた瞳が、ユキムラを射る。
 人を殺すことへの罪悪感、己の人間とは違う証拠であるドールの力への嫌悪感など、大好きなユキムラのためであれば、 消し去ってしまえる。それでユキムラが喜んでくれるなら。助かるのなら、自分はきっと、迷わず人を殺せ るだろう。それほどまでに、自分はユキムラを愛しているのだ。
「ファータ!」
 責める声は、隣のフォーラのものだった。
 ユキムラは、真っ直ぐ自分に向けられたファータの瞳を黙したまま受け止めている。何も言わない。
 それでも、ファータは言葉を紡ぎ続ける。
 自分は、伝えに来たのだから。
 どんな言葉が返ってくるのかは分からない。けれど、まず伝えなければ何も返っては来 ないから、だから、伝えに来たのだ。自分の心の全てを。
「でもね・・でも、それじゃダメだってことに気付いたの。そんなことしたらボスが悲しむんだって」
 ユキムラの為に人を殺す。そのことに抵抗は・・ない。けれど、自分が人を殺すことで、ユキムラが悲しむ のだということを知った。そして、おそらく、ファータが自分のために人を殺したとなれば、彼は己を 責めるのだということも知った。
 彼はとても優しい人。
 戦時中。人が人を殺し、己も人の屍を踏み越えて生きてきたにも関わらず・・・いや、その所為だろうか 。彼は、人が死ぬことに敏感だ。そのことを知った。
 だから、
「だからもうしない! 絶対にしない!!」
 それは、悲鳴にも似た声だった。
「ファータ、良い子になる! 良い子になるから、もうちょっと・・もうちょっとだけ傍にいさせて――――――!」
 悲鳴は最後には泣き声に変わっていた。啜り泣きを通り越した、大きな大きな泣き声。いつの間にか 、泣き声は二つになる。
「「うわ――――――ん」」
 フォーラとファータの泣き声。
 それを聞きながら、ユキムラは口を開いた。ファータの言葉を聞いていた間中噛みしめていた所為か、 その唇は赤くなっている。
「・・・・オレは、まだまだガキだ」
 声が小さいのは、唇に乗せたその事実を認めたくないため。その事実が、悔しくて仕方がないためだろう。
 僅かに震えを帯びた声で、それでもフォーラとファータに語りかけるユキムラを、アズマは黙ったまま見守っている。 認めたくない事実を認めさらけ出す彼に、自分が口を挟む必要はないだろうと思ったのだ。 ユキムラは事実を受け止め、立ち向かおうとしているのだということを悟ったから。
「・・今日だって、オレがもっとしっかりしてればお前達を不安にさせることもなかったんだ」
 自分が子供だったから、だから、ファータの気持ちを思いやることができなかった。自分を責めるよりも先に、 ファータに諭してやるべきだったのだ。人を殺すことがどれほど罪深いものなのかを。 それを怠り、己ばかりを責めた為に、ファータは何が起こったのか理解できまま、ただただ不安ばかりを植え付 けられていただろうから。
「これからだって、二人に悲しい思いをさせるかもしれない。いや、きっと辛い思いをさせてしまうと思うんだ」
 大人になろうと決めた。
 けれど、突然大人になれるはずもなく、きっとまたこんな思いをして、何度も繰り返して大人になっていくだろう。 積み重ねなければ、大人になどなれないのだから。
 フォーラとファータが選んだ自分は、まだ子供だった。
 大人が母親motherであれば、こんな思いなどしなくて良かったのかも しれない。そう思うと、申し訳なく思う。そして、思うのだ。
「・・・こんなヤツが母親でいいのか?」
 と。
 すかさず返ってきた言葉は、ユキムラの胸を突く言葉だった。
「「いいの!」」
「ボスが良い!!」
「ボスじゃないと嫌!!」
 胸の辺りを突いた衝撃は、すぐさま瞳に移る。鼻の奥がツンとする。 唇を噛みしめなければ、泣いていただろう。勿論、嬉しかったから、だ。
「・・・フォーラ・・・ファータ・・・」
「「フォーラとファータのママはボスだけなの!!」」
 仲良く合わせられた声は、一つにしか聞こえない。注がれる視線の強さも同じ。 同じ光を宿した黄金色の瞳が、ユキムラを射る。揺れるユキムラの瞳とは対照的に、二人の瞳に迷いはない。
 ユキムラの瞳が揺れる理由は、戸惑いではない。喜びで、だ。せわしなく瞬くのは、滲んだ涙を零さないためだ ったのかもしれない。
「・・・ありがとう。オレ、良い母親になるからな」
 伸ばした両の手は、フォーラとファータの頭に置かれる。 優しく撫でると、二人は花が咲きこぼれるような笑みを浮かべる。先程まで強い光を宿していた瞳には今、 涙が浮かんでいる。温かい涙。安堵の涙だろうか。今までと変わりなく、ユキムラと共に過ごせることに対しての。
「ファータも良い子になる」
「フォーラも」
 ユキムラの指が、二人の頬を撫でる。指を濡らす涙が、ユキムラの心を痛めることはない。
「ああ、一緒に、な。一緒に成長していこうな」
「「うん!!」」
 二つのソプラノが一つになって、ユキムラの胸に届く。
 そこに降っていた、冷たい雨はいつの間にか消えていた。黄金色の光が濡れた胸を温める。
 まだ、小さな小さな水溜まりを残してはいたけれど、黄金色の光が、やがてそれすらも 包んでいくのだろう。


 ―――雨は、やんだ。






11← TOP →13