ユキムラの部屋を支配しているのは、沈黙。 ベッドにはユキムラ、それを見下ろすようにベッド脇のイスに腰をおろしているのはアズマ。 彼は何をするでもなく、ただイスに腰をおろし、目を閉じている。 静まりかえった部屋であるにもかかわらず、アズマに届くのは、耳が痛くなるほどの沈黙。 自分に背を向けるようにしてベッドに横になっているユキムラの寝息は、ついぞ聞こえてこない。 「・・・眠れないのか?」 そっと問うと、返ってきたのは、 「――――」 僅かに震えた肩と、また沈黙。 「・・・何か飲むか? 持ってきて――」 腰を浮かせたアズマが、立ち上がることはなかった。ユキムラの小さな声が彼を引き止めていた。 「何で・・・何で何も言わない」 アズマに背中を向けたまま問うユキムラの声は僅かに掠れている。 それは、ファータに殺された兄弟への悲鳴にも似た謝罪の所為だろう。 ユキムラの狂ったように叫ぶ姿が脳裏をよぎり、それを掻き消すよう首を振った後、 アズマは浮かせていた腰をイスに戻し、問う。 「何か言って欲しいのか?」 その声は、あくまで静か。穏やかだと言ってしまっていい。それが、ユキムラには耐えられない。その静けさ、穏やかさが自分を責めているようで。 ユキムラはアズマを振り返ることができない。 「・・言いたいこと、あるだろ?」 背を向けたまま、問うたユキムラに返ってきたのはやはり穏やかな声で、 「ない」 短い答え。 「・・・ウソだ」 「ウソじゃない」 否定すると、アズマも否定する。 その言葉にようやくユキムラはベッドから体を起こした。 「ウソだ!!」 飛び起きたと表現しても差し支えないのかもしれない。 勢いよく体を起こしたユキムラは、その勢いのまま視線をアズマへと向ける。睨んでいる、そう捉 えられてもおかしくはない、鋭い眼光。けれど、そこにある色が怯えであることを、アズマは知っていた。 「嘘だ! あるだろ!? だからフォーラとファータを引き取るのは反対だったんだ、とか、アイツらを追い出せ、 とか、母親のくせに、とか・・色々・・・色々・・・ッ!」 そんな言葉を望んでいるわけじゃない。それでも、今は何故か、 素直に慰めを求められない。愚かな自分を、詰って欲しい気分だった。 「色々あるだろーが!!」 「じゃあ、言わせて貰う」 「・・・!」 きっと彼から浴びせられる言葉は、自分の胸を抉るようなものだろう。そう思い身構える気持ちと、それを望む気持ち。 矛盾している。 けれど、その矛盾を、アズマの言葉がうち砕くことになる。 「お前は、悪くない」 「――!!」 俯いていたユキムラの視線がアズマに向けられる。大きく見開かれたそこにあるのは、昼 が夜へ向かう、その刹那の時間現れる美しいムラサキ。夕闇と宵 闇との、透き間の紫。透紫の名に相応しい色。 それを真っ直ぐに見つめつつ、アズマはユキムラが驚きから覚め、再び否定的な言葉を口にする前に付け加える。 「そう、思っちまえ」 「――――」 何か紡ごうとしていたユキムラの唇が、完全に閉じる。それを確認してからアズマは唇に次の言葉を乗せる。 「お前が自分のことを責めれば責めるほど、ファータも苦しむんだ」 「―――!」 アズマの言葉に、ユキムラの瞳が揺れる。 (・・・コイツは・・・) アズマは、ファータの名を出したことが正しかったのだと確認する。 やっぱりコイツはお人好しだと、アズマは嘆息する。彼には、彼自身のことよりも、 ファータのことを引き合いに出した方が効果的なようだ。 「お前もファータも、悪くない。誰も悪くないんだ」 ユキムラが押し黙っている間に、アズマはたたみかけるように次の言葉を紡いだ。 「・・・でも――」 「でも、じゃねーよ!」 弱々しくも否定の言葉を口にしようとしたユキムラをアズマは容赦なくはたいた。 「いてッ」 ユキムラの額をはたいた手は、そのままユキムラの頭に戻って来た。そのまま添えられた手は、暖かい。 視線をアズマに向けると、夜色の瞳とぶつかった。 静かな夜の色をしているけれど、そこには穏やかな光がある。いつも、自分に向けられている優しい瞳だ。 「・・・アズマ・・・」 アズマは、ユキムラの頭を二度三度撫でてから口を開いた。 「もう忘れろ。仕方がなかったんだ」 「――――」 返ってきたのは沈黙。 きっと、ユキムラは、自分のためでは納得しないだろう。だから、 「お前がふっきれないでどうする」 ファータの為だと言ってしまえばいい。 「お前は母親だろうが。もう、忘れろ」 その暗に、ファータの為だとほのめかすアズマの台詞に、ユキムラは沈黙を返した。 その胸中に蘇ってくるのは、悲痛なファータの叫び。 ―――胸が痛い。 『嫌いにならないで!』 あれは、自分の叫びだ。 何も知らない彼女に、人を殺させてしまった自分の叫びだ。 ファータは何も知らない。あの幼い兄弟が死んでしまったことも。 そのことにユキムラが傷ついていることも。責任を感じていることも。何も知らない。分からない。 あの子は何も知らないのだ。教えてやらなくてはならない。 誰が? その答えは、すぐに導かれる。 (――――オレ、だ。オレが・・・) その為には、受け入れなければならないのだ。 自らの罪を。 彼女の罪を。 「――――無理だ」 しばしの沈黙の後、ユキムラが口にした言葉。 「は?」 アズマは思わず問い返す。彼の言葉の意味を計りかねて、だ。 「ダメだ、忘れちゃダメなんだ」 ユキムラは言った。それは、アズマに向けていると言うよりも、己自身に言い聞かせているようだった。 「・・・」 だから、アズマは、黙る。 彼の見つめる先にあるユキムラの横顔。そして、その瞳はいつもの彼の瞳。もう大丈夫だ。もう彼の口から、自 らを苦しめる言葉は洩れないだろう。だから、黙る。見守る。 「・・忘れたら、また繰り返してしまう。だから、オレは忘れられない。忘れちゃダメなんだ」 己の言葉を反芻し胸に刻んでいるのだろうか。瞳を閉じたユキムラに、アズマがそっと声をかける。 「・・・明日にでも、墓参りに行こうか」 その言葉に返ってきたのは、 「・・・ああ」 僅かに沈黙を挟んではいたが、はっきりとした肯定。そして、瞳に宿ったいつもの彼の強さだった。 |