ロビーには、未だファータの泣き声が響いていた。 「お願い・・お願い・・ママぁ」 悲痛な泣き声はやまない。 「ファータ・・」 顔を両手で覆い、肩を震わせている片割れを、フォーラはただ抱き締めることしかできない。 一体何が起きたのか、理解できない。気を失ってしまった母親と、 一様に表情を硬くしたグリフォードとユイ。そして、先程までは白かったはずの服を赤い水玉に変えているファータ。 何が起こったのか分からない。けれど、胸を埋め尽くしていくじれったいような感情は、 不安だろうか? 着々と胸の奥にまで浸透していく嫌な気持ち。これは、泣きじゃくるファータから伝染したものだろうか。 それとも、自分の内から生まれたものだろうか。その感情は不快で仕方がない。 そして、―――怖い。 ファータの泣き声。それを包む沈黙を破ったのは、グリフォードだった。 「・・ファータ。ちょっとこっちにおいで」 その声は優しかったけれど、少し迷いを含んだものだった。 「「!」」 思わず、二人は肩を強張らせる。 そんな二人に、グリフォードは口許に僅かに笑みを浮かべ、再度促す。 「おいで、ファータ。フォーラも。教えてあげような」 ―――何を? それは、問わなくても分かる。 ユキムラが何故悲しみ、苦しんでいたのか。 自分が、一体何をしてしまったのか。 きっと、その答えは、自分たちを苦しめるのだろう事も。 「「・・・・」」 ―――知りたい。でも、怖い。 フォーラはますますファータの体を抱き締める。 ファータはますますフォーラに体を寄せる。 怯える二人を驚かせないよう、ユイは静かに口を開いた。 「ねえ、行きましょう? 私も一緒に行くわ。ね?」 言葉と同様に静かに、驚かせぬよう肩に置かれたユイの手は、温かい。二人を動かしたのは、その温もりだった。 「「・・・うん」」 フォーラとファータが頷いたのを認めたグリフォードは、再度優しい声で「行こうな」と促した後、 ロビーから二階の自室へと足を向ける。ゆっくりと歩みを進めていく。 自分の後ろを、ユイの手に促され重い足取りを進めている二人の少女がついてきている事を確認しながら。 いつもとは何も変わらない。けれどいやに静かだと感じるのは、きっと彼らの心が沈んでいるからだろう。 いくつも並んだ扉の前を過ぎていく。やがて、ユキムラの部屋を過ぎ、その二つ隣の部屋へと、 グリフォードはフォーラとファータ、そしてユイを連れて入っていった。彼の部屋だ。 フォーラとファータ、ユイをベッドにでも腰掛けるよう促した後、グリフォードは机をイス代わりに座る。 喋り出す体勢は整った。けれど、その場に落ちるのは、しばしの沈黙。それを嫌って、グリフォードが一つ咳をする。 「あー・・」 とりあえず開いてみた口から、期待したとおりに言葉は流れない。 それも当然だ。いったい何から話せばいいのか分からないのだから。 「・・・・・」 そんな沈黙が、状況を全く理解できていないフォーラに、言いしれぬ不安を植え付ける。けれど、きっと隣で小さくなっているファータの方が、自分よりも遥 かに大きな不安を感じているのだろう。フォーラは何も言わず、ファータの手を握りしめた。 「ファータ・・」 ようやくグリフォードが発したのは、きつく唇を噛み、俯いているファータの名だった。 「!」 ファータが僅かに肩を揺らすのを認めながら、グリフォードは静かに言った。 回りくどいことはしない。真実を、まず伝えるために口を開く。 「あの男の子たちな・・・・死んだんだよ」 死んだ言葉に僅かに目を見開くフォーラの隣で、ファータは弾かれたように勢いよく顔を上げた。 けれど、その勢いのままに唇から言葉は零れない。動作とは対象に、ゆっくりと唇からこぼれ落ちた言葉は、 「・・え? どうして??」 感情のこもらない問い。 本当にどうしてだか分からないと、大きな瞳を更に大きく見開いている。 続いて紡がれた言葉も、動揺のためか、感情のこもらなかった。 「だって・・だってファータは・・叱っただけなのに」 ファータのその言葉に、グリフォードとユイは、無言で視線を交わしていた。 彼女のその言葉に、大体の事情を飲み込んだようだった。 ファータが小さな子供とじゃれている様を見知っている。子供たちのリーダー・クレアと共に、 悪戯っ子を叱っている様子も知っている。だが、こんな惨劇は、ついぞ目にしたことはない 。小さな子供を死に至らしめるようなことはなかった。子供の腕を折るほどの力など、彼女にはなかったはずだ。 普段のファータには。けれど・・彼女は人間ではない。 「・・・あの子たちは、人間なんだ」 それは、暗にほのめかす言葉。 ――お前達は人間じゃない。 ファータ、そしてフォーラは、Homicide machine。 「―――ファータが・・・ドールだったから?」 問う声と同様に、いつもはくるくるとよく変わる表情も硬い。 「ドールの力を使ってしまったんだな・・・」 静かに、グリフォードが言った。 ドールはmotherに命令を与えられることによって、 ドールとしての力を自由に使うことができるようになるのだと、彼女らを作った都筑博士がそう説明したことを、 グリフォードも伝え聞いていた。 「嘘・・」 茫然と呟くファータの声。それを掻き消すように続いたのは、フォーラの声だった。 「嘘! だってボスが命令なんて――」 自分たちを人間の少女と何ら変わることなく接してくれたユキムラが、自分たちにドールとして命令を下した・・? 信じられないと瞳を瞬かせるフォーラの言葉と遮ったのは、 「あ!」 というファータの声だった。 「ファータ?」 ファータが視線を遣ると、ファータが震える手で左肩を押さえていた。その表情は硬い。 「…触ったのね? そこ」 ファータが隠すように掌で覆っているそこに、一体何があるのか、ユイは知っていた。 勿論、グリフォードも、そしてフォーラも。 「・・センサー・・」 思わず唇に乗せてしまったのは誰だったのか。 「・・・ファータが、殺したのね」 呟く声は、硬い。 見開いた瞳は瞬きを忘れてしまったのか、動かない。それとは逆に、 左肩を押さえる手はたえず震えている。止まらない。 「ファータぁ・・」 そんな彼女を抱き締めるフォーラの体も、震えていた。 「あの子たちを殺したんだね。ファータが・・・だからボス・・・」 「ファータ」 無表情に言葉を紡ぐファータの名を呼んだのはグリフォード。窘めるように、けれど優しく。 それでも、ファータの声は止まることを知らない。その声は震えと共に、感情があふれ始めていた。 「ファータの所為だったんだね、やっぱり・・・! ごめんなさい! ごめんなさい!!」 顔を両手で覆い、泣き詫びるその姿は、先程までのユキムラを思い起こさせる。彼も自分が悪いのだと己を責め、 ひたすら謝り続けていた。それは、胸が痛くなる光景だった。今、グリフォードの前で、 また胸を痛めずにはいられない少女の泣き顔がある。 グリフォードは口を開いたり閉じたりを繰り返した後、喉元を過ぎなかった言葉を、ようやく唇に乗せた。 「・・・・誰も悪くないんだ」 「グリフさん」 意外な言葉に瞳を瞬かせたのはユイだった。 だが、それには答えず、グリフォードは続ける。 「誰も悪くないんだよ、ファータ」 「でも・・でも・・・!」 「フォーラも、よく聞くんだ」 グリフォードは二人の前に立つと、彼女らの瞳を交互に見遣る。 「「・・・」」 真剣な声に反して優しい瞳に、フォーラとファータも彼の瞳をじっと見つめ返す。 「俺達は慣れてしまってたんだ。お前達と普通に接することに」 あまりにも彼女らが人間と変わらぬ姿で、人間と変わらぬ生活を送っている為に、 フォーラとファータがHomicide Machineであるという事実をいつしか忘れ てしまっていた。誰もがみな。 「お互いに忘れてしまったのが悪かったんだ。誰が悪かったわけでもない。ただ、それだけだ」 その言葉は、ファータやフォーラにではなく、己に言い聞かせているようでもあった。 ファータがその言葉に大人しく首を縦に振ることはなかった。だがその言葉が続くことはなかった。 「でも、その所為であの子たち死んじゃったの! ボスを悲しませたの!!」 「ユキもそう言ったよ」 「え?」 ファータは不意に出てきた母親の名に、言葉を詰めた。 「自分の所為だ、って言ったよ。自分の所為でファータにあの子たちを殺させてしまったって」 「! 違う! ボスの所為じゃない!!」 「そうだ」 肯定するグリフォードの声。だが、 「ファータの所為なの!」 「それは違う」 否定。 「え?」 きょとんとするファータに、グリフォードは穏やかな笑みを向けた。普段は険しい彼の 雰囲気が、一気に崩れ去る。それは、優しいお父さんの笑みだった。 「誰の所為でもない。それでいいんだ」 迷うことなく、グリフォードは言い切った。 答えは出ない。出せない。だから、もういい。 「お前たちはまだ子供だ」 「「・・・」」 グリフォードの言葉を、フォーラとファータは黙ったまま聞いている。 「ユキもそうだ。まだ子供だ。だから、忘れてしまっていただけだ。仕方ないことなんだ。 これから成長していけばいい。そうだろう? まだまだこれからだ」 休むことなく、言い切る。 ユキムラは忘れてしまっていた。フォーラとファータがドールであることを。 そして、ドールがいったい何なのか。何のために作られたのか。その答え、人を殺すために作られたもの でだということを忘れていた。だから、センサーに触ってしまった。知らず、missionを ファータに与え、人型兵器としての力を彼女に持たせてしまっていた。 ファータもまた忘れてしまっていた。自分がドールであること。センサーを触られることなど、 考えてもいなかった。触られることによって、自分がどうなってしまうのか考えることを忘れていたのだ。 だから、センサーを隠すことを怠ってしまっていた。 忘れてしまっていた。 そのことが、幼い少年たちの死をもたらしてしまった。 だったら、忘れなければいい。お互いが、ドールという事実を忘れさえしなければいいのだ。 そうすればもう、こんな悲劇は生まない。motherが己を責め、ドールも己を責める、 どうしようもない痛みは生まれない。 答えは提示された。しかし、ファータの不安が晴れることはなかった。 「・・でも、もうボスはファータのこと・・・」 人を死なせてしまったことは、事実だ。その事実に、ユキムラは嫌悪し、自分のことを嫌いになってしまっているのではないか・・。 そんなファータの言葉を、グリフォードが継ぐ。そして問いかける。 「嫌いになってるって? もし、嫌いだって言われたら、どうするんだ?」 「・・・」 答えは、なかなか出ない。 「離れられるか?」 「――――」 答えは、やはり出ない。 きつく唇を噛み俯くファータに、グリフォードは優しい声で問いかけた。 「確かに、離れてしまえばもうこんなことは起こらないだろうな。・・・離れられるか?」 答えは、簡単だった。 「・・・・・嫌」 口にしてしまえば、次々と答えが溢れ出てきた。 「嫌ッ! 一緒にいたいの! 嫌われててもいい。ママと一緒にいたいの!!」 「フォーラも!!」 駄々をこねる子供のように、いやいやと首を激しく振りながら返された答えに、グリフォードは微笑んで言った。 「だったら、訊けばいい。一緒にいても良いのか、訊いてみろ」 「「・・・」」 唐突に口を閉ざすフォーラとファータ。 その理由は・・不安だから。 一緒にいてもいい? その問いに、是の答えが返ってくるかどうか分からない。 もし、拒絶されたらどうすればいいのか・・・。とてつもない恐怖を誘う不安。 知らず、互いに身を寄せ合っていた二人に、今まで黙って様子を見守っていたユイが口を開いた。 「ねえ、訊かなきゃ何も分からないじゃない。それに、二人の気持ち、伝えなくちゃ伝わらないわ。 一緒にいたいんだって気持ち、ちゃんと伝えなくちゃダメよ。ね?」 「「・・・」」 ユイの言葉を後押しするように、グリフォードが彼女らの肩に手を置き、ゆっくりと言った。 「誰も悪くない。ただ忘れてしまっていただけだ。これから成長していけばいいんだよ。お前たちも、 お前たちのママも。一緒に、な?」 ユイとグリフォードとを見遣った後、二人は互いに視線を交わす。目の前にある黄金色の瞳は不安そうだ。 おそらく、自分も同じく不安げに瞳を揺らしているのだろう。ぎゅっと互いの手を握りあう。 やがて、彼女らは視線をグリフォードに戻し、頷いたのだった。 「「・・・・うん。訊く」」 瞳に揺れる不安はそのままだったけれど。 |