「ボス!!」
「ボス、どうしたの!!?」
 グリフォードに抱えられて『家』のエントランスをくぐったユキムラと、その傍らに寄り添って いるアズマを迎えたのは、泣きそうな顔をしたファータと、何が起こったのかよく分かっていないフォーラだっ た。そんな彼女らの隣には、不安げに顔を曇らせたユイが寄り添っている。彼女の配慮からか、『家』のロビ ーに、彼女ら以外の姿はない。
 グリフォードがユキムラをソファにおろすと、フォーラとファータが縋り付 くようにマザーの傍に寄ってきた。呼びかけても目を開かないユキムラに、不安 げに瞳を瞬かせ、顔を見合わせる。
 そんな彼女らを安心させるように、グリフォードが二人の肩を叩いて言った。
「大丈夫だ。気ィ失ってるだけだ」
 その言葉にほっと胸を撫で下ろしたのはフォーラだけで、ファータはと言うと、未 だ強張ったままの肩から力を抜くことはできないでいた。服を染める赤い血と、ユキム ラの頬に残る涙の筋が、ファータの心に不安をもたらす。さいなむ。そして零れた言葉は、
「……ファータの所為なの?」
だった。
「ファータ??」
 ファータの言葉の意味をはかりかねて訊ね返したのはフォーラだった。
 グリフォード、アズマ、ユイは何も言わない。彼らは察していた。ファータ の服を染める血の意味。街の外れで無惨な死体と成り果ててしまった少年たちの理由。ユキムラが自分を責めていた真実。
「ファータがあの子たちを叱ったから? だから、ボス、悲しいの? 痛いの!? ファータが悪かったの!?」
「ファータ…」
 悲鳴にも似た声で言葉を紡ぎユキムラの体を揺らすファータの肩に、痛ましげに眉を寄せ たユイがそっと手を添える。それでも、ファータの懺悔はやまない。
「ボス、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!! もうしないから…だから……!!」
「ファータ。ファータ!」
 泣き叫ぶ片割れに、フォーラは戸惑いを隠せない。今まで何もかもを分かち合ってきたというの に、今は、何一つ分からない。一体何が起こったのだろうか。ファータが泣き謝っている意味も、ユキ ムラが静かに瞳を閉ざしている理由も、他の三人が辛そうに顔を歪めている理由も、何も分からない。た だ、錯乱しているファータを背中から抱き締めることしか、フォーラには出来なかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい、ママ!! イヤよ。イヤ!! ごめんなさい! 許して!」
 今のファータには、己を抱き締めるフォーラの力を感じることすらできない。彼女 の中を埋め尽くしているのは、しんと冷え切った 絶望。凍り付き、鋭く尖った絶望の刃は、ファータの胸を傷付けていく。
 ―――怖い。
 届かない謝罪。何も答えてくれないボス。おそらく返ってくる言葉は、 また自分を傷付けるものだろうことも分かっている。
 ――― 怖い怖い怖い…!
 身も凍るような絶望。誰よりも愛する人から嫌われることは、こんなにも恐怖を生む。 体中を駆け巡る恐怖は、一時だってその動きを休めることはない。常に駆け巡り、指を、 唇を、胸を傷付ける。死んでしまった方がマシだと思ってしまう程、痛い――。
 ―――怖い。
 恐怖から逃れようと、ただファータには叫び続けることしかできない。た とえ、その叫びを誰も…一番受け取って欲しいユキムラマザーに受 け取ってもらえなくても、叫ぶことしかできない。止まらない。
「ねえ、ごめんなさい! ごめんなさいってばぁ…!!」
 ファータの体を半ば強引にユキムラから離したのはグリフォードだった。今は、どうすることもできないと思ったのだ。
「ファータ、また後にしよう。な? 今は、寝かせといてやろう」
 けれど、ファータは頷かない。引き離されてもなお、ユキムラに縋り付こうと手を伸ばす。
「ボス! ボス!!」
「ファータ」
 おそらく自分の言葉が届いていないことを悟りつつも、グリフォードは優しくファータを宥める。 彼女の体を包み込む腕は、強い。
「アズマ、ユキを部屋に」
「…ああ」
 アズマは僅かの逡巡の後、グリフォードの言葉に従ってユキムラの体を抱えあげる。
「ボス! ボス――――ッ!!」
 背中から抱き締めてくるグリフォードの腕に邪魔をされつつも、ファータはアズマに 抱きかかえられていくユキムラを追おうと必死で手を伸ばす。 けれど、届かない。ゆっくりと、ユキムラは遠ざかっていく。それでも、叫ぶ。
「お願い! ファータのこと嫌いにならないで……!!」
 ファータの悲痛な叫び声を背に、アズマはロビーを出た。遠ざかるファータの泣き声。 階段を上りきると、それも完全に聞こえなくなった。そこで足を止めたアズマは、腕に抱え ているユキムラに視線を遣る。きつく閉ざされた瞳。それを見つめながら、アズマは小さな声で言った。
「………狸寝入りかよ」
「――――」
 返ってくる声はない。閉ざされた瞳が、僅かに震えた。
「別に責めてるワケじゃない。…それでいい。今は休め。そのまま寝ちまえ」
 言って、アズマは再び歩を進め始める。
 ユキムラが瞳を開けることはなかった。きつく閉ざしたままの瞳。けれど、いくら瞳を閉ざしても、フ ァータの涙に濡れた叫びは、耳にこびりついて離れない。
 ―――お願い! ファータのこと嫌いにならないで……!!
 今も傍に居るのではないかと疑いたくなるほどに、叫びは鮮明に残っている。離れない。離れない。離れない。
「………」
 ユキムラの瞳から、再び涙が零れ落ちた。






← TOP →10