「「!!」」
 最初から相手を傷付けるつもりなどなかった兄弟は、一様に目を瞠る。
「バカ! 何で撃ったんだよ!?」
「だ、だって・・・!」
 兄の叱咤に、幼い弟は泣きそうに顔を歪める。
「どうするんだよ!? 死んじゃったじゃないか!」
 弟が悪いのではないと分かってはいるものの、混乱した頭では 弟を責める言葉以外、出てこない。それに介入したのは、責められている少年ではなく、
「オレは・・大丈夫だ」
 レーザーに撃たれた張本人、ユキムラだった。
 てっきり撃ち殺してしまったものだと思っていた二人の少年は、弾かれたようにユキムラを振り返る。 良かった、と安堵するよりも先に、どうして生きているのかと、驚きが先にたつ。
 彼は、撃たれた胸を押さえつつも、半身を起こしていた。痛みの所為か、僅かに歪んではいるが、 顔には微笑すら浮かべている。
「大丈夫だ」
 再度、彼は幼い兄弟に言って、笑って見せた。
 弟の持っているレーザーガンのレベルが、そう高く設定されていなかったらしい。 一瞬、気が遠くなるほどの衝撃を感じはしたが、それもすぐに治まった。僅かに 痺れが残ってはいるものの、それもすぐに治まるだろう。
「あ、あ、あの・・・」
 強張った小さな手で銃を握りしめ、涙を溜めた瞳で分を見上げてくる男の子に、ユキ ムラは体を起こしながら笑ってみせる。怯えさせないようにゆっくりと男の子の方に歩を進めると 、丸い大きな瞳を真っ直ぐに見つめて言った。彼がごめんなさいを言いたいのだということは分かっていた。
「気にするなよ。ちょっとビックリしただけだよな? オレは大丈夫だから――」
「ボス!!」
 唐突に降ってきたのは、悲鳴にも似たファータの声だった。
 その時になって、ユキムラはファータの存在を思い出す。良い子にしていろと言い聞かせ、 建物の影に残していたファータの存在を。
 離れていたところで、母親が撃たれるその一部始終を見ていたファータは本当に驚いたことだろう。 まずは、彼女を安心させてやらねばならなかったのかもしれない。
「ファータ、大したこと――」
大したことはなかったのだと、ユキムラがファータを振り返り口を開いたその時、
「!!?」
 何かが、動いた。
 辛うじてその事を感じた次の瞬間、目の前に居た小さな男の子の姿が消えていた。
「うわあああああ!!」
 続いて響いた絶叫は、隣に佇む少年の口から零れたもので。
 いったい何が起こったのか、頭が理解するよりも先に、体が動く。 白い影の通り抜けていった方に目をやると、そこにはファータが居た。そこで、アレ? と目を瞬く 。確か今日は真っ白いTシャツを着ていたはずのファータの服が、水玉模様に変わっていた。 いびつな水玉。それが何かを考えようとした自分の思考を、ユキムラは無意識の内に止める。
 考えるのが、怖かった。
 茫然と目を見開いたままのユキムラと、同じく立ち尽くしている少年とに気付かないのか 、ファータは腰に手を当て、足下の小さな男の子に言い聞かせるようにして声をかけている。
「ソレは人に向けちゃ駄目だってクレアちゃん言ってたよ! だから、駄目なの!」
 レーザーガンを指し示し叱るファータに、反応は返ってこない。
 少年は、動かない。
「ファータ・・・・オマエ・・・・」
「ボス、ファータがちゃんと叱っておいたからね」
 振り返って微笑んだファータの笑顔は、いつも通り、眩しいもので。
 それが、たまらなくこの惨状には似合わない。
 そう。そこに広がっていたのは、まさしく目を覆いたくなるような惨状。
 ファータの足下に転がっているのは、男の子だったもの。 目を大きく見開き、悲鳴を上げる間もなかった口は、瞳と同様に 大きく開かれていた。辺りを漂うのは、むせ返るような血の匂い。
「――――」
 まず我に返ったのは、茫然と立ち尽くすユキムラの隣で、同じく立ち尽くしていた少年 の方だった。
「リヤン!! リヤン!!! 畜生、よくも!!」
「やめろ!!!」
 思わず口をついて出たその言葉が誰に向けてのものなのか、ユキムラはすぐには理解できなかった。 ナイフを高く掲げ、ファータに向かっていく少年に向けたものか、それとも、
「やめろ!!! やめろ、ファータ!!!」


 ――…ああ、ファータにだったのか。


 いやに冷静な自分がいた。
 全てが、一瞬の出来事だった。やめろとファータの名を呼ぶのと、 ファータの腕がナイフを持った少年の右腕を叩くのと、ファータに叩かれた少年の腕が、 肘の辺りからちぎれ宙を舞うのと、耳を覆いたくなるような悲鳴が辺りを包むのと。それは、本当に一瞬の出来事だった。
「やめろ、ファータ! やめろ!!」
「ナイフは危ないんだよ? ダメでしょ?」
 小さな子を諭す口調で、ファータは残った少年のもう片方の腕を掴むと、大きく腕 を振り上げた。少年の小さな体が浮き上がる。骨の砕ける鈍い音と、鋭い悲鳴。ファータが掴ん だ少年の細い腕が折れる音がユキムラの耳に届く。その音でようやくユキムラは体の自由を取 り戻し、駆け出していた。
「ファータ!!!」
 少年の腕を掴んで宙に浮かせたファータは、彼を軽々と真横に投げ飛ばしていた。
 そのままコンクリートの壁に叩き付けられれば、確実に彼は死んでしまう。それを悟ったユ キムラは、考えるよりも早く、その体を受け止めるため腕を広げていた。
「――――っ!!」
 だが、ユキムラの体にぶつかってもなお、少年の小さな体にかけられた勢いは消えなかった。
「ボス!!?」
 ファータの驚いたような声が聞こえたが、それに答える余裕などない。
「ぐっ」
 胸に襲いかかった衝撃に倒れそうになるのを堪え、少年の体を抱きしめた。 そのまま、ユキムラの体は派手に地面を転がっていく。体中に走る痛みよりも、腕を、体を濡らす少 年の血の生暖かさの方がユキムラを強く支配していた。
 少年の体が叩き付けられる予定だったビルの壁に背中をぶつけ、ようやくユキムラと少年の体は回転を止めた。
「―――ッあ。いってェ・・」
 だが、なかなかユキムラは体を起こす事が出来なかった。体中が、鈍い痛みを訴えている。
 そして、体にまとわりつく生暖かい血。漂う死の香りに、ユキムラは弾かれたように顔を 上げる。その拍子に、いつの間に結わえが取れたのだろうか。長い髪が頬に落ちてきた。だが、それに構ってい る暇などない。少年の姿を探す。最後の最後で彼の体を手放してしまっていたらしい。少し離れた所、 ユキムラの足下に少年が仰向けになって倒れていた。
 肘の先からなくなっている手。そこから溢れ出る血。ファータに握られた左の腕も折れている上、 ファータに放り投げられた拍子にだろう、外れてしまっているだけでなく、肩が脇からちぎれかけていた。目を覆 いたくなるような惨状だった。
「・・おい! おい!!」
 痛みで動きたくないと駄々をこねる体を叱咤し、ユキムラは少年の傍に寄る。胸を打ったせいで掠れてはいた が、それでも精一杯声をかけると、
「−−−・・−−−・・・」
 僅かに少年の唇が動いた。何を言っているのかは分からないが、まだ生きている。
「しっかりしろ、今グリフを呼んできてやる!」
 言って少年の傍から立ち上がり踵を返すと、背後にファータがいた。
「!!」
 思わず体が強張る。
 二人の少年の血を浴び、いつも通りの眩しい笑顔を、ファータは浮かべていた。
「ボ〜ス
 甘えたようにユキムラを呼ぶ声も、いつも通り。
「・・・・ファータ・・・・」
 痛み。驚き。混乱。恐怖。
 彼女を呼ぶ自分の声が震えているその理由を、特定する事は出来なかった。
 立ち尽くしているユキムラに構うことなく、ファータは笑って言った。
「ボス。ファータ、良い子?」
「――――!!?」
 ファータのその台詞に蘇ってきたのは、


『大丈夫だから。良い子にしててくれ。な?』


 そう言った、自分。そして、それから自分は何をした?
「まさか…」
 震える吐息と共に、洩らす。
「オレ…!」
 叩いたのだ。安心させるために、ファータの肩を・・・左肩を、叩いたのだ。そこには、何がある?
「センサー…」
 知らず、ユキムラはファータにmissionを与えていたのだ。『良い子にしていろ』というmissionを。 それを受けたファータの体は、兵器としてのモードに入っていた。そして、彼女なりに考えて、 良い子にしていたのだ。母親に銃を向けた少年を叱り、 同じくナイフを持っていた少年を叱った。彼女は、殺したのではない。ただ、叱っただけなのだ。
「ちゃんと叱ってあげたよ? ファータ、良い子でしょ?」
 だって、昨日、クレアは銃を持っていたユートを叱って、良 い子だと褒めてもらっていたもの。そんな良い子なクレアが、言っていた。小さい子供には、時にはきつく言わな くちゃいけないって。
 ね? 良い子にしてたでしょ?
 早く褒めて。
 満面の笑みで自分を見上げてくるファータに、ユキムラは何の言葉もかけられなかった。
 いったい、何と言葉をかけていいのかわからない。
「お、オレ・・が・・・」
 震える唇の隙間から零れた声は、言葉にならない。
「オレが・・・!!」
 自分が、ファータに少年たちを殺し、傷付けさせたのだ。
「オレが・・オレが!」
「ボス?」
 愕然と目を見開いたまま膝を折ったユキムラに、ファータが驚いたように目を瞠る。そこでようやく 、彼の様子がおかしい事に気付いたのだ。だが、その理由までは分からない。自分は彼の言うとおり、 良い子にしていたのだ。何故、彼が自分の事を褒めてく れないのか分からない。何故、彼がこんなに辛そうな顔をしているのかも分からない。
 いったい、何が起こったんだろう。
「大丈夫? ボス」
 心配して差し伸べたその手が、ユキムラを癒す事はなかった。
「!?」
 彼に届く前に、拒絶される。
「・・ゴメン・・」
 ユキムラは両手で覆った顔を地面に伏せ、謝罪の言葉を述べる。
 それは、いったい何に謝っているのだろうか。振り払った手に? 人を殺させてしまった事に対して? 死なせ、傷付けてしまった少年に対して? 答えは出ぬまま、それでもユキムラは繰り返す。
「・・ゴメン! ゴメン!! ゴメン・・!」
 許してくれ。とは言えなかった。
 全て、自分の責任なのだ。
 ファータが人間ではないのだという事を忘れていた自分の。
 自分の所為で、幼い少年が死んだ。その兄が苦しんでいる。そして、ファータに、人を殺させてしまった。 傷付けさせてしまった。彼女は、いいことをしたと信じているのに 、その行為は最もしてはならないもので。それでも自分が褒めてもらえると思い、純粋に微笑んでいたファータ。
「ゴメン・・・ゴメン・・・」
 目の前が、真っ暗だ。それは、地面に顔を伏せているからでも、太陽が雲に隠れたわけでもない。 激しい後悔の渦に、飲み込まれている所為だ。渦に飲み込まれて、そのまま溺れ死んでしまいたい。
 否。それでは駄目だ。どうせなら、後悔の渦の中、潜む魔物に、この身を引き裂いて欲しい。あ の少年たちと同じ苦痛の下で、死んでしまいたい。


 殺してくれ…!!




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