トーラがクレア流の教育を防げられないでいたその頃。 ユキムラはというと、娘たちがよもやクレアからステキな教育を施されていようとはつゆ知らず、 『家』のロビーでごろんと横になっていた。
「あ――、暇だぁ〜」
 言葉とともに魂も吐き出しているのではないかと心配したくなるほど虚ろな 目で天井を仰いでいるユキムラに、アズマは溜息を洩らす。だが、溜息を洩らしただけで、 「じゃあ、散歩にでも行くか」などと、気の利いた言葉は一切かけられない。
 それもこれもユキムラの自業自得なので、彼もそれを責めることはできない。
 ようやく足も治りかけた頃に、子供たちと『家』の中で鬼ごっこに興じていたユキムラは、 やはりまだ足も本調子ではなかったらしく、見事に階段から転げ落ちたのだ。
 それを見たアズマは一通り大笑いした後、いやに低い声で言った。
「……てめェはいい加減にしやがれ
 ブチギレ寸前だったらしい。
 そうしてユキムラはこうしてアズマに監視されることとなったのだが、
(いい加減ヒマだー)
 洩らさずにはいられない。
 暇な時間というのは、好きだ。
 平和だからこそある時間だから。
 だが、それもありすぎるとやはり辛い。 動き回っていることが好きなユキムラにとっては、苦痛だと言っても過言ではないのだ。 一人で勝手に動き回らなければいいのだろう。ならば、アズマも自分と一緒に動き回ればいいのだ。 と訴えてもみたのだが、拒否された。彼は動き回ることが好きではないらしい。
 だが、暇だ。
 どうしようもなく暇だ。
「アズマー、あそ――」
「絶対イヤだ」
「……」
「……」
 みなまで聞くことすらせずに却下だ。しかも「絶対」ときた。断固拒否。
「…せめて最後まで聞けよ」
「聞かなくても分かる」
「………もしかしたら阿蘇山あそざんに登ろうって言おうとしてたかもしれないじゃないか」
「勝手に登れ。…ってか、どこの山だソレ」
「じゃあ、アズマー、一緒にさん――」
「行かねー」
「……」
「……」
「…せめて最後まで聞けよ」
「散歩だろ? 行かねーぞ」
「………もしかしたら、一緒にサンバを踊ろう、かもしれないだろ――――ッッ!?」
「一人で踊ってろ! …ってか、尚更却下だっつーの」
「……」
 アズマはダメだ。ようやく諦めたユキムラがロビーに視線を巡らせてみるのだが、誰も目を合わせてくれない。
(みんな暇じゃないのかよー)
 と心の中で愚痴ってみるのだが、
(あんたら見てると暇も潰れるんだよねー)
 と、ロビーにいる誰もが心の中で答えていることをユキムラは知らない。
「あー暇だー」
 今日何度目になるのだろう。また同じ台詞を口にして、ユキムラはソファに横になる。
「おとなしく寝てろ」
「じゃあ子守唄歌ってー」
「………俺、超音波出るぞ」
「お前は、コウモリか! …ある意味聞いてみたいけど」
 なんだかんだでくだらない会話に付き合ってやっているアズマ。
 と、そこへ、等々に響いたのは大音声。
「ユキ――――――――――――!!!」
「ぅおわ!」
 思わず飛び起きる。
 誰だと訊ねるまでもない。このcityで自分のことを“ユキ”と呼ぶのは彼しかいない。
「な、何だよ、グリフ」
 予想は裏切られることなく、エントランスをくぐってこちらに向かっている大男がいた。 その後に続いて『家』に入ってきたのはオーディーだ。
「ユキ! 良い情報だぞ!!」
 ただいまを言うことすら忘れているらしい。
 ぐわし!! と、いきなり両肩を掴まれたユキムラは、盛大に眉をひそめる。
「はァ?」
「はァ? じゃない! 喜べ!」
「「………」」
 今、この状態でいったい何を喜べばいいのだろうか。思わずアズマと顔を見合わせた後、
「………………わーい。ウレシイなー」
「お前、テキトウだなー」
 とりあえず喜んでみたユキムラに軽くつっこんでから、グリフォードは勿体ぶることなく言った。
「ラジスタが滅んだ」
「「―――――――――えぇッ!!?」」
 驚きの声を上げるのは二人。ユキムラとアズマだ。
「どういうことだよ!!?」
 訊き返すアズマの声は、つい大きくなる。
 滅んだ=壊滅した。
 戦時中に生まれ、長く戦争の中に身を置いていた二人には、そうした構図しか成り立たないらしい。 何故、ラジスタ国が滅んだのか、まったくもって理由が分からない。
 そんな二人に答えたのは、グリフォードよりも幾分落ち着いているオーディーだった。 周りにフォーラとファータの事情を知らない―彼はアズマから知らされている―少年少女た ちがいることを考慮し、僅かに声を落として言った。
「まあ、正しくは隣国レンディエンの都市シティーの一つになったんだよ。 ラジスタは国としての機能を保ち続けることが出来なかったんだ。 だから、レンディエンの傘下に組み込まれることが決まったらしいんだ。国としてじゃなくて、 一つの大きな都市シティーとして」
「フォーラとファータのことを狙ってたラジスタ旧政府軍も解散して、今じゃ新しいラジスタ政府が生まれてる」
 未だに状況を完全には理解できていないらしい。けれど、ラジスタがなくなったということは、
「―――って事は、もう…」
「フォーラとファータが狙われてることはなくなったってことか!?」
 ユキムラの言葉尻を奪ってアズマは問う。
 アズマに先を越される形になりはしたのだが、ユキムラは何も言わなかった。 アズマが口にした言葉は、口に出して良いのか否か躊躇っていたものだ。 仄かな期待は、裏切られたときには大きな傷に変わることを知っていたから、 口に出すことを躊躇った。どうしても喉を越えなかった言葉。
 それに返ってきたのは、
「そうだ」
 グリフォードの力強い声。
「ホントに?」
 訊ね返す自分の声が、弱々しいのを感じながら、やはり返ってきたのは、 自分の肩を強く揺すり、眩しい笑みを溢れさせるグリフォードの言葉。
「本当だ! 良かったな、ユキ」
 まるで自分のことのように喜んでいるグリフォードを見つめ返しているユキムラ。 まだ、実感がわかない。それを知っているのか、オーディーが安心させるように言った。
「大丈夫だよ、ボス。確かな情報だよ。何たって首都都市メインシティーで流れてたんだから」
「…そっか」
「おい。喜べよ、ユキムラ」
 反応に困っているユキムラをアズマが小突く。
「もう、喜んでもいいんだ」
 大丈夫だ。ぬか喜びにはならないから、と、アズマは笑って言った。
 その言葉に、ユキムラは溜息にも似た笑いを洩らした。
「………は、ははは…はは。そっか。そっか…ははは……はぁ」
 途切れ途切れの笑いは、やはり溜息に変わってしまったけれど、
「…良かった」
 溜息の後に続いたのは、安堵。口元に浮かんだ笑みは、穏やか。
 もう壊れる事はないのだ。
 大切で大切で、失いたくない、壊したくないと望んでいたこの時が。 もう、壊れることはない。壊されることはない。途切れることはない。
 胸に広がっていったのは、熱。
 最初はふんわりと。だが、体中に行き渡った温もりは、熱に変わる。その熱の名を、ユキムラは幸福と、名付ける。
 目を閉じてその熱を感じていたユキムラは、不意に視線を巡らせた。
 捜した金色は、いない。
 抱きしめたい。
 ふと、思った。
 これからは何も不安に思うことなく、ずっと一緒に居ることができるんだ、 と、抱きしめて言ってやりたい。彼女らも、喜んでくれるだろうか。 自分が今感じている、溢れんばかりのこの喜びと幸福を、彼女らも感じてくれるだろうか。


 早く帰ってこい。




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