「ユキー、いい加減機嫌直せ」
 絶叫をかました後、ベッドに顔を埋めてしまったユキムラ。その背を 撫でながら、グリフォードが苦笑する。少しからかいすぎたようだ。
「そうよー、ボス。これだって大切な思い出じゃないですか」
 チビたち4人組が未だ飽きもせずに眺めている写真を一瞥しつつ、ユイも いじけてしまったらしいボスを宥める。それに続くのはナンバー2のアズマだった。
「貴重なフィルム使ったんだ。喜べ」
「…貴重なフィルムをこんなもんに使うなよ」

「これが使わずにいられるか!!」
「じゃあいつ使うのよ!?」
「これしかねーだろ!!?」

「―――
 間髪入れず、同時に返された3人の言葉に、ユキムラは閉口する。 彼らに自分を本気で慰める気がないらしいことを悟ったのだった。
 そして視線を巡らせた先には、写真を囲っているチビたちの姿がある。
 無言で写真を見つめていた3人だったが、その先頭をきって徐に口を開いたのは クレアだった。
「まさかボスだったとは…」
 その呟きに首肯した後、クレアと同じく視線は写真のまま口を開いたのは フォーラとファータ。
「そう言われてみれば…」
「そう見えなくもない…」
 と、3人の少女は申し合わせたように視線を交わし、次にその視線を ユキムラに向けた。じとー。という擬音がまさにピッタリ当てはまる いやーな視線だった。
 そして、一言。
「「「女の敵」」」
「うるせーよ
 もう怒鳴るのも疲れてしまったユキムラは、溜息を洩らしたあと、 ベッドに横になった。
 そんな彼の周りでは、グリフォード達が昔話に花を咲かせ、 トーラとクレアはその昔話に茶々を入れる。そして、フォーラとファータはというと…。
「「写真…」」
「フォーラ。ファータ」
 手にした写真を見つめたままでいるフォーラとファータ。それに気付いたユキムラが、眉根にしわを寄せる。
「いつまでも見てんなよ」
 こっちに渡せ、と手を伸ばし促してみたのだが、二人はその手に写真を 委ねようとはしなかった。 それは、「「まだまだボスをいぢめたりなーい」」 というワケではなく、ただもう少し、写真を見ていたかっただけのようだ。 伸びてきたユキムラの手から逃げる事もせず、イヤだと首を振る事もない。
 しばらくして二人は、誰に聞かせるでもなく、小さな声で言った。
「「……スゴイねェ」」
「は?」
 その意味をはかりかねて訊ね返すユキムラをからかうように、
「ユキムラの女装がか?」
 アズマがすかさず会話に入ってくる。
 だが、その言葉に反応を返したのはフォーラとファータではなく、ユキムラ。
「うるせー!」
 フォーラとファータはというと、彼女らは、まだ写真を見つめていた。そして また、「「スゴイね」」と呟く。
「残るんだね」
「ずっと残るんだね」
 静かな言葉だった。
 じっと写真を見つめる黄金色の瞳は、真剣。
 何かを考えている。けれど何を考えているのかは窺い知れない。そんな瞳をしていた。
 そんな彼女らの横顔を少し離れたところで見つめていたグリフォードが、 穏やかな声音で彼女らに言葉を放つ。
「ああ、残すものだ。写真は。人間の記憶には残らないものでも、残してくれる」
 グリフォードの言葉に、しばしの間、沈黙を共有したフォーラとファータは、 変わらず静かに言葉を紡いだ。
「「じゃあ、フォーラとファータも残るのね」」
「…どうかしたのか?」
 どこか様子のおかしい二人に、ユキムラが半身を起こす。
 答えは、またも沈黙を挟んでから返された。 それはあまりにも小さな声で、二人の傍に寄ってきたユイだけが、彼女らの言葉を聞く事になった。
「「…フォーラとファータが居なくなっても、残るのね」」
「―――……」
「ん? なんだって??」
 声が小さすぎて聞き取れなかったユキムラは、体を彼女らの方に寄せ、訊ね返す。
 その隣では、ユイがじっと二人を見つめていた。
「「ううん。なんでもなーい♪」」
 ようやく写真から視線を外したフォーラとファータは、その顔に笑みを 戻して言った。細く弧を描いた金の瞳。その黄金色と同じ色をした 向日葵によく似た笑みだった。眩しい眩しい笑み。
 その笑みを見つめながら、不意にユイが口を開いた。
「…ねえ、写真、撮りましょう?」
「は?」
 あまりにも唐突な提案に、誰もが?マークを飛ばす。
「グリフさん、まだフィルムって残ってたわよね? 撮りましょうよ、写真」
 浮かれた様子でグリフォードにそう提案するユイに、グリフォードも 笑みを返す。
「…そうだな。よし、ちょっと待ってろ」
「「「「わーい」」」」
 どうやら写真を撮る事になったらしい。チビたち4人は無邪気に両手を上げた。
「…どうしたんだ? 急に」
 突然「写真を撮りましょう」と言い出したユイに、アズマが訝しげに 眉を寄せる。
 先ほど、グリフォードに寄っていった時の浮かれた様はもう見受けられない。 ユイは、とても優しい…子供を見守る母親の瞳をして、フォーラとファータを見ていた。
 そんな彼女の様子に、アズマはますます眉を寄せる。
 彼女は、視線をフォーラとファータから外さぬまま、 アズマに答えを返した。
「だって、消えていくもの。記憶は。段々薄れていくじゃない。どんなに 覚えていたくても」
「…そうだな」
 彼女が、もっと具体的な明確な答えを持っていること、 彼女が言いたいのはそんな抽象的な答えではないことに、アズマは気付いている。 それがなんなのかは分からないが、ユイの言葉に、自分自身、思う事があった。
 記憶は、薄れる。
 どんなに大切な記憶でも、薄れていくものだ。
 たとえば、戦争で死んでしまった母親の姿はどうだ? 父親は?
(……覚えて、ないな)
 覚えていると思っていても、記憶は、欠けている。
 爪はどんな形をしていた? どんな色だった?
 瞳は?一重だったろうか。二重だっただろうか。
 欠けた記憶は、見つからない。
 だが、
「写真は、何があっても残るもの。だから、残しておいてあげたいの」
「……」
 やはり、視線の先にいるのはフォーラとファータ。
 自分には分からないけれど、ユイは彼女らから何かを感じ取ったのかも知れない。
 アズマがそれをユイに問うべきか否か迷っている間に、カメラを手にしたグリフォードが 戻ってきた。
「よし、並べ並べー」
 子供を撮影するお父さんよろしく、グリフォードはカメラを構える。
「なんか照れくさいなー」
「この写真に比べりゃマシだろ」
「当たり前だ
「ほら、ボス。いい顔してよ。トーラとクレアは前に来て」
「「はーい」」
「「フォーラとファータはボスの隣ー」」
 賑やかな空気。微笑ましい光景。
 ユキムラが座っているベッドの上に飛び乗り、彼を挟む様にして 位置を取ったフォーラとファータは満足げに笑う。その腕はいつものようにユキムラの腕に絡まっている。
「「ボス」」
 甘える様に頬をユキムラの腕にすりつけながら、フォーラとファータは彼を呼ぶ。
「なんだ?」
 くすぐったそうに一瞬腕を動かしたものの、自分たちの好きな様にさせてくれている ユキムラの優しさに微笑みを零しながら、フォーラとファータは言った。
「コレで忘れないね」
「フォーラとファータのコト」
 いったい何を言っているのだろう?
 二人の言葉に、そんな疑問を抱く。
 いつもべったりで、 何かあれば「ボスー」 「ボスー」と駆け寄ってくる 娘達。
「何言ってんだ。写真なんて撮らなくても、忘れるはずないだろ」
 お前らはうるさいからな。と、後から付け加えられたその言葉に言い返すことなく、 二人は少し驚いた顔をした後、花が咲きこぼれる様に笑った。
「はい、撮るぞー」


 カシャ。


 ジー。


 カメラが吐き出す写真。浮かぶ笑顔。
 ――その笑顔は、もう消えない。
 すぐさま、皆、グリフォードの持つカメラの前に集まっていく。
 だが、フォーラとファータだけは、ベッドに腰掛けたままでいた。 いつもならママのあとをついて行くのに、今は、動かない。 だがその視線は、いつも通り ユキムラを追っていた。
「消えないわよ」
 不意に上から降ってきた声に視線を上げると、
「「ユイちゃん…」」
 カメラの回りからいつの間に抜けてきたのか、ユイが二人を見下ろしていた。
 視線を、カメラの回りでワイワイ騒いでいる ユキムラたちにやったユイは静かな声音で言った。
「…フォーラもファータも、私たちも、みんな消えないわ。 この写真のまま。ずっとここに居るのよ。みんなで。ずっと」
 そのユイの言葉に、フォーラとファータは驚いた様に彼女を見つめていた。
 どうして、分かったんだろう?
 ユイは、どうして自分たちの考えている事が分かったんだろう?
 フォーラとファータは、顔を見合わせる。
 ――不安だった。
 ――怖かった。
 自分たちはずっと彼の傍に居られるのだろうか。 もし居なくなったとしても、せめて彼の記憶の中に、 永遠にい続ける事はできるのだろうか。許されるのだろうか。 彼は、許してくれるのだろうか。


 ――ドールだから…。


 不安に苛まれるのはいつだって、その所為。
 自分たちが、ドールだから。人間ではないから。危険な存在だと、分かっているから。
 それでも、ここに居たいと思う。その望みを、彼は許してくれた。 とてつもないリスクを彼に負担させていることは分かっている。それでも、 ここに居たいと思う。
 ずっと、ずっと。
 もし、恐れていることが起こっても、せめて、忘れないで欲しい。
 ここに居たことを。
 だから、写真を撮った。写真さえ残っていれば、きっと彼も忘れないでしょう? 誰も、忘れないでしょう? 忘れたくても、忘れないでしょう? どんな形でもいい。彼の中に、残っていたいから。
 ユイが全て分かっている様な瞳で…優しい瞳で、更に言葉を紡ぐ。
「大丈夫。忘れないわ。誰も」
「「…うん!」」
 頷き返した二人の瞳に、僅かに涙が滲む。
 それが零れるのを止めたのは、ひときわ大きなグリフォードの声だった。
「お、見えてきたぞ」
「ユキムラー。分かってたけど、お前不細工だな」
「オレのドコが不細工だッ!」
「うわー。クレアがカワイ子ぶってるー」
「なァに??」
「―――。クレア、可愛いねー
「そんな分かり切ったこと今更言わなくて良いのにー。トーラったらァ
「「不憫だな、お前」」
 流れていく今この一瞬を、つかまえて。閉じこめて。永遠に刻み付けて。
 その笑顔が曇ることはない。誰かが消えることもない。
 例え誰かが欠けたとしても、この写真の中のみんなは、永遠にそこに居て、笑っている。 そこにいた記憶は、永遠に刻まれたまま。
「…居るのね…」
「…居たのよ…」
 この写真は、ここにイバショがある証。
 人間ではない自分たちにも、心休まるイバショがあった証。
 どんなに時が流れても、ここがイバショ。


 時は流れている。


 ピィ――――――――……。


 鳥の声が響いていたあの日から。
 今も。今も。
 これからも。



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