夜。
「疲れた〜」
 ボフッ、っとベッドに倒れ込んだユキムラは溜息交じりに洩らす。
 今日は精神的にも疲れたし、肉体的にも疲れた。 まだ、いつも床につく時間には達していないが、 既に体は睡眠を欲している。その欲求に忠実に従おうと、 彼がベッドに横になったちょうどその時だった。


 コンコン。


 ドアがノックされる。
「誰だ」と問う前に、その答えが返ってきた。
「「ボ〜ス」」
 明るいソプラノ。 注意して聞かないと、それが二つの声からなるものだとは気付かないくらいによく 似た声。抑揚。
 フォーラとファータだ。
 嫌だと駄々をこねる自らの体を叱咤し、ユキムラはベッドから体を起こす。だが、立ち上がる気力は生まれず、
「何だ?」
 と、ベッドから返事を返す。
 すると、すぐさまドアが開き、二人の少女が駆け寄ってきた。 その表情は明るい。イヌであれば、千切れんばかりに尻尾を振っていそうな表情だった。
 いつもならば、そんな彼女らの姿に自分まで笑みを零すところだが、今はと言うと、
「一体、何がそんなに嬉しいんだか…」
 と、眠りかけた頭が文句を垂れている。どうやら自分はよほど眠いらしい。
 だがその眠気もすぐに消えることになる。
「あ!」
「……!!?」
 唐突に声を上げたフォーラが、そのまま突き殺すのではないかと疑うほどの勢いで、 人差し指を突きつけてきたからだ。その細い指が何を指しているのかと視線を遣ってみたが、よく分からない。
 首を傾げるユキムラの様子に気をとめる事なく、フォーラはニヤリと口許を引き上げていった。
「髪、結んであげよっか〜??」
 対照的に引きつるユキムラの口許。
「・・・・・もう寝るからいいんだよ」
「「ちぇ、つまんな〜い」」
「・・・」
 ぶーっと頬を膨らませるフォーラとファータに、ユキムラは閉口する。
 フォーラをおんぶして『家』に帰った後も、ユキムラはかなり長い間、 その背におさげを揺らしたままだった。それは、
「可愛いね〜
 と、
「お前の方がもっと可愛いよー!!」
 と返したくなる程、愛らしい笑みを浮かべた3歳のクリスに、おさげを引っ張られるまで続いた。
 ただでさえ鈍いことに加え、髪型に頓着しないユキムラにとっては、髪が普通に一つに結ばれていようが、 三つ編みにされていようが、まったく違いはなかったらしい。 更に、誰かが気付いてつっこもうとするたびに、彼の後ろにひっついていた少女二人が 「「しーーっ!」」と口止めをするものだから、ユキムラが気付くはずがない。 次第に周りも慣れてしまったのか、反応することすらなくなってしまった。
 そんなこんなで、ユキムラは昼からずっと三つ編みのまま過ごしたのだった。
 これからは彼女らに髪を結わせるのはやめようと心に誓ったユキムラだった。
「で、どうしたんだ?」
 くだらない誓いを一瞬ですませたユキムラはまだ頬を膨らませたままの二人に訊ねる。 いつもならばもう二人とも眠りについている時間だ。だが二人に眠気はないらしい。
 問われ、自分たちがユキムラのもとを訪れた目的を思い出したらしい。「「あ」」 と声と視線とを合わせた後、二人はピタリと声を揃えて言った。
「「ピアス欲しい!」」
「・・・・」
 一瞬、「はァ!!? 唐突に何だ!!?」と首を捻ったユキムラだったが、 すぐに昼間のやりとりを思い出す。いつもは我が儘を何が何でも通そうとしていた彼女たちが、 我慢することを覚えたのだと喜ばしく思ったものだったが、どうやらそれもぬか喜びだったらしい。
 ユキムラとグリフォードの二人がかりでは、自分たちの我が儘が通じないと考え、あの時だけは引いて見せたのだろう。
(やっぱきたか…
 と、溜息を洩らした後、ユキムラは二人を説得するべく口を開いた。
「でもな、ピアスするには耳に穴開けなくちゃならないいんだぞ?」
 ここで引き下がってくれるかと思っていたが、そううまくはいかない。
「「いいよ!」」
 と即答された上に、
「ボスと一緒がい〜い!!」
「ボスと一緒のしたい〜!!」
 二人がかりで胸倉を掴まれ、前後に激しく揺さぶられる。
「わっ、わっ、わっ、わかっ、わ、分かったから! 放せ!!」
 ガックンガックンと首が前後に激しく揺れ、舌を噛みそうになりながらも 何とか二人の手から逃れようと口にしたのは、「OK」の言葉だった。しまったと思ったがもう遅い。
「「イエッサー☆」」
 元気の良い返事と共に、2対の腕から解放される。代わりに、 期待のこもった2対の瞳に捕まることとなってしまった。
「早くちょうだい」「早くちょうだい」そう訴えかけてくる金色の瞳に、 ユキムラは軽く肩を竦めた。降伏のサインだ。
「「やったァ」」
 余程嬉しいらしい。手と手を取り合って喜ぶフォーラとファータを尻目に、 ユキムラは再度溜息を洩らした後、ベッドからおりる。ピアスを探すためにである。
「ちょっと待てよ〜。確か・・・」
 確か、以前グリフォードがくれた物があったはずだ。ゴソゴソと机の中を引っか き回したユキムラは、すぐに目的の物を見つけた。
「あった」
「「見せて見せて〜!!」」
 ユキムラから手渡されるよりも早く、その手からピアスを奪い取った二人は、 自分たちの掌に視線を落とす。そこには、ユキムラやグリフォードがしているのとおなじ形の、 けれどどちらの色とも異なる、一対の青いピアスがあった。
「う〜んと・・」
 もう一組ないかと机の中を引き続き探索していたユキムラだったが、
「あ〜、やっぱコレ一つしかないか」
 諦めの言葉を洩らして視線を二人の少女に戻すと、
「・・・・・
 二人が睨み合っていた。
 まさにバチバチと二人の間に火花が飛び散っていそうな雰囲気だった。
「お、おーい」
 宥めるつもりが、どうやらそれが試合開始のゴングになってしまったらしい。 眼光のみの戦いから、それに加え、言葉の応酬が始まったのだった。
「「フォーラ・ファータがするの!!」」
「フォーラだってば!」
「ファータなの!」
「フォーラの方がお姉ちゃんだからフォーラなの!」
「そんなのいつ決めたの!!?」
「だってフォーラ方が髪が長いもん!!」
「関係な――――――――――い!!」
 ユキムラの見守る前で、フォーラの手とファータの手とを行き来するピアス。 今は言葉のみの戦いだが、いつ手が出てもおかしくない雰囲気だ。 それより何より、煩い。だが、まだ子供たちの可愛い喧嘩の域を過ぎては居な い。ユキムラは苦笑を浮かべ、やんわりと仲裁に入る。
「おいおい、喧嘩するなよ。人の部屋で」
 だが、その仲裁など何処吹く風。無視。完璧無視だ。 ちょっぴり切なくなってしまったユキムラを余所に、二人のバトルは続く。
「妹なら我慢してよ!!」
「お姉ちゃんこそ我慢するべきでしょ!!?」
「ファータはボスと同じ赤いのが良いって言ってたじゃない! フォーラは青でも我慢出来るから、フォーラが貰うの!」
「ファータだって青好きだもん! フォーラが我慢してくれなくてもファータが喜んで青貰うもんね!!」
「なぁ、お二人さんちょっと落ち着かない? なぁってば」
 無視。
 というよりも、届いてすらいないようだ。
「ファータに青は全然似合わない!」
「フォーラこそこれっぽっちも似合わない!」
「・・・・・・どっちも同じ顔じゃん」
 どうせ届かないので控えめにつっこむ。
「フォーラは青も似合うの! ってか何でも似合うからフォーラが貰うの!!」
「実はファータ、青が一番似合うから、ファータが貰うの!!」
「…完全にオレの存在無視ってるよね、君たち…」
「フォーラのバカ! 分からず屋!!」
「ファータのアホ! けち!!」
「…喧嘩はやめよーよー」
「もうファータとは口きいてあげないんだから!」
「いいもーん。フォーラなんかとはもう口ききたくないもんねーだ! べー」
「こっちだってファータの顔なんて見たくもないもんねーだ! べー」
「だああぁぁ――――――――ッッ!!!! オレの存在を無視するな!!! …じゃなくて、喧嘩はやめろ!!」
 ついに声を荒げたユキムラだったが、それに返されたのは、
「「イヤ!」」
 即答。しかも、喧嘩をしていても息はぴったり。
 それに負けてなるものかとユキムラはマジ叱りモードで二人に向かって言った。
「イヤ、じゃない! ママの言う事が聞けないのか!?」
「「・・・・・・・」」
(お。)
 ピタリと二人の口論が止まった。“ママ”の権力を振りかざすのは有効らしい。 motherとして一つ学んだユキムラだった。
 だが、口喧嘩はおさまったものの、未だに二人は睨み合っている。 溜息を洩らした後、ユキムラは二人の手に握られているピアスを取り上げた。
「「あ!」」
 自分たちが喧嘩をしたから没収!  という事だろうかと慌てる二人を余所に、ユキムラはピアスを台紙から外す。
「ほら、こうすればいいだろ?」
 フォーラとファータの前にそれぞれ差し出された掌には、ピアスが片方ずつ乗せられてあった。
 半分こ。そういう事らしい。
「「………」」
 返ってきた沈黙に、
(…あ、ダメか?)
 と思ったのだが、
「「…仕方ないからコレで我慢してあげる」」
「はいはい。ありがとう」
 可愛くない言葉を口にしつつも小さな手がピアスを大事そうに握りしめる様子を、 ユキムラは笑いながら見ていた。
 と、そこでふと気付く。
(……ん? 大丈夫なのか?)
 先程、彼女らに言ったように、ピアスをするためにはピアスホールを開けなければならない。 そう。耳に穴を開けなくてはならないのだ。彼女らの耳に穴を開けても大丈夫なのだろうか。
 人間の場合ならば、少し血が出るくらいで済むことなのだが、生憎と彼女らは人間ではない。 ドールなのだ。耳にも何かしらの回線が通っていたりするかもしれない。 もしも、彼女らの体を動かすため、常に全身に巡らせてある燃料が漏れでもしたら大変だ。
「う――――ん」
 ユキムラが真剣に悩んでいる事など知ったこっちゃない。
「「う――――ん」」
 フォーラとファータは、ピアスをどちらがどちらの耳にしようか考えているらしい。
「どうする〜??」
「ねえ、どうせだったら別々にしない?」
「そうだね。じゃあ、フォーラは右ね」
「じゃあ、ファータは左」
 どうやら、互いに左右別の耳にピアスをすることに決めたらしい。
 だが、まだユキムラの方の答えが出ていない。おそらく一生出ないだろう。
「分かんねー」
 これは自分がどんなに真剣に考えても無理だ。機械に詳しいオーディーか、 もしくは彼女らのfather、都筑博士にでも聞いた方がよさそうだ。 「まあ、大丈夫だろう」といつもの楽観的な姿勢で臨まないのは、 彼女らの母親としての自覚が出来てきたからかもしれない。
「フォーラ、ファータ」
 ピアスをつけるのは、またにしようと二人に相談するため、 ユキムラは視線を二人にやる。二人はというと、互いの耳にピアスをあてて騒いでいた。 ピアスを貰えたことが、余程嬉しいらしい。そんな彼女らの様子に、 説得は少々難しいだろうと憂鬱になりつつも意を決して声をかけようとしたその時、突然二人が声を合わせた。
「「せーの」」
「?」
 何だと首を傾げたユキムラの目の前で、二人は。
「「えいっ☆」」


 ブスッ!!!


 躊躇無く、互いの耳にピアスを刺した。
「わあああぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――――ッッ!!!!」
 今が夜だということも忘れて叫びを上げたのは、ユキムラだった。
「だッ、大丈夫か!!?」
 何か異変が起こるのではないかとドキドキしながら訊ねたユキムラに、
「「何が?」」
 フォーラとファータがケロリとした様子で返す。
 異変どころか、痛みすら感じていないようだ。
(アレ? 痛覚、なかったっけ??)
 疑問に思ったユキムラが、徐に手を上げる。
 べし!
 べし!
 二人の頭をはたいてみると、
「「痛ァ――――い!」」
 ちゃんと反応が返ってきた。痛みを感じないわけではないらしい。 どうやら耳に痛覚を感じる神経が通っていなかったようだ。
 たたかれた頭を抱え、フォーラとファータは非難轟々。
「ひどい!幼児虐待!!」
「きっと育児に疲れたのよ。旦那が協力してくれないから」
「・・・・お前らは幼児でもないし、オレに旦那はいないっつーの」
 こんな娘×2の教育に疲れないはずがない。
 そして、疲れを倍増させるこの物言いに、思い浮かぶのはクレアの顔だ。 絶対に彼女の影響を受けている。やはり彼女らをクレアに近づけてはいけない。 その事を密かに心に決めたユキムラだった。
 気を取り直し、ユキムラは未だにぎゃーぎゃー騒いでいる二人を引き寄せる。
「おい。耳、見せてみろ」
 二人が強引に開けたピアスホールからは、勿論血が流れていることもなかったし、 ユキムラが危惧していたように、燃料が漏れ出ていることもない。
「よし、大丈夫だな」
 ほっと息をついて二人を解放する。
 一方、フォーラとファータはユキムラが何を心配していたのか分からないらしく、 互いに顔を見合わせて首を傾げる。
 彼女らは耳にも痛覚が、人間ならばあるのだという事を知らなかった。 知っていれば、ピアスホールを開けることも、いささか躊躇ったかもしれない。 けれど、彼女らの耳に痛覚はなかったし、ユキムラやグリフォードが開けているのならば、 自分たちにだって開けることが出来ると単純に思っていたようだ。
 顔を見合わせている内に、思考はユキムラの言葉の意味から、別の方向へと変わっていった。
「「同じだね」」
 ポツリと、二人は呟いた。
「何がだ?」
 二人の小さな呟きを耳の端に捉えたユキムラが今度は首を傾げる。
 フォーラとファータは、互いから視線を外さぬまま、言葉を紡いだ。
「このピアスの色、」
「むーちゃんの目の色と同じ」
 互いの耳を飾るピアスの色が、今日、別れを告げた猫の瞳と同じ色をしている事に、気付いたようだった。
「……そうだな」
 真顔で互いのピアスを見つめている二人に、何と言葉を返していいものか。 彼女の気持ちすら、掴めない。だから、ただ頷いた。 下手な事を言って、彼女らを傷付けるのが怖かったから。
(…泣くか?)
 彼女らがどれだけ猫のむーちゃんを可愛がっていたか。 そして、亡くしてどんなに悲しんだか。昼間の彼女らの悲しみようを思いだし、 ハラハラしつつ見守っていたが、それも杞憂に終わった。
 彼女たちは泣かなかった。
 笑った。
「「一緒にいるみたいだね」」
 そう言って笑うフォーラとファータに、ユキムラは僅かに目を瞠る。
 不意に見える彼女らの成長ぶり。それにはいつも驚かされる。いつのまにこんなに成長していたのかと。
「・・大切にしろよ?」
「「うん! ボス、ありがとう!」」
「どういたしまして」
 返された眩しい眩しい笑み。眩しくて、知らず目を細めたまま笑う。 胸の中に広がっていくのは、少しくすぐったい気持ち。けれど、ふんわりと暖かな感覚。
 その感覚は、ユキムラだけが感じているものではなかったらしい。
「「…ママ、好きよ」」
 小さな子供がするように、ユキムラの腰に腕を回して抱きつく。 そうすると、直に感じられる温もりが、胸の中の小さな温もりを更に温めてくれる。 くすぐったいけれど、決して不快でない気持ち。
 この感覚の名前は、何だろうか。とても好きな感情の名前だ。 この気持ちを、大好きな彼にも感じていて欲しくて。分けてあげたくて、抱きつく。
 いや、理由なんてどうでもいい。ただ、抱きつきたいから抱きついているだけ。それでいい。
「何だ、唐突に」
 少し戸惑ったような声が降ってくる。けれど、その後にすぐ温かな手が背中を撫でてくれることを知っている。
「「大好き」」
「…はいはい。オレもデスよ〜/////」
 照れながら、こんな台詞を返してくれることも。




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