ユキムラの温かな手を握り、フォーラとファータは彼の体にぴったりと寄り添う。 そうすると、もっと温かい。心地良い。 安心する。この温かさを、もっともっと感じたいと思った。 と、そこで悪戯っ子の瞳で互いに視線を交わしたフォーラとファータは、 ニィっと笑うと、ユキムラの手を引っ張って言った。
「「ね〜え〜、ボスぅ〜」」
「な、何だ!?」
 二人の猫なで声に、思わず身構えるユキムラを余所に、彼女らは無邪気に言い放った。
「「抱っこして?」」
 それに返された答えは、即答で、
「無理」
 だった。
「え―――――ッ! 何で―――――ッッ!!?」
「タダシくんやジュリアちゃんは抱っこしてるのに―――――!!」
 一斉にブーイングを始めるフォーラとファータに、ユキムラは溜息を洩らす。
「タダシやジュリアはまだ小さいからだ」
 3つや4つの子供と、―中身がどうかは知らないが、 見た目―12、3歳の彼女らとを一緒にしないでほしい。
 どちらか一人だけならばだっこしてやることも出来るだろうが、 それでは彼女らは納得しないのだろう。二人一緒でないと嫌だとダダをこねる姿がありありと 浮かぶ。
「「ケチ――――!」」
「そんな事言われても無理なものは無理なの!!」
 手足をバタバタさせ、凡そ外見にそぐわない幼いおねだりの仕方をする少女たちと、 母親としてはちょっと情けないユキムラとの争いに仲裁に入ったのは、 少し遠慮がちな声。
「・・どうしたんだ?」
 声のかかった方に視線を向ければ、そこにいたのはグリフォードだった。 どうやら心配して様子を見に来たらしい。 まあ、事の発端を起こしたのは彼だったので、それも当然のことだろう。
「グリフ、聞いてくれよ〜。コイツら抱っこしてくれって言い出してサ。 無理だって言ってんのに」
 かなりしつこくねだられたのだろう。 かなり弱り果てているユキムラの様子と、それでもなお彼の手を引いて 「抱っこ」「抱っこ」と要求する少女たちの姿に、 グリフォードは安堵する。 どうやら、もう一件落着したようだ。ほっと溜息を洩らしたあと、 グリフォードは遠慮なく笑った。
「あはははは。そうだな〜、ユキには無理だろうな。もやしっ子だから」
 と言ってやると、
「もやしっ子言うな! マッチョ!!」
 と言い返してくるユキムラ。いちいち本気で返してくるところが面白い。
 体格の良いグリフォードからしたら、C−cityにいる 少年たちは皆もやしっ子だろう。
 赤い顔をして言い返してくるユキムラに笑いながら、 グリフォードはじっと自分たちを見上げている少女たちの前に膝をつく。 その瞳が僅かに怯えの色を宿しているのを見て、胸が痛む。 この子たちには可哀想なことをしてしまったと、グリフォードは密かに反省したあと、 二人に向かって笑って言った。
「じゃあ、マッチョなお兄さんが抱っこしてやろう」
 フォーラに向かって手を伸ばすと、彼女は僅かに身を引いたものの、 逃げようとはしなかった。それを確認してから、 グリフォードは彼女を両手で抱き上げた。
「わッ」
 突然やってきた浮遊感に驚いて、フォーラはグリフォードの首に抱きつく。
 軽いフォーラの体を何度か揺らし、グリフォードは彼女を腕に腰掛けさせる ようにして抱き上げた。
 そろそろとグリフォードの首から腕を外したフォーラは、 自分の眼前に広がる世界に一瞬目を瞬かせる。
「・・・・高―――――い
 いつもは見上げなくてはならないユキムラの姿が、下にある。 同じく、いつもは隣にいるファータの姿は、更にその下。 羨ましそうな顔で自分を見上げていた。
「あ――、いいなァ、フォーラー」
 唇を尖らせて「ファータもファータも〜」とせがむファータに、グリフォードは笑う。
(やっぱり、ユキムラの娘だな)
 心の中で洩らした感想は、それ。本心ではないにしろ、 酷い言葉を浴びせた自分におとなしく抱き上げられて喜んでいるレイナと、 自分もと手を伸ばしてくるフォーラ。彼女らの姿は、ユキムラによく似ていた。 騙され、試されていたにもかかわらず、そんなことなどもう忘れたとい うように笑いかけてくる彼に。
「フォーラも抱っこして〜」
「ちょっと二人はキツイな。あとで交替してやるから、 今はユキのおんぶで我慢してくれないか?」
「うん! そうする!」
「・・・・勝手に決めるなよ」
 本人の了承を得ず勝手に二人で話を進めていくグリフォードと ファータに嘆息しながらも、ユキムラ はホッとしていた。 フォーラとファータがグリフォードを嫌っていなかった事に。 自分の好きな人−グリフォードが、やはり大切な娘たちから好いても らえるのは嬉しい。だから、「ボスのおんぶで我慢して あげるから早く!」と、いかにもクレアが言いそうな憎らしい台詞を口にする ファータにも、今は従ってやろうと、彼女の前に膝をつく。
「ホラ」
「わァ―――――い
 ユキムラがファータおんぶした事を確認してから、 グリフォードはフォーラを抱えて歩き始める。
 フォーラはと言うと、楽しそうに辺りをキョロキョロと見回している。 そんな彼女の姿に、グリフォードは僅かに迷ったあと、声をかけた。
「フォーラ」
「なァに?」
 小首を傾げて自分を見るフォーラに、グリフォードは率直に訊ねた。
「嫌になってないか?」
「・・・・何が?」
 言葉が足りず、どうやら意図が掴めなかったらしいフォーラに、 グリフォードは彼女の真っ直ぐな視線から逃げるように瞳を伏せて言った。
「意地悪な事を言ってママを困らせる、マッチョなお兄ちゃんのいるこのcityが、 嫌になったりしてないか?」
 彼の問いに、フォーラは目を瞬かせたあと、首を横に振る。
「ううん。イヤじゃないよ。フォーラもファータも決めたの。ボスを信じるって。 ここにいてもいいって言ってくれたボスを信じるの!」
「そうか」
 言い切った彼女に、グリフォードは彼女の瞳を見ることが出来ないまま、 けれどホッと安堵の溜息を洩らす。その溜息をかき消すように、 フォーラは「それに、」と付け加えていった。
「みんな大好きだもん。このcityにいる人、みんな大好き」
 恥ずかしげもなく好きだと言ってのけるその純粋さ。そして、 それが嫌味でなく微笑ましく感じられるのは、子供の特権。
「グリフのお兄ちゃんも好き」
 続けられたその言葉に、グリフォードは弾かれたように地面に落としていた視線を上げた。
「・・・俺も?」
 フォーラの瞳に視線を遣ると、彼女の瞳も、自分を見ていた。真っ直ぐに。
「うん。だって、温かいもん。ボスみたいに」
 思わず、閉口する。正直、かなり驚いた。と同時に、また、思う。
(・・・・・やっぱり、アイツの子だ)
 と。
 歩みを止めてしまっていた自分に、フォーラが「どうしたの?」と問いかけてくる。 彼女には、グリフォードが何故そんなに驚いているのか分かっていないらしい。 彼女はただ、思ったことを口にしただけなのだから。
 その事に気付いたグリフォードは、見開いていた瞳を細めると、 小さな声で、けれどはっきりと言った。彼女はただ思ったことを口にしただけでも、 その口にした言葉は、彼にとっては非常に嬉しいものだった。だから、
「・・・・・ありがとうよ」
 と、謝意を伝える。「何が?」と言いたげな顔で、だが、 「どういたしまして」とフォーラの答えが返ってくる。 それに微笑みを返してから、グリフォードは止めていた歩みを進ませた。
 と、ちょうどその時。
「おい、ファータ! 何すんだ」
 身長差があれば、当然歩幅にも差が出てくる。自分たちの後ろの方を、 ファータをおんぶして歩いていたユキムラの大きな声で、グリフォードはようやく彼との差に気付く。 歩みを止め振り返ると、ユキムラが長い髪を後ろで一つに結んでいた紐を取り、 彼に返すまいとしているファータと、それを咎めるユキムラの姿があった。
「返せって、ファータ」
「ファータはこの方が好きなんだもーん」
 と喚き合う二人の姿は、親子と言うよりは兄妹そのもので、 それを見ていたグリフォードとフォーラは、図らず視線を交わし、吹き出していた。
「おーい! 早く来い」
「早く早く―――!」
 二人して笑いながら、促すと、
「は――い! 今行かせまーす。ボスを! さぁ、行け―――――!」
 というファータの言葉が返ってきた。
 絶対にクレアの影響だろ!!? な言葉と共にペシペシと頭を叩くフォーラに 、大仰に溜息をつきつつ、ついでに「オレはお前の馬かいッ!!?」 と心の中でツッコミを入れた後、ユキムラはファータの言葉に従うことにしたらしい。
「よし、走るぞ」
 断ってから、走り始める。
「わッ。わッ。あはは、面白〜い
 ガクンガクンと上下に揺られつつ、暴れ馬に乗っている状況 を楽しむファータ。ちょっとしたロデオ?
「はぁ〜。お、追い付いた〜」
 グリフォードの隣に並んだユキムラは、ゼィゼィと肩で息をしている。
その背におぶさっているファータはというと、
「もう一回、もう一回〜!」
 ご機嫌に要求する。
「絶対にやんねー!」
 と力一杯拒否すると、ファータだけでなくフォーラまで口を尖らせる。
「ファータばっかズルイ〜! フォーラも〜!!」
 その言葉にイヤ〜な顔をするユキムラを見て笑いつつ、 グリフォードは腕からフォーラを下ろすとファータを手招いた。
「じゃあ、交替な。おいで、ファータ」
「はーい」
 良い子のお返事をしたファータは、ユキムラの背からぴょん、と飛び降りると、 グリフォードの元に駆けて行った。
 ようやくファータから解放されたユキムラはほっと息をつく。だが、それも束の間。
「おんぶ〜!」
 というフォーラの催促と共に、
「ぐぇッ」
 駆け寄ってきた勢いのままジャンプしたフォーラに背中にのしかかられる。 危うく地面に熱烈なキッスをかましそうになったユキムラだったが、辛うじて堪える。
「ボス〜早く早く〜」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・りょーかい」
 自分がどんな目に遭っているのかも知らず呑気に要求してくるフォーラに、 ユキムラは溜息を洩らしつつも歩き始める。
 二人が楽しそうに笑っているのだ。先程の泣き顔を見たユキムラからしてみれば、 どんなに憎らしいことを言われようとも、彼女らが笑顔を浮かべていてくれればそれでいいと思った。
 すっかり親ばか。
 ユキムラの背におぶさり、目の前にある黒髪をフォーラは眺める。
「・・・髪、長いね」
「そうだな。伸びたな〜」
 自分たちのものとは全く違う色の髪。そっと触ってみると、 その感触も、クセの強い自分たちの髪とは違う。差し入れた指は、 絡まることなく髪の間を流れていく。それを見ていたフォーラの中で、ムクムクとある欲望が生まれ、大きくなる。
(・・・いじりたい!!)
 内容はささやかだが、大きな欲望に耐えきれなくなったらしく、 フォーラはユキムラにグリフォードの方に寄るよう言ったあと、
「ファーター。ゴムちょうだい」
「はい」
 フォーラが伸ばした手に、ファータがユキムラから奪ったままだった紐を渡す。 その目が、フォーラと同じくキラキラ輝いているところを見ると、 彼女もフォーラの考えていることを悟った。ついでに、ウィンクを彼女に投げる。 どうやら、「やれやれ!」という事らしい。
 それを知らないユキムラは、
「フォーラ、適当でいいから結んでくれ」
 と、彼女らにとっては願ってもないことを、知らず口にしてしまっていた。
「「イエッサー!!!」」
 何故かファータからも返ってきた気合いの入った返事に、 ユキムラは僅かに首を傾げたが、特に気にしないことにしたらしく、グリフォードと話を再開した。が、
「う―――――ん」
 背中で唸っているフォーラに気付く。
「あ。できないならいいぞ?」
 という言葉に返された二つの答えに、ユキムラは速攻言い返す事になる。
「ううん。出来るけど、三つ編みにしようかポニーテールにしようか考え中」
「ファータはおだんごがいい!」
「普通にしろッ!!」
 ユキムラの言葉に、「は〜い」と良い子のお返事を返した後、 フォーラとファータは視線を交わし、密かに舌打ちする。 大人しくフォーラはユキムラの髪を手に取り、結び始めた。
 それを確認したユキムラは、素直なフォーラの反応にホッと安堵の溜息を洩らした後、 また僅かに差が出来ていたグリフォードとの距離を縮めた。
「あ!」
 と、不意に声を上げたのは、グリフォードの腕に大人しく座っていたファータだった。
「どうした?」
 グリフォードの問い返しに答える前に、ファータは再度「あ」と声を上げる。 グリフォードと同様に「何だ?」と目を瞬かせるユキムラの見守る前で、 彼女は小さな手で、 グリフォードの耳朶に触れて言った。
「やっぱり一緒だ」
「「は?」」
 訳が分からず問い返す声は二つ。それに答えたのは、ファータの一言。
「耳」
「・・ピアスか?」
 ファータが触っていたのは、グリフォードの両の耳朶を飾るピアスだった。
 丸い緑のシンプルなピアス。だが、いったい何が「やっぱり一緒だ」に繋がるのか分からない。 その答えに気付いたのは、グリフォードだった。
「ああ、ピアスがユキと一緒って事か」
 ユキムラの耳に光るピアスも、グリフォードのしている物と同じ形をしていた。 違うのは、色だけ。彼の耳を飾るのは、赤。 血の色に似た、けれどそれよりももっと澄んだ、綺麗な赤。
「ピアスって言うんだ〜コレ」
「キレイだね〜」
 グリフォードが嫌がらないのをいいことに、ピアスをつつきつつ呟いたファータに、 フォーラも同様に呟く。これまた同様にファータがしているようにユキムラの耳朶に手を伸ばす。
「ぅわッ」
 いきなり耳朶に手を伸ばされたユキムラが驚いて肩を揺らした拍子に、 フォーラの手がユキムラの耳を解放する。
「いいな〜」
 手からは解放されたものの、未だに視線はピアスに釘付けでいるらしいフォーラの呟きに、 ユキムラは渋面を浮かべる。
(欲しいって駄々こねるか?)
 そうに違いない。
 娘達の行動パターンをよんだユキムラは、いったいどう言い聞か せて彼女らの我儘を乗り切るかと思考を巡らせ始めたのだが、
「「欲しい〜!!!」」
 というおねだりの言葉は帰ってこなかった。
 では、何かというと、
「「・・・・・・・・」」
 沈黙。
 視線で訴えているわけでもない。ごく自然な沈黙。会話と会話との間。
 予想外の展開に、ユキムラはグリフォードの背にいるファータの表情を伺う。 が、どうやら、ピアスの話題は終わったらしい。 ファータは既にグリフォードのピアスからも、ユキムラのピアスからも視線を外していた。 それはおそらく自分の背にいるフォーラも同様なのだろう。
(・・アレ?)
 予想が外れ、拍子抜けする。当たったら当たったで宥めるのに困っただろうから、 喜ばしいことではあったが。
(ま、いっか)
 彼女らも成長したのだろうと納得する。
「ボス〜早く〜」
 前方からの催促の声に、ユキムラはグリフォードとの間にまた距離が出来ていた事に気付く。
「よし、走るぞ、フォーラ。舌噛むなよ」
 よいしょとフォーラを背負い直すと、ユキムラは走り出した。
「あはは。楽しい楽しい〜☆」
 ガクンガクンと揺さぶられるのが楽しいのか、キャアキャアと楽しそうに、 背中でフォーラが笑っている。その無邪気な笑い声に、ユキムラは笑みを零すと、 更にその足を速める。すると、フォーラはますますおもしろがって笑った。
 どうやらユキムラの要望通り、フォーラが髪を結んでくれたらしい 、いつも通り長さが足らずに頬をくすぐる髪以外に、ユキムラの頬を撫でるのは風だけだ。
 やはり女の子だ。髪をいじるのはうまいらしい。
 今までは駄々をこねただろう場面でも、我儘を言うこともなくなった。 髪を結んでくれと頼めば、結んでくれた。自分の教えていないその女の子らしい成長に、 ユキムラは嬉しくなる。自然と零れるのは笑顔。
 そんな彼の背では、フォーラが無邪気に笑っている。それがまたユキムラの笑みを助長する。
 だが、彼は知らなかった。
 新しいオモチャを見つけたとほくそ笑むフォーラと、自分の背で揺れる、可愛いらしい三つ編みの存在を。




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