ロビーに漂っていた穏やかな空気が、突然壊れる。
「どういう意味だよ、それ!!?」
 唐突に上がった鋭い声にユイとアズマは視線を巡らせる。 その2対の瞳が辿り着いた先に居たのは、今の今まで歓談に興じていたユキムラだった。
 今までのお遊びでの喧嘩ではない。
 イスから腰を上げたユキムラの目は、グリフォードの向けられていた。ユキムラの 鋭い視線を冷静に見つめ返しているグリフォードと、そんな彼の隣では、 フォーラとファータが怯えたように顔を見合わせていた。
 ロビーにいた少年たちの目がユキムラとグリフォードに注がれる。
 それまで心地良いざわめきに包まれていたロビーが、一瞬にして静まりかえっている。 その険悪な静けさの中に、ユキムラの唸るように低い声が響く。
「・・・どういう意味だよ、今の」
「言ったとおりの意味だ」
 答えるのは、冷静なグリフォードの声。
「・・・オレには、何故コイツらをこのcityに置いたんだって、責めてるように聞こえた」
「そう聞こえたんなら、そうじゃないのか」
 あくまで冷静なグリフォードの声に、苛立ったようなユキムラの声が言いつのる。
「何だよ、それ! 行くトコない子供を見ては連れて帰ってくるアンタが、なんでそんなコト言うんだよ!」
 いったい何が起こったのかは分からないが、どうやらフォーラとファータの事で喧嘩をしているらしい。 その事に気付いたアズマとユイは慌ててロビー内にいる少年たちを追い払いにかかる。
 頭に血が上っているせいか、ユキムラの意識の中に、ここがロビーであり、 真実を知らない少年たちもいるのだということを忘れてしまっているらしい。
「はーい、みんな、ちょっと外に出てて」
「まーた兄弟喧嘩が勃発したみたいだ。巻き添え食わない内に非難しろ」
 ユイとアズマは、さも、それがいつもの彼らの遊びのような喧嘩だという言い方をしたが、 少年たちにだって分かっている。今、ユキムラとグリフォードの間に流れる険悪な雰囲気が決していつも の喧嘩ではないことに。
 普段、あまり怒りを表に出すことのないリーダーと、同じく いつも寛容な笑みを浮かべている先のリーダーとの争いに、正直、少年たちにも興味があっ たし、同時に心配でもあった。
「ほら、さっさと行け」
 なかなかロビーを出ようとしない少年たちを、アズマは無理矢理追い 出すとドアを閉めた。渋々、散っていく少年たちを見送りながら、ロビーの中央 、片方は立ち上がり、片方は座ったまま見つめ合っているユキムラとグリフォードの方に視線を戻す 。まだ、張りつめた雰囲気は解かれていなかった。
「確かに、俺だって子供をこのcityに連れてくる。だが、俺が連れてくるのは、ただの子供だ。そうだろう?」
「────」
「お前が連れてきたのは、何だ?」
 硬い声で問われた。
「・・・・・・オレやみんなと同じだ。コイツらも、行き場のない子供───」
「違うだろ」
 ユキムラの言葉じりを、静かに、だが強い声が遮る。
「俺は行くあてのない子供たちをこのcityに連れてくる。 守るために、だ。ここにいる子供たちは、俺たちが守ってやらなくちゃならないんだ。 でも、お前は、安全でなくちゃならないこのcityに、ただの子供じゃない、危険な因子を呼び込んだ。そうだろう?」
「グリフォード。その事についてはもう───」
「アズマは黙っててくれ」
 ユキムラ一人を責めるようなグリフォードの言葉に、アズマは思わず口を挟む。
 だが、その言葉も、グリフォードに遮られてしまった。向けられたグリフォードの瞳は、静かだった。 ユキムラとは違い、怒りの色は窺えない。
「ユキ。ここにいるのは誰だ? 俺やお前みたいに強い人間じゃない。 まだ十分に自分の身を守れない子供だっているんだ。お前はその事がちゃんと分かってるのか?」
「「───」」
 それまで黙ってグリフォードとユキムラのやりとりを見ていたフォーラとファータだったが、 そのグリフォードの言葉にその場から駆け出していた。
 耐えられなかったのだ。自分たちの所為で、ユキムラが責められるのが。
「フォーラ! ファータ!」
 慌ててユイが二人の後を追ってロビーを出て行く。
 『家』を飛び出す二人と、それを追うユイの行動を、視線を俯けたまま、ユキムラは耳で感じていた。
「・・・オレだって分かってる」
 やがて、呻くように洩らされた言葉を、けれどグリフォードは容赦なく否定する。
「何がだ?」
 その言葉は暗に、「お前は何も分かっていない」とユキムラを責めているようであった。その証拠に、彼は更に問うた。
「お前に分かってるって言うんだ?」
「分かってるさ! オレだってアイツらをここに置く事がどんなに危険なこ とかくらい分かってる。ここには小さい子がいるんだって事も分かってる!」
 ユキムラの言葉を、グリフォードは黙って聞いている。
「それでも、オレはアイツらを守るって決めたんだ」
 自分を見つめ返す瞳は、真剣そのもの。
 その瞳に、グリフォードは問う。
「・・・チビたちの事は?」
「勿論守る! ここのみんなは、オレの大事な仲間だ。でも、アイツらもオレの大事な仲間なんだ!! だから守るんだ、オレは。ここのみんなも、アイツらも。絶対にどっちも守るんだ!!」
 最後は悲鳴に近かった。まるで、子供が大人の正論に耳を塞ぎ、駄々をこねているようで。
 いや、実際そうなのだ。グリフォードの言っている事は、正論だ。それは彼自身よく分かっている。 それでも、まともな反論が出来ずにただ喚くしかない自分のみっともなさも自覚はしてはいたが、 それでも、止められなかった。大声を出してしまったために少し掠れた声で、ユキムラは断言した。
「いざとなったら、死ぬ覚悟は出来てる」
「ユキムラ!」
 そんなユキムラに咎めるようにその名を呼んだのは、グリフォードではなくアズマだった。
 その言葉を渡されたグリフォードはと言うと、何も言わず、手を上げた。
「───!」
 殴られる。
「グリフォード!」
 反射的に目を閉じたユキムラと、慌てるアズマを余所に、グリフォードはユキムラの頬を、
 ぎゅっ。
「いてッ!」
 思い切りつねった。
 そして、ユキムラの頬をつねる指はキープしたまま、
「マイナス20!」
 言い放つ。
「・・・・へっ?」
 思わずユキムラはマヌケに聞き返していた。
 そんな彼の隣で、同じくアズマもきょとんとしている。
「あの子たちが人間じゃない、危険な存在だってちゃんと分かってるって所に20点やろう。 それでもあの子たちを守るって所も20点。ここの子たちを守るって言ったトコに20点。 で、どっちも守るってトコにも20点」
と、指を折りつつグリフォードは言う。
「だが、最後! お前、何だその解答は!? いざとなったら死ぬ? あの発言でマイナス100点。 結果、マイナス20点だ!」
 ブイ! にした指をグリフォードに突きつけられ、ユキムラはうろたえる。
 彼が何を言いたいのかが分からない。先程まで訥々と自分を責めていたグリフォードが、 突然いつもの明るい調子で喋り始めたのだ。まったくもってわけが分からない。
 それはどうやらアズマとしても同じらしい。助けを求めて視線を向けてきたユキムラに、 彼も首を傾げて見せるばかりだった。
「考えてもみろ、ユキ。お前が死んで、何になるんだ?」
「・・・・・オレが死んだら、アイツらは止まる」
「そう、止まるんだ。あの子たちは機械だ。死なない。外見は変わらない。 それまでの記憶はあの子たちの中から消えちまうんだろ? だったら、死んだも同然じゃないか。 お前やここのみんなが知ってるあの子たちは、死んでしまうんだ。お前と一緒に」
「・・・・」
「それに、新しいmotherが、あの子たちを悪用しないと、どうして言える?」
 彼が結局何を言いたいのかがまだ分からない。ユキムラはきょとんとしたままグリフォー ドが結論を与えてくれるのを待つ。
「お前が死んでも何にもならないんだ。お前は、生きてあの子たちを守らなくちゃいけないんだよ」
 と、どうやらそれが彼の結論らしい。言い放った後、答えを求めるように視線をユキムラに向けた。
 だが、ユキムラには未だその結論を消化し切れていないらしく、しばしの沈黙の間、
「・・・・・・・・・・・・あのぅ〜」
 遠慮がちに問う。
「何だ?」
「なんか・・・・・その言い方だと、フォーラとファータをここに置いておいてもいいよ  って、オレには聞こえるんだけど・・・・・・・」
 まさかね〜、あっはっは。なんて付け加えつつ言ったユキムラに、グリフォードはと言うと、
「追い出せなんて俺は一言もいってないぞ」
 ケロリと言ってのけた。
 確かに、彼は一言も「フォーラとファータをC−cityから追い出せ」 とは口にしていない。ただ、「何故、あの子たちをココに置いているんだ?」と訊ねただけなのだ。
「─────── ・・・・・・試したな!!?」
「迫真の演技だったろ?」
 喚くユキムラに、グリフォードはニカッと快活に笑った。
 ぐったりと項垂れるユキムラの隣で、それまでずっと息を詰めていたアズマが、溜息をついた後、笑い始めた。
「はははははは。俺まで騙されたぜ」
「あ─────、もー、オレ、本気でビビッたんだぞ!!?」
「本気でビビってもらわないと困る。お前、俺の言うことはほいほい聞いてたからな。 もし、俺が口を出してすーぐに変えちまうような安い決意であの子たちをここに連れてきたんだったら、 殴ってやろうかと思ってたが、まあ合格だな」
「う゛〜」
 未だ恨めしげに自分を見上げてくるユキムラに、グリフォードは笑った。
 その笑みは、優しい。笑みを返すと同時に頭に乗せられた手も。そして、その唇から零れた言葉も優しかった。
「いい“ママ”になれよ?」
「なるさ!」
 間髪入れずに返されたユキムラの言葉に、彼は満足そうに笑うと、彼の頭を撫でていた手で、ポンと彼の背を押す。
「じゃ、早くあの子たちの所に行ってやりな」
「ああ」
 頷くが早いか、ユキムラはすぐさまその場から駆け出す。
 あっという間にエントランスをくぐってその姿を消すだろうと思われていたユキムラが、 不意にその歩みを止めたことに気付いたグリフォードが、どうしたと彼に声をかける。
 彼を試した自分に、文句の一つでも言うのかと思いきや、
「グリフ、ありがとな!」
 いつも通りの彼の笑顔と共に、そんな予想外の言葉が向けられた。
 その言葉に、グリフォードは一瞬驚いたように僅かに目を瞠った後、すぐに笑みを浮かべる。
 ユキムラが言ったように、どんなに言葉を飾っても、結局自分は彼を試したのだ。 そんな自分に、礼を言う彼。
 いい子に育っていると、思わずそんなことを思う。
「いいってコトよ。それより、さっさと行け」
 頷いた彼は、今度こそあっという間に『家』からその姿を消した。
 そんな彼の去っていった方を見つめながら、グリフォードはぼやくように言った。
「あーあ。これで、ますますあの子たちには嫌われたな〜」
 そんなグリフォードの言葉に、アズマは彼の向かいのソファに腰を下ろしながら笑って言う。
「大丈夫だって。何たって、アイツの娘だからな」
 あの正直者のユキムラを見て育つのだ。あの子たちも、こんな事気にしないに違いない。
 そんなアズマの言葉に、グリフォードも笑った。
「はは。違いないな」




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