翌朝。
 このC−cityの創始者であり、先代のリーダーでもあるグリフォードの帰省に、 『家』のロビーは、食事時のように人口密度が上がっていた。みんながグリフォー ドの旅の話を聞きに集まっているのだ。
 グリフォードは、土産話と共に、首都都市メインシティーで買ってきた土産の品を彼らに提供する。
 その土産の量に、いつもながら皆感心する。ほぼ一人一人に何かを与え、 更にC−cityにも、少年たちが二つ三つのFall cityを漁ってようやく 得られるだろう額の金をもたらしてくれる。彼は、Fall cityや首都都市の貧しい人 間からは大した金は取らないが、首都都市、中央区に住んでいる人間−金持ちばかり−からはその分、 たっぷりと頂いてくるようである。
 昼になった頃、ようやくグリフォードの周りからまず小さな子供たち の姿が見えなくなり、次に少年たちの姿が消える。
 今、彼の傍に残っているのはユキムラだけだった。
 彼らの話は、なかなか尽きないようであった。話と言っても、 特に何を話しているわけでもないらしい。傍から見れば、ただどつき合っているようにしか見えない 。それでも彼らは楽しそうだ。
 そんな彼らをじっと見つめている二対の瞳があった。どこからかと言うと、ユイの隣から、だ。
「あら?どうしたの、フォーラ、ファータ」
 いつもユキムラママにべったりの二人が、何故か自分の隣にちょこんと縮こまって座 っている事に気付いたユイは、僅かに首を捻りながら彼女らに問う。
 すると、帰ってきたのは予想外の言葉だった。
「「嫌い」」
「・・嫌い?」
 問い返すと、少し言葉を付け加えて、再び繰り返す。
「あの人嫌い」
「嫌いよ」
「あの人って・・」
 二人の視線を辿ってみると、行き着いたのは、
「・・グリフさん??」
 念のため確かめてみると、
「「うん」」
 と、フォーラとファータは大きく首を縦に振った。
 ユイは驚いたように長い睫毛に縁取られた瞳を数回瞬かせると、天敵を見るような 目でグリフォードを睨みつけている二人に諭すように声をかける。
「どうして? いい人よ?」
 確かに、体格の良さが目立って、フォーラやファータのような少女が、最初は彼に対して気後れしてしまうの も無理はないだろう。現に自分がそうだった。だが、ユキムラとバカ話をしつつ朗らかに 笑っている彼の姿を見れば、そんな警戒心も薄れるはずだと思うのだが。
 すると、二人は尖らせた唇で零した。
「だってボスを取るんだもん」
「だから嫌い」
 二人の言葉に、ユイは思わずくすりと笑いを洩らす。彼女には分かったようだ。 フォーラとファータが、グリフォードに対して嫉妬しているのだという事に。
「ボスがグリフさんとばっかり話してて、フォーラとファータの相手をしてくれないから? だから嫌いなの?」
「「そう」」
 大きく頷くフォーラとファータの姿は、愛らしい。まだ子供の嫉妬。 それこそ、大人が抱くような、ドロドロとしたものではない。 母親が自分に構ってくれない事に対する、子供の嫉妬だ。
 だが、だからと言ってこのままにしておくのは可哀想だ。
 誰がかというと、嫌われてしまったグリフォードが、だ。
 彼は何も悪くない。 むしろ悪いのは、“娘”たちの心情にまったく気付いていない鈍感なユキムラだ。そんな彼の所為で 嫌われてしまっているグリフォードのため、ユイは彼女らを諭す事にしたらしい。
「ねえ、フォーラとファータはボスのこと好き??」
「「大好き!!」」
 即答。
 それは、気持ちが良いくらいに。
「そう。ボスもね、二人の事大好きなのよ」
「だったらどうして?」
「どうしてファータたちと遊んでくれないの?」
「どうしてフォーラたちじゃなくてあの人とばっかりお喋りしてるの?」
「ファータたちの事好きじゃないの?」
「そんなことないわ」
 フォーラ、ファータの順で次々に繰り出され、いつ終わるとも知れない質問を、 ユイはやんわりと制した後、ゆっくりと彼女らに言い聞かせる。
「・・・あのグリフォードって人はね、ボスのとても大切な人なの。 独りぼっちだったボスを助けてくれた人なの。ボスの・・そうね、ママみたいなものなのよ」
「「ボスのママ?」」
 二人はそろって首を傾げる。
「二人はママの事、大好きでしょう? 同じように、ボスもママのグリフの事が大好きなのよ。 だから、二人がグリフじゃなくて私たちの方を好きになって! って言っても、 ボスは困ってしまうのよ? ボスはグリフの事も大好きだし、二人の事も大好きなんだから」
 何とか二人を納得させようと試みるユイだったが、フォーラとファータはまだ不服そうな表情を崩さない。
「あたしたちはボスが一番好きよ?」
「ボスの一番はあたしたちじゃないの?」
「う〜ん」
 そんな二人の言葉に、ユイは苦笑する。
 彼女らはただ純粋にユキムラの事が好きなのだ。
 彼に拾われた彼女たちには、彼が全てなのだろう。彼女らはユキムラだけを愛する事が許される。
 だが、ユキムラにはそれは許されないし、彼自身、それを望む事はないだろう。
 彼には、愛すべき人がたくさんいるのだ。
 守ると決めた、このcityの住民たち。 そして、フォーラやファータ。
 誰か一人だけを愛する事は、彼にはきっと出来ない。 それを望まれれば、彼はきっとひどく困るのだろう。
 最初は、ユキムラの所為で嫌われてしまっているグリフォードのためにフォーラとファータを諫めていたのだが、 だんだんそれがユキムラのためになってきているのを感じつつ、 ユイはもうそれでもいいかと自分を納得させると、二人に質問を投げかける。
「・・・ねえ、私は二人が大好きよ?二人は私の事嫌い?」
 それは話の筋を踏まない、唐突なものであったが、フォーラとファータは迷うことなく答えを返してきた。
「ううん。好き!」
「ユイちゃんは優しいモン!」
「「大好き!」」
「そう、嬉しいわ」
 お世辞なんかじゃない。心の底からの答えに、ユイも本心からそう答える。 けれど、続いて口にする言葉は、嘘のお願い。
「じゃあ、私とずっと一緒にいて?」
「「え?」」
「私は二人が大好きよ。だからずっと一緒にいたいの。ボスの所に行って欲しくない。ずっと私だけの傍にいて?」
 真摯なユイの眼差しと、その唇が紡ぐ懇願とに、フォーラとファータは困ったように顔を見合わせる。
「ねえ、私の事好きって言ってくれたわよね? だったらいいでしょう? ずっと私と一緒にいて。私とだけいて?」
「どうしよう」「どうしよう」と、ユイに返すべき答えを必死になって考えているのだろう。 互いに視線を交わす金色の瞳が落ち着きなく瞬いているのを見て、ユイはそろそろいい頃だろうかと、 意地悪な質問をやめ、静かに声をかけた。
「ね? 困るでしょう?」
「「!」」
 とユイに問われ、ようやく二人は彼女の言わんとしている事を悟ったらしい。 ハッとして顔を見合わせ、呟く。
「・・ボスも困るのね?」
「あたしがファータとだけ一緒にいて! って言ったら、困るのね?」
「そう。二人はボスを困らせたい?」
 よく分かったわね、と二人の頭を撫でてやりながら問うと、すぐさま二人は首を左右に振った。
「そうね。大好きな人は困らせたくないわね?」
 今度は大きく縦に首を振る。それから、ポツリと呟いた。
「でも、このままはイヤ」
「ボスとお話ししたい」
 俯いてしまったフォーラとファータに、ユイは明るく声をかける。
「だったら簡単よ。二人もグリフさんの事を好きになればいいの。 そうしたら、ボスとお話できるわよ? ボスと、グリフさんと三人で一緒に」
 そのユイの言葉に、二人は神からの啓示を見いだしたかの如く、瞳を輝かせる。 俯かせた瞳に浮いていた悲しい光は微塵も感じられない。
「・・そっか」
「そっか!」
「「うん!」」
 満面の笑みを浮かべた顔を見合わせた二人は、一目散にユキムラとグリフォードの方に駆けて行った。
 自分たちを諭してくれたユイへのお礼も忘れてしまっているが、ユイ自身、 そんな事は全く気にしていないらしい。遠ざかっていく二つの背中を見送りつつ、
「ふふふ。可愛い」
 なんて呟く。
 すると、少し離れたところで自分たちのやりとりを見守っていたアズマが寄ってくる。 そして、笑いながら、一言。
「一丁前に嫉妬してんのか? アイツら」
「小さくてもやっぱり女の子だもの」
 女の子としての嫉妬、と言うよりは子供が母親を思うが故の嫉妬だろうが。
「女の嫉妬は怖いわよ〜」
 と、笑いながら言ったユイに、アズマは「ふ〜ん」とだけ返した。
 つい、「・・・ああ。お前の嫉妬は凄そうだな」という、「どういう意味よ!!?」 と、ユイから殺気たっぷりの平手ツッコミを頂戴しそうな言葉が口をついて出そうだったが、 何とか口中で止めておく事に成功した。
「それにしても・・・」
「んぁ?」
 呟くように洩らしたユイに、くだらない物思いに耽っていたアズマは、間抜けな声を上げる。
 それを何ら気にすることなく、ユイは言葉を続けた。
「もう、外見とほとんど変わらないわね」
「・・・中身、か?」
「そう。それに、本当に人間にしか見えないわ」
「都筑のおっさんも、それを願ってたんだろうからな。いいことじゃないか」
「そうね」
 ユイのアドバイス通り、グリフォードとも仲良くする事にしたらしいフォーラとファータは、 さっそく二人にまとわりついている。
 急に機嫌の良くなった少女たちに戸惑いつつも嬉しそうなユキムラと、同じく顔をほころばせている グリフォードの姿を何とはなしに見つめつつ、ユイは微笑んで言った。
「・・平和ね」
「そうだな」
 返ってきた声の主も、微笑んでいるようだった。
「このまま何もなく、平和に暮らせるといいわね」
「そのために俺たちがいるんだ。何も起こさせやしない」
 視線だけでアズマを振り返ると、穏やかな表情の中に真剣な瞳が光っているのが見えた。
 それを認めたユイは、再び視線をアズマと同じ方に戻す。
「ええ、そうね。私たちが守るのね」
 続いて零れた言葉は、アズマにというより、彼女が自身に向けて言い聞かせるためのものだった。 ユイは、強い光を宿した瞳で、囁くように言った。
「そうよ。何も、起こさせやしないわ」
 絶対に。
 何も。




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