ユキムラはロビーを通り抜け、『家』を出る。
 降り注ぐ光が、先程バイクの部品回収から帰ってきたときよりも弱くなっている。見上げた空は、 オレンジ色に染まり始めている。もうすぐ、辺りは宵闇に包まれるのだろう。
 視線を空から戻すと、少し前を歩いているフォーラとファータの小さな背中があった。 駆けて行ったユキムラは彼女らの後ろに並ぶ。
 フォーラとファータは、もう泣きやんでいるようだった。 先程はフォーラがむーちゃんを抱いていたのだが、今はファータの腕に抱かれていた。
 最初、猫を『家』に連れて帰るときには、どちらかが抱いて帰るのかでもめていた。 それを、「順番に抱いて帰ればいいじゃないか」とユキムラは言って聞かせた。 その言葉を、彼女らは覚えているのだろう。
 こうして、一つ一つ学んでいくのだ。 今日、学んだむーちゃんの死を通して、きっとまた一つ大きくなっていくのだ。
「・・ここだったな」
 建物の影になるようにしてひっそりと佇んでいる木の前で、ユキムラは歩みを止めた。
 小さく頷いたフォーラとファータは、そのまま歩みを止めることなく緑に茂った枝の下を根本へと歩いていく。
 ユキムラはと言うと、何を探しているのかキョロキョロと辺りを見回した後、近くに落ちている鉄片を拾い上げる と木の枝の下に潜っていく。木の根本に座り込んでいる二人は、素手で土を掘り返そうとし ているようだった。そんな二人を止め、ユキムラは持ってきた鉄片で木の根本を掘り始めた。
 横に広がっているらしい木の根をちぎってしまうことを少々申し訳なく感じつつ、だが、フォーラとファータ のため、そしてむーちゃんのために勘弁してくれと詫びつつ、穴を掘り続ける。
 ユキムラが穴を掘る音を聞きながら、フォーラとファータは、今はフォーラの腕の中にいるむーちゃんを じっと見つめていた。
 今日、初めて死を知った。そして、死には悲しみという感情が付随する事を知った。 悲しみという感情は涙を誘うのだという事も知った。
 そして、その死、永遠の別れは、必ず誰しもに訪れるものだと言った、彼。
「「ボス」」
「なんだ?」
 呼ぶと、優しい顔をして振り返る彼。
 彼は、生きている。けれど、誰しもに訪れるという死は、 きっと彼にも訪れる。そして、自分たちにも。もし、そうなったとき、
「フォーラが死んだら…」
「ファータが死んだら…」
 むーちゃんが死んでしまったように、
「「痛くなる??」」
 彼も自分たちの死に、胸を痛めるのだろうか。
「悲しい?」
「泣く?」
 悲しむのだろうか。涙を流すのだろうか。
 返ってきた答えは、何処か怒ったような表情と共に。
「当たり前だろ。お前ら、オレにこんな痛い気持ちを味あわせたいのか??」
 返された問いに、左右に首を振る。何度も何度も振った。
 その時に、ようやく二人は理解する。


『痛いだろう? こんな気持ちになりたくないだろう?  誰にもこんな痛い気持ちにはなって欲しくないだろう?? 
 だったら、覚えておくんだ』


 大好きな人に、こんな痛い気持ちを味あわせたくない。
 そうして、自分の胸の痛みから、人の胸の痛みを知る。 知って、人を悲しませないようにならなければならないのだ。その事を、彼は言っていたのだ。
 耳元を、髪の毛がパサパサと叩く。それに構わず一生懸命首を振っていると、もういいとでも言うよ うに、温かな手が頭に添えられる。
「そうか。なら、絶対に死ぬなよ」
 自分たちが死んだら、彼は悲しむのだと言った。彼も、痛みを感じるのだ。こんな、耐えがたい痛みを。
 味あわせたくない。
「「うん!」」
 意識せず、声は重なる。
「「ボスもよ!?」」
 返ってきたのは、いつも通りの笑顔だった。
 それを認めた後、二人は再度やせ細ったむーちゃんの体を抱きしめる。
 穴を掘る音は、いつの間にか止んでいた。
 もう、お別れだ。
「「バイバイ、むーちゃん」」
 最後のお別れの後、二人はユキムラの掘ってくれた穴の中にむーちゃんの体を横たえる。
 辺りが暗くなっている所為で、茂った枝の下にいるそこでは、穴の中に入っているむーちゃんの姿を、克明に見る ことはできない。 穴の中に手を伸ばし、最後に二人はむーちゃんに触れる。
 これが、死。この冷たさが、死。
 指先に感じる冷たさを、忘れないように、そっと撫でた。
「ボス」
「もう、いいよ」
 むーちゃんの体から手を放し、自分を見上げたフォーラとファータの瞳に、もう涙は見えなかった。曇りもない。
「・・そうか」
 彼女たちの瞳に笑みを返した後、ユキムラは鉄片を使って掘り返した土を少しずつむーちゃんの体の上にかけていく。 すぐに小さな猫の体は見えなくなった。
 穴を完全に埋めたユキムラは、墓標の変わりに鉄片をその上に置いた。
 そんなに時間が経った気はしない。けれど、オレンジ色だった空は、 確実に夜の気配を深めていた。
 オレンジ色に混ざる夜色。ピンクに近い、明るい紫。 もう少ししたら、その空は深い紫に変わる。
 それは、ユキムラの瞳と同じ色。夕空が夜空に変わる直前、一瞬の色彩。
 美しくも儚い色彩の時間。
 夕闇と宵闇とのき間の紫。
「綺麗だね」
「空」
「そうだな」
 ポツリと呟いたフォーラとファータに、ユキムラも視線を空に向け、頷く。確かに、綺麗な空だった。
 次第に夜色に染まっていく空を見つめながら、唯一鼓膜を揺らしている風の音に耳をすませる。
 涼やかな風の歌声。
 ふとその中に、僅かに混じる別の音。敏感にそれを聞き取ったユキムラは首を巡らす。 建物が視界を遮っているため、その音の正体を見極める事は出来なかったが、 次第に近付いてくるその音には、聞き覚えがあった。
「・・・・バイクか?」
 間違いない。自分たちが足として使っているエアバイクの音だ。
 だが、今日バイクを使っている者はいないはずだ。となると、外の人間かもしれない。
 時折、cityを荒らし、金を強奪しようと目論む外の人間はいた。 特に、C−cityは子供たちばかりだ。荒らしたちにしてみれば、このcityは恰好の標的だろう。 その証拠に、まだcity間での武力抗争が盛んだった頃には、 近くのcityのグループがよくやってきたものだ。今ではそうしたグループ間、city間での争いはなくなっている。 互いのcityにむやみに干渉しないという事は、暗黙の了解になっていた。 外の人間だとするならば、この近隣のcityの人間ではないはずだ。
 そうした可能性に辿り着くと同時に、外の人間=ラジスタの人間なのではないかという大きな不安に結びついた。
 ただ、近隣のcityから誰かが遊びに来ただけかもしれない。
 と、楽観的に考える事は、さすがのユキムラにも出来なかった。 フォーラとファータの存在が、いやがおうにも警戒心を募らせる。
 彼と同じくバイクの音に気付いたのだろう。不安げに腕に縋り付いてくる二人を引きはがし、その背を押す。
「・・ちょっと、隠れてろ」
「「でも・・!」」
「いいか。オレがいいって言うまで出てくるなよ。いい子だから、な?」
 語気の強かった口調は、最後には子供をあやす優しい声音に変わっていた。
「「う、うん」」
 安心させるように、二人の頭を撫でてから、再度その背を押す。不安げな瞳のままではあったが、 二人はユキムラの言うとおり、近くの建物の陰に身を隠した。
 それを確認した後、ユキムラは音が聞こえる方に視線を遣る。
 まだその姿は見えないが、音の大きさから察するに、既にこのcityの中を走っているのだろう。 しかも、cityの中央。自分たちの『家』の方に向かって、だ。
(・・・・誰だ)
 警戒心ばかりが募る。自然と手は、腰のベルトに常備してあるレーザーガンに添えられていた。
「・・・・来た」
 角を曲がり、こちらに向かってくるその姿が見えた。まだ距離があることに加え、 辺りが暗闇に包まれ始めている時間帯だ。そのため、バイクの上に跨った人物の姿を明確に捉える事は出来ない。
 はっきりと分かることは、 そのバイクの進みに迷いがないのだという事。網の目状になったC−cityの中を、 いくつも存在する曲がり角でスピードを緩めることなく、そのバイクは進んでくる。
 その事がいやがおうにも疑惑と警戒心を募らせる。いよいよ目前に迫ってきたバイクに、 腰にやった手がレーザーガンを握りしめたその時、
「・・・・ん?」
 ふと、気付く。白いバイクの上の、黒い服の人間。
 白と、黒。その色彩には見覚えがあった。
「・・・・・・ああッ!」
「お」
 ユキムラが驚いたように声を上げるのと同時に、バイク上の男も声を上げ、 ユキムラの目の前でバイクを止めた。歳は30代前半くらいだろうか。 子供たちばかりのC−cityでは、なかなかお目に掛かることのない大人。金色の短い髪と、 鋭いブルーグレイの瞳。それを細めて、男はユキムラに笑みを向けた。
「よう♪」
 片手を上げてバイクから下りたその男の身長はユキムラを遥かに凌ぎ、 逞しいその体の前では、ユキムラも小さな子供のように映る。じっと見つめられたのが子供であったなら、思わず泣き出してしまうだろう鋭い顔立ちを しているが、彼が笑うとたちまちその鋭い印象は一掃される。とても快活で、優しい笑みだった。
「何だ? お出迎えか、ユキ?」
 破顔する男に、ユキムラは思わず飛びついていた。
「グリフ!!」
「久しぶりだな〜、ユキ」
 グリフと呼ばれた男が、飛びついてきたユキムラを笑いながら受け止める。
「お帰り、グリフ!」
「ただいま」
 ユキムラは「お帰り」と言った。彼は「ただいま」と返す。
 グリフと呼ばれた彼は、このC−cityの住民だった。 住民どころか、彼こそが、点在していた子供たちばかりの小さなグループを一つにまとめ、 このC−cityを作ったグリフォードその人だった。
 戦前軍医をしていたグリフォードは、戦争が終結した後、 一度は首都都市メインシティーに移り住んだものの、 すぐにFall cityへと出た、国を捨てた大人の内の一人だった。
 その理由は簡単だ。Fall cityを捨てた国のやり方。 そして、孤児に対する政府の政策−と呼べるようなものでもない−に対して大いに不満を持っていた。 だから、首都都市を出た。
 様々なFall cityを点々とし、時折怪我人や病人に治療を施し数年間至る所を旅し、 途中のFall cityでユキムラと出会った。何処のグループにも属さないでいた、 否、属せないでいた幼いユキムラを連れて旅を始めた。
 そして、このC−city−当時、名などはなかったけれども−にやってきたのだ。 このC−cityには、ユキムラのように大人が仕切るグループについていけなかった子供たちがたくさん集まっていた。 グリフォードとユキムラは、そんなC−cityに腰を据えることにしたのだった。
 そして、グリフォードとユキムラの下に、しだいに子供たちが集まり、一つの大きなグループになり、今に至る。
 だがグリフォードは、ユキムラやアズマが大きくなり、自分たちでcityを守れるようになった時、 cityを彼らに任せ、旅に出るようになった。そして 時折、彼は不意に帰ってきた。身寄りのない子供を連れて。
「急にどうしたんだ、グリフ! またチビでも・・・」
 と言いかけてユキムラは口を噤む。周囲に視線を巡らせたあと、 彼がまた行き場のない子供を拾って返ってきたわけではないのだということを悟る。
「今日は俺一人。ちょっとcityに帰って来たくなっただけだ。悪いか?」
「別に悪いなんて言ってないって。・・また3日とかで居なくなったりするなよ??」
「あはは。そうだな」
「グリフ、突然居なくなったりするんだからなァ。行くなら言ってってくれよな」
「言ったら言ったで、泣いて引き止められるからな〜。誰かさんに」
「い、いつの話だよッ! 今はオレじゃなくて、チビどもだ!」
「い〜や。ここのチビどもは、お前がチビだった頃よりも逞しいぞ」
「何だよ〜」
「で、ちょっと質問なんだがな、ユキ」
「何だ?」
「・・・・あそこからものスゴイ目で俺を見てる子たちは誰だ??」
「え?」
 グリフォードの視線を辿って首を巡らせてみれば、
「・・・・あッ!」
 そこでようやくユキムラはフォーラとファータの存在を思い出す。
 建物の影から、唇を尖らせ、顔全体で不機嫌さを表している少女たちが居た。
「悪い! もう出てきていいぞ」
 ようやくお許しをもらった二人は、猛ダッシュでユキムラの元へと駆けていく。 その勢いのままユキムラの腰に抱きつくと、「おいおい」と上から戸惑ったような声が降ってきた。 が、二人はユキムラに抱きついたまま離れようとはせず、目の前の大男を見上げる。
(・・・・誰〜この人)
(ボスと仲良しみたいだね)
 ユキムラに言われた通り建物の陰から“母親”と見知らぬ大男との接触を、 ドキドキハラハラしつつ見守っていれば、どうだ。ユキムラが今まで誰にも見せた事がないような幼い顔で、 その大男に懐いているのだ。大好きオーラ満開だ(何だそれは)。 その様子を見せられ、ドキドキハラハラが、イライラムカムカに変わる。
 互いに顔を見合わせると、目の前の顔は、唇を尖らせていた。おそらく、 自分もそんな顔をしているのだろうと思いつつ、
((な〜んか・・・ヤ!))
 どうにもその顔を直す事は出来そうにない。
「見ない顔だな。双子か??」
「うん、まあ、な。ちょっと前にココにきたんだよ。フォーラとファータだ」
 ム〜、と顔を見合わせていると、ポンポンと肩を叩かれ視線をユキムラに移す。 すると目の前にあるのは、いつも通り・・・いや、いつにも増して幸せそうな笑みのユキムラ。
 ますますムッとする二人を余所に、ユキムラはフォーラとファータにとっては初対面になるグリフォードの紹介を始めた。
「フォーラ、ファータ。この人はグリフ。グリフォード。オレの親父」
「おい。親父はないだろ親父は〜」
 そこまで歳はくっていないとグリフォードに小突かれ、ユキムラは笑いながら訂正する。
「まあ、百歩譲って兄貴みたいなモンだ」
 その答えで満足したらしく、グリフォードはユキムラの両腕にしがみついて自分を見 上げている少女二人に視線を移した。首を上げて自分を見上げている二人に気遣い、 地面に膝を突いて彼女らと視線を合わせたグリフォードは、驚くほど優しい笑みを見せた。 一瞬にして子供の警戒心を解いてしまうような笑みだった。
 だが、その笑みも、フォーラとファータの中に生まれた感情を解く事は出来なかったらしく、
「よろしくな、フォーラ、ファータ」
 と、声をかけたにもかかわらず、
「「・・・・」」
 何も返事が返されない。
 ますますユキムラの腕に顔を寄せ、半ば彼の背に隠れるようにして自分を見ている少女たちに、 グリフォードは困ったように笑った。
「あらら。どうやら嫌われたみたいだな、俺」
 その様子を見たユキムラが首を傾げる。フォーラとファータは、 このcityにきた次の日には子供たちと仲良くなっていたし、 ユキムラと同年代の少年たちとも臆することなく接していた。人見知りはしないと思っていたのだが。
「どうした? フォーラ、ファータ。このおじさん、見た目はゴッツイけど怖くないぞ??」
 初めて見る体格の良い大人に怯えているのかもしれないと思い、そう声をかけてみるのだが、 それでも二人は自分の後ろに隠れたままだ。これでは埒があかないと、 強引に二人をグリフォードの前に押しだそうとしてみるのだが、フォーラとファータはテコでも動こうとしない。 それどころかますますぎゅ〜っと腕にしがみついてくる。
 ユキムラと二人とが静かな戦いを展開していると、そこに介入してきたのはグリフォードだった。
「おい、ユキ。おじさんとかゴツイとか言うな!」
 そう言って、ぺしっとユキムラのデコをはたく。
 どうにかして二人を自分の前に出そうとしているユキムラに、もういいからという意味を込めてのものだ。
 その意図を察したのか否か、ユキムラはすぐにフォーラとファータを引きはがす事を断念し、グリフォードに視線を 戻すと口を尖らせ答える。
「いってェなー、もう。何だよ、ホントのことだろ〜。もうおっさんじゃん」
 と笑いながら軽口を叩くと、再びデコに、今度はデコピンをくらう。
「痛ぁッ! 今のはちょっと本気で痛かったぞ」
「今のはちょっと本気でヤったからな」
「うっわ、大人げないなーグリフは」
 と二人にしてみればいつも通りの会話をしていたのだが、 ここには彼らのいつも通りを知らない二人の少女がいた。更にその少女たちは、 グリフォードの事を良くは思っていないわけで。イヤなおじさんがユキムラマ マに手を挙げたのを見て 黙っていられるほど親不孝者ではなかったようだ。
「「ママを叩くな!」」
 突然声を上げたフォーラとファータに驚いたのは怒られたグリフォードではなく、ユキムラの方だった。
「あッ、こ、コラ!!」
「・・・・ママ?」
 案の定、グリフォードはこの場に似つかわしくない単語を敏感にキャッチして目を瞬いている。
 先程まではどうあっても自分の前に出ようとしなかったのに、今は自ら自分の前に立ち、 グリフォードを睨んでいる二人を、ユキムラは慌てて自分の後ろに引っ込める。
 グリフォードの訝しげな視線がユキムラを捕らえる。
「・・ママって、何だ?」
「お、おいおい、グリフ。おじさんじゃなくておじいちゃんって呼んだ方がいいのか? 耳が遠くなったんじゃないのかー?」
 あっはっはーと豪快に笑って見せ、あくまで聞き間違いだと主張してみるのだが、
「いや、確かにママって」
 生憎とまだ耳は遠くないのだと、グリフォードは反論する。
 そして、それを肯定するかのように、
「この人はフォーラのママだもん」
「ファータのママだもん」
「うわわわわわわ────────────ッ!!」
 グリフォードの前に飛び出し、フォーラとファータが堂々と宣言する。 しかも聞き間違えようもなく、一人一人がユキムラをママと呼んだ。呼んでくれやがった。
 ユキムラは既に手遅れだとは知りつつも、二人の口を塞ぐ。
 ボスと呼べと言ったその日から、彼女らはその言いつけをきちんと守っていたのに、 それが何故急にママに戻ったのだろうか。しかも、今。
 考えてみるが、ユキムラには分からない。
 だが、フォーラとファータには、今、彼をママと呼ぶきちんとした理由があった。 この人は自分たちのママだとグリフォードに主張したかったのだ。 この人は自分たちのママだ。あなたのママではないのだ、と。
 その感情に名を付けるとしたら、一番相応しいのは、嫉妬。
「・・・・・・・・・・・」
 突然の投下された爆弾発言に、グリフォードはしばし沈黙する。
 ようやく衝撃から立ち直り、ノロノロとではあったが、思考を巡らせ始める。 まず彼が考え始めたのは、そもそも『ママ』とはいったいどういう意味だったか、だ。
 ・・・かなり原点から考え始めたらしい。


 @ 母親を指して呼ぶ言葉。
 A 飲み屋やバーの女主人。


 明らかにAではないはずだ。彼をそんな子に育てた覚えはない。ならば、
「@か────────────────────ッッッ!!?」
「!!?」
 突然、頭を抱えて大絶叫をかますグリフォードにユキムラは、ぎょっとする。
 驚いた。驚愕したと言ってもいい。沈黙していたと思ったら、突然大声で叫び出す。 それは立派な奇行だ。驚かない方がおかしい。どうかしている。しかも、その叫んでいる言葉の意味が全く分からない。
 思わず後ずさるユキムラの肩を、逃がすか───! と捕まえ、更に彼はとんでもない事を叫んだ。
 その様は、さながら、若い娘を持った父親そのものだった。
「お前、いつの間に子供なんて産んだんだ────────!? いや、それよりも、 誰の子だ────────────ッ!!?」
 そのツッコミはアズマが既にした。という冷静なツッコミが出来るほどユキムラもまだまだ人間が出来ていなかったらしい。 人には絶対に聞かれたくない台詞を、これでもかと大絶叫するグリフォードに、ユキムラも負けじと絶叫で返す。
「アホかあああぁぁぁぁ────────────ッッッ!!!!!」
「まあ、落ち着け。ゆっくり話をしよう、な?」
「オレよりアンタの思考回路を落ち着けてくれ────────────!!!」
 頭を抱えて喚くユキムラの姿に、堪えきれずグリフォードは笑い始めた。
「いや〜。オマエはホントにからかい甲斐があるな〜」
「・・・・・・・」
 撃沈しているユキムラに構わず、グリフォードは視線をフォーラとファータに戻して問う。
「で、なんだってママなんて呼ばれてるんだ??」
「・・・そう、だな。グリフには話しておいた方がいいか」
 と、一人で納得した後、ユキムラはグリフの腕を引いて言った。
「まあ、とにかく『家』に帰ろうぜ。話はその後で」
「そうだな。よし、帰るか」
 ユキムラとグリフォードのくだらない漫才を、相変わらず拗ねた顔で見守っていたフォーラとファータは、 またまた自分たちの存在を忘れかけている母親の自覚の薄いユキムラをじと〜っと、擬音が聞こえてきそうなほど見つめる。
 ようやくその視線に気付いたのか、ユキムラが振り返り、二人を手招いて言った。
「おい、フォーラ、ファータ、帰るぞ。・・・何だ〜? なんでそんな不細工な顔してんだ?」
 息もぴったり、フォーラとファータの蹴りがユキムラを襲ったのは言うまでもないだろう。


 ───いつの間にか、日は沈んでいた。







← TOP →