都筑を見送ったその後、ようやく眠りについたユキムラが目を覚ましたのは、 太陽が地上を真下に見下ろす時刻になってからだった。 それでも、昨日、長い時間歩き続けた疲れはまだ取れてはいないらしい。目は覚めたものの、 なかなか体を起こす気力は生まれない。もう一度寝てしまおうかとも思ったが、 それも出来なかった。 「あ〜腹減った」 彼が目を覚ました理由もそれだ。 思えば、昨夜の昼食を最後に、飲み物以外口にしていない。腹が減るのも当然だろう。 「よし、起きる」 未だ眠りを欲している体に命令するように呟き、勢いよく体を起こす。 その拍子に何かが視界の隅で大きく揺れた。それと共に、鼓膜を揺らす小さな金属音。 「?」 いったい何だと漂わせた視線は、自分の胸元に辿り着く。 そこには、見慣れないものがあった。銀の十字架。 寝起きの頭を出来る限り早く回転させた後、ユキムラはそう言えばと十字架を手に取る。 「motherの証・・だったな」 彼の呟きに答えるように、繊細な銀の鎖が涼しげに鳴った。 それをかき消したのは、開け放ったままの窓から流れ込んできた、子供たちの笑声。 その声から察するに、隠れん坊をしているようだった。 ベッドを下りたユキムは、窓に寄る。体を乗り出し、天を仰げば、そこにあるのは気持ちよく晴れ渡った空。 地上を見下ろせば、無邪気に駆け回る子供たち。 窓枠に腰を下ろして眺めていると、どうやら隠れん坊はお終いにしたらしく、 わらわらと十数人の子供たちが『家』の前に集まってきた。 そんな子供たちの中に、フォーラとファータの姿を見つけたユキムラは、僅か に目を瞠る。 「・・・楽しそうだな」 思わずそう零した唇に浮かぶのは、優しい笑み。 彼の視線の先にいた少女たちは、本当に楽しそうだった。 昨日までは、表情を作る事を知らないかのように、 感情を表現し切れていなかった彼女らが、今は心から楽しそうに笑っていたのだ。 その笑みは、見ている方が心和むようだった。 不意に一人の少年と目が合う。栗色の髪の少年。トーラという名の少年だった。 ユキムラたちから見て、“チビたち”に分類される中では、お兄さん的な存在だ。 正確な年齢は分からないが、10〜12歳だろう。 おそらく同い年くらいだろう、クレアという少女と共に、 小さな子供たちの面倒を率先して見てくれている少年だった。 クレアとトーラは、ユキムラがこのcityに来て間もない頃に、 彼がグリフォードと共に拾った赤ん坊だった。クレアはcityのそば、 トーラはこのcityに捨てられていた。 戦後、荒れ果てた生活の中で子供を育てていくことは出来ないと、 育児を諦める親も多かった。トーラとクレア、そして、 このcityにいる幼い子供たちのほとんどが、そうして捨てられた赤ん坊だった。 「ボス〜! おっはよ〜!!」 ユキムラがおはようと声をかける前に、トーラが元気良く声を上げ、 ぶんぶんと大きく手を振る。 その声を聞いた他の子供たちも、まるで 「せーの!」と誰かが合図をかけたかの如く、そろってバババッ! と視線を向けてくる。 その様子に、一瞬異様さを感じたユキムラだったが、 自分の姿を認めた子供たちが口々に「おはよう」を言うその姿は、 微笑ましいものだった。すぐに引きつった笑みを消し、子供たちに軽く手を振った。 「ね〜、一緒に遊ぼう!」 「一緒に遊ぼう!」 そう声をかけてきたのは、フォーラとファータ。 「いいぞー」 少女たちの明るい表情に、何も考えず反射的に答えたのだが、 自分が空腹である事を思い出したユキムラは「あとでな」と付け加える。 すると、子供たちからブーイングを貰う羽目になってしまった。 「え〜ッ」 「なんで〜?」 「いっしょに遊ぼうよぅ」 「今から鬼ごっこするのー!」 「ずっと鬼やらせてあげるから〜遊ぼ〜!」 「いや、それあんまり嬉しくないって。ってか、鬼ごっこじゃないぞ、ソレ」 と、無邪気にとんでもなくありがたくない事を言って のけるおチビちゃんにツッコミを入れる。が、 そんなご丁寧にツッコミを入れている場合ではないと気付いたユキムラが、 遅まきながら弁解を始めようと口を開きかけたとき、 その先を越すように子供たちに向かって声をかけたのは、チビ組リーダー、トーラだった。 「まあまあ、あとで来てくれるって言ってるんだし、それまでみんなで遊ぼうよ。ネ? ボス、ご飯まだみたいだし、お腹空いてるのに鬼ごっこさせるのは可哀想でしょ?」 「トーラ〜」 トーラの優しい言葉に、ユキムラは感動する。トーラは昔から気の利く子供だった。 それに続いて口を開いたのは、同じくチビ組真のリーダークレアだった。 「そうそう。早くご飯食べさせてあげないと、可哀想でしょ? 後片付けするお姉ちゃんたちが。それに空腹で鬼ごっこに付き合わせて倒れ たれたら面倒だし。仕方ないから待っててやりましょう」 「・・・クレア」 と、感謝したいようなしたくないような─比率的に、 感謝したい気持ち23%。したくない気持ち75%。その他2%─ 非常に微妙なフォローをしてくれるクレアに、ユキムラは乾いた笑いを洩らした後、 気を取り直して子供たちに声をかける。 「そ、そうそう。朝飯食べてから行く」 「もう昼よ」 「ぐっ」 「もう、クレア! あ、ボス! 今日の朝ご飯美味しかったよ〜。早く食べておいでよ」 「残ってるといいけどね」 「もう、クレア〜!」 チビ組名物、飴のトーラと鞭のクレア。 それをた〜っぷりと堪能したユキムラは、口許を引きつらせつつ、 あとで行くからと再度声をかけ、窓から離れた。 「・・・・クレアは要注意」 何もしていないのに、極度の疲労を抱えている自分に気付き、 思わず呟いた言葉はそれだった。 クレアのそばにフォーラとファータを置い ておくのは教育上よろしくないのではないかと思い立った末に零れた、 非常に真剣な呟きだった。 クレアの成長をずっと見守ってきたユキムラだが、彼の記 憶が正しければ、もっと小さい頃は、クレアも可愛い子供だったのだ。 だが、いったい誰が何処でどう教育を間違ったのか、 いやに口達者な少女に育ってしまった。 その逆に、トーラは気弱な所はあるが、 非常に気の利く優しい子に育ってくれた。 その理由は、クレアの凶悪な面を教訓に、「ああはなるまい」という彼の自 覚の賜物ではないかとユキムラは勝手に思っている。 兎に角、あんな子供はクレア一人で十分だ。ましてやフォーラとファータを クレアのような子にしてしまったら、何と言って都筑に謝ればいいのか。 死で償うべきだろうか。 と、アホな事を真剣に考えている辺り、まだ脳みそが完全に覚醒しきっていないのか、 それとも、もともと彼の脳みそはこの程度なのか。 アズマならば間髪入れず後者を選び、声高に「ファイナルアンサー」と叫ぶだろう。 「よし、メシメシ〜♪」 さっさと服を着替え、準備をすませたユキムラは、 食事時は食堂に姿を変える1階のロビーを目指す。 駆け下りていく階段の途中で、ふと「ユイはオレの朝飯、とっといてくれてるかな」 と疑問に思いつつ。「残ってるといいけどね」というクレアのと〜っても 親切な言葉が思い出され、自然とユキムラの足が早まる。 子供の言う事をいちいち真に受けているあたり、やはり彼もまだ大人とは言い難いようだ。 「おはよー。・・・・・!!?」 と、元気の良い挨拶と共にロビーに降り立った彼を迎えたのは、 睨むような目つきで自分を見つめるメンバーの少年たち。 声をかけた瞬間に、勢いよく振り向かれたのにもビックリだが、 その視線の鋭さが怖い。 (え!!? オレ何かした!!?) 思わず自分の胸に手を当てて考えてみる。だが、 特に何も思い浮かばない。 つまみ食いもしていないし、 目覚ましにカエルを布団の中に放り込むといった悪戯も、 最近ではしていない。ならば何故、少年たちに穴が開くように見つめ られなくてはならないのだろうか。 ひたすら「?」を飛ばしているユキムラに、 少年たちが駆け寄って来る。 「ん? お!?」 「何だ?」と問う間も与えられず、両腕を掴まれ、 ロビーの奥まった場所に強制連行。冷たい床の上にポトリと落とされる。 見下ろしてくる少年たちの視線に、チクチクとつつかれつつ、 ユキムラはゆっくりと瞬きを繰り返した。 (・・・・オレ、拉致された? 何で??) 自分を壁際に追いやり取り囲む少年たちを見上げてひたすら首を傾げる。 そんなユキムラの仕種から、彼が自分たちの言いたい事を何一つ理解していないの だという事を悟ったらしい。一人の少年が「も〜」と 口を尖らせた後、ようやく彼に告げた。 「約束だったよな、ボス。あの子たちの事、教えてくれるって。忘れてただろ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!! 覚えてたに決まってるじゃないか、キミタチ」 「「「「「「「嘘つけ」」」」」」」 しまったぁぁああああ─────────────────ッッッ!!!! と顔中で表現した後では、覚えていたと言って信じてくれる人間はいない。 案の定、少年たちも一斉につっこんできた。なので、 「や〜、バレた? オレってば綺麗サッパリ忘れてたよ。あっはっは」 と、豪快に笑ってみたがそれで誤魔化されてくれる少年たちではない。 「で? あの子たちはいったい何なわけ??」 (・・・・い、いきなりだ。いきなり単刀直入にきた!!!) 焦る。 そう言えば、都筑博士の話を聞きたいという彼らを追い出すために、 明日教えてやるからと、そんな約束を交わしていた。 気持ちがいいほどすっぱりとその事を忘れていたユキムラは、 一瞬頭の中を真っ白にする。 だが、そのまま真っ白にしていても何も始まらない。 ようやく脳みそが覚醒したらしい。グルグルと回転を始める。しかもフルに、だ。 オーバーヒートまであと30秒。 「いや、あの・・・・な。え────────っと・・・・その────・・」 思いっきり歯切れの悪いユキムラに、容赦なく少年たちの視線が突き刺さる。 その痛みに耐えつつ、ユキムラはグルグルと頭の中で考える。 (どうする!!? 正直に話した方がいいに決まってるよな) まず出てきた答えは、それ。 だが、その答えに待ったをかける自分もいる。 このcityのメンバーは皆、家族のようなもの・・ ・いや、正真正銘の家族なのだ。嘘はついてはいけないし、 つきたくないのがユキムラの正直な気持ちだ。 だが、果たしてそれが本当に正しいのか。 きっと、否。 このことは、話してはいけない。 彼女らを、普通の少女としてここに置いてやるためには、 彼らに本当の事を話すべきでないのは、一目瞭然だ。 だが、何も言わなければ、彼らは約束が違うと大いに拗ねるだろう。 ・・・・・拗ねさせておけばいいんだよ。 ささやく悪魔は、 何故かアズマの声をしていた。いかにも彼の言いそうな台詞だったからだろうか。 それはさておき。だが、このcityのグループは、 信頼で成り立っているのもまた事実。だがしかーし、全てを打ち明ける事はできない。 (イテテテテテ) 突き刺さる視線が痛い。 痛すぎる。これはもう、兎に角、何か言わなくてはいけない。・・・ そう、でっちあげてでも何かを言っておいた方がいいだろう。 自らのポリシーには反するが、とにかく嘘を言うより他に選択肢はないらしい。 では、いったいどんなでっちあげをすれば彼らが納得してくれるのかだ。 (だ──────!!!!駄目だ─────── ッッ!!!) 時間切れ。 ユキムラの頭はオーバーヒートしたらしい。 (もう、どうにでもなれ!!) 半ばやけくそでユキムラは口を開いた。が。 「だから、実はアイツらはオレのぉおおおー??」 突然、体が浮いた。と、思ったら、目の前には地べたに座り込んだまま だった自分の腕を引き、立ち上がらせる救世主の姿があった。 どうやらユキムラ同様、今の今まで寝ていたらしいアズマだった。 ユキムラが少年たちに問いつめられているのを見て、「コイツじゃあ絶対にムリだ」 と判断したのだろう。正解だ。今まさに彼はとんでもない発言をし ようとしていた所だった。間一髪アズマは介入に成功する。 どうやら助けに来てくれたらしいアズマに、ユキムラがホッと安堵 の溜息をついていると、予想通り彼が自分の代わりに口を開いてくれた。 だが、その口から出た嘘というのが、 「あの子たちは今はもう滅んでしまったがとある国の姫君なんだ」 (・・・・・・ぅわーお!!) ベタである。ベタベタだ。素敵にベタすぎる。 「とある国の??」 「姫君〜!?」 「あの子たちが!!?」 「とある国って何処さ?」 案の定、少年たちはかなり訝しんでいる。 「アズマ。それは───ぶっ」 助け船を出されたユキムラ自身がその船を沈没させんと、 「それはないだろ、おい!」とツッコミを入れる前に、 素早く彼の口を塞いだアズマは、更に言葉を続ける。 「とある国ってのは、ξωΣζΘЙ島凵ケ℃£〒★♂◎?※♭国だ」 「「「「「「?????」」」」」 アズマの口にした国の名は、少年たちには理解不能な言語で綴られていた。 最後の方は既に人間の言葉ですらない。 おそらくアズマですら、もう二度とこの国名を正確に言う事は出来ないだろう。 その証拠に、「もう一度言ってくれ」と言われる前に素早く言葉を紡ぐ。 「みんなが知らないのも無理はない。小さな国だったからな。 このξωΞΣЩБ○∬♪♀i†♯?§国は・・」 「あれ? 国の名前、変わっ───」 「変わってない!! ま、まあ、とにかくこの国はラジスタと 対立してたんだ。だからΣωΞ○∬♪£〒ai¶¢Ψ島奄フ血を根絶やしにしようと、 あの子たちを追ってたんだ。都筑のおっさんは、アイツらの世話係だった! 以上」 「え? でも何であんな地下に?」 「くそ。そんなに細かくつっこむなよ。 ・・・・・・・・・・・冷凍保存だ。平和になるまで眠ってたんだ」 「え? あれ、ドールってヤツじゃねーの??」 「ああ。違ったらしいな」 ユキムラは半ば呆れた顔でアズマを見守っていたが、ふと我に返る。 ほとんどの少年が巧みなアズマの話術(エセ)を信じかけている中で、唯一、 訝しげな視線をアズマに向けている者がいる事に気付いたのだ。 オーディーだ。 彼は都筑の事をよく知っている。 彼が発明家である事。素晴らしいエンジニアである事。 決して彼が、どこぞの国の姫君の世話係であったはずがない事。 そして、あの少女たちが人間ではない事。 「オーディー」 オーディーがアズマに声をかけようとしたのを見て、 ユキムラは彼の名を呼ぶ。 それは小さな声だったが、彼には届いたらしい。 ユキムラと視線を合わせた後、オーディーはアズマの肩を叩 こうとしていたその手を、おろした。 「今は黙っててくれ」ユキムラのそんな思いを受け取ったようだった。 オーディーが黙ったのを見て、ユキムラは視線で彼に「悪い」と詫びて から、アズマに視線を戻す。 彼はまだ頑張り中だった。少年たちもなかなかし ぶとく食い下がっているようだ。 ユキムラは、完全に傍観者を決め込む。 「でも、アズマー。なんで、ボスはママって呼ばれてたんだ?」 そんな少年の問いに、アズマはとんでもない事をサラリと言ってのけた。 そのとんでもない事というのは、ユキムラが思わず傍観者の立場を棄権しようかと思 うほどのものだった。 「それはな、コイツが王妃様に激似だったらしい」 「はァ!!?」 「「「「「「あ〜ナルホド!!」」」」」」 目をむくユキムラを余所に、そろって納得する少年たち。 少年たちがアズマの嘘に納得してくれたのは非常に喜ばしい事ではある。 が、その納得してくれた嘘の内容がいただけない。 自分が女に見えると暗に言われ、それを思いっきり肯定されたのだ。 「え〜、それはないだろ〜」と言われた方がまだ嬉しかった。 傍観者を決め込んだユキムラだったが、思春期真っ盛り −果てしなく関係ないかもしれないが−な彼的に、 そこは黙ってはおけなかったらしい。思わずユキムラが、アズマにつっこもうかと口を開くと、 「おい、アズ・・・・・!!」 お前は黙ってろ!!!! と、アズマの心の声が聞こえた。聞こえてしまった。 (・・・・・テ。テレパシー!!?) 彼との付き合いは長い。なので、波長が合えばそれも可能ではあったかもしれない。 だが、それは付き合いの長さ云々よりも、 「俺の努力を無にするつもりか、あァん!!?」という、 アズマの強力な念によるものが大きいような気がした。 アズマからテレパシーと共にユキムラに送られたのは、驚くほどに冷たく鋭い視線。 眼力で人が殺せるのならば、ユキムラは今この瞬間に即死していただろう。 ユキムラが固まっている間にも、アズマの物語は展開していく。 ・・・・・もう止めようがない。止めたら確実に殺される。 そう察したユキムラは、おとなしく傍観者に徹する事に決めた。 「実は、都筑博士からアイツらを守るように頼まれたんだ。 コレからみんな宜しく頼むぞ。あ! ただしチビどもには言うなよ。 外の人間にバレたら大変だからな。普通に接してやってくれ」 「「「「「「分かった」」」」」」 「よし、説明終了。行くぞ、ユキムラ」 「お、おう!」 逃げるようにしてその場を去るアズマに連れられて、 ユキムラも少年たちの輪の中から抜け出る。 そのままアズマに引っ張られるようにしてロビー中央のソファに腰を下ろすと、 タイミングを見計らったかのように、ユイが二人の前に朝食の並んだ皿を置いた。 おそらく、ずっと彼らのやりとりを見ていたのだろう。 「ご苦労様」 その表情には、堪えきれない笑いが浮かんでいる。 彼女も、アズマの素敵なでっちあげを聞いていたらしい。 笑いを堪えているユイをチラリと一瞥し、いただきます、 と手を合わせたアズマは朝食を口に運び始める。 ユキムラも彼に倣い、食事を開始する。 しばし無言のまま食事を進めていると、ポツリとユキムラが言った。 「・・・・・スッゴイな、オマエ」 色々と。 という言葉は削除した。「色々って何だ!!?」 とつっこまれるのがオチだ。問いつめられれば、詐欺師の才能があるとか、 なかなか少女趣味な妄想をするんだな、とか、 アズマに殴られる事必至な言葉しか口にできなかっただろうから、 なかなか懸命な判断だったといえるだろう。 「どうも。・・・でも、オーディーはダメだな」 オーディーだけが最後まで疑わしげな視線で自分を見ていた事に、 彼も気付いていたらしい。 「だな。・・・・アイツには話しておくか」 「ああ。それがいいな」 こうして話している今でも、背中にオーディーのものだろう、 視線を感じる。 その事を無言で確認し合った二人は、 皿に載せられた朝食を口の中に放り込み、早々にゴチソウサマを告げると席を立った。 オーディーを呼び寄せようかと首を巡らせたユキムラだったが、 彼の姿を少年たちの中から見つけるよりも先に瞳に飛び込んできたのは、 眩しい金色。その金色の髪をフワフワと揺らしながら駆け寄ってくるのは、 フォーラとファータだった。 「「ママ、ママ、ママ──────!!!」」 ロビーにいた少年たちの瞳が、一斉に二人の少女と、 ついでママと呼ばれたユキムラに注がれる。 「ママ! 来て来て〜!!」 「ママ〜!!」 「/////」 大声で連呼される“ママ”という単語に、さすがのユキムラも赤面する。 昨夜は「ママか〜」なんて微笑ましくも思ったのだが、やはり恥ずかしい。 そんなユキムラの思いを察したのか、隣に立ったアズマが言った。 「・・・呼び方、改めさせた方がいいんじゃないのか?」 「・・・そうする」 早く遊ぼうと催促しにきたのか、それとも何か面白いものでも見つけたのか。 一目散にユキムラの元まで駆けてきた二人は、何も言わずに彼の腕を引っ張り始めた。 「もう少し待ってくれ。ちょっとまだ・・・」 「いい。行けよ」 有無を言わさず自分を引っ張っていこうとするフォーラとファータ を引き止めるユキムラを制したのはアズマだった。 「オーディーには俺から話しておく」 だから遊んでやれ。そう付け加え、アズマはユキムラの背を押す。 「・・さんきゅー」 ここはアズマの厚意に甘えることにしたユキムラは、 二人の少女に手を引かれるまま、『家』を出た。背中に、ママと呼ばれている 自分を笑う、少年たちの視線を感じながら。 『家』を出たユキムラは、いったい何処に向かって いるのやら知らされぬまま、右手をフォーラ、左手をファータに引かれ、小走 りに二人の後について行っていた。 ふと見上げた空は、快晴。青い空と、白い雲。青と白。 それは、目に鮮やかなコントラスト。 その空に思い出すのは、 怯えた瞳で空を見上げていたときの事。青い空に飛ぶ、黒い影。 鳥ではない。 鳥よりももっともっと大きな、黒い影。 地上に鉄の雨を降らせた、黒い死の鳥。 戦争が終わって9年の時が経った。 それでも、不意に思い出すあの日の空。それは、自分の中にもまだ戦争の傷跡が 残っている証なのだろう。 「ママ、どうかしたの?」 「お空に何かあるの?」 フォーラとファータの声に、ユキムラは空から地上へと視線を移す。 すると、金色の瞳とぶつかった。フォーラとファータが歩みを止め、 自分を見上げていた。もしかしたら、歩みを止めたのは彼女たちではなく、 自分だったのかもしれない。 もう一度、天を仰ぐ。 そこにあるのは、青い空と白い雲。黒い鳥は、もう、飛んでいない。 きっともう、飛ばない。 代わりに空を泳ぐのは、青に溶け込む、青い鳥。 ぴぃぴぃ、と、甲高いけれど決して耳障りではない声で鳴いていた鳥の姿。 自分の肩にいつも止まっていて、時々、空高くを目指した鳥がいた。 今は、いない。 この肩にも、見上げた空にも。 蘇るその記憶は、一瞬、ユキムラの胸に冷たいものを落としていったが、それもすぐに消えた。 「「ママ?」」 腕に感じた温もりに促されて。巡る記憶は止まる。 「・・・・いや、何もないな」 そう答えたはしたものの、それでも空から視線を外さないでいるユキムラに、 フォーラとファータは不思議そうに顔を見合わせた後、 彼がそうしているように自分たちも空を見上げる。 彼の言うように、そこには雲以外何もなかった。 瞳に映るのは、空。 そして、ユキムラ。 自分たちはいつだっ て彼を見ているのに、彼は自分たちを見てはくれない。空にいったい何があるの だろうか。それとも、彼はそこに何かを探しているのだろうか。ただただ 、空を見上げているユキムラ。そんな彼の意識の中に、今自分たちはいないのだろう かと考えると、胸が苦しくなった。 その感情の名前を、彼女たちはまだ知らない。 風が、通り過ぎていく。 それ以外、何も聞こえない。 ユキムラに触れている手が、温かい。 自分たちにはない温もり。それが少し淋しくあるのと同時に、 この人がいつだって与えてくれるのだという安堵感とが胸の中をグルグルと回る。 回る。 グルグルと。 回る。 グルグルと。 止まらない───。 「さあ、行くか」 ───止まった。 唐突に降ってきた若草色の声に、フォーラとファータは視線を空からユキムラに移す。 「何処に連れて行ってくれるんだ?」 眩しい笑顔と、その後ろに垣間見える空の青、雲の白。 その瞬間、彼女たちの空には、彼がいた。愛しい、 “母親”の姿が。 瞳に焼き付いたその景色が、暖かな気持ちを二人に与えてくれる。 顔を見合わせて、二人は笑った。 「? どうした? 急に」 不思議そうに瞳を瞬かせるユキムラに、二人は声を揃える。 「「嬉しいの、今」」 「・・・そうか」 何がだ? と問うことなく、ユキムラはただ笑みを返した。 ───あなたがいるから。 ───あなたといるから。 何がと問えば、彼女らが返した答えはそれだっただろう。 「こっち!」 「こっちなの、ママ!」 言って、二人は再び駆け出す。 自分の手を引く二つの小さな手が、 温かく感じる。 体温を持たない彼女らの手を、何故温かく感じるのだろう かと疑問に思ったが、その疑問は一瞬ではれる。 自分の手が、彼女ら の手に温もりを移しているのだ。 その事実が、素直に嬉しい。冷たい手は 、淋しい。手を差し伸べても、誰にも温めてもらえない冷たい手は、淋 しいものだ。冷たくても、差し伸べたその手を温めてくれる手が待っているのは、幸せ な事だと、思う。きっとそれは、彼女らにとっても同様だろう。温めてもらっ た手が、今度は誰かを温める。その事実が、嬉しい。 「フォーラ。ファータ」 声をかけると、駆けている足は止めぬまま、二対の大きな瞳が自分を振り返る。 「ボス、だ」 「「・・・ボス??」」 不思議そうに繰り返す。 「オレの事、ママじゃなくて、ボスって呼んでくれ。ママと、同じような意味だ」 ユイが聞いたのなら、「嘘教えないでくださいよ」 と文句の一つも零しそうだったが、フォーラとファータは、その言葉に納得したようだった。 「「ボス、ね?」」 「そうだ」 確認する声に、頷くと、二人は口の中で「ボス、ボス」 と、覚えるように繰り返した後、声を揃えていった。 「「ボース!」」 「ん? 何だ?」 「「えへへ。何でもなーい」」 「何でもないなら呼ぶな─────────────────ッ!!!」 なんて大人げない事は言わない。嬉しそうに自分の事を呼び、笑いかけてく る二人に、ユキムラも笑顔を返した。すると、更に嬉しそうに目を細めて、 二人は笑う。その笑みが、 眩しい。頭上から自分たちを照らす陽の光にも似た笑顔。 再び、ユキムラは空を見上げた。 フォーラとファータに預けた両手を引かれるがままに、 歩を進める。小走りに進んでいる所為で、瞳に映る空が、 大きく揺れていた。その様は、幼い頃に見た海を、彼に思い出させる。 青だ。 そこには、今彼の見上げている空と同じ・・否。空よりも 深い青を呈した景色が、延々と広がっていた。 揺れる青。 そして、 揺れる青の隙間に、現れては消える、白い波。鼓膜を揺らす、心地良い 波の音。頬を撫で、髪を弄ぶのは、潮風。掌に感じる温もり。 それは、ひどく懐かしい記憶。 けれど、海以外、思い出せない。誰と行ったのだろう。何 処の海に行ったのだろう。どうして行ったのだろう。 思い出せなかった。お そらくは、物心が付かない頃に、母親が連れて行ってくれたのだろう。そして、初めて見 る海に、幼い頃の自分はひどく驚いたのだろう。その時の強烈な海の印象と 、隣で自分の手を包む優しい温もりだけが、自分の中に焼き付いて、残っている。 寄せては返していく波の奏でる音。その中に混じる、高い音。 (・・・・鳥) 鳥の鳴き声。 海面を撫でるようにして飛んでいく白い鳥の声。あの鳥の名を、自 分の手を握っていくれていた誰かが教えてくれたはずだ。いっ たい、何という名前だったか。 そして、今朝方、鳴いていた鳥の名は、いったい何と言うのだろうか。 ぼんやりと空を眺めながら考えていたユキムラは、目の前の少女たちが足を止め た事に気付かなかった。フォーラとファータにぶつかってようやくユキムラは自分が彼女 らの目的の場所まで辿り着いたのだという事を知る。 「うわ、っと」 「「きゃッ」」 「悪い!」 思い切りぶつかってしまったために、 小さく悲鳴を上げてよろけた二人に謝ると、すぐに「「いいよ〜 」」と、笑顔が返ってきた。それにホッと息をつくと、ユキムラは辺りに視線を巡らせる。 すぐその視線に入ってきたのは、緑。背は低いけれど、緑の葉 を茂らせた枝を、横へ横へと広く伸ばす木。何という名なのかは知らないが、 このC−cityには、その木が至る所に生えていた。崩れた建物の下から、 瓦礫を持ち上げるようにして生えている木もある。植物の生命力には、感嘆する。 「「ボス、連れてきたよ〜」」 フォーラとファータがそう声を上げて木に向かって駆け出してい く。 そこでようやくユキムラは、木の根本に座り込んでいる二人の子供に気付く。 陽の光を遮る木の枝の所為で、それが誰かを判別する事は出来ないが。 ユキムラもフォーラとファータに習い、子供たちの方に足を向ける。 低い枝ではあ ったが、幸い腰を屈めなければならなくなるのには、未だユキムラの身長は足りていないらしい。 視線を上げると、すぐ近くに丸い緑の葉が見えた。 ふと、歩みを止める。 「・・・近付いたな〜」 小さな声で、呟く。 今では、頭のすぐすぐ上にあるこの枝を低いと感じるのだが、 このcityに来た頃は、こんな木でもとても大きく見えたものだった。 あの頃は、本当に小さかった。この木は、自分の小さな体をすっぽりとその緑の枝 で覆い隠してくれた。そうして木の根本で蹲っていると、いつだって腰を屈 め、歩きにくそうにしながら、自分を迎えに来てくれた人がいた。迎えに来て、手を差し伸べてくれる人が居た。 冷たい手を、温めてくれた人。 自分もいつ か、腰を屈めなくてはこの木の下を通る事が出来なくなるくらい大きく、彼 のように大きくなりたいと思ったものだった。 もう少し、だ。 「「ボス〜!」」 彼を現実に引き戻したのは、フォーラとファータの明るい声。 「「早く」」と促され、「悪い」と詫びたユキムラは、再び歩を進める。 (今日は、色々思い出すな〜) ふとした拍子に、蘇ってくる過去の記憶。 何故だろう。何が、 自分に過去を思い出させるのだろうか。 懐かしい、母親を呼ぶ“ママ”という響きの所為だろうか。それと も、何年ぶりかに聞いた鳥の鳴き声が、自分の中に『何か』を連れてきたのか。 理由は、判然としない。けれど、不快感はない。 「お。何だお前らか」 木の根本まで行って、ようやくユキムラはそこに座り込んでいる子供たちが誰 かを知る。 栗色の髪を揺らしながら振り返ったのは、トーラとクレアだった。 髪と同じブラウンの瞳で振り返り、嬉しそうに目を細めるトーラと、 「何だとは何よ」 と言って唇を尖らせながらモスグリーンの瞳を細めユキムラを見遣るのはクレア。 生意気な物言いのクレアにユキムラが言い返す前に、フォーラとファータがタイミ ング良く彼の手を引いた。 「ねえねえ」 「この子この子」 「この子って、どの子だ?」 二人に手を引くまま、トーラとクレアの隣に腰を下ろしたユキムラ は、二人の口にしたこの子だ誰なのかを知る。 「・・・・猫?」 思わず、疑問系。 木の根本に体を丸くして眠っている灰色の小さな塊。 僅かに上下する痩せこけた胸と、見るからに栄養の行き渡っていないボサボサの毛並み。 体にピタリと寄り添わせている細い尻尾と尖った耳とで、その塊が猫で はないかと、辛うじて判断を下す事が出来た。 「フォーラとファータが、どうしても連れて帰りたいって」 「だから、ボスに聞いてみなくちゃ分からないから連れてきてって言ったのよ」 困ったような顔をしているトーラとクレア。 自分たちではどうにも判 断がつけがたかったらしい。彼らは幼いながらも賢い子供だ。小さな子供たちの 多い上に、猫までつれて行っては、年長者たちの迷惑になるのではない かと考えたのだろう。彼らの気遣いに、ユキムラは二人の頭を順に撫でる。 「そっか。ありがとな」 素直に喜ぶトーラと、子供扱いしないでよと唇を尖らせるクレアとに笑いか けた後、ユキムラは猫に視線を遣る。周りでフォーラとファータが、きゃっきゃきゃっきゃ 騒いでいるというのに、その猫は何の反応も示さない。ひどく弱っているようだった。 「「ボス〜」」 甘えるようにすり寄ってくる二人に、ユキムラは苦笑する。 彼女らの言いたい事は分かっている。 「・・・・猫、飼いたいのか?」 「「うん!」」 案の定、二人は大きく頷く。 それを見たユキムラは、う〜んと唸ると、再びその視線を猫に移す。 体を丸めているのと、痩せている所為で、最初は子猫だろうかと思っ たのだが、よく見てみると、それなりに体は大きい。子猫でないのなら、世 話もそう大変ではない。フォーラとファータにも十分に出来るだろう 。 そこまでの考えに至ったユキムラは、隣で自分の返事を待っているフォーラとファータに視線 を遣った。 「フォーラ、ファータ」 「「なァに?」」 「この子を連れて帰ったら、世話をしてあげなくちゃいけないんだぞ。 ご飯をあげて、お腹をすかせないように、凍えないように、守って あげなくちゃいけないんだぞ。それは分かってるか?」 訊ねると、二人は顔を見合わる。 「お前たちが、この猫の母親に・・・ママにならなくちゃいけないんだ。なれるのか?」 その問いに、今度は間髪入れず答えが返ってくる。 「「なれる!」」 探るように二人の瞳を交互に見つめる。返ってくる眼差し は、その返事同様に真っ直ぐだった。それを認めたユキムラは、瞳を細め口許に笑みを戻す。 「分かった。じゃあ、今日からこの子は、オレたちの家族だ」 「「わ〜い」」 ばんざーい! と聞こえてきそうな程、綺麗に両手を上げた二人に 、ユキムラは笑う。そんな彼の腕を、遠慮がちにトーラが引いた。 「ねえ、ボス」 やはり遠慮がちに声をかけてくるトーラに、ユキムラは首を捻る。 「何だ?」 遠慮しなくてもいいという意味を込めて、優しく促すと、 トーラはチラリとフォーラとファータの方を一瞥し、 彼女らが自分たちの会話を聞いていない事を確認したあとで口を開いた。 「あのね、ボク思うんだけど、あの猫、病気なんじゃないかな」 「私もそう思う。あの痩せ方はちょっとおかしいもの」 それも、二人があの猫を『家』に連れて帰る事を渋った理由の一つらしい。 二人の言葉に、ユキムラは何も答えず、猫を見遣る。先程 まで木の根本に蹲っていた猫は今、ファータに抱えられていた。相変 わらずぐったりとしている。 病気かもしれない。それはユキムラもその猫を見たときにそれを感じていた。 「いいの?」 あの猫を本当に連れて帰ってもいいのかと問うトーラに、 ユキムラは僅かな逡巡の後、首を縦に振った。 「多分、大丈夫だろう。それにちゃんと世話をしてやったら、治るかもしれないしな」 楽観主義万歳! な、彼らしい意見である。だが、 ここにそれをつっこむ人間はいなかった。 トーラとクレアも、口では 「大丈夫なのか」と問いつつ、珍しい猫を連れて帰りたいという気持ちはフォーラやファータ と同様だったらしく、 僅かに表情を綻ばせている。 それを目にしたユキムラも、思わず笑みを零す。 と、不意に耳に入ってきたのは、フォーラとファータの声だった。 「ダーメ! フォーラが抱っこするの!」 「違うよ! ファータが抱っこするの!」 どうやら、どちらが猫を抱いて帰るのかでもめているらしい。 「あ〜コラコラ」 喧嘩を咎める、というよりも、フォーラの手に渡ったり、 ファータの手に渡ったりしている猫が哀れで、ユキムラは二人の間に割って入る。 「順番にしろ、な?」 「「う゛〜」」 と、しばらく口を尖らせていた二人だったが、 「フォーラ。ファータ」と、宥めるようにmotherに言われては仕方がない。 順番に抱いて帰るという事で納得したようだった。 じゃんけんをした後、どうやら勝利したらしいファータがフォーラから猫を受け取って 意気揚々歩き始める。その後を、少々ぶすくれたフォーラが追いかけていった。 遠ざかっていく少女たちの後ろ姿を、ユキムラとトーラ、クレアは見送る。 吹き荒れていた風が凪いだように、静けさが訪れる。 足を放り出し、木の幹に背をもたせると、僅かな葉擦れの 音が静寂に介入してきた。それを皮切りにしたかのように、風が鳴く。 結ばず肩に流していた髪が、耳元で鳴っている。それを聞きながら、ユキムラは瞼を下ろす。 心地の良い風だった。 「いい風だね〜」 優しい風に、トーラもユキムラと同じ気持ちだったらしい。 呟くように言った後、ユキムラが地面に投げ出している足を枕代わりに、 トーラは地面に横になる。 「・・・二人とも、こんな所で寝ないでよ?」 呆れたような声ではあったが、その言葉にいつもの小生意気さはなかった。 「もし寝ちまったら、夕飯時になったら起こしてくれな〜」 「ボクも〜」 「はいはい。忘れなかったらねー」 本当に眠ってしまいそうな二人を見て笑いながら、 クレアは立ち上がり、歩き出す。それに気付いてトーラも体を起こした。 「クレアー? ドコ行くの??」 「フォーラとファータのトコ。なんか心配なのよね〜」 「ボクも行くよ」 言ってトーラも立ち上がる。じゃあねと手を振って駆け出そう とするトーラとクレアを、ユキムラは引き止める。 「フォーラとファータのコト、頼むな」 そろって首を傾げる二人に、ユキムラは自分の言葉が足りなかったようだと、付け加える。 「何て言うか・・・・アイツらはちょっと・・普通の子とは違うだろ?」 迷ったあげく、曖昧にそう口にすると、トーラとクレアは 小さく頷いて見せた。利口な彼らは、フォーラとファータが普通の女の子ではない 事に気付いているのだろう。 「だから、何かあったらすぐオレに知らせてくれ」 いつも、フォーラとファータにべったりくっついてはいられない。 おそらく、最も彼女らと一緒にいる時間が長いのは、年代も同じくらい なトーラとクレアだろう。再度、「頼むな」と声をかける。 フォーラとファータはいったい何者なのか。そんな疑問が浮かばな いはずはない。けれど、トーラもクレアもそれを問いつめる事はしなかった。リーダ ーである彼は、彼女らの事を“普通の子とは違う”と言った。それ 以上何も言わなかったのだから、自分たちはそれ以上の事を知らなく てもいいのだろう。そう判断したのだ。それは、彼への絶対の 信頼があるからこその判断。 「うん! 任せておいてよ」 「言われなくても、大丈夫よ」 思い思いの言葉が、二人の口から零れる。その言葉は それぞれ違っても、請け負ってみせるその姿勢は二人とも同じ。 「私がバッチリいい子に育ててみせるから」 とクレアが拳を握りしめるのを見て、ユキムラはハッとする。 彼の中で、クレアは要注意人物に指定されているのだ。 「・・・・・・トーラ」 おいでおいでと手招きをし、トーラを呼び寄せたユキムラは、彼の耳元で、 「よろしく頼む!」 あの二人がクレアに染まらないよう見張っていてくれと、真剣に頼み込む。 その頼まれた内容が、フォーラとファータを見守る事だけでな い事を悟った賢いトーラは、 「そっちも、大丈夫!」 と、ユキムラに合わせ、小声で親指を立てて答える。 ヒソヒソと目の前で交わされる内緒話を咎める事もせ ず、クレアは彼らに背を向け、一言。 「今日の夕飯、2人分減らしておいてもらわなくちゃ」 うふふと愛らしく笑いながら、 顔を見合わせているユキムラと トーラを置いてクレアはかけ出していった。 ((・・・・2人分って誰と誰!!?)) それは、彼女に問うまでもない事だった。 どうやら自分たちの会話の内容を悟り、報復とし て夕飯抜きにしてくださるつもりらしい。 「「クレア〜!!」」 ホホホホホホホホ。と高らかに笑いつつ『家』を目指し爆 走しているクレアを追って、ユキムラとトーラも木の下から駆け出したのだった。 それは、相変わらず青く澄んだ、空の下───。 |