ロビーを出、暗い階段を上っていったユキムラは、二階に上がってすぐの部屋の前で歩みを止めた。 210と刻まれたプレートを抱えた木製のドアを押し開けると、自分の後ろにいる少女たちに、 中に入るよう促す。二人がおとなしく部屋に入った後、ユキムラも部屋に入り、ドアを閉める。 月明かりのおかげで、電気を灯していないにもかかわらず、部屋の中は十分に明るかった。 「今日からココがお前らの部屋な。あ、二人一緒でいいよな?」 部屋の中をキョロキョロ見回している二人に訊ねると、「「うん!」」 という元気の良い返事が返ってきた。時間はもう遅いが、眠気はないらしい。 と、そこまで考えて、ユキムラはふと疑問に思う。 (・・・・コイツらって、寝るのか??) もう遅い時間だから眠いだろうと思い部屋まで連れてきたのだが、 この少女たちは人間ではない。もしかして、眠りは必要ないのだろうか。 考えても自分に答えが分かるわけがない。仕方なくロビーに下りて都筑に訊 ねてみようかとも思ったのだが、それも面倒くさい。 「フォーラ、ファータ」 本人に聞いてみるべく名を呼ぶと、ベッドの上で飛び跳ねていた少女たちが、 弾かれたように振り向き、駆け寄ってきた。 「お前らってさァ。え〜っと・・」 「「なァに??」」 どう訊ねていいのやら、良い言葉が思いつかなくて口ごもるユキムラを見上げて、 フォーラとファータが愛らしく首を傾げる。それに促されるようにして、ユキムラは思い切って訊ねた。 「お前ら、寝るのか??」 直球、ストレート。自分の問いたい事が分かってくれただろうかと、 不安げな面持ちで二人の返事を待つと、意外にもすぐに答えが返された。 「うん。眠い」 「ファータも眠い」 どうやら眠る機能も付いているらしい。本当に、何もかもが人間と同じだ。 言われてみれば、自分を見上げてくる二対の瞳が、せわしなく瞬いている。 表情がまだ乏しい所為か、注意深く見なければ分からないが、どうやら眠たいらしい。 「そうか。じゃ、今日はもう遅いし、寝ろ。な?」 「「うん」」 そろって首を縦に振った二人の頭を撫で、ユキムラは彼女らの背を押し、 ベッドに促す。 シパシパする瞳を手の甲でこすりながら、二人はユキムラに促されるままベッドに横になる。 そっとかけられたシーツからはお日様の香りがした。 ベッドの脇に膝をついたユキムラは、仲良くシーツにくるまる二人に微笑みかける。 「じゃあ、お休み」 「「お休みなさい」」 「オレは隣の部屋にいるし、その隣にはアズマもいる。何かあれば呼べよ」 「「うん」」 「じゃあ───」 再度、お休みを言ってベッドの傍から離れようとしたユキムラだったが、不意にその動きを遮られる。 抵抗を感じた部分に視線を遣ってみると、フォーラの手が、服の袖を掴んでいた。 自分を見上げる二つの瞳も、ユキムラが部屋から出て行く事を引き止める。 その瞳が訴えるのは、初めての部屋に、二人きりにさせられる不安ではない。 その事を察したユキムラが、疑問に目を細める。 「どうした?」 「「・・・・いいの?」」 僅かな逡巡の後、二人は声を揃えて問うてきた。 「・・何がだ??」 「フォーラたち、」 「ココにいてもイイの?」 「────」 その見上げる瞳が不安に揺れるのを見て、ユキムラは悟る。ただただ黙って座っていた彼女たちに、 自分たちの話など分かっていないのだろうと思っていた。 だが、それは違ったのだ。 ロビーでの話の全てを、少女たちは理解していたのだ。自分たちが危険な存在である事。 そんな危険な存在を、受け入れてくれようとしているユキムラと、このcityの安全を危惧していたアズマとの会話も。 だから、不安げに問うのだ。自分たちは本当にここにいてもいいのだろうかと。 不安に揺れる金色の瞳を、ユキムラは代わる代わる見つめ、逆に問う。 「・・・お前らは、ココはイヤか?」 「「ううん!」」 そろってベッドから身を起こした二人は、間髪入れずに答えを返してきた。 「フォーラ、ココにいたい!」 「ファータも、ココがいい!」 子供特有の、何の気負いも遠慮もない真っ直ぐな答えに、ユキムラは優しく笑ってみせる。 「なら、ココにいればいいんだ。何も心配するコトなんてない」 「「・・・」」 ユキムラの言葉に、けれど少女たちは顔を見合わせる。その表情から不安の色はまだ消えない。 それを見たユキムラが苦笑の後に浮かべたのは、何処か怒ったような顔。 勿論、作り物。 「何だ〜? お前ら、ママの言うコトが信用できないっていうのか〜??」 「「ううん!」」 その言葉に二人はもげてしまいそうなほど首を左右に振り、否定する。 その必死な様子が可笑しくて、ユキムラは小さく笑いを洩らしながら、二人の柔らかい金髪を撫でてやる。 「よし、いい子だ」 「「エヘヘへ/////」」 褒められたのが嬉しかったらしい。頬を染めて笑い合うフォーラとファータに、 もう寝ろと声をかけ、二人の肩をそっと押してベッドに横にさせる。シーツを首 もとまでかけてやると、二人は大きな瞳で見上げてきた。その瞳に笑いかけてから 、ユキムラは立ち上がり、部屋を後にしようと歩を進める。 「「お休みなさい、ママ」」 「・・お休み」 ドアを閉める直前にかけられたお休みなさいに、ユキムラも笑顔で答え、今度こそドアを閉めた。 「・・・ははは。変なの」 ロビーへの階段を下り始めたユキムラは、不意にその歩みを止めると、笑いを洩らした。 「ママ、だってさ」 最初はくすぐったくて仕方がなかった“ママ”という言葉の響きが、 今はもう気にならない。慣れてしまったのかとそう思うと、可笑しかった。 この先、“パパ”と呼ばれるようになることはあるかもしれないが、 “ママ”と呼ばれる予定はなかったはずだ。確実に。 それが今は、 二人の少女のmother。 真剣に、“ママ”と呼ばれるのが嫌になれないのは、 かつて自分にもそう呼んでいた、大好きな人がいたからだろうか。 そしてその人が今、自分の側にいてくれない所為だろうか。
ピィィィィ───────────────── ・・・
唐突にユキムラの思考を遮ったのは、 「・・・鳥?」 暗い宵闇を切り裂く、澄み切った鳥の声。 破壊され尽くしたこの地球上で、鳥の姿を見る事は難しくなった。珍しい。 何という名の鳥だろうか。 綺麗な綺麗な鳴き声。 また鳴きはしないだろうかと待ってみたが、彼の耳に、再び鳥の鳴き声が響く事はなかった。 「・・・・また、聞けるかな?」 天を裂く。 夜を裂く。 澄んだ鳥の鳴き声が、耳に残っていた。 「おや、お帰りなさい、ユキムラくん」 階段を駆け下りロビーに戻ると、都筑の穏やかな笑顔に迎えられた。 「・・・」 一瞬、驚いた。いつも自分たちを迎えてくれるのはユイや他の少女たち。 そして、小さな子供たちだった。 彼の存在を忘れていたわけではないが、 普段は居るはずもない自分を迎えてくれる“大人”に、一瞬驚いてしまったのだ。 「何ぼ〜っとつっ立ってんだ?」 「あ、いや、別に何でもない」 アズマに声をかけられ、ようやく我に返る。 先程そうしていたように、 アズマの隣に腰を下ろしたユキムラは、目の前のテーブルに先程はなかったものを見つけ、首を傾げた。 「・・・・コレ、何だ??」 「ああ、これね、君に渡そうと思って」 言って都筑が手に取ったのは、ロザリオ。 あの少女たちを唯一壊す事の出来る物。 このネックレスの、 本当の使い道を知らないユキムラに何故それを渡すのか。 そんな疑問を、 アズマもユイも口にする事はなかった。彼にこの十字架を渡して欲しいと望んだのは、 誰でもなくこの二人だったのだから。 もしも、あの二人の少女を壊さなくてはならなくなったその時に、 その笛に息を注ぐのは自分たちだ。都筑からその使い方を教えてもらった自分たちしかいないのだ。 だからこそ、持っていたくなかった。持たない事にした。どんな状況になっても、 最後の最後まで諦めずにいたい。逃げ道にすぐ駆け込まないよう・・・すぐに笛 の音を響かせてしまわないよう。何も知らない彼に委ねておきたい。 都筑の手からロザリオを受け取ったユキムラは、訝しげにそれと都筑とを見遣る。 「オレに? 何で? こーゆーのはユイとか、女の子の方が───」 「君じゃないと駄目なんだよ」 静かに、けれどはっきりと都筑は断言する。 「オレじゃないと?」 ますます首を傾げるユキムラに、都筑はゆっくりと言い聞かせる。 「それはね、motherの証なんだよ。あの子たちのmotherである証なんだ。 だから、君が持っていなくちゃいけないんだよ」 「・・・・motherの証」 「そうなんだよ。だから、貰ってくれないか?」 「ふ〜ん。そっか。じゃあ、貰う」 素直に納得し、ネックレスに首を通すユキムラに、彼らのやりとりを見守っ ていたアズマとユイは密かに安堵する。変なところで頑固なユキムラに、 「オレは女じゃない!こんなの付けない!」と無駄に駄々をこねられたらどうしようかと思っていたのだ。 杞憂に終わって良かった。 ユキムラの首から胸元にかけて揺れる銀の鎖と十字架を眺め、 都筑はうんうん、と何やら頷いている。そして一言。爆弾発言。 「よく似合うよ」 都筑がおっとりと微笑んで言ったその言葉に、アズマは「!!」となる。 自分の経験から言って、このあと展開されるパターンは決まっている。 ア 「似合うぞ」 ユキ「似合ってたまるか────────!!!!」 ア 「褒めてんだろ!!?」 ユキ「いーや、絶対バカにしてる!! こんなの付けるか──────── ッ!!!」 ア 「だったら付けるなバーカ!!」 ユキ「ああ、付けねーよ!!」 となるに決まっている。 だが、 (あれ?) ユキムラのガキっぽい絶叫が聞こえてこない。アズマが、想像の世界から現実へと目を向けると、 「え〜? そうか?」 「ああ。似合ってる」 「あ、ホントね。ボスにぴったりじゃない」 「きっとmotherは女性だろうと思ってたから、繊細な感じにしたんだけど・・ うん、大丈夫。よく似合ってるよ」 「喜んでいいのかよく分かんないな〜」 「喜んでおきなよ、ボス」 実に和やか〜な会話が交わされている。 「・・・」 なんとなく拍子抜け。・・・・・いや、本当に予想通りになられたらそれはそれで困るのだが。 (・・それにしても) 今日のユキムラは、いやに素直だ。 確かに、いつだってバカが頭につく程の正直者で、 素直な人間ではある。だが、その素直さが発揮されるのは、あくまで自分の欲望・・・ 好奇心を満たすためにであるはずなのだが。 (ああ、そうか) 何故、都筑に対してユキムラがおとなしいのか、 その理由に気付いたアズマはナルホド、と人知れず納得する。 (大人だから、か) このcityには大人がいない。 年齢で言えば大人と呼べる者がいないわけではない。 だが、アズマにとって・・・そして、自分にとっての大人は、 このcityにはいない。このcityの住民は皆仲間であり、 彼らが守っていかねばならない存在なのだ。確かに年長者たちは何かと彼らを助けてくれはするが、 やはり違うのだ。 彼らにとっての大人とは、頼れる人。 リーダー、ナンバー2云々関係なく、無条件で頼り、そして甘えられる人間。 親のような存在。そんな大人は、今のこのC−cityにはいない。 子供ばかりのcityに突然現れた、都筑という人間。 彼はどこか不思議な雰囲気を漂わせてはいたが、 その穏やかさは、心地良いものだった。子供に向かって頭を下げてものを頼み込むような 人間だ。頼りになる、とは言い難い。だがしかし、それこそ、彼が大人である証拠でもある。 “大人”という人間。それが、“大人”という存在に飢えていたユキムラを、 常にも増して素直にさせている理由なのだろう。 「え!? 何でだよ!!?」 とりとめのない会話をしていたと思っていたユキムラが、唐突に声を荒げた。 いや、唐突だと思ったのは、彼らの会話を全く聞いていなかったアズマだけだったのかもしれないが。 「そうですよ、都筑博士。何もこんな時間に・・! せめて今日は泊まって行ってくださいよ」 察するに、都筑が今すぐお暇すると言い出したらしい。 「いや、もう行くよ。私はなるべく早くここから離れた方がいいんだ」 「でも、こんな夜中に一人で歩くのは危ないって」 「それでも、行くよ」 頑なな都筑の言葉に、ユキムラとユイは困ったように顔を見合わせる。 「ラジスタの人間が私を捜している。きっと彼らは私が新型兵器を持っ ていると思っているだろうからね。だから、私がここにいてはいけないんだよ。 君たちのためにも、フォーラとファータのためにも、なるべく早く・・なるべく遠くに行かなくてはならないんだ」 彼の言う事ももっともだ。ユキムラもユイも、それ以上彼を引き止める事はできなかった。 「ユイ」 「え、何?」 ずっと黙ったままでいたアズマに、不意に声をかけられ、ユイは少々驚いたように彼に視線を遣る。 「今、バイクが何台あるか覚えてるか?」 「・・・バイク?」 「そうだ。何台ある?」 あまりにも唐突な話題に面食らいつつも、ユイは思考を巡らせる。 このcityにあるバイクは全部で12台。うち6台はボスとナンバー2、そして少年 たちが乗っていったので、今cityにあるのは、 「6台だけど・・」 それがどうかしたのだろうかと首を傾げるユイには答えず、アズマは都筑に声をかけた。 「バイク、乗ってけよ」 「え、でも・・・」 「いいって、餞別に。な、ユキムラ」 「そうだって。都筑サン、乗ってってくれよ」 正直、その申し出はありがたいものだった。徒歩で行くよりもバイクの方 が断然ラジスタの人間に捕まる危険性は低くなる。だが、部品を拾い集め、 コツコツと作っていったのだと言っていた彼らのバイクを頂戴するのは申 し訳ないのもまた正直な気持ちだ。 「バイクなんて・・そんな貴重なもの、貰えないよ」 「ホントにいいですよ、都筑博士。夜に出歩くのはまだまだ危ないですし」 「でも、やっぱり貰えないよ」 「よし、いいこと思いついた!」 決して首を縦に振ろうとしない都筑の様子に、何やら考え込んでいたユキムラが、名案だとばかりに掌を打って言う。 「バイクは、貸すって事で!」 「貸す?」 「そうそう。ラジスタのヤツらが諦めたら、ここにまた戻って来てくれよ。 で、その時にバイクも返してくれればいい。それまで、貸す」 「でも・・・」 もしかしたら、一生、死ぬまで逃げ続けなければいけないのかもしれない。 そうすれば、借りても返す事は出来ない。・・・その可能性の方が、高い。 「いつになるか分からないよ」 「いつだっていいさ」 ユキムラは快活な笑みと共に請け負って見せる。 「だって、いつかは絶対に帰ってくるだろ? アンタはフォーラとファータのパパなんだから、 いつか絶対、娘の所に帰ってくるだろ? だからその時でいいんだ。いつになったっていい」 「・・・・・・パパ、か」 彼は、自分がフォーラとファータのパパだと言った。それが、 彼女たちを作った創造主としてのFATHERを指しているのか、 それとも単純に父親を指しているのか、それはよく分からなかったけれど、 「何だか、嬉しいな。私が・・・パパ、か」 呟くように洩らす。 誰かの父親になることなど、もうないと思っていた。Gg戦で愛する一人娘を 失ったその日から、もう誰かにパパと呼ばれる日など来ないのだと思っていた。 娘の 姿に似せたHomicide Machineを作り、愛しい娘の面影を彼女らの中 に見ても、それでも自分が二度と父親になることはないのだというその思いは消えなかった。 だから、motherにした。フォーラとファータの全てを握る人間、彼女らの神の事を、 fatherではなく、motherにしたのだ。そして、ママと呼ばせた。 例え自分がmotherになったとしても、パパと呼ばれないよう、 motherの事をママと呼ばせるように設定した。そうする事で、本当の 娘が死んだのだというその事実を、忘れまいとした。自分をパパと呼んでくれる 存在はもういないのだという事実を、胸に刻み続けようとした。 (でも・・) いいじゃないか。 パパになっても、いいじゃないか。 彼は、自分を彼女らのパパだと言った。 それが、何だ? 何か、不都合な事でもあったか? 答えは、否。 否、なのだ。ありはしない。 フォーラとファータのパパになっても、亡くした娘への愛情が薄れるわけでもない。 Homicide Machineに情が移る? 情など最初から移っている。 いや、最初から愛情を込めて作ったのだから。 そう。それこそ、父親のように。 「そうだよ。アンタがパパだ」 「─────」 驚いた。 唐突に、思考に滑り込んできたのは、ユキムラの声。 視線を彼に向けると、 驚くほどに真っ直ぐな瞳とぶつかった。心の中を、見透かされているのか と思った。真っ直ぐで、澄み切った紫暗の瞳。限りなく夜空に近付いた、夕焼けの色。 ───吸い込まれる。 「だから、絶対に戻って来てくれよな。ソレまでは、オレたちがアン タの代わりにアイツらの面倒見ててやるからさ」 「・・・じゃあ、次に帰ってくるときに、フォーラとファータがどんな子になっているか、楽しみにしておくよ」 言って、都筑は笑った。胸の中に巣くっていた暗い思いは、微塵も窺えない。 決して作り物などではなく、 それは、始終彼が見せていた、とても穏やかな笑みだった。 ────いつの間にか、空は白み始めていた。 穏やかな笑みを刻んだ口許で、別れの言葉を告げた都筑を乗せ、 バイクは次第にcityから遠ざかっていく。 それをユキムラとアズマ、ユイの三人が見送っていた。 白み始めた空が、いやに眩しく感じる。 「あれ?」 不意に、ユキムラが辺りを見回す。 「どうした? ユキムラ」 「・・・・いや、何でもない」 都筑の後ろ姿と共に遠ざかっていくバイクの音。 その中に、別の音が聞こえたような気がした。 何だろう。 とても高い音色。天を切り裂くような、澄んだ、鋭い音色。 (・・鳥?) それは、先程聞いた鳥の声。 振り仰いだ空に、鳥の姿はない。幻聴だろうか。 もしかしたらまだ耳の奥に、あの鳥の声が残っていただけかもしれない。
天を裂く。
夜を裂く。 朝を呼ぶ。 澄んだ鳥の鳴き声。 |