ユキムラの足音が完全に聞こえなくなったところで、ユイが溜息を洩らした。
「すみません。一度言い出したら聞かなくて」
「いや、正直、嬉しいよ。あの子たちを、何が何でも守ってくれようとしているんだからね」
 そう言って微笑んだ都筑の口調は、穏やかさを取り戻していた。目の前の机に置かれたグラスを手に取り、 お茶を一口含んだ後、彼はその穏やかさのまま沈黙を破った。 その口から紡がれたのも、もう込み入った話ではなく、ただの世間話のようだった。
「そう言えば、このcityにいるグループは、君たちだけなのかい?」
 その問いに答えたのはアズマだった。
「ああ。今は、な。昔はいくつものグループに分かれてたんだけど」
「君たちが統一したのかい?」
「いや。ユキムラの前のボスだ」
「グリフォードっていう人」
 アズマの言葉にユイが付け加える。
「その彼は今このcityにはいないのかい?」
「ええ。グリフさんは戦前お医者さんをやってて、 それで今ではいろんな場所を巡ってるんです。慈善活動って言うのかな?  色んな人、治療してるみたいです。で、 時々ふらっと帰ってくるんですよ。お土産をつれて」
「つれて?」
 おかしな物言いをするユイに問い返すと、彼女は僅かに笑って答える。
「ええ。つれて、なんですよ。時々、子供を連れて帰ってくるんです。 親を亡くした子供や、他のFall cityで孤立してる子供なんかを」
「へぇ。・・ん? 戦前に医者をやっていたという事は、その人は大人なのかい?」
「ええ。私たちにとっては、父親みたいな存在です」
 言って、ユイはとても穏やかに笑った。
 その表情から、グリフォードという人間が、 彼女にとってどんなに大切な人なのかという事が窺い知れた。 それは、彼女の隣にいるアズマにとっても同様らしく、彼も口許に笑みを浮かべている。
「きっと、素敵な人なんだろうね」
 言うと、間髪入れずに、ユイから「はい!」という答えが返ってきた。 そんな彼女の様子は、年相応で微笑ましいものだった。
 そんなユイの様子を見て都筑同様表情を緩めながら言った。
「グリフォードはスゲー人だよ。1ヶ月もかからずにこのcityのグループをまとめちまった。 このcityも最初はいくつも小さなグループがあってさ、 いつも小競り合いばっかしてた。みんな、他のcityで、 どこのグループにも属せなくて、この子供ばっかりのcityに集まった孤児だった。俺もそうだったな」
 昔の思い出に懐かしげに目を細めて語るアズマの言葉に、都筑は黙って耳を傾けていた。
「5年くらい前だったかな。グリフォードがユキムラと一緒にこのcityにやって来たのは」
「あれ? ユキムラくんは、君たちとずっと一緒にいたわけじゃあないのかい?」
 彼らの仲の良いやりとりに、ユキムラもアズマと同じく、ずっとこのcityにいたものと勝手に思い込んでいた 都筑は首を傾げる。
「アイツはもっと南の方のFall cityにいたらしい。 あんま詳しくは知らないけど、そこのグループから抜けて、グリフォードと旅してたらしいな。 で、ここに来て、新しいグループを作った」
「私はずっとアズマさんと一緒にいたけど。グリフさんが来てすぐ、 私はグリフさんの所に行って・・。最初はアズマさん、私の事、裏切り者裏切り者って言ってて」
 くすくすとユイは笑う。それとは対照的に、バツが悪そうに頭をかきながら、 「そんな事もあったな〜」なんて口にしているアズマの姿に、都筑もユイと一緒になって笑う。
「アズマさんは、他のグループがみんなグリフさんの下に集まっていっても、 最後の最後までグリフさんに反発してたのよね〜」
「そうだったのかい?」
「そうだったんですよ。もう意地になっちゃって。 大人なんか信用できるもんか、って。・・思えばあの頃は、ボスとアズマさん、 相性最ッ悪でしたよね。ボスはグリフさんラブなもんだから、 グリフさんに反発するアズマさんといつもぶつかってて。喧嘩ば〜っかり。 しかもその喧嘩ってのがホントに子供の喧嘩で・・・。あ〜おっかし〜」
「若気の至りだ」
 どうやら笑いの止まらないらしいユイと、ひたすら苦笑いのアズマ。
 そんな彼に、都筑は穏やかに問う。
「反発してたのに、どうしてグリフォードさんの下に行く事にしたんだい?」
「・・・・何となく」
 曖昧に答えるアズマに、ユイはまた笑う。
「変に意地はっちゃったもんだから、行くに行けなくなっちゃったんですよね〜?  で、メンバーに説得されて渋々、って感じで、ね。実はもういいかな〜って思ってたんでしょ?」
「ユイ! お前、喋りすぎ!!」
 何もかも暴露するユイに、とうとうアズマは赤面する。 実はその通りなのだが、その通りだからこそ、ばらされては恥ずかしい。
 顔を赤らめるアズマに、都筑は目を細める。表情豊か、年相応・・というより、 歳よりも幼く見えるユキムラの隣にいた所為だろうか、アズマはひどく大人っぽく見えていたのだが、 こうして苦笑いを浮かべ、頬を赤らめるその様子は彼を年相応に見せる。その様子はとても微笑ましい。
「グリフォードさんの所に行ってどうだった?」
「特に何も変わらなかったな」
 ソファに深く体を沈めつつ、アズマは素っ気なく答える。
「あいつは、何もしなかった。リーダーだって偉ぶったりもしなかった。 ただ、みんなに優しく接しただけだったんだ。・・みんな子供だったからな〜。 大人からの愛情ってのに飢えてたのかもしれない。 だからどのグループも、自然とグリフォードの周りに集まったんだ。・・・・・きっと俺も、な」
 ポツリと、アズマは最後に付け加えるように言った。その瞳は、とても穏やかだった。
「このcityは俺たちの家だ。ここに来なかったら、 俺はつまらないグループ同士の喧嘩で死んでいたかもしれない。 今の俺たちがあるのはグリフォードのおかげだ。グリフォードの作ったこのcityと仲間たちと ・・・それをグリフォードに代わってまとめてるユキムラがいるから今俺はここに居るんだ。 ここに居たいと思うんだ。そして、何があってもこの場所を失いたくないって」
 穏やかだったその口調が、次第に熱を帯びたものに変わっていく事に、都筑は気付いていた。 だが、それが何を示しているのかはまだ分からない。分からないから、黙って彼の言葉を受け止め続ける。
「俺はこのcityが好きだ。このcityのみんなが好きだ。だから、守ろうと思う。 ユキムラと、ユイと、守っていきたいと思うんだ」
「・・・アズマさん??」
 ゴーダがこんなに熱く語る場面を見た事がないユイは、 困惑したように彼に声をかける。彼女にはまだ、彼が何を言わんとしているのか、 よく分からなかった。
「だから、教えてくれ」
「え?」
 思わず問い返したのは、ユイ。
 都筑は彼の言葉の全てを理解したのだろうか。何も言わなかった。
「アイツは、フォーラとファータを壊すくらいなら、喜んで自ら命を投げ出すようなヤツだ。 フォーラとファータを大切に思っているアンタには悪いけど・・・教えて欲しいんだ」
「ちょっと、アズマさん!」
 そこまできて、ようやくユイは気付く。アズマが都筑に、フォーラとファータ に設置されている自爆装置の発動の仕方を教えてくれと、そう言っているのだという事に。
「俺たちには・・このcityにはアイツが必要なんだ。アイツはこのcityを守ってくれる。 mentalな意味でも、だ。そんなアイツを守るのが、俺の役目だと思ってる。だから、頼む!」
「・・・」
「アズマさん・・」
 都筑に向かって頭を下げるアズマを、ユイは茫然と見つめていた。
 こんなアズマを、ユイは知らない。彼がこんなにもユキムラを思っていた事。 このcityを思っていた事。知らなかった。こんなにも熱い思いを秘めながら、 彼はいつもそれを表に出すことなく、つとめて冷静に、 ナンバー2という立場から確かにこのcityを守ってきたのだ。そして、これからも守っていくのだろう。 こうして、プライドの高い彼が、頭を下げる事も厭わず。このcityのためなら。


 カシャン。


「?」
 突然鼓膜を揺らせた冷たい音に、アズマは顔を上げる。 視線を巡らせると、目の前の机に、銀色の輝きを放つ十字架があった。
 訝しげな視線をよこすアズマに、都筑は穏やかな笑みを返しつつ、その十字架を彼の方へと寄せる。
「・・・・何だコレ?」
「ネックレス?」
 アズマの方に寄せられたそれを、ユイが手に取る。 シャラシャラと音を立ててケイの手中に収まったそれは、 大きいけれどシンプルな装飾の十字架を揺らすロザリオ。
「わぁ、キレーイ
 鎖を弄び、十字架を眺める。
 留め具のない長く繊細な銀の鎖と、その途中に光る菱形にカットされた紅玉。 その先、大きく円を描いた銀の鎖の出会うその部分には、鎖のそれよりも僅かに大きな紅玉を抱えた銀のつなぎの金具。 そこから下がる銀の鎖の先には、銀の十字架が揺れていた。
 細い筒を交差させて作られているその十字架は、中身が詰まっていないせいか、 大きさのわりに重さはない。普通のものよりも、丸く柔らかな印象を称える十字架だった。
 その中央、筒と筒とが交差したその部分にぽっかりと開けられた穴には、や はり紅玉が埋め込まれてある。
 その透き通る紅玉の中に銀糸の様な物を見つけ、ケイは首を傾げた。
 赤の中、僅かに垣間見える銀の糸。それはとても美しかったけれど、 何かがケイの中でひっかかる。銀の混じった石なのだろうか? 疑 問が晴れる事はなかったが、それも新たに脳裏をよぎった疑問に上塗りにされ、 一時、身を潜めてしまった。
 その新たな疑問というのは、十字架をぶら下げているその細い銀の鎖 が、十字架を作っている細い筒に吸い込まれるようにしてその姿を消している事に関してのものだった。 いったいどこで十字架と鎖とが固定されているのかという疑問を抱いたユイは、 細い筒の中を覗いてみる。だが、それを突き止める事は出来なかった。 鎖は十字架の奥深くにまで伸びているらしく、カチャカチャと鎖と筒とがぶつかる音が聞こえる。
 そこでようやくユイは答えを見つけた。しかも、二つの答え。
 紅玉の中の銀糸。あれだ。あれがこの十字架を繋ぐ鎖だったのだ。 銀のつなぎの金具から伸びた鎖は、細い筒の中を通り、十字架の中央にある紅玉の中に向かっていた。 そして、そこで固定されているのだという事に。
「変わったネックレスですね〜」
 簡単な感想を洩らす。この場には妥当な言葉だっただろう。 当然の事ながら、それは彼女の目には、ただのロザリオとしか映っていないのだから。
「コレは?」
 ユイの手にある十字架を横から眺めていたアズマには、 それがただのロザリオだとは思えなかったらしい。
 そして都筑から返されたその答えは、彼の予想だにしないものだった。
「これが自爆装置のスイッチだよ」
「コレが!!?」
「えッ!!? 嘘ッ!! 私、色々いじっちゃったんですけど!!?」
 驚きに目をむくアズマと、十字架をいじっていたユイが顔色をなくすのを見て、都筑は穏やかに微笑んでみせる。
「そう。これが、スイッチなんだ。でも、少々いじったくらいでは何ともないから大丈夫だよ」
「良かった」
 ホッと安堵の溜息を洩らしたユイは、十字架を慎重にテーブルの上に戻した。
「・・・いいのか?」
 ぽつりとアズマが訊ねる。
「いいんだよ」
 都筑も、静かに返す。
 アズマが発したのは、とても短い問いだった。 割愛しまくり、要点だけの問い。全ての言葉を口にはしなかったが、 アズマの質問の意図を汲み取ったのだろう。「何が?」と訊ね返すことなく、都筑はそう答えた。
「勿論、教えるよ。大きなリスクを負わせるんだ。当然だよ」
 そう言ってやはり穏やかな笑みを浮かべた都筑は、机の上の十字架を手に取る。 それを何とはなしに弄びながらながら、都筑は口を開いた。
「さっきも言ったように、あの子たちの心臓の近くに爆弾がある。それが自爆装置だ。まず・・・」
 何から話そうかと僅かに沈黙を置いたあと、都筑は再度口を開いた。
「まず、その自爆装置を発動させるときには、ある程度の距離を置かなくてはいけない。 そうだね・・・少なくとも200m以上は離れた方が安全だろう。 あの子たちの体は、特殊な素材で出来ている。あの子たちの体に傷を付ける事の出来る武器は、 この世には存在しないだろうからね。だが、そんな外からの衝撃にはビクともしない特殊な皮膚素材も、 内側からの衝撃には無敵ではない。・・・そう作ったんだ。 あの子たちを徹底的に壊すために。それでも、やはり大量の火薬を使わなければ、 あの子たちを粉々には出来ない。その爆発は凄まじいものだ。 離れておかないと、自分たちまで粉々になってしまうだろう」
「どうしてですか?」
 唐突に口を挟んだのはユイだった。
「どうしてそこまで徹底的に壊す必要があるんですか? Homecide Machineドールは心臓を止めれば燃料が行き渡らなくなって動けなくなる ・・・つまり壊れるんですよね? だったら、何もそんなに徹底的に壊さなくても───」
「壊したいんだ。徹底的に、ね」
 辛そうに顔を歪め、都筑は呟くように言った。
「心臓を壊したくらいでは駄目だ。心臓だけなら、 腕のいいエンジニアならば直してしまうかもしれない。壊さなくてはいけない事態になったからには、 おいそれと他人が直してしまえるくらいでは駄目だ。 他の誰にも直す事が出来ないくらい、徹底して壊しておく必要があるんだよ」
 少しずれた眼鏡をかけ直しながら、都筑は苦笑にも似た笑みでもって言った。
「・・・・」
「その為に非常に強力な爆弾を設置してある。だから、 自爆装置を発動させるときには十分な距離をとっておかなければ、爆発に巻き込まれてしまう」
「だから、200mは離れろって?」
「そう」
 アズマは、頷いて見せる都筑から、 彼の手にあるロザリオに視線を移しながら納得のいかない面持ちで再度問う。
「で、ソレがスイッチっていうのは、どういう事なんだ? どこを押せばいいんだ?」
「押さないんだよ」
「「??」」
 訝しげに眉を寄せる二人におっとりと微笑みかけた都筑は、 二人の目の前に手に持っていたロザリオを掲げて見せる。 そして、何をするんだろうと見守っている二人の前で、両手の指で掴んだ十字架を、


「よいしょっと」


 ボキッッ!


「「!!?」」
 真っ二つに折った。
 唐突な都筑の行動に目を瞠る二人の前で、彼はなおも十字架を破壊していく。 まず、十字架と、紅玉にくっついている鎖とを片手ずつに持ち、
「ふんッ」
気合いを入れて引っ張る。


ガキッ


 筒から抜け出る事はなかったが、十字架の中央から姿を消した紅玉は、筒の先につっかえてしまった。
 それに構うことなく、都筑は更に十字架をボキボキボキボキ折っていく。
「ちょ、ちょっと、おっさん!!?」
「何するんですか────────ッッ!!!」
 次々に起爆スイッチを破壊していく都筑に、アズマととユイは慌てる。
 そんな二人をよそに、都筑は最後の仕上げとばかりに、
「はい。もう一丁!」
 気合いを入れて、折る。
 そして、
「ホラ。出来た」
 一仕事終えた! とばかりに満足げな顔で都筑が彼らの前に差し出したのは、十字架の変わり果てた姿。
 その無惨な十字架と、それを喜々とした表情で差し出してくる都筑。
 そんな都筑のイッちゃった行動に、アズマとユイは茫然とする。これでは神への冒涜もいいところだ。
 僅かに引きつった顔で自分を見ている二人に気付いているのかいないのか、 都筑は穏やかな笑みを浮かべたまま口を開いた。そして、言ってのける。
「これが、スイッチだよ」
「え!?」
「コレがかッ!!?」
「そう。これがだよ。変形させるんだ」
 十字架をボキボキ折っていたのは、このスイッチを作るためだったようだ。 何処か頭のネジが外れたわけではなかったらしい。 そのことにホッと安堵する二人。だが、そんな事を言っている場合ではない。
「でも博士、コレ、やっぱりドコを押すのかよく分からないんですけど」
 都筑の手にある、彼曰くスイッチを眺めながら言ったユイに、アズマも頷いて同意を示す。
 すると、都筑は首を横に振って言った。
「これは、押さないんだ。ふくんだよ」
「「ふく??」」
 一瞬二人の脳裏に幾つかの漢字が浮かんだ。
@ 拭く。
A 吹く。
B 噴く。
 発音から言って@は消去。
 しきりに首を傾げている二人に、都筑は口を開く。
「これはね、笛なんだよ」
「「笛ッ!?」」
 どうやら、Aが正解だったらしい。
「あの子たちの中にある自爆装置は、この笛の音・・正確に言うと、 この笛から発せられる、ある特殊な周波数を受け取って作動する仕組みになっているんだ。 半径5km以内ならばこの音は届くようになっている」
 言って都筑は、十字架の下の筒に口を当てる真似をして見せる。 中に息を吹き込んで音を出すようだ。十字架が筒状のもので作られていた理由は、そこにあったのだ。
「これが起爆スイッチだ。一見しただけでは分からないだろう?」
 再び十字架を折り始めた都筑は、イタズラが成功した子供のような顔で笑った。
 だが、次の瞬間にその笑顔は消えた。穏やかではあるが、瞳の奥には影を孕んだ、 切ない表情の下に。囁くように、彼は言った。
「・・・この笛の音が響く事がないよう、祈ってるよ」
 元通りになった十字架を握りしめ呟いた都筑の言葉に、アズマもユイも、静かに頷いたのだった。




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