事態は、急変した。


 ウィイイイイィィィ────────・・・ィィン。


な、何だァ!?」
 突然、部屋中の機械が動き始めたのだ。勝手に電源の入るパソコン。 そのキーボードがひとりでにカタカタと鳴り始め、意味不明の文字をウィンドウ上に連ねていく。 不思議な色の液を溜めた幾つものガラス管がグツグツと沸騰を始め、次々に割れていく。 薬品の匂いが鼻をつく。しまいには、どこかの機械がショートしたのか、薬品の匂いに代わって焦げ臭い匂 いと共に白い煙が上がり始め、ユキムラは仰天する。
「な、何なんだ、これは・・・!!?」
 茫然と呟くユキムラの背後で、ガタンと大きな音がし、慌てて後ろを振り返る。
「!?」
 そこには、今の今まで箱の中で横たわっていた二人の少女が、体を起こしていた。 その二対の瞳は、じっとユキムラを見ている。その瞳の色は、獣のものに似た金。 何の感情も映さないその瞳は、どこか冷たささえ漂わせていた。
 相変わらず、部屋中の機械達は唸り声を上げている。
 どうすることもできず、ユキムラはただ茫然と二人の少女を見つめ返していた。
 状況的には、逃げるのが一番良い方法のような気がしてきたが、それを実行に移す気には 何故かならなかった。彼女らから、危険な香りが全くしなかったからなのかもしれない。
 どのくらいそうして立ち尽くしていたのだろうか。唐突に、辺りを静寂が覆う。 そして、その部屋に残ったのは、機械の焦げ付いた匂いだけだった。
 知らず息を詰めていたユキムラは、大きく溜息を吐き出す。 何が起こったのかは全く分からないが、ひとまず一難は去ったように思われた。
 と、自分に注がれている視線に気付いたユキムラは、未だに自分を見つめ続けている少女たちを見遣る。 しばらく見つめ返してみたのだが、何の反応も返ってこない。 どうしていいのやら、反応に困ったユキムラは、とりあえず少女たちに問いかけてみる。
「・・お前ら、何?」
「「・・・」」
「さっきの、何か分かるか?」
「「・・・」」
「お、オレの顔に何かついてる?」
「「・・・」」
「あ、もしかしてオレがイイ男すぎて見とれてるのか?」
「「・・・」」
「・・つっこめよ」
「「・・・」」
「・・・・・
 何を言っても答えは返ってこない。
 ただただ、自分を見つめてくる少女たちに、いい加減、 居心地の悪さを感じ始めたユキムラは、ポリポリと頭をかく。
 と、
「ぐはぁっ!」
 突然の衝撃に、ユキムラは床に倒れ込んでいた。
 いったい何が起こったのか分からないまま瞳を開けると、目の前にあの金色の瞳があった。 どうやら二人の少女に押し倒されたらしい。
「お、重いから−」
 どいてくれというその言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
「「−−−」」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
 少女たちがようやく口を開いた。が、意味が理解できない。 別に、彼女たちの発した言葉が異国の言葉だったから、というわけではない。 今この場に、そして自分に向けられるにはあまりにも不釣り合いな言葉過ぎて、 一瞬聞き間違えたのかと思ったのだ。だが、茫然と問い返したユキムラに返ってきたのは、 やはり聞き間違えようもないものだった。
 彼女たちは声をそろえて言った。


「「ママ」」



「はああああああぁぁぁぁ──────────────ッッ!!!!??」


 機械たちの唸り声のおさまった空間に、今度はユキムラのありったけの絶叫がこだましたのだった。



「・・・・」
 地下を縦横無尽に走る廊下を、二人一組になって歩いていた少年たち。 その中で、ナンバー2・アズマが不意に歩みを止めた。 そのことに気付いたのは、彼と一緒に行動をしていた少年だった。
「どうしたの、アズマさ−」
 問いかけて、彼はアズマが立ち止まった理由に気付いた。その彼の表情がいやに硬いその理由にも。
「もしかして・・この音って−」
「俺には聞こえない。何も聞こえてねーからな!」
 少年の言葉を遮り、アズマが早口に言い放つ。その台詞に、少年は肩を竦めた。
 今、彼らの耳には、どこか遠くから発せられている叫び声が届いていた。 言わずもがな、ユキムラの発しているものである。
 今度は何をしでかしたんだ。
 口許を引きつらせているアズマの顔には、極太マジックでそう書いてあった。 だが、あくまでアズマは、耳に届くその絶叫を無視するつもりらしい。
 そんなアズマの様子に、隣に立っていた少年が同情の眼差しを彼に向けながら言った。
「でもね、アズマさん。残念だけど・・・・無視は、出来ないと思うよ」
「は?」
 少年の気の毒そうな言葉と、彼が自分の背後を指差したのを見て、アズマは恐る恐る振り返る。
「!!?」
 そして思わず息を呑む。


うわああ ああああ ああああ ああああ ああああ ああああ


 次第に近付いてくる叫び声。それと共に、自分たちの方に向かって駆けてきているのは、 凄まじい形相をしたユキムラだった。
「助けてくれッ! アズマ─────────────────ッッ!!!」
「た、頼むから来るな、ユキムラ─────────────────ッッ!!!」
 あまりにも必死の形相をしているユキムラに、どんな素敵にトンデモナイ事を起こしてくれたのかと怯えたアズマは、 思わず自分も駆け出す。
「え!? あ、ちょっと! アズマさん!?」
 突然、自分の隣から駆けだしたアズマに少年が驚いて声をかけたが、 彼は止まらなかった。脱兎の如く遠ざかっていくアズマを追って、ユキムラも少年の隣を通り過ぎていく。
「あ、ボス!!」
 そして、ユキムラの通り過ぎたその後に続く二つの小さな影。


 ビュンッ!!


 疾風のように自分の側を通り過ぎていった影たちに、少年は目を丸くするしかなかった。
「・・・・・誰? アレ」


「ちょ、待てよ、アズマ!!」
「誰が待つか!!」
「待てって!! オレを助けろ!!!」
「いーや。むしろ俺を助けろ!!」
 何やらワケの分からないことを叫びつつ、二人の・・・いや、四人のいやに真剣な鬼ごっこは続く。
「うッわ、まだついてきてるし・・・・ッ!!」
 チラリと背後を見遣ると、そこにはあの少女たちがいた。
「うぇ〜、怖ェ〜ッ!!」
 廊下に二人仲良く並び、彼女たちはユキムラを追っていた。 普通に追われているのならば捕まってやってもいい。 だが、足並みも腕の振りも見事にそろえ、しかも疲れを知らないのだろうか、 息も乱さず、更には完璧なまでの無表情で追って来られては、死に物狂いで逃げたくもなるだろう。 だが、このままでは自分の方が先にバテて捕まってしまう。
 もうこの時点で、何故自分が捕まってはいけないなどという観念 に囚われているのかを考える余裕もないユキムラは、とにかくアズマに助けを求める。
「アズマ! 頼むからコイツらをどうにかしてくれ!!!」
「コイツら??」
 あまりにも真剣なユキムラの声音とその台詞の内容に、 アズマはようやく彼の言葉に耳を貸す気になったらしい。 けれど足を止めることはせず、後ろを振り返る。後ろ・・、必死で逃げているユキムラと、その更に後ろ。
「だ、誰だアイツら───────ッ!?」
「知るか────────ッッ!!!」
 ユキムラを隣に追いつかせたアズマは、二人並んで廊下を駆けて行く。 時折、すれ違う少年たちが驚いたように声をかけてくるのだが、それに応える暇はなかった。
 だが、そろそろ冷静になってきた。
「・・・なあ、なんで逃げてるんだ、お前」
「アイツらが追っかけてくるからだろ?」
「じゃあ、そもそもなんでアイツらはお前を追っかけてんだ?」
「知るか! アイツらに聞いてくれ!!」
 これではどうにも埒があかない。
 溜息をついたアズマは、ユキムラに提案する。
「・・・なあ、止まってみれば?」
「ヤだって! アイツらなんか怖ェもん」
 再度、後ろに視線を遣ったアズマは、無表情にけれどどこか鬼気迫る雰囲気を醸し出している少女達の姿に、 確かにそうだと納得するが、
「だったらずっと走り続けるのか?」
「・・・・」
 うっ、と言葉に詰まるユキムラに、あともう一息だとアズマは気合いを入れる。 そもそも何だって自分までこんな追いかけっこに参加しているのかが分からない。 とっとと終わらせたいのだ。
「大丈夫だって。ただの女の子だろ? 何だァ、お前。女の子が怖いのか〜?」
 と、少し挑発してみれば、
「怖いわけないだろッ!」
 とムキになって返してくる。イイ反応だ。
(勝てる!)
 ニヤリと一瞬口許に浮かべた笑みをすぐさま抹消し、アズマは尚もからかうようにユキムラに語りかける。
「じゃあ、何で止まらないんだ? やっぱ怖いんだろーが。弱虫〜」
「怖くないって言ってんだろ! ああ、分かった。止まるよ。止まればいいんだろッ!」
 ・・・まるっきり子供の会話だ。
 アズマにのせられたユキムラは、自分を追いかけてきている少女たちの存在も忘れ、ピタリと足を止めた。
(よっしゃ!)
 とアズマが密かに勝利のガッツポーズを決めたその瞬間、
「?」
 隣にいたはずのユキムラの姿が忽然と視界から消えた。
「うわああああああ───────────ッッッ!!!」
 今日何度目になるだろうか、ユキムラの絶叫。
 唐突に背に感じた凄まじい衝撃に、抵抗もままならず、ユキムラは床に倒れ込んでいた。
 そんな彼の背に乗っているのは、ユキムラを追いかけていたあの二人の少女だった。 走っていたその勢いのまま、スピードを緩めることもせずユキムラに飛びついたらしい。
 床に押し倒されたユキムラの体は、ズズズズズ────ッ! と、床の上を移動し、止まった。
「・・・・・し、死んだか??」
 少女たちを背に乗せたまま、ピクリとも動かないユキムラを、アズマは恐る恐るつついてみる。
「勝手に殺すな──────────────ッッッ!!!!」
 案外元気な声と共に、ユキムラがガバァッ!! と勢いよくその身を起こす。 が、背に引っ付いたままの少女たちの重みで、今度は仰向けに倒れた。 と、そうなると当然今度は少女たちがユキムラの下敷きになるわけで、
「「きゃんッ☆」」
「あ、悪いッ!!」
 と、ようやく自分を掴んでいた手が離れたことに気付いたユキムラは、慌てて体を起こす。
「あ、ユキちゃん、最ッ低〜。女の子を下敷きにするなんて〜」
「ふ、不可抗力だ!!!」
 アズマのヤジにご丁寧に答えた後、ユキムラは慌てて倒れたままの少女たちを抱え起こす。
「悪い! 大丈夫か!?」
 小さな子供たちだらけのcityで暮らしているだけはあり、なかなか面倒見の良い彼は、 起こした二人の服から埃を払ってやりつつ、どこか怪我をしていないかと視線を巡らせる。
「どっか痛いトコとかないか?」
 特に外傷はないようだが、一応問いかけてみると、やはり少女たちはケロリとした顔でユキムラを見つめ返してきた。
「「・・・・」」
 返事はない。
「・・・大丈夫、そうだな;」
 相変わらず無表情な少女たちに戸惑いつつ、 ユキムラは彼女たちに怪我がなかったことにホッと安堵する。と同時に気付く。
(オレの方が余裕で怪我してるっての・・・)
 体のあちこちが痛みを訴えていた。
「ボス〜!」
「アズマさ〜ん!」
 迫力満点、鬼気迫る鬼ごっこを展開していたボスとナンバー2を追いかけてきたらしい少年たちが わらわらと集まってくる。そしてすぐにユキムラの隣に佇む見知らぬ少女たちに気付き、 ざわつき始めた。そんな彼らの疑問を代表し、アズマが問いかける。
「なあ、ユキムラ。コイツら誰だ??」
「いや、ホントに全然知らな───ん?」
 知らないんだと言いかけて、ユキムラは口を閉ざす。 今の今まで自分の隣でおとなしくしていた少女たちが、唐突に袖を引っ張ってきたからだ。 自分の胸の辺りまでしか背のない少女たちが、首を上向け、懸命に自分を見上げてくる。
(首、痛くなりそうだな〜)
 ユキムラは彼女たちと視線を合わせるように膝をつく。 すると、ユキムラの服の袖を放した二人は、今度は首に腕を回して抱きついてきた。
「何だァ? お母さんみたいだな〜」
 幼い少女たちとユキムラの、何処か微笑ましくさえある光景に、アズマが表情を緩めながら言った。
「ばっ、バカなこと言うなよッ!」
 頬を赤くしたユキムラは少女たちを引きはがそうとしたのだが、 彼女らはテコでも離れようとしない。困ったように溜息をつくユキムラとは対照的に、 周りの少年達は笑いながら、リーダーと少女たちとを見つめていた。
 へへへ。普段からアホなことしてるからバチがあたったんだよ。 いっつもお守りさせられてる俺の身にもなれってんだ。ざまァみろ。
 とほくそ笑んでいるわけではない。そんなヤツも中にはいたかもしれないけれど。 誰とは言わない。某A少年だ。
 少年たちの浮かべるどこか寂しげでもあるその穏やかな微笑みの理由を、彼らは互いに知っている。
 この場にいる少年達には、誰一人として親がいないのだ。 戦争で親を亡くしたり、親に捨てられたり。そんな少年たちにとって、 今目の前にある光景が微笑ましくもあり、羨ましくもあった。
 が、そんな暖かな空気は、一瞬の内にぶち壊されることになる。
 少女たちが口を開いたのだ。
 今まで黙りこくっていた少女たちがいったい何を言うのだろうかと、 興味津々で少年たちが彼女らの言葉を待つ中、二人の少女は堂々と言い放った。
「「ママ」」
「「「「「「・・・・・・・・・・・・え??」」」」」」
「わッ、ちょっと待て!」
 凍り付く空気の中で、一人ユキムラだけが慌てふためいて彼女らの口を塞ごうとする。だが、
「「ママ」」
「おい、黙れ! 黙れってば!」
「ママ〜」
「ママ〜」
「違うってば!」
「ママ〜」
「ママ〜」
「頼むから黙ってくれ!!」
「「マーマ」」
 片方の口を塞げば片方が口を開く。もう、どうにもならない。
((((((・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ママ????))))))
 がっくりと項垂れるユキムラを尻目に、少年達は顔を見合わせる。
((((((だ、誰が!!?))))))
 そんな疑問を交わし合った末、視線は一斉にユキムラを突き刺す。
((((((・・・ボスが・・・ママ?))))))
 と、凍り付いていた空気が木っ端微塵に砕け散った。言わずもがな、少年たちの割れんばかりの爆笑によって、だ。
「あははっはあはっはははははっはははははっはははははっはははははっはああはは」
「ボ、ボスがママ!!? ははははっはははははっははははははははっははははっはは」
「だぁ─────っはっはっはっはっはっは」
「はははははははははははははははははは。は、腹痛ェ!!!!」
「わ、笑うな!!!」
「「ママー」」
「あははははははははははははははははははははははははは」
「あははっはあはっはははっははははっはははははっはははははっはああはは」
「うるさいうるさいうるさ────────い!!!!」
 腹を抱え、埃の溜まった床に構うことなく転げ回って爆笑している少年たちに、 ユキムラに抱きついていた少女たちはようやく彼を解放し、物珍しげに少年たちを眺め始めた。
「ははははははははははははははははは!! ユキムラ、お前いつの間に子供産んだんだ!? あははははははははははははははははははは」
「産めるか──────────────ッッ!!!!」
「え!!? じゃあ誰に産ませたんだ!!?」
「それも違───────────────────うッッッ!!!!」
 アズマとぎゃあぎゃあ喚き合うユキムラの腕を少女が引く。
「んァ? 何だ?」
「コレ」
「読んで」
 今まで口を開けば「「ママ」」としか言わなかったので、それしか喋ることが出来ないのかと思っていたのだが、 そうではなかったらしい。そのことに僅かな驚きを覚えつつ、ユキムラは髪の短い方の少女が差し出した紙を受け取る。
「何だ? コレ」
「「読んで」」
「…はぁ」
 とにかく読めと言う事らしい。
 未だに周りでは腹を抱えて笑い転げている連中がいるのだが、 ここはしっかりと無視を決め込み、ユキムラは手渡された紙を広げた。 と、そこに綴られた内容に、僅かに目を瞠った後、
「・・・・・・・・・・・・・・・取扱説明書ォ!!?」
 素っ頓狂な声を上げた。
 そんなユキムラの声に、アズマはようやく笑いをおさめると、 何やら真剣な面持ちでユキムラが読み進めている取扱説明書とやらに自分も目を通し始める。 同様に、他の少年たちもユキムラをぐるりと囲んでその紙を覗き込んだのだった。


 そうしてようやく、あの爆発騒ぎにまで辿り着くのである。





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