沈黙の中、ユキムラはじっと瞳を閉ざしていた。きつく閉ざしていないと、涙が零れてしまいそうだった。 目元に乗せた腕で涙はごまかせても、この沈黙の中で嗚咽まではごまかしようもない。一粒零してしまったら、もう止まりそうにない。 作り損なった笑顔は、泣き顔に変わってしまっていた。否、最初から泣き顔でしかなかったのかも知れない。 沈黙は、扉の開く音によって破られた。 「都筑博士」 ユイの声で、部屋にやってきたのが都筑だということを知る。だが、顔を向けることはどうしても出来なかった。 「もう終わったのか?」 驚いたように問うアズマの声と、 「ええ」 穏やかな都筑の声。そして都筑の声は、今度はユキムラに向けられた。 「ユキムラ君、大丈夫かい??」 優しい言葉だった。都筑から預けられた娘達を、守りきれなかった自分を責める気はないらしい。その優しさが、ユキムラの胸の傷をより一層疼かせる。 「――・・大丈夫」 声が震えないように注意しながらそう答えるのが精一杯だった。やはり、顔を覆った腕をどかす事はできそうにない。 「そう。良かったよ」 言って都筑が微笑んだのが雰囲気で伝わってきた。 また、傷が一筋血の涙を零す。 ――そんな優しい言葉をかけないでくれ!! ユキムラは心の中で叫んでいた。 出来る事なら、責めて欲しい、と。そうしなければ罪悪感で死んでしまいそうだった。 否、いっそ死ぬことができればいい。こんな痛みを抱えて生きていくくらいなら、死んでしまった方が、まだマシなのかもしれない。 ――鳥よ、鳴け・・! ユキムラは、鳥を呼ぶ。 ――アイツらを連れ去ったその鳴き声で、今度はオレを・・・! こういう時に限って、鳥は鳴かない。先程まで、うるさいくらいに鳴いていた鳥が鳴かない。 ユキムラはきつく唇を噛んだ。 「ご飯、食べてないんだね?」 已然穏やかな声で、都筑が口を開く。だが、その言葉はユキムラにではなく、ケイに向けられていた。 「今は欲しくないんですって」 言って大袈裟に肩を竦めて見せたユイに代わって、今度はアズマが口を開いた。 「コイツ、グリフォードに食べさせてもらうんじゃ不満なんだってさ」 その台詞に、グリフォードが笑う。 「ショックだな〜。小さい頃はあんなに俺に懐いてたのに」 誰もが、ユキムラの悲しみに目を向けないでいた。おそらく、彼がそう望んでいることを、仲間達は知っていたから。そして、そうすることが彼の胸を更に痛ませることも知っていた。けれど、それ以外に彼らに出来ることはなかった。下手な慰めの言葉など必要ないことを知っていたから。 「じゃあ、仕方がないな。可愛いお嬢さんにでも食べさせてもらうか? ユキ」 「誰をご指名する? ボス♪」 努めて明るく振る舞ってくれているのだろう仲間達に申し訳なく思いながら、 それでもユキムラはその明るさに答えることが出来なかった。今はただ、痛みを堪えることに必死だった。 出来ることなら、一人にして欲しかった。 「――今はいい」 声が震えることだけは、辛うじて防ぐことができた。 「そう言うなって、ユキムラ」 「はい、ユキムラくん。ご指名の子だよ」 「起こすぞ、ユキ」 「グリフ――」 ユキムラが嫌だと抵抗する前に、力強い腕が有無を言わさず彼の体を抱き起こしていた。 顔を覆っていた腕が力無くシーツにおち、その時になって初めてユキムラは、 自分が意外にも普通の顔をしている事を知る。 先程までの泣き顔は、いつの間にか消えていたようだった。 だが、それでもまっすぐに前を見つめる事はまだ出来ない。 優しい仲間達の顔を見たら、また涙が零れてしまいそうだったから。 「―――」 視線を落とすと、腕に巻かれた包帯に血が滲んでいるのが見えた。 ユキムラが黙したまま、他に見るものもなく視線を腕の包帯に沿わせていると、突如それを遮られた。 目の前に現れたのは、粥を掬ったスプーン。鼻腔をくすぐるのは、食欲をそそるいい香りだった。 空腹ではある。だが、素直に食べる気にはならなかった。 これを食べれば、元気になるだろう。ここにいれば、優しい仲間達が自分を介抱し、食事の世話をしてくれる。そして自分はあの元気な頃の自分に戻る。全てが昔の、あの穏やかな日常に戻るのだ。 だが、何もかもが戻ったはずの日常には、ない。この胸の穴を埋めてくれるものは、ないのだ。それならば、戻ることに意味などないのではないか? このまま食事を拒み続けていればいつか、鳥の声が聞こえるかも知れない。 そうすれば、連れて行ってくれるかもしれない。 ――フォーラとファータのところまで。 一向に口を開けようとしないユキムラに焦れたのだろう。スプーンが揺れた。そして、怒ったように降ってきた声は、 「ボース!」 耳に心地の良い、明るいソプラノ。それは、鳥の声と同様に待ち望んでいた声。 ――血が、止まった。 「――!!」 弾かれたように顔を上げたそこには―― 「――――」 眩しい笑顔があった。眩しい眩しい、笑顔。眩しすぎて、見えないくらいに輝いている、金色の笑顔。 「おいおい、ユキムラ。自分の娘の顔を、忘れたのかよ」 からかうようなアズマの声が、どこか遠い。 「――フォーラ? ファータ?」 唇からこぼれ落ちた自分の言葉も、何故か遠い。何もかもが、遠のいていく。鳥の鳴き声も、胸の痛みも、仲間達の笑顔も、何もかも。 目の前に佇む金色の少女だけが、彼の世界の中で、今、唯一鮮やかなもの。 一人の少女が、そこに立っていた。 短い金色の髪。同様に金の色をした瞳はぱっちりと開かれ、ユキムラの瞳を見つめている。白い頬には、僅かに赤みが差している。小さな唇は弧を描き、彼女は、笑っていた。太陽のように笑う少女が一人、ユキムラの目の前にいた。 「良かったよ、君が目覚める前に終わって」 都筑のその言葉に、ようやくユキムラは視線を彼へと動かす。 「な・・に?」 質問の言葉すらうまく口に出来ず、短く途切れてしまう。そんなユキムラに微笑みかけ、都筑はその拙い問いに答えるため口を開いた。 「フォーラとファータのバラバラになった部品を集めて、作り直したんだよ。 オーディーくんに手伝ってもらってね。だけど、部品の損傷が激しくて、二人ともっていうわけにはいかなかったけど、間違いなく彼女は、フォーラとファータだよ」 その言葉をしっかりと噛みしめた後、ユキムラは再度、ベッドの傍らに佇み自分を見つめている一人の少女を見上げる。 彼女は、咲き零れんばかりの笑顔でユキムラを見つめていた。愛しくて仕方ないと顔に書いてあるくらいに、 穏やかで優しい笑みで、ユキムラを見つめていた。 その笑みは、紛れもなくフォーラとファータのもの。 自分が一から感情を教えてやり、そしてここまで彼女たちは笑えるようになったのだ。 三人で作り上げてきた笑みが、そこにはある。 「ユキムラ君、もう一つお知らせだよ」 じっと少女を見つめているユキムラに、都筑はそっと声をかける。 「彼女の心臓は、motherの生命波動を受信することで動く。一生涯、唯一のmotherの、ね」 その言葉に、ユキムラは都筑に視線を遣る。不思議そうに彼が瞳を瞬かせるのを見て、都筑は微笑む。 motherは自由に変更可能だと、以前彼にはそう伝えたのだ。ユキムラが疑問に思うのも無理はない。ユキムラの問いに答えるために、都筑は少しもったいぶった後、口を開いた。 「彼女のmotherは、君だ。君だけだよ、ユキムラ君。ずっと、ずっと君に設定したんだよ」 『ファータとフォーラのママは、ボスだけだよ?』 蘇るファータの言葉。 「――フォーラと、ファータ」 目の前に立つ少女を、ユキムラはじっと見つめる。本当にそうなのかと、疑っているのだろう。少女をつま先から頭まで視線を移している。 右腕に残るフォーラの文字。左腕に残るのはファータの文字。そして、優しく微笑むその少女の両の耳朶には、青いピアスが光っていた。いつだったか、ピアスの取り合いをしていた二人に、半分ずつにして渡してやったそのピアスが、今はペアで光っている。 鳥に連れ去られ、バラバラになってしまったと思っていた。 ――あれこそが、夢・・? そして、あの鳥の鳴き声は―― 「―――・・鳥は?」 鳥は、もう鳴かないのだろうか。あの時、終わりを告げた鳥は、鳴かないのだろうか。 ぼんやりと問うたユキムラに、少女は笑みを零した。ユキムラが口にしたのは短い問いだった。 それでも少女には、彼の問いたいことが何なのかが分かったようだった。 手を伸ばしユキムラの腕に触れ、囁くように少女は答える。 「鳥はもう居ないよ。あたし達を連れ去る鳥は、もう鳴かないの」 耳に未だ残る鳥の声が、薄れていく。代わりに染みこんでくるのは、少女の明るい声。 「だから、言ったでしょ?」 傷を優しく撫でる、少女の声。 「ちょっと行って来ますって」 傷口からポタポタと流れ出していた血に代わって、頬を伝う温かい涙。 ユキムラの瞳から、涙が溢れ出ていた。 それをごしごしと、少し不器用に拭うのは、少女の小さな手。 「ほら、ちょっとだけだったでしょ? ママ」 そう言って、少女は笑った。 傷口が、消えた。痕すら残さず、綺麗に消えてしまった。けれど、流れる涙は止まらない。次から次へと流れ出す。 「・・・ホントに、帰ってきたんだな?」 無意識に手を伸ばすと、いつものように冷たいけれど、滑らかな腕が首に回される。あの時のように、伸ばされた手が虚空を掴むことはない。しっかりと、少女の体を抱き締めることができた。 「うん。ママの言う事はきかなくちゃネ」 ――帰ってきた。本当に帰ってきたのだ。 ユキムラは、これでもかと少女の細い体を抱き締める。きつくきつく抱き締める。 離さなければ離れないということを思い出したから。だから、もう二度と離さないよう、抱き締める。そして、抱き返される。背中に回された短い腕が、必死で自分を抱いている。 ますます、涙は溢れる。それでも、ユキムラは笑った。作り損うことなく、 笑顔をその顔に乗せる。少し歪んでしまっていたのは、涙の所為だろう。 今は誰も、それを見とがめることはなかった。 「やっぱり、オレの教育が良かったんだな」 涙に濡れてはいたけれど、明るさを取り戻したユキムラのその台詞に、 アズマが笑みを零しながら口を挟んだ。それに続くのはユイ。 「いや、俺だな」 「私に決まってるでしょ」 「ふふ。ユイちゃんかな♪」 こんな感動的なシーンでさえ、憎まれ口を叩くその口も、今は―― 「どうだっていい。帰ってきてくれんだ――」 已然頬を伝う涙は、凍り付くほどに痛かった血の涙に比べて、驚くほど温かい。 その涙が少女の服を濡らしていることは分かっているが、どうにも止めることは出来ない。 少女も、それを咎めることなく、更にユキムラの背をきつく抱き締める。 「ただいま、ママ」 少女の存在を確かめるように、彼女の背を優しく撫でながら、ユキムラはその台詞に笑いながら言った。 「ママはやめろって」 それは、彼女に、一番最初にmotherとして教えたこと。 「忘れたのか? ママじゃなくて――」 「ボス」 少女は、きちんと覚えている。ここにいるのは、他の誰でもない。やはりフォーラとファータ。 「――そうだ。ボスだ」 怪我を負っていない左腕だけで、より一層、強く強く抱きしめる。 「ボス――――ッ!」 腕の中の声は、くぐもっていた。強く抱き締め過ぎた所為かと、ユキムラが腕の力を緩めたが、 離れまいとしているのだろうか、逆に強く抱きついてくる。その体を、再度抱き締める。 その時、首筋に感じたのは、冷たいはずの体から溢れてくる涙の温かさ。 彼女の頬も、ユキムラと同じように、温かな涙で濡れていた。 「――おかえり。おかえり、フォーラ、ファータ」 「ただいま!!」 返ってくる声は、一つ。 未だ成長しきっていないユキムラの腕では、二人一度に包み込んでやることはできなかったのに、今は、この腕でも十分になっている。 今まで抱き締めてやれなかった分を埋めるかのように、ユキムラはずっと彼女を抱き締めている。 そしてそのままポツリと呟いた。 「・・・ナマエ」 「ナマエ?」 フォーラとファータ、では呼びにくい。 「新しい・・ナマエ。考えてやらないとな」 すると、少女は、 「――うん!」 嬉しそうに、大きく頷いた。そして、ユキムラに抱きついたまま、次なる彼の言葉を待つ。 「実は、ずっと前から決めてたんだ」 ブルーが居なくなったその時から、次に自分の元にやって来る”青い鳥”の為に、ナマエを考えておいた。安直なネーミングだと、アズマやユイに笑われないように。 「あのな・・」 アズマ、ユイ、グリフォード、都筑が見守る中、ユキムラは徐に口を開いた。 「お前の名前は――」 それを遮ったのは、 ピイイイイ――――――――――――・・・ 「――鳥が、鳴いてる・・」 突然、鳥の鳴く声が響き渡った。だが、ユキムラがその鳴き声に怯えることはない。 天を裂く、鋭く澄み切った鳥の鳴き声。その鳴き声が、ユキムラから娘たちを連れ去ることはもうないのだと、彼は知ったのだから。 それでも、娘を抱き締める腕は、緩めない。 今は、心ゆくまで抱き締めていよう。 「いいか? お前の名前はな――」 ピイイイイ――――――――――――・・・ ――鳥が鳴いていた。 ――西暦U−9年、6月22日。 その日、終わりではなく、新たな始まりを告げる鳥が、鳴いていた。 【鳥が鳴くまで】the end...
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