「うああああああ・・
 目覚めは、最悪。
 兄天狗・相樂さがらとしこたま酒を飲み、実はいつ寝床に潜り込んだのかすら覚えていないザマだった。
 オレも相樂もザル───どころか、枠なのだが、それにしたって昨夜は飲み過ぎた。二人で酒を飲むこと自体が久し振りだったし、下降気味だった気持ちを晴らしたいこともあって、酒をあおる勢いも、量も、今思えばハンパ無かった。
 おそらく相樂も、オレと同様に潰れているに違いない。
「いってェ・・・
 若干、頭が痛い。
 二日酔いなんて、何年振りだろうか。
 自身の鼓動に合わせて襲ってくる頭痛。それを眉をひそめながらやり過ごし、布団の中で身動ぐ。そして、気付いた。
「・・・あれ?」
 いつも隣に居るはずの藤の姿が、そこにないということに。
 徐に体を起こし、畳の上を這いずるようにして襖まで寄りそれを開けば、
「うっ」
目を刺す、到底朝日とは呼べない力強ーい陽光。
 その高さを見ても、一目瞭然。
「もう、昼か・・」
 おそらく藤はとっくの昔にオレの隣を抜け出していったのだろう。
 全く気付かなかった。
 藤のことだ。きっとオレを起こさないように、静かに布団を抜け出したのだろう。
(まあ、昨日のオレなら、蹴られたって起きなかったと思うけどな)
 何せ、ここまで帰ってきた記憶すらない状態だったのだ。布団に入るなり爆睡していただろうから、ちょっとやそっとのことでは起きなかっただろう。
「っつーか、逆に・・」
 オレはどうだった、と不安になる。先に眠っていただろう藤を、起こしてしまっていなかっただろうか。
「・・・・・起こしただろうな
 そんな気がする。
 記憶を呼び覚まそうと部屋の中を見回す。目に付いたのは、枕元に丁寧に折りたたまれて置かれた、オレの羽織。昨夜オレが着ていたものだ。
「・・・・」
 勿論、オレは自分でたたんだ記憶も───そもそも、脱いだ記憶すらない。部屋に入って布団を見るなり、倒れ込んだような気がする。
「あ。朝、藤が脱がせてくれたのかも、だしな」
 と、自分に都合の良い仮説を口にしてみるが、折りたたまれた羽織を広げてみて、すぐさまその可能性を否定せざると得なくなった。
「───・・」
 広げた羽織にシワがない。
 もしも着たままで寝ていればシワになってしまっているはず。ということで、オレの都合の良い解釈は、ボツ。おそらく、オレは、藤が寝ていることなどお構いなしにドタドタと帰ってきて派手にぶっ倒れ、藤を起こしたのだろう。それを怒ることもなく───いや、もしかしたら怒っていたかもしれないけれど、それでもシワになってはいけないとオレの羽織を脱がせて、たたんでくれたに違いない。
「やっぱ、起こしてたか
 悪いことをしたと反省する。
 それでなくても昨日は桔梗姉さんのお相手で、さんざん村の中を連れ回されて疲れていただろうに。
 詫びておかなければ。
 幾分マシになってきた頭痛を押しのけ、藤を探すためのろのろと体を起こす。
「あああああー、ダリィ・・・」
 頭痛は治まってきたが、体のだるさはいかんともしがたい。おそらくまだ酒が残っているのだろう。体がフラフラする上に、己の呼気が、
「酒臭ェ・・
酒臭くてたまらない。
 これでは隣で寝ていた藤もたまったものではなかっただろう。そう思うと、ますます申し訳ない気持ちになると同時に、情けない姿を晒したことに対する恥ずかしさが募り、足取りは重くなる。
「・・はぁ。マジで飲み過ぎた
 酒臭い溜息を零した所で、背中に声が掛かった。
 それは、
「おー。起きたかー、火群ぁ」
 いつもの元気を完全に失った、相樂の気怠い声だった。
 振り返れば、どんよりと虚ろな目をした兄天狗の姿があった。
「・・・何て顔してんだよ」
とツッコミつつも、着崩れたままの着物をものともせず、ヨロヨロと歩いてくる相樂の姿に、
(多分、オレも同じような状態なんだろうな・・・)
と思ってしまうのが情けない。
「いやー、飲み過ぎたなァ」
「ホントにな」
 参った参った、と寝起きなのだろうボサボサの頭を掻きながら苦笑する相樂に、オレも苦笑いを返す。
 不意に、相樂が「お」と声を上げた。その視線の先を振り返って見れば、小天狗が小さなタライを手に歩いてくる姿。
「お、ちょうど良い。こっちに運んでくれ!」
 どうやら、顔を洗うための湯を運んで来てくれたらしい。
 相樂が手招きすると、小天狗は「あい!」と元気に返事をすると、トコトコと小走りに駆けてきて、廊下にトンとタライと置いた。
「俺のも頼めるか?」
 自らの前に置かれたタライをオレの前へと押しやり、小天狗に頼む相樂。どうやらオレに先に使えということらしい。
 再び、「あい!」と元気な返事を寄越し、小天狗が背中の小さな翼をばたつかせながら廊下の向こうへと消えていった。
 それを見るともなしに見送ってから、有り難く先に湯を使わせてもらうことにする。僅かに湯気を立ち上らせるタライに手を浸せば、酒でぐだぐだだった体が僅かに正気を取り戻したような気がした。
 それで景気よく顔を洗えば、随分と酒気が遠のいたような気がする。
 隣では相樂が小天狗の運んできたタライに頭ごと突っ込んで顔を洗っている。おそらくオレと同じ心地に違いない。
 少しスッキリとした所で、相樂に問う。
「なあ、藤は何処に行ったか知らないか?」
「ああ、悪いな。桔梗が連れ回してる。今日も村に下りたよ」
「・・・ふーん」
 おそらく昨日と同様に、二人きりで村に下りたのだろう。
 二人きりで人間の中に居させることに、不安がないと言えば嘘になる。
 長い間、人間を眺めてきたけれど、彼らのことは未だによく分からない。
 信じられないほど深い情愛に満ちあふれていたかと思えば、次の瞬間には人間同士で傷つけ合う。生きる場所など腐る程あるというのに、刀や弓を持って土地を奪い合い、殺し合う。
 未だに理解できない生き物。
(・・・・まあ、あの村なら心配は要らねーんだろうけど)
 桔梗姉さんの家が治めていた村には、未だに姉さんをおひい様と慕う村人たちが多いようだった。それは、今は滅んでしまった姉さんの家が村を大事にしていたことの名残と、もう一つ。おそらく相樂が、村を大事に守っているから、だろう。
 村人が天狗の花嫁に雨を願えば雨を降らし、害虫を払って欲しいと願えば風で虫を払う。花嫁が望むように村人の願いを叶える天狗を慕い、その花嫁を慕っている。きっとこれから先も、ずっと。
 だから、あの村の人間は心配ないとしても、
(人間だけじゃないしなー)
 妖怪の中にも、変わったヤツがいる。腐る程、いる。オレも同じ妖怪だが、理解できない。人間を理解できない以上に、妖怪も全く理解出来ない。最早、理解しようともしていない。そもそも、妖怪という括りではおさめようというのがそもそも間違いであるとオレは思っている。種族も多いし、おそらくオレが知らない妖怪もいるだろう。そんな妖怪の中には、人間を食すヤツもいる。
 まあ、そんなヤツには滅多にお目にかかることもないが、それがあの村に現れないとも限らない。
(随分、心配性になったもんだなァ)
 我ながら、自分のこの変化には驚く。
 他人のことなど構わず生きてきたのに、藤という人間を手元に置いた途端に、こう、だ。
 自分たち妖怪と比べれば、瞬くほどの命しか持たず、少し強くつつけば壊れてしまう脆い体しか持たず、武器で武装する以外に、強者に抗う力も持たない、脆弱な生き物。
 なんて憐れなんだろうと思うと同時に、オレが守ってやらなければとも、思う。
(ま、まあ、オレが無理矢理娶ったんだし、それくらいはな)
 誰にともなく言い訳をする。
 昨日も二人を村に置き去りにしてさっさと帰ってきてしまっていた。少しは桔梗姉さんたちに付き合ってやらないと悪い気もするし。
 寝乱れていた着物を直し、くしゃくしゃになっていた髪の毛を申し訳程度に整える。
「行くのか? 朝飯は?」
 バサリと翼を広げたオレに、相樂が問いかけてくる。
「いらね」
 ヒラリと手を振って答え、オレは一気に体を宙へと浮かせた。
「気を付けろよー」
 相樂の声に見送られ、鏑木かぶらぎ村を真っ直ぐに目指した。
 春の陽光に暖められた風が、頬を撫でる。
 鼻をくすぐる新緑の香り。視線を下へ落とせば、その新緑が視界を染める。鮮やかだが、瞳に優しい色。
 それもすぐに途切れ、村が見えてきた。
 藤と桔梗姉さんの居所は、すぐに知ることができた。村の中に一つ鮮やかな色彩。姉さんの艶やかな着物の色がすぐにオレの目についた。
「ん?」
 思わず翼を休め目をすがめたのは、藤と桔梗姉さんのその隣に見知った顔があったから。
「あのヤロー
 でっかい目をパチパチと忙しなく瞬かせ、普段から赤い頬をこれでもかと真っ赤にしている、一つ目小僧。
 昨日、図々しくも藤に求婚をかました小僧の姿が藤の隣にあることに、ついついムッとする。
 いや、藤が一つ目になびくとは微塵も思ってないし、心配もしてない。それでも、やっぱり、一応、まあ、ちょっとしっくりこなくはあるが、藤はオレの嫁だし。それを知った上で藤にちょっかいをかけられれば、矢張り腹も立つってもんで。
「もっと脅してやるか」
 だが、まるでそれを察したかのように、
「ちっ」
一つ目が藤と桔梗姉さんのそばから駆け足で離れていった。
 せっかくきっかり諦められるように脅してやろうと思っていたのに。思わず舌打ちをしながら、消えていった一つ目の後ろ姿から藤へと視線を遣って、気付く。
 藤の横顔が、暗い。
 一つ目が去って行った方へと視線を向け、溜息を零している藤。
「・・何だ?」
 一つ目に何か言われたのだろうか。
「藤!」
 慌てて藤の隣に降り立って名を呼ぶと、、弾かれたように振り返った藤がオレの顔を見て表情を和らげた。
「火群様」
 ほっとしたような顔。
 そんな顔を向けられると、何て言うか───嬉しいけれど、少し、くすぐったい感じがする。
 妖怪であるオレにこんな顔をする人間を、オレは知らない。
 それは置いておいて、藤の顔を覗き込み、藤の暗い表情のわけを問う。
「どうした? 一つ目に何かされたのか?」
 すると藤はすぐさま首を左右に振った。だが、藤の代わりに口を開いた桔梗姉さんの言葉に、やはり原因は一つ目であることを知る。
「いえね、ちょっと一つ目ちゃん、頑張り過ぎてるんじゃないかって。ねぇ、藤」
「ええ。今、村の人は皆さん、ぎりぎりの生活を強いられています。これで運勢まで下ちてしまっては・・・」
 戦を目前にし、働き手である若い男が吸い上げられ、残るのは女子供と、年老いた老人たち。村から上へ差し出す年貢も増えていると聞く。当然、村人から村主へと差し出さねばならない年貢量も増えているということ。
 オレが住む陽稲村ひいなむらもそうだが、都に近い比較的大きなこの村では、人員の吸い上げも、年貢の吸い上げもオレの村とは比べものにならないに違いない。
「藤に良いところを見せたいのは分かるんだけど」
 困ったわと頬に手を当て、小首を傾げる桔梗姉さんの隣で、藤が大きな溜息をついている。
 どうやら一つ目は、藤に良いところを見せようといつも以上に人間たちのアラを探しまくっているらしい。一つ目の帳簿に×が付けられれば、その家の運気は落とされてしまう。
 どうやら藤も桔梗姉さんも、それを憂慮しているらしい。
 いつも楽しそうに笑っている藤の顔に、何とも似合わない暗い色。
「────」
 イラッとする。
 言わずもがな、一つ目に。
(惚れてるならこんな顔させんじゃねーよ
 自分の気持ちを押しつけることに夢中になって、相手の気持ちを推し量ることを忘れてしまっているらしい。
 まあ、藤を無理矢理娶ったオレにそんなことが言えた義理ではないけど、それでも、放っておくワケにはいかない。
「ちょっと、行ってくる」
「え?」
 何処にと問う藤の声に手を振り、急いで翼を羽ばたかせる。
 まだ近くに居るはずだ。さっさととっつかまえて灸を据えてやらないと。確か、一つ目が道祖神に帳簿を提出するのは、明日のはず。
 一気に空高く駆け上り、上空から村を見下ろせば、
「お。居た居た」
 意外にも、一つ目の姿はすぐに見つかった。
 ほっと安堵の溜息を洩らす間も惜しんで、一気に急降下。
 細い路地に身を潜め、家の中を覗き込んで帳面に筆を滑らせている一つ目の背後に、音もなく降り立つ。
「うむ。此処で最後じゃ。むむ。草鞋がそろっておらぬな。お行儀悪し、と」
 ブツブツ言いながら帳面に大きく×印を書き入れている一つ目の背中に、無遠慮に声をかける。
「おい、一つ目」
「ひゃあっ!!」
 どうやらオレの存在に全く気付いていなかったらしい一つ目は、悲鳴を上げて文字通り飛び上がって驚く。その拍子に、一つ目の手から帳簿が滑り落ちた。
「よっと」
 一つ目が手を伸ばすよりも先に、それを拾い上げパラパラと捲ってみれば。
「・・・何だよ、これ」
 何処の家も、×だらけ。
「コラ! 返せ返せ返せ〜!!」
 更に頁をめくっていくオレに、一つ目小僧が精一杯手を伸ばして帳簿をオレの手から奪い返そうとしているのを完全に無視して、全て帳簿を確認する。確認して判明した事実に、オレは大きな溜息をついていた。
 藤が心配していた通り。
「おい、一つ目。ほとんどの家に×ついてんじゃねーか」
 捲れど捲れど、×ばかり。
 これでは、この村の家全ての運気が下がってしまう。
 藤の心配顔が瞼の裏に蘇る。
「これじゃあ厳しすぎる。もっとまけてやれよ」
 ほら、と帳簿を一つ目に返してやりながら、親切にも進言してやったのに、
「何を言っておるのじゃ! そうなのだから、仕方がなかろう」
悪びれることなく、堂々と言い返してきやがった。
 おそらくコイツは藤の夫であるオレに対して大いなる対抗心を燃やしているんだろう。どうあってもオレの言葉に「分かった」と素直に頷くつもりはないらしい。ふんと胸を張って言い返してくる一つ目に、ムッとする。
 確かに、×がつくのはその家の落ち度からだろうが、それでもやっぱり情ってモンがあるだろ。オレの村に来たときにはコイツもちゃんと心得ていたと思ったのだが。
(コイツ、藤に良いところを見せようと張り切ってやがるんだな)
 多分、そういうことなのだ。桔梗姉さんが言っていたとおり。
 惚れた人に、自分が一生懸命、仕事をしている姿を見て欲しい。その一心なのだろう。
 気持ちは分からなくもない。けれど、
(ガキだな、ホントに もっと藤のことを考えてやれよ)
 おそらく、一つ目は分かっていないんだろう。
 藤は、人間だ。
 どうしたって同じ人間の肩を持ちたいに決まっている。困っている仲間を目の前にして、その仲間を少しでも救えるのならばと願わずにはいられないはずだ。

 まして今、一つ目が張り切って仕事をしているのは、自分に良い姿を見せたいという気持ちから。
 きっと藤は、自分の所為でと、そう思い顔を曇らせているに違いない。
 せっかくのオレの進言を無視しやがって。お前なんて、せいぜい張り切って村の運気を下げて、藤に嫌われちまえ、と思ったりもしたが───駄目だった。
「ちっ。仕方ねーなァ」
 癪だが、教えてやろう。
 一つ目のためではない。藤が傷付くのが可哀相だから、だ。
「お前なァ、ちょっとは空気読めよ。これで藤が喜ぶとでも思ってんのか?」
 オレの親切な忠告に、またしても一つ目はそれを受け取ることをしなかった。
「ム! その手には乗らんぞ!」
 オレの妨害工作だと思ったらしい。
「おい。違うって。そういうコトじゃなくて──」
「オラに仕事をさせまいとしておるんじゃろ! 見え見えじゃ!!」
 おいおいおいおい。勝手な妄想すんなよ。
 素直にオレの言葉を受け取ろうとしない一つ目に、苛立ちが募る。元々オレは気が長い方じゃない。
「バカ。違うっての!!」
「オラに藤を取られるのが怖いのだな。ナマケモノ天狗!」
 その一言に、頭の血管が一本切れたのが分かった。
こんのクソ坊主 !!」
 その襟首をひっつかまえてやろうと伸ばした手が、
「きゃ っ!!!」
宙を切る。
 脱兎の如く逃げ出す一つ目。
「くそっ! 待て、コラ!!!」
 細い路地を一目散に駆けて行く一つ目を、慌てて追いかけるが、
「おわっ いって
 路地に置かれた桶やら何やらに足を取られてたたらを踏んでいる内に、一つ目の姿は消えていた。
 鈍臭くていつも簡単に人間に見つかるくせに、一度も掴まったことのない逃げ足の早さはさすがだ。そして、ひとたび逃げ出せば、あのちっこい体は、ごちゃごちゃした村の中の何処にでも紛れさせることができる。
 多分、もう見つけることは出来ないだろう。
 完全に、見失った。
「くそっ」
 あの帳簿の提出は、確か明日が期日。
 あの時、一つ目が落とした帳簿。
「しまったな・・・」
 持ち去ってやれば良かったと、今更ながら後悔する。
 ガシガシと頭を掻きながら、思い出すのは藤の憂い顔。
「────・・さて、どうしたもんかなァ・・」
 一つ目をもう一度掴まえれば良いだけの話だ。そして、きちんと説明してやればいい。藤が悲しい顔をしているのだということを。その理由を。
 だが、おそらく今日はもう一つ目は姿を見せないだろう。この家で仕事は終いだと言っていたはずだ。
 一つ目は、オレが自分の仕事を邪魔しようとしていると思っているだろうから、明日まで何としても帳簿を死守しようと、徹底的にその身を隠してしまうだろう。
「・・・事情を話して、道祖神に直談判するか?」
 この村とは何の関係もないただの天狗の声に、道祖神が耳を傾けてくれるだろうか。可能性は限りなく0。
「・・・・・」
 情けないことに、完全に、お手上げだった。