昼。朝の頼りない白色から、瞳に眩しい橙の衣へと姿を変えた太陽が、真上から村を見下ろす時間。
 オレと藤、そして桔梗姉さんは、鏑木村かぶらぎむらのど真ん中に降り立っていた。
 低い屋根の家々が建ち並び、その先に田畑の広がる農民たちの住む場所。
 桔梗姉さんを抱えて村までやってきた相樂さがらは、早々に村を後にし、飛び去ってしまっていた。昼食を胃袋に治めた所為で襲ってきた眠気との戦いに負けて、オレがだらしなく欠伸をしている内に、
「後はよろしく〜♪」
と、オレの返事を聞くことなく、ソッコーで消えやがった。そうはいくかと翼を広げてヤツを追いかけようとした矢先に聞こえてきた人間の声に、慌てて背の翼を隠してしまっていた。その一瞬の隙に、相樂の姿は空の彼方。もう見えない。
「あの方は、あまり村人に姿を見られたくないようなのよ」
 そう言って、桔梗姉さんは少し寂しそうに笑った。
 そんな姉さんを前に、
「オレもちょっと勘弁なんで。じゃあ!」
 と手を振り、二人を置いていくわけにもいかず、
(オレだって人間の前には出たくねーってのに)
と、心の中で舌打ちしつつも、仕方なく翼を背に仕舞っていた。
 いつも陽稲ひいな村でそうしているように、人間の目から姿を隠そうかとも思ったが、それも思いとどまる。藤も桔梗姉さんも姿を隠す術を持っていない。いくら傍にいるとはいっても、姿を見せていなければ二人きりで村に取り残されたのと同じこと。
(・・・仕方ねーなァ)
 姿を隠すことも、諦める。
 眉根に皺が寄るのを感じながらも、何処ぞへと足を向けて歩き始めた姉さんの後ろに付き従わせていただく。豪勢にもてなしてもらったし、今日一日くらいは付き合っても良いか。
 開き直ったオレとは対照的に、桔梗姉さんの隣に並んで歩く藤の顔は不安げだ。
 こんな風に堂々と人前に姿を晒すことが久しいからだろう。
「あ、あの、桔梗様
「どうかした? 藤」
 きょとんと首を傾げた桔梗に、藤が問う。
「このように堂々と・・・宜しいのですか?」
 言葉少なに、姿を隠すことなく降り立っても大丈夫なのかと問うた藤。桔梗姉さんがそれに答える前に、
「おひい様!」
「桔梗様〜!!」
 知らぬ声が、桔梗姉さんを呼んだ。
 振り返って見れば、農民たちの姿がそこにあった。鋤や鍬を手にしているのを見ると、農作業に赴く途中らしい。その誰もが、桔梗姉さんを見つけて嬉しげに目を細めている。ヒラヒラと手を振っている者もいる。
(・・・・・いやいやいや、違うだろ、それ
 反応が、オカシイ。
 田畑のただ中に、艶やかな着物を纏った美しいお姫様。
 嬉しげに目を細めるよりも、驚きに目を瞠るのが普通の反応だろう、ここは。
 思わず藤と目を見合わせる。
 そんなオレたちに構うことなく、桔梗姉さんは村人たちに穏やかな微笑みを向けている。村人たちはというと、天狗の花嫁である桔梗姉さんに何ら臆することなく歩み寄り、ある者は家の中の家族を呼びに走る。
「みんな! お姫様がおいでだぞー! 早よ来い」
「おお、お姫様!」
「よくぞお越しを」
「皆、息災ですか?」
「ええ、ええ、おかげさまで!」
「まあ、多少しんどいが、雨さえ降れば、作物は実りますからな」
「そうですか。では、相樂さまにはそのように伝えておきますゆえ」
「ありがとう存じます!」
 桔梗姉さんはあっという間に村人に囲まれ、オレたちは蚊帳の外。完全に置いてけぼりをくらってしまった。
 農村に、お姫様。
 オレの目には異様なものとしてしか写らないこの光景だが、どうやら此処では頻繁に繰り広げられているものらしいことに気付く。と同時に、
「あー・・」
思い出す。
 此処は、桔梗姉さんにとって縁の深い村。
「随分と村の方たちと仲が良いんですね。桔梗様は」
 オレの隣で、やはり驚いたように瞳を瞬かせている藤に、その理由を教えてやる。
「桔梗姉さんは元々この村に城を構えていた勝間家の姫君だったからな。村人も変わらず慕ってるんだろうよ」
 その答えに、藤はますます驚いたように目を瞠った。疑問の色を宿したでっかい黒目がオレを見上げる。
「───え。でも、勝間家というと・・」
 最初、藤が何故目を瞠るのか理由が分からなかったが、すぐに気付く。というか、思い出す。
 人間とオレたち妖怪とでは、時の流れが違うのだということ。
 オレたちにとってはちょっと前の出来事でも、藤にとっては遙か昔の出来事。
「ああ、そうそう。百合ヶ岳の戦いで数十年前に滅んだ家だ」
「数十年前?」
 目をぱちぱちと瞬かせ、呆然と藤が呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桔梗様は、お幾つでいらっしゃるんですか??」
 たっぷりと沈黙を取った後、藤は背伸びをしてオレの耳元に口を寄せた。女の年を訊ねることは無礼だと思ったのだろう。桔梗姉さんに聞こえないよう小声での問いかけ。
 けれど、それに答えたのは、藤の努力の配慮の甲斐もなく、
「50を過ぎた頃から、数えるのはやめました」
「き、桔梗様
 いつの間にか村人の輪から抜け出してオレたちの背後に立っていた桔梗姉さん本人だった。
「す、すみません! どうしてもそんな風には見えないので、驚いてしまって・・!」
 慌てて頭を下げる藤に姉さんは「いいのよ」と穏やかに笑う。
 ・・・・・・・多分、オレが聞いてたら、平手の一発も頬に頂戴していたことだろう。見た目ってのは得だな、おい。
「私はね、城を攻められ自害しようとしたところを相樂様に救われたの。そして、相樂様の妻となり、天狗として相樂様のお隣で永きの時を共に生きることを決めたのです」
 オレの隣で黙って桔梗姉さんの言葉を話を聞いていた藤が、小さく息を呑んだのが分かった。
「───人間から、天狗に・・?」
 本当にそんなことが出来るのですかとオレに視線を向けてきた藤に、本当だと頷いて見せる。
 どうやら人間である藤は知らなかったらしい。まあ、当然か。
 驚いている藤に、桔梗姉さんが優しい微笑みを向けながら告げる。
「ええ。相樂様の母上様─大天狗・仄華ほのか様に天狗としてのお命を与えて頂いたのよ」
「そう、なのですか」
「天狗道に墜ちたと残った家臣は嘆きましたが、私は後悔などしておりませぬ。今、私は相樂様のお側で、こんなにも幸せなのですから」
 そう言って笑った桔梗姉さんの笑みは、その言葉の通り、幸せそうだった。
 艶やかな大輪の花が一気に咲き綻んだよう。
 こんな顔を見ると、ガラにもなくつい、思ってしまう。
(・・・ちょっと、羨ましい、なんてな)
 相樂も、桔梗姉さんと同じ顔で笑う。
 同じだけの愛を捧げ、同じだけの愛を捧げられている、対等な関係。
 永遠を求める程に愛しい人に出逢えた兄夫婦。
 二人の仲睦まじさを見せつけられるたび、若干──否、かなり鬱陶しさを感じているわけだけれど、それでも、羨ましく思ったりするものまた事実で。
 まあ、だから、つい、
「お前もこんな嫁を早く貰え♪」
 なんていう相樂の言葉を真に受けてしまったわけで。
 多分、嫁を人間のおなごに求めたのも、若干癪ではあるけれど、あの兄貴の影響だと思う。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、おなごじゃねーけど
 そのおなごじゃない嫁を、チラリと見遣る。
 藤は、未だに目をでっかくしたまま、桔梗姉さんを見つめていた。
「おひい様!」
「桔梗姫様」
 村人たちに呼ばれ、ゆったりと踵を返し離れていく桔梗姉さんの後ろ姿を、何を思ったか見つめ続けている藤の横顔が、気になった。
 驚きに見開かれていた瞳はすぐに細められ、薄く開いていた唇がきゅっと引き結ばれる。その表情が憂いを帯びているような気がして。
「・・・どうした、藤?」
 思わず声をかけると、藤は驚いたらしく肩を揺らした。オレに見られていることに気付いていなかったらしい。
「どうかしたか?」
 再度訊ねると、藤はゆっくりと首を左右に振った。
「いいえ、何でもないんです。ただ───」
「ん?」
「ただ、なんて、お強い方なのかと・・・」
 桔梗姉さんのことを言っているんだろうけど、何を思ってそんな言葉を藤が口にしたのか、オレには分からなかった。 そして、慌てて笑みに塗り替えたけれど、その面に張り付いていた憂いの色の理由も。
「強い、ねぇ・・・」
 まあ、確かに、桔梗姉さんは強いと思う。
 精神的に、だ。
 時に神としてあがめられ、あるときは悪神として恐れられる天狗に見初められて嫁にと望まれた境遇に涙するようなか弱さは持ち合わせていなかったと相樂から聞いたことがある。
「何度口説きに行っても全力で拒否られたからなァ。それもまた快感で。あん時、自分ってMなんだなァ、って気付かされたわー」
 そう言ってカラカラと笑っていた相樂。あるときは弓を射かけられたこともあると言っていたか。
(つ、強すぎる・・・)
 天狗に弓を射かけようというその根性。肝の据わり様は見事だ。
 戦の時も、そうだ。城攻めにあったときには、誰に言われるでもなく敵方の手におちるくらいならばと、迷わず懐剣を抜いたと聞いている。そもそも城の中で蝶よ花よと育てられていた─のかははなはだ疑わしいが─お姫様が、天狗なんかの妻になろうと決めたその度胸は、最早男前でさえある。
「まあ、いつだっておなごの方が肝が据わってるもんだぜ、藤」
 いざとなれば女の方が腹のくくり方は見事だし、過去の切り捨て方はバッサリと潔いもんだ。
 軽口を叩いたオレに、藤は僅かに笑みを返しただけで、すぐに視線を桔梗姉さんへと戻してしまう。そして、ポツリと呟く。
「人を捨てても良いと、永遠に相樂様をお慕いするとお決めになったあのお強さを、相樂様もお求めになったのですね」
 口元には僅かに笑みが浮いていたが、桔梗姉さんを見つめる瞳は細められている。少し、寂しげに。
「・・・藤?」
 何がそんなに引っかかっている。どうして、そんな顔をするんだ。
 藤が何を考えているのか分からない。
「・・・どうした、藤」
 心配になって、顔を覗き込むと、藤は慌てて笑みを浮かべた。
「───いいえ。何でもありません」
 綺麗な笑みだったけど、明らかに誤魔化そうとする笑み。そして、答えを寄越すつもりはないのだという笑み。
(・・・何だ?)
 思わず眉に皺が寄る。
 藤の考えることはオレには分からない。
 オレが、妖怪だから? 藤が、人間だから? 否、そんな種族の違い以前に、オレがオレで、藤が藤だから?
 だから分からないのか。
 それならば、どうしたら、知ることが出来る───。
(分からないことが、こんなに不安に感じるもんなんだな)
 今まで、爺と二人で暮らしていたころには感じなかった感覚だ。他人が何を考えているのかなんて、今までは気にしたこともなかったのに、気になる。
 憂いがあるのなら、取り払ってやりたいと思うのに、その憂いの理由が分からない。それが、こんなに気持ち悪いコトだなんて、知らなかった。
 思わず唇を噛みしめていると、不意に、頬に焼け付くような視線を感じる。
 誰だと視線を巡らせれば、
「・・・?」
 桔梗姉さんが、オレを真っ直ぐに見つめていた。
 その瞳が藤を見つめて細められ、再びオレに戻る。その視線は藤に向けられたものとは違い、鋭さを纏っている。それは、オレを責めているようでもあった。
 何故、そんな目で見られなければならないのか、分からない。心当たりが全くない。
(な、何なんだよ・・
 鋭い視線に居心地が悪くなって身動いだところで、突然隣に立っている藤が、
「あ!」
と声を上げた。
 何だと思って藤を見れば、いつの間にか憂いの色を消し、いつも通りの笑みを浮かべた藤がそこには居た。
「あれは、一つ目様ではないですか?」
 細い指が指し示す先へと視線を遣れば、藤の言った通り、帳簿を手にした一つ目小僧が家の中をこっそり覗き込んでいる姿があった。
「一つ目様!」
「!! ふ、藤・・・
 突然名前を呼ばれた一つ目はビクッと肩を揺らしたが、自分の名を呼んだのが藤であるのを見るなり、頬を赤く染めた。
「またお会いできましたね」
「そ、そうだのう/////」
「お仕事中ですか?」
「うむ」
 どうやら一つ目の異形は既に見慣れたらしく、トコトコと一つ目小僧の方へと駆けて行く藤の背を、黙って見送る。
(・・・さっきのは、何だったんだ?)
 あの憂い顔は、一体何処にいったんだ。ってか、何であんな顔をしたんだ。
 分からないのが、気持ち悪い。が、どんなに考えたって、オレには答えを見つけることができそうにない。ならば、考えたって仕方がない。とりあえず、いつも通りの笑みが戻ったのだから、これで良しとすべきか。
 笑みを取り戻させたのがあの一つ目ってのは気にくわないけれど。
 と、思わず舌打ちをしている所へ、
「火群様」
桔梗姉さんが寄ってきた。
「・・・・・な、何?」
 未だ、目が怖いんですけど。
 一体何を言われるんだと構えて待っていると、桔梗姉さんは真っ直ぐにオレを見つめて言った。それは、思ってもいなかった言葉で、
「火群様は藤に、命を与えていないのですね」
「・・・・そう、だけど?」
思わず、きょとんとしてしまった。
「何故?」
「・・・・」
 何故、って?
 何と答えて良いものか。言葉は、すぐには出てこなかった。
 すぐに出て来たのは、
(いや、だって、藤は男だし。オレが一方的に寄越せと言ったんだし。藤は望んで来たわけじゃねーし・・・)
 幾つもの答えが、ぐるぐると頭の中を回った。
 ───実は、考えたことがないわけじゃない。
 相樂が母様に頼んだように、自分も藤に自分と同じ命の長さをねだることを。
 けれど、決めることは出来なかった。
(って、そんなこと、オレが一人で決めて良いことじゃねーし)
 だったら、望むか否か、聞いてみれば良いだけなのだが、聞けなかった。
(聞けねーよ)
 聞けない。問えば、藤は首を縦に振るに決まっている。其れをオレが望んでいると知れば、藤は迷うことなく頷くに違いない。
(そんなんじゃ、ダメだろ)
 今でも十分に藤の人生を人の道から踏み外させているのだ。更に人として定められた命の刻限さえも奪うことが、果たしてオレに許されるのか。
 ───屹度、許されてはいけない。
 藤が笑って許そうとも、オレは許せない。
 屹度藤はオレに気を遣って、自分で望んでいるのですと、そう答えるだろう。そうに決まっている。
 その言葉を、信じてはならない。
 そもそも、藤は永遠の命を望むような欲の深い人間じゃないことは、短い付き合いだが分かっている。
 桔梗姉さんが欲深いと、そう言っているわけではない。この人は、相樂のことが大切で愛しくて、永遠に傍に居たいと望んだ。それを相樂も望んだ。
 では、アイツはどうだ。アイツに、オレの隣を永遠に望む理由などない。
 オレたちはホンモノの夫婦でもなければ、恋人同士でもない。
 ただ、たまたま一緒に居ることになったから、一緒に居るだけ。
 それでも、藤はオレのことを慕ってくれてはいるだろう。けれど、永遠を共に過ごしたいと思ってくれているのかと言えば、答えは否、だろう。何たってオレは、自分で言うのも何だか、ぐうたら天狗だし、面倒をかけてばかり。そんなオレの隣を望むとは思えない。
 自分で言っていて何だか寂しくなるが。
 そもそも、藤の気持ち以前に、
「オレは───・・・」
 永遠に、藤に隣に居て欲しいと思っているのだろうか?
 自分の気持ちがまず分からない。
 相樂が桔梗姉さんに求めたように、桔梗姉さんが相樂に求めたように。あんなに強い想いをオレは藤に持っているか?
 是と答えることが、出来ない。
 愛しいとは、思う。けれど、今感じている愛しさをこれからも永久に持ち続けて居られるかと問われれば、是と答えることは出来ない。
(ああああ、弱ェなー。煮え切らないダメ男じゃねーか、これじゃあ)
 相樂や桔梗姉さんのようには、決められない。
 オレには藤に思われている自信はないし、思い続ける自信もないんだ。
「あ」
 気付く。
 もしかして、藤も考えたのだろうか。
 人としての生を捨て、天狗になることを決めた桔梗を強いと言った藤。アイツもオレのように自問して、答えを出すことが出来なかったのだろうか。そんな自分を何て弱いのだと恥じて、桔梗を何て強いのだと眩しく思ったのだろうか。
 黙り込んだオレに、若干言葉の調子を柔らかくした桔梗姉さんの声が問うてきた。
「ねえ、火群様。藤は、貴方が望んで妻に迎えたのではないの?」
「・・・花嫁を寄越せと言ってみたら、藤が来た」
「まあ、何て乱暴なの」
 目を瞠る桔梗姉さんに、オレは言い返す言葉もない。
 その通りだったから。
「では、貴方は藤が不満だというの?」
「・・・・不満なんてねーよ」
 不満など、あるわけがない。
 ぐうたらなオレの面倒を嫌な顔一つ見せずにみてくれることには感謝しているし、爺と二人きりのしけた─と言っては爺にしこたまつつかれるだろうが─生活が華やかになった。いちいち妖怪の姿を見ては驚く藤の反応は面白かったし、妖怪であるオレに人懐こく笑いかけてくれるその姿には心が癒された。
 後悔したことなど、ない。
「一時の気まぐれならもうお止めなさい。藤が可哀相よ」
「・・・・」
 そう。オレは、後悔などしたことはない。
 けれど、藤は、どうだ。
 オレの気まぐれに付き合わせてしまっているのならば、桔梗姉さんの言うとおり、解放してやらなければならない。
「永きの時を共に生きる覚悟が出来ないのなら、今すぐ村に帰しなさい」
 藤を返す。あの、村に───?
 居場所がなかったのだと悲しい瞳をして語った、あの村に。
 それを、藤は望んでいないことは分かっている。
「でも、藤が───」
「嫌がってもそうすることが彼の為なの。人の世に帰るのならば、早いほうが良いのです」
 桔梗姉さんは言い切った。
「・・・・・」
 此処を──オレの隣を望むのだと言ってくれた藤。
 自分でオレの隣を勝ち取ったのだから、此処に居させて欲しいと訴えた藤。
 それがいつまでなのかを、聞きそびれた。
(永遠を望まないのなら、人の世に返せ、か───・・・)
 桔梗姉さんには桔梗姉さんの思いがあるのだろう。オレには到底分からない、人間だったからこそ、天狗に嫁いだからこそ分かる思いが、今オレを責めているのだろう。藤の為を思って。
「なァに? 火群様らしくないわ。どうしたいの?」
 呆れたような声に、オレは答えることも出来ない。
「オレは───・・・」
 傍に、居て欲しい。藤に。
 だが、思う。人としての生を捨てさせてまで永きの時をオレの傍で過ごさせることは、酷なのではないか、と。
 気まぐれで放った矢文。そして、やって来てくれた藤。
 人間との生活にも、すぐに飽きるかと思ったが、一向に飽きは来ない。
 むしろ、楽しくてたまらない。
 この時間を、今は未だ、手放したくない。それが正直な気持ち。
 では、いつまで続ければいい。続けていく内に、いつ、飽きてしまう───?
 それが、藤に命を与えてしまった後に訪れたとしたら。
 オレに、もしくは───藤に。
 そうなれば、後悔するに決まっている。
「───なあ、姉さん。オレは、自信がないんだよ。藤をずっと傍においておける自信が・・・」
「まあ、なんて情けないの。昊天朱眼坊こうてんしゅがんぼう火群天狗ともあろうお方が。そんなことでは誰かに取られてしまいますわよ!」
 眉を吊り上げた桔梗姉さんが、手にしていた扇で指し示す。その先には、藤と一つ目小僧。
(いやいやいや、一つ目に取られてしまうことはないだろうけど・・・)
 胸に去来した不安を、一蹴する。
 が、
「・・・何話してんだ」
 楽しそうに話し込んでいる藤と、一つ目小僧。
 気になって歩み寄る。
「では、こうして一軒一軒お家を見て歩いているのですか? 一つ目様は真面目なお方でいらっしゃるのですね。凄いです!」
「そ、そうか?」
「ええ。一生懸命にお仕事をしておいでなのですね。素晴らしいです」
 どうやら一つ目の仕事の話をしているらしいのだが、手放しに一つ目をほめる藤に、ついイラッとする。藤に褒められてデレデレと鼻の下を伸ばしている一つ目の顔に、更にイラッとする。
「で、では、藤よ」
「はい?」
「オラの嫁に来てはくれぬか?」
「え?」
 ブチッと頭の奥で何かが切れる音がした。
(何だと、コラ 言うに事欠いて、それかよ。もう我慢ならねー)
 ズカズカと一つ目と藤の方へと歩み寄ると、
おいコラ、一つ目
 一つ目の襟首を掴み上げ、空中へと攫う。おチビな一つ目の体は簡単に地面から浮いた。
「き、聞いておったのか、火群殿っ!」
「人の嫁口説くたァ、いい度胸じゃねェか
 オレの手から逃れようとジタバタもがいている一つ目をぐいっと持ち上げて、真正面から睨み付けてやる。
 人が聞いていないと思って何を言ってやがんだ、コイツは
 オレの視線に怯えながらも、一つ目は往生際悪く食い下がってくる。
「は、離せ離せ離せ〜〜〜〜〜っ!」
「いって!」
 バタバタともがく一つ目に顎を蹴られ、思わず掴んでいた一つ目の襟首を離してしまっていた。
「ぎゃん☆」
 一つ目の体が、どしゃっと地面に落ちる。が、再び一つ目を捕まえようと伸ばした手は、宙を掴んでいた。
「待てコラ
 恐るべき早さで起き上がった一つ目は、オレの手を逃れて藤の前へと進み出る。
「お、お前に聞いておるのではないわ! オラは藤に聞いておるのじゃ!」
 返事をと迫る一つ目に、藤は完全に引いている。
 何なんだこの展開は、と不服に思っているのはオレだけではないらしい。完全に頬を引きつらせながら、藤が一つ目に辛うじて笑みを向けた。
「あ、あの、一つ目様。私は───」
「未だじゃ!」
「はい?」
 早く返事をと迫っていたのは誰だ。
 さくっとお断りしようとしていたのだろう藤が、ぽかんと口を開く。
「返事は未だ良い! オラの仕事が終わった折にもう一度求婚する。その時に返事を聞かせてくれ」
「いや、あの、でも、一つ目様。私は───」
「さらばじゃ!!!」
「一つ目様っ!!
 慌てる藤を余所に、一つ目の姿はあっという間に遙か彼方。脱兎の如く見事な逃げ足で遠ざかって行く一つ目の後ろ姿。
 一方的に愛を告げて、一歩的に置き去り。
 ・・・・何だ、これ。
 オレも思わず一つ目を追うことを忘れ、ヤツの後ろ姿を見送ってしまっていた。
「えー・・・
 一つ目を引き止めようと伸ばした藤の手が、力なく落ちる。
「あらあら。行ってしまったわねー」
 おっとりと、桔梗姉さんが呟く。その隣で藤は魂ごと吐き出しているのではないかと思える程にデカイ溜息をついた。
「はあああぁぁぁ。私は男なのですが、気付いておられぬのでしょうか」
「そうねー。妖怪にそんなことは関係ないのではないのではないかしら」
「そ、それはますます困ります
 どうやら「私は男ですから」と断ろうとしていたらしいが、その断り文句は妖怪には通用しないのではと桔梗姉さんにズバリ突っ込まれ、藤ががっくりと肩を落とす。
 そんな藤の様子に苦笑を浮かべ、次にオレに視線を向けた桔梗姉さんは、苦笑を意地の悪ーい笑みに変えて言った。
「ほら見たこと、火群様。早速、恋敵が現れましたわよ?」
「・・・アイツなんて敵になるかよ!」
 答えるまでに間が空いたことに、桔梗姉さんは気付いただろうか。
 きっと、気付いてんだろうな。
 だが、それを突っ込むほど意地悪ではないらしい。これ見よがしな溜息をついた後、藤を励ますべく彼へと顔を向けてしまった。
 オレは放置かよ。
「はァ・・」
 つい、零れる溜息は、イライラを追い払うためのもの。
 一つ目が恋敵になど、成り得ない。現に、藤はソッコーで断ろうとしていたのだから。
 ただ───
(一つ目は、な・・)
 もし、他に藤を求める者が現れたら。
 一つ目を拒んだように、拒んでくれるか?
 あの村主の娘の時のように、藤はオレを選ぶか?
 選んで貰える自信なんて、あるわけがない。
 イライラは、一向に消えてくれない。むしろ、大きくなる。この胸を埋め尽くして、息苦しささえもたらす。
(あー。ウザい・・!)
 こんなことでぐるぐる悩んで───そもそも、何がこんなにオレをかき乱しているのかが分からない。
 取り敢えず、
「・・・先に帰る!」
「ほ、火群様!?」
唐突に背に翼を戻し宙へと舞い上がったオレに、藤が目を丸くする。
 このまま此処に居ても、ダメだ。取り敢えず、空へでも逃げてしまわないと、イライラが収まらない。風を切れば、少しはこのもやもやも散るだろう。
「迎えがいるときは呼べ!」
「ちょっと、火群様!」
 引き止めようとする藤と、呆れ顔の桔梗姉さんに背を向け、一気に空高くへと舞い上がる。
 風が、冷たい。
 最近は空を駆ける時には、腕に藤が居た。その重みと温もりはすっかり腕に馴染んでしまっていた。
 今は、何も無い。
 腕に触れるのは風の冷たさのみ。
「────・・・」
 其れを少し、寂しいと思う。
 だから未だ、隣に居て欲しいと、思う。
 それがオレの正直な気持ち。
 けれど、
「じゃあ、いつまでだよ」
 いつまで、隣に居させたいのか、その答えは、出ない。
 今日もまた、出なかった。
「───一生、出る気がしねーよ・・・」
 どんなに空を切っても、もやもやは少しも散ってはくれなかった。