上座に席を設けられた夕食は、軽く引くほど豪華なものだった。
 相樂と桔梗姉さんがオレたちを豪勢にもてなそうとしてくれている気持ちはありがたいが、藤は完全に萎縮してしまっている。隣に申し訳なさそうに座っている藤の箸はあまり進んでいない。
 そんな藤の様子に気付いて、桔梗姉さんが藤に微笑みかける。
「藤、そんなに緊張しないでちょうだいな」
「すみません。こういったおもてなしを受けるのは、どうにも慣れず」
 ありがたいのですがと苦笑する藤の言葉に、相樂の視線がオレに向けられる。
「火群ー。お前も眷属を置いて、藤に楽をさせてやれよ」
 その言葉にオレが答える前に、藤が慌てて口を開いた。
「そのような・・! 私は火群様のお力になるために参ったのですから!」
「まあ、なんて健気な子
「き、桔梗様
 戸惑う藤に構うことなく、彼の隣に座っている桔梗姉さんが横から藤を抱きしめる。もう完全に妹(?)扱いだ。藤のことが気に入ったらしい。
「藤。火群にいじめられたら、遠慮無くうちに来いよ」
「そんな 火群様はお優しいので」
「お♪ 大事にしてるんじゃないか、火群〜」
 このこのォと、隣に座っているオレの腕を肘でつついてくる相樂。このニマニマとした顔が本気で
「うぜェ
 思わず洩れた本音に相樂がつっこむ前に、
「あっ!」
 ヒラリと、目の前に美しい装飾の施された扇が舞い落ちてきた。
 続いて、
「す、すみません
 泣きそうな声。
 見れば、扇舞いを披露してくれていた小天狗の一人が、手にしていた扇を取り落としたらしい。客人の前での失敗に、年の頃は6つくらいだろうか。女の小天狗が大きな瞳に涙を浮かべていた。
「ああ、泣かなくて良いぞ。すまぬな、まだ練習中でな」
 相樂が泣きそうな顔をしている小天狗を宥め、オレと藤に詫びを入れる。
 目の前に落ちた扇を手に取り、相樂に答えたのは藤だった。「いいえ」と相樂に首を振って見せ、立ち尽くしている小天狗に笑みを向けた。
「ありがとうございます。十分にお上手ですよ」
 藤の賛辞に頬を染めて頭を下げる小天狗に再度笑みを向け、何を思ったか藤が唐突に腰を浮かせた。
「これを少しお借りしても?」
「え? は、はい」
 問いかけられた小天狗が不思議そうに目を瞬きながらも小さく首を縦に振る。
 藤が貸して欲しいと願ったのは、チビ天狗の扇。
「藤?」
 何をするのだと問えば、
「おもてなしを受けてばかりでは、申し訳ございませぬゆえ、私も舞いを一つ披露させていただいてもよろしゅうございますか?」
 相樂と桔梗姉さんに請う。
 その言葉に驚いたのはオレも同じ。
「お前、舞えるのか?」
 そんな話、聞いたことがない。
「多少」
 お見せするにはお恥ずかしい限りですがと付け加えた藤に、桔梗姉さんがすぐに手を叩いた。勿論、相樂もそれに乗る。
「それは是非見たいわ!」
「お〜、良いな♪ 見せてくれ」
「はい」
 広間に響いていた音楽を、手の一振りで止めさせた相樂に、藤は扇を手に広間の中央に立つ。
 小天狗たちが慌てて広間の隅へと駆けて行き、客人をじっと見つめている。
 オレたちの見守る前で徐に腕を持ち上げた藤は、閉ざした扇で真っ直ぐに前を指し示す。黒曜石の瞳がゆっくりと閉ざされ、数秒の後、強い光を纏って開かれた。
 ゆらりと、穏やかに空気が揺れる。
 床を滑る藤の足音が、耳に障ることなく、空気を揺らし、満たす。そして、その合間に交じる、藤が紡ぐ歌。高いけれど柔らかな声が、鼓膜を心地よく揺らす。細い手に握られた扇はぶれることなく、けれど空を切る鋭さを纏うことなく、やはり穏やかに空気を揺らす。まるで、水の中をたゆたう光のよう。ただただ穏やかで、静謐な空気。神卸の神事のような清浄な気が、一瞬にして場を満たす。
 息苦しくなるほどに、美しい───。
「──────」
 彼の舞いが終わったことに、オレはしばらくの間、気付かなかった。
 藤が手にしていた扇をパチリと閉ざし、舞いが終わってもなお清浄な空気が広間を満たしていたから。
 静寂を破ったのは、頬を紅潮させ手を叩いた桔梗姉さんだった。
「素敵! 素敵だったわ、藤!」
 若い娘のように喜んで手を叩く桔梗姉さんにつられて、広間の隅で固唾をのんで客人の舞いを見つめていた小天狗たちが小さな手を叩く。
 同様に手を叩いて藤をほめたのは相樂。
「本当に見事だったぞ、藤」
 惜しみなく捧げられる賛辞に、藤は照れくさそうに頭を下げ、そそくさとオレの隣に戻ってきた。
「・・・・・そんな特技があるとは、知らなかったな」
「母に少し教わりましたので」
 かなり昔のことですが、と付け加えながら、小天狗に扇を返している藤の横顔に目を遣る。
 そう言えば、彼の母親は白拍子だと言っていただろうか。
 オレが記憶を遡らせていると、賛辞の拍手を止め、何事かを考え込んでいた相樂が藤の名を呼んだ。
「・・・なあ、藤」
「はい」
「お前の母とは?」
「病で他界しましたが、白拍子をしておりまして───」
「名は?」
 先を促す性急な問いに、藤が僅かに首を捻りながらも答える。
「・・・白葉瀬と申します」
「白葉瀬!?」
「まあ、そう! そうだったの!」
 藤の母の名を耳にした途端、目を丸くした相樂と桔梗姉さんに、オレと藤は顔を見合わせる。
「藤の母を知っているのか? 兄者」
 至極まっとうな問いだと思ったのだが、
「はァ!!? 知らぬお前が信じられんぞ、俺は」
目を剥かれてしまった。
 その反応からするに、どうやら藤の母──白葉瀬という女は、妖怪にまで名の知れた白拍子だったらしい。
 再度藤と顔を見合わせる。
 藤も驚いたような顔をしていた。彼もまた、母親のことを相樂が知っていることに驚いているようだった。きっと彼は自分の母のことを知らされていないのだろう。白拍子をしていたこと以外は。
「白葉瀬は都の白拍子だったが、十数年前に姿を消した。何処に行ったのかと心配していたが。そうか。子を産んでいたのか」
「確かによく似ているわ」
 懐かしげに瞳を細め、優しい手で頭を撫でる桔梗姉さんに、藤が問う。
「・・・母を、ご存じでいらっしゃるのですか?」
「ええ。彼女の舞台は必ず見に行ったもの。彼女の舞いは素晴らしかったから」
「そうですか」
 母をほめられたことが嬉しかったのだろう。照れくさそうに微笑んだ藤に、相樂が窓の外を指さして見せた。
「ほら、見てみろ、藤」
 視線を遣った先、広間の外には無数の妖怪たちの姿。藤の舞いに寄ってきたらしい。
「こうして白葉瀬も全てを惹き付けた。人間や妖怪だけでなく、神でさえ」
 突然自分たちに向けられた視線に驚いたのか、妖怪たちはちりぢりに姿を消していった。その中で、一匹だけ、
「・・・・・」
立ち尽くしている妖怪がいた。身の丈はオレの半分にも満たないチビ。顔には、小さな鼻に、ぽかんと間抜けに開かれた口。そして、大きなおでこの下の、大きな一つ目。
 一つ目小僧がそこにいた。
「お。一つ目じゃねーか」
 見知った妖怪の姿に気軽に手を振って見せたオレの隣で、藤がぎょっと体を強張らせたのが分かった。幼い頃から妖怪を視る目を持っており、数え切れない程妖怪を目にしてきただろうに、慣れることはないらしい。
 オレに声を掛けられて初めて一つ目は自分が呆然と立ち尽くしていたことに気付いたらしい。
「あっ。す、すまん つい
 覗き見をしていたことを顔を赤くして詫びた一つ目に、相樂が「構わん構わん」と鷹揚に笑い、ヤツを手招いた。
「気にするな。お前もこっちに来いよ」
「おう、かたじけない」
 トコトコと裸足の足で駆けてきた一つ目に、未だに藤は固まったままだ。姿形は人間の子供と何一つ変わらない。違うのは、人間であれば二つあるはずの瞳が一つだけというコトだけなのだが、その姿に慣れるにはもう少し時間が要るようだった。
 相樂に促されるまま、彼の隣に腰を下ろした一つ目が、大きな瞳をオレに向けた。
「お久しぶりじゃ、火群殿」
「おう。一つ目、今回はこの村で仕事か?」
「うむ」
 一つ目は、仕事でオレの村にもやって来たことがある。その時には何度か塒に泊めてやった。
 この一つ目は、人里に下りて仕事をするくせに、人間に姿を見られることを極端に嫌う人見知りな妖怪だった。今も人間である藤が気になっているのか、チラチラと視線をオレの隣で固まったままでいる藤に向けている。
 いや、その視線は怖がっているというより、興味深くて仕方がないという視線。心なしか頬が赤いような・・・。
「・・・・・・・・火群殿、そ、そちらは?」
 視線を藤から引きはがしてオレに向けた一つ目に、答えを遣る。
「藤、だ」
 オレに紹介されてようやく藤は衝撃から立ち直ったらしく、慌てて一つ目に頭を下げた。
「ふ、藤と申します。初めまして、一つ目小僧様」
「藤・・・////」
 若干引きつったままではあったが、辛うじて笑みを浮かべて見せた藤に、明らかに一つ目の頬が赤くなる。
 ・・・・。
 これは、言っとかねーとな。
「・・・・・・・・オレの嫁だ」
 オレの牽制球に、一つ目は大袈裟に目を剥いた。
「な、何と・・・・!! 不憫な・・・っ!!」
「ンだと、コラァ
 本気で気の毒そうな顔をしやがった一つ目のこめかみに、容赦なく両の拳をぐりぐりとめり込ませる。
「痛い痛い痛い っ!」
 バタバタと暴れてオレの拳から逃れた一つ目の袂から、ポトリと一冊の帳簿が転がり落ちた。それを拾い上げたのは藤。
「どうぞ」
「か、かたじけない」
 藤から手渡された帳簿を慌てて懐に仕舞い込む一つ目の頬は、やはり朱色。
 だから、頬を染めるんじゃねーよ、このマセガキ
「その帳簿は何なのですか?」
 大事そうに仕舞い込まれた帳簿に、藤が首を捻る。
「こ、これは、オラの仕事道具じゃ」
「一つ目ちゃんはね、この村の人たちの運勢を決めるための調査をしているのよ。この帳簿に村の全てのお家の善し悪しを書き入れて、道祖神様に提出するの。それを見て、良い行いをしたお家には道祖神様が運を授けてくださるし、その逆で悪い行いをしたお家には、来年は運が来ないの。それを一週間で調査するお役目をいただいているのよね、一つ目ちゃん」
「うむ」
 桔梗姉さんの言葉に、一つ目は胸を張って頷いている。
「そうですか。それは大変なお仕事でございますね」
 凄いですと真っ直ぐな瞳を向けて感想を述べた藤に、一つ目のでっかい目がザバザバ泳いだ。
「い、いや、これしき、何のことはないぞ/////」
 そんな一つ目の様子に、相樂がニヤ〜っと気持ち悪く笑いながらオレの腕をつついてこそっと言った。
「おー、火群。ライバル登場か〜?」
「は。相手になるかよ」
 楽しくて仕方がないといった調子の相樂に、激しくイラッとするが、まともに相手をしていては相樂を楽しませるだけだ。
 鼻で笑って、話題を打ち切ったところで、桔梗姉さんが藤の肩を叩いた。
「さあさ、藤。湯を使いなさいな」
 眼前には未だ料理が並べられていたが、到底食べきれるものではない。
 既に藤の箸が進んでいないことに気付いていたのだろう。桔梗姉さんは藤に一番風呂を勧める。
「いえ、そのような!」
「今日はお客様よ。もてなしをさせてちょうだいな」
 案の定、遠慮する藤に、桔梗姉さんが笑いながら藤の腕を取って立ち上がらせる。ついでに優しく背を押したが、それでも足を踏み出せないでいる藤に、オレは思い立って立ち上がった。
 一つ目がばっちり見ていることを確認してから、藤の肩に手を回した。一つ目がムッと口を尖らせたのが視界の端に写った。それに気付かない振りで、藤の肩を抱くようにして歩み出す。
「行くぞ、藤。・・・覗くなよ、一つ目」
 視線だけで振り返って言うと、
「な、何を・・・//// そのような・・!」
 一つ目は顔を茹で蛸のように真っ赤にしてガバッと立ち上がった。そして、わたわたと座布団やら何やらに足を引っかけながら、
「お、オラは仕事に戻る! さらばじゃ!!」
 広間から飛び出して行った。
「おもしれー♪」
 何で何十年も何百年も生きているくせに、あんなに純情な反応が出来るんだ、アイツは。くつくつと笑っていると、桔梗姉さんも口元に袖を当てて上品に笑った。
「あらあら、可哀相に。真っ赤になって」
「純情だなー、一つ目は。火群と違って」
「あァ??
 頬を引きつらせるオレを完全に無視して、相樂は残念そうに一つ目を見送っていた藤に視線を遣った。
「さあ、藤、行ってこい。たまにはこんなのも良いだろ♪」
 屋敷の主人からの勧めに、藤は困ったようにオレを見上げる。
「藤、遠慮はなしだ。行ってこい」
 抱いていた肩を、そっと叩いて促してやる。
「・・・では、お言葉に甘えます」
 ようやく藤は笑みを見せ、相樂と桔梗姉さんとに頭を下げた。
「うんうん、それで良い。ゆっくりして来い」
「着替えは小天狗ちゃんたちに用意させるから」
「ありがとうございます」
 再度頭を下げ、案内役の小天狗に連れられて広間を後にする藤の背を見送りながら、しみじみと相樂が言った。
「・・・良い子だなー」
「だろ?」
「お前には勿体ない」
「あァ?
「いいえ、お似合いよ」
 さっきから一言多い相樂に、桔梗姉さんが上手く取りなす。それを払ってまでバカ兄にくってかかるの気にもならず、取り敢えず眉間の皺をとく。
 相樂は桔梗姉さんに注がれた酒をあおりながら、オレにも酒を勧める。
「いやァ、あんな子がお前の村に居たとはなー」
「オレも驚きだ」
「お前の村には何度か言ったけど、見たことないぞ」
「ずっと屋敷の中で暮らしてたらしいからな」
 外に出ることを許されなかったのか、もしくは自ら外に出ることを拒んでいたのか、良くは知らないけれど、こうしてオレの元に嫁いで来るまでは、ろくに外の世界を知らなかったと言っていただろうか。
(桜も・・)
 そうだ。どこにでも咲いている桜も、屋敷の中の小さなものしか知らないと言っていた。
 黙って酒を喉に流し込んでいると、相樂が言った。
「しかも、白葉瀬の子だ」
 ヤケにそこにこだわる。
 藤の力は母譲りだと言っていたし、都に居た白拍子というからには、白葉瀬という女が如何に力を持っていたのかは想像に難くない。それに、母に似たのだと言っていた藤。白葉瀬も絶世の美女だったに違いないけれど。
「・・・そんなに凄かったのか? 白葉瀬ってのは」
 その問いに、相樂は大きく頷いた。
「ああ。龍神が嫁にと望んだおなごだ」
「へー」
 白葉瀬が白拍子として舞っていたのはおそらく藤が産まれる前のこと。二十年くらいは前のことだろう。その頃はまだオレも母様かかさまの元に居たころか。一人立ちをするまでは、あまり人間世界のことに興味を持っていなかったオレは知らなかったけれど、ちょくちょく都に遊びに行ったり、近くに村に人間に化けて降り立ったりしていたこの兄は、オレよりも色んなことを知っているらしい。
 そう言えば、藤から母の話は聞いても、父親の話は聞いたことがない。
 彼が知らないのか、それとも、話したくないのか。
 藤から聞かされていないことを相樂の口から聞くことには多少の罪悪感が伴ったが、頭をもたげた好奇心の前では、それもすぐに姿を消してしまっていた。
「で、結局、その白葉瀬は誰に嫁いだんだ?」
 思わず口をついて出てしまった問いだったけれど、返された相樂からの答えは、
「さあなァ。都の者だとは思うんだけどなァ」
 という、答えにもなっていない答え。
「何だよ」
 ガッカリするオレに、仕方がないだろうと相樂は苦笑する。
「白葉瀬が都入ってしばらくしてから、都には強力な結界が張られたしな。都の噂はなかなか物の怪には届かなくなった」
「ふーん。そっか」
 今でも都には術師の強力な結界が張り巡らされていて、妖怪がその中に入るのは至難の業だった。
 結界が張られる前、よく都に出入りしていた相樂。白葉瀬の舞台を見に行っていたのだろうか。今思えば、知らなかったのかとオレをなじる前に、そんなに凄い白拍子であったのならば、自分も連れて行って見せてくれれば良かったのにと、つい恨み言が頭をよぎる。もしかしたら、美しい白拍子の舞いは、弟天狗には甘い兄天狗の、唯一の弟に対する秘密だったのかもしれない。
「・・・イイ女だったんだろうな」
 神さえも惹き付けたのは、その力だけではないのだろう。藤が醸し出したのと同じ、否、もっと美しく、もっと清浄なあの気を纏うことの出来る、美しい女。
 どんなにか美人だったのだろうかと思いを巡らせていると、相樂も同様に白葉瀬の姿を蘇らせたのか、しみじみと頷いた。
「ああ。とても美しかった」
 その言葉に反応したのは、これまで黙って旦那とオレとのお酌役に徹していた桔梗姉さんだった。
「あら、私よりも?」
 ニッコリと艶やかな笑みで、けれど額に青筋を浮かべている桔梗姉さんに、相樂が我に返る。
「はっ! な、何を言う、桔梗! 俺にはお前が一番だ! 分かっているくせに」
「さあ、どうでしょうか」
 慌てて言葉を紡ぐ相樂に、桔梗姉さんはツンと唇を尖らせてそっぽを向く。
 そりゃ、嫁さんの前で他の女をべた褒めするのは宜しくない。
 何とか桔梗姉さんの機嫌を取ろうと、相樂は自分から背けられた桔梗の頬に手を添えさせ、自分の方を向かせる。
 真っ直ぐに赤い瞳で見つめ、心を込めて囁く。
 オレが居ることなんてもうコイツの頭の中にはないに違いない。
「機嫌を直してくれ、桔梗。俺が愛しているのはお前一人きりだ。永遠に」
「相樂様・・・」
 ぽっと桔梗姉さんの頬が赤く染まる。
 この人の頭の中からも、オレの存在は消え去っているに違いない。
「分かってくれたか、桔梗」
「はい。相樂様」
 潤んだ瞳で見つめ合い、
(おいおいおいおい
 オレの目の前で、唇を重ねた。
「はぁ───。お邪魔虫は退散するよ」
 こうなってしまうと、もう誰が居ようが居まいがこの二人には全く関係ない。しばらく、


「桔梗、愛している」
「私の方が、愛しております」
「いいや、俺の方がお前を愛している」
「何を仰います。私の方が相樂様をお慕いしております」


なんていう、聞いている方が赤面、もしくは砂を吐かずにはいられない甘〜い語らいが続くことは、もう経験上よーく分かっているので、ソッコーでオレは立ち上がり、広間を後にした。
 心得ているらしい小天狗たちも、そそくさと退散している。
「ったく、相変わらずだな、おい
 夫婦となって、既に50年は経過しただろうか。
 それでも、愛の大きさは今でも変わることなく互いの中にあるらしい。
「永遠に、か・・・」
 桔梗姉さんは、天狗じゃない。
 人間。
 否、人間、だった。
 人間として産まれ、人間として育ち、そして相樂に嫁ぎ、天狗となった。
 人としての生を捨て、相樂の隣で生きることを望んだひと。 そして、それを願い、誓った兄。 永遠にも近い永きの時を、桔梗姉さんだけを愛して生きる、と。
 ふと、思い出されたのは、藤の言葉。


 ───では、火群様の生の一瞬で、この藤は大きなことを成さねばなりませぬね。


 そう言って微笑んだ藤。


 ───忘れられてしまうのは、少し悲しゅうございますゆえ。


 少し、寂しそうに笑いながら言った藤。
 あれは、どういう意味だったのだろうか。
「─── 一瞬・・・」
 そう。人間である藤の生は、オレの永遠とも思える人生のなかで、ほんの一瞬のコト。瞬くほどに短い時間しか、彼は生きることが出来ない。
 オレを置いて、藤は死ぬ。
「───── 」
 はっきりと自分の中で言葉にしたその瞬間、この胸に去来した感情は、一体何だったのか。酒で温もった体から、一瞬にして熱を奪い去っていった、この感情の名は───?
 答えは未だ出ぬというのに、すぐさままた他の問いが姿を見せる。
 藤は、何を思ってあの言葉を口にしたのだろうか。
 そして、彼は、いつまでオレの隣を望むのだろう。
 もしかして、あの言葉が、その答えなのか。
(───オレの傍で、お前が望むのは、“一瞬”なのか。一瞬で、良いのか?)
 そして、
「オレは───・・・」
 オレは、答えが出せないでいる。
「オレはどうすればいい?」
 どうしたい?
 お前を、いつ、手放せばいい───。
「オレは───」
 やはり、答えは出てこなかった。