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眼下に広がるのは、新緑の緑一色。
太陽は僅かに傾きかけ、時刻が昼を回ったことを知らせている。 いつも通り腕に藤を抱き、オレは黒い翼を羽ばたかせていた。 丈爺はというと、今日は留守番。カーカー文句を言っていたが、置いてきた。うるさいのは、相樂一人で十分だ。 温かな春の空を切り目指すは、都に程近い鏑木村。 その村を見守る霊山~室山にオレの兄天狗─相樂が嫁さんと棲んでいる。 「寒くはないか? 藤」 「はい。大丈夫です」 気候はすっかり春めいてきたが、宙を駆ければ幾分風は肌に冷たい。オレたち妖怪よりも脆弱な体をしている藤が気になって問うと、藤は首を左右に振って笑みを返してきた。 肌を撫でる風よりも、初めての遠出が楽しくて仕方がない。そんな顔をしている。 その顔を見れば、こうして遠出するのも悪くはないと思えるのだから、不思議だ。 例えそれが、会うのが億劫な兄天狗の元へ行くのだとしても。 「わァ、火群様! 大きな村ですね!」 緑の間に現れたのは、鏑木村。 都に程近いこの村は、主要な街道からは僅かに外れてはいるものの、それでも人も物も陽稲村より多く流れてくる。そのおかげか、村は活気で溢れている。 小さな陽稲村しか知らない藤は、それを見て無邪気に目を輝かせている。 「兄天狗様は、こちらの村にお住まいなのですか?」 「いや。あそこだ」 指さしたのは、村の西方にそびえる霊山─~室山。 「高い御山ですね!」 オレが塒を構える緩やかな雛菱山とは明らかに違う、険しい山に藤が目を瞠っている。 「あの頂上に兄者のお屋敷があるんだ」 「あんな高い御山の上では、人間は誰も行けませんね。お寂しくはないのでしょうか?」 おそらく藤は、相樂が暮らしているのも、オレが構えている家くらいの大きさで想像しているんだろう。山深く、簡単には人間も参ってくることの出来ない場所に、ひっそりと暮らしているのは寂しくないのだろうかと心配しているらしいが、そんな心配は無用。アイツが山の頂上に構えているのは、豪勢なお屋敷だったし、それに、 「兄者は眷属を連れてるからなァ。寂しくはないんじゃねーの? 嫁さんもいるし」 そう。23人の兄弟の末っ子として賑やかに育ってきた相樂は、孤独を嫌う。 母様の元から一人立ちした時も、多くの小天狗を眷属として連れて行ったし、今では嫁を貰い、大きなお屋敷で賑やかに暮らしている。 逆にオレはというと、そんな賑やかな相樂に構われすぎたためか、人が少ない方が落ち着くわけで。 きっと、オレの塒と相樂の屋敷のギャップに、藤は驚くに違いない。 「兄天狗様には、奥方様がおいでなんですか?」 「そうそう。あ、そうだ。覚悟しとけよ、藤」 「な、何ですか??」 兄天狗夫婦に会う前に、心しておかねばらならい重大なことがあるのだと、神妙な面持ちをしてみせると、藤はオレの言葉を真に受けて、息を呑む。 そんな藤に、思わず笑みが零れる。 兄天狗に嫁として紹介されるだけでもこの藤には十分不安がつきまとっているのに、これ以上不安がらせては可哀相か。 「悪い悪い。そんな大層なことじゃねーよ」 「え?」 「相樂と嫁さん、もうドン引きするくらいアツアツだから、覚悟しとけってだけだ」 「何だ。そうですか」 ほっと安堵しているらしい藤に、オレは再度「からかって悪かった」と詫びる。 藤はいいのだというように首を左右に振り、口を開いた。 「でも、仲が良いのは素敵なことです」 「んー。まあ、な」 その通りなんだけど、やっぱり限度があるというか。アツアツ振りを披露するのは、二人きりの時にして欲しいというか。 オレがブツブツと言っていると、不意に腕の中の藤が身を乗り出して声を上げた。 「あ! 火群様! お屋敷というのはあれですか!?」 藤の細い指が指し示す方を見やれば、彼の言うとおりそこに朱塗りの柱が目立つ、大きなお屋敷が姿を現していた。 「そうそう。アレ」 「なんて、大きい・・・」 「派手好きなんだよ、アイツは」 想像していた通り、目を丸くしている藤。 屋敷の中を見れば、きっともっと驚くだろう。外装に違わず、中も賑やかな装飾になっているから。 「お、藤。お出迎えだ」 屋敷の入口に見慣れた姿を見つける。 人間である藤には未だ見えていないようだが、其処には兄天狗─相樂と、その嫁─桔梗がオレたちに向かって手を振っているのが見えた。 近付くにつれて、 「お い!! 火群![]() っ!!!」兄天狗の声も聞こえてきた。 「・・・そんな呼ばなくたって行くっつーの」 大人しく待てないのかと溜息を漏らす。 その頃になると、ようやく藤も、屋敷の前に黒い翼を広げぶんぶんと手を振っている天狗と、その隣に立つ女の姿を見て取ったようだった。 「あのお方が、火群様の兄上様ですか?」 「そうだ。あんまり似てねーだろ?」 「はい」 藤がオレと相樂とを見比べる。 相樂とオレと似ている所と言えば、背中の黒い翼と、赤い瞳くらいだろうか。 短く刈られた髪はオレとは違って黒色をしていたし、纏った着物も瞳の赤に合わせた派手なもの。まあ、武闘派ではない相樂とオレとは、身の丈と体格は似たり寄ったりだが。 「お隣の方が、奥方様ですか?」 「そうだ。桔梗姉さん」 「本当に、仲がおよろしいのですね」 くすっと藤が笑う。どうやら、相樂の腕がしっかりと桔梗姉さんの肩を抱いていることに気付いたらしい。 「まだまだこんなもんじゃねーぞ」 「分かりました。覚悟いたします」 ニッと笑って言ったオレに、藤は楽しそうに笑った。 しばし宙で羽を休め、兄天狗夫婦を観察していると、しびれを切らしたのか再び相樂が大声でオレを呼んだ。 「火群 ![]() !! おいで![]() !!」「行くって! うるせーなァ!!」 もう子供じゃねーんだから、あんな大声で名前を呼ぶな。しかもおいでとか言ってんじゃねーよ。 これ以上喚かれてはたまらない。慌てて翼を羽ばたかせ、オレは屋敷前へと降り立った。 そっと藤を腕から降ろしていると、バタバタと相樂が駆け寄ってきた。その隣に、同じくバタバタと桔梗姉さんが寄り添う。 (そんな慌てて駆けて来なくても、逃げねーって) 落ち着きのない夫婦を横目に見遣ると、飛び込んできたのは相樂の好奇心にキラキラと輝いた目。早く藤をつつきたくて仕方がないオーラ満開な相樂に、思わず背に藤を隠す。こんな鼻息荒く迫られれば藤は困るに違いない。 「お前、嫁さん貰ったならすぐに来いよ! 焦らすなよ!」 「はいはいはい、悪かったって」 おざなりな詫びを入れるオレに構うことなく、相樂はオレの後ろで立ち尽くしている藤を覗き込んだ。 「で? この子か────── っ!!?」 「───!!」 ぐぐぐいっと顔を近づけてきた相樂の勢いに、藤は完全に引いている。気持ちだけでなく、実際二、三歩後ずさった藤に、オレは思わず相樂を押し戻す。 「食いつき過ぎだ!!」 「おう、すまんすまん。つい」 押し戻されてようやく相樂は藤と距離を離した。 それでもじ っと食い入るように藤を見つめている兄者に、思わず溜息が零れる。藤はというと、その視線が強すぎる所為だろう。頬を染め、顔を俯かせている。 「もう、相樂様。がっつき過ぎですわよ」 「すまん、桔梗。だって、火群の嫁だぞ!? これががっつかずにいられるか!!」 「はいはい」 自分も好奇心に満ちあふれた瞳をしつつも、兄天狗とは違い理性で好奇心を抑えているらしい桔梗姉さんがどうどうと相樂を宥めながら苦笑を浮かべる。 「ごめんなさいね、火群様。この人ったら、相変わらず落ち着きがなくて」 「別にいいけど。お久しぶり、桔梗姉さん」 「ええ。お久しぶりね。───で、その子ね!!?」 「姉さん 」似たもの夫婦。 矢張り桔梗姉さんも藤が気になって仕方がないらしい。まあ、藤を見せる為に此処にきたわけだし。 (仕方ねーか) 観念する。 どうしていいのか分からないらしくオレの後ろで俯いて立ち尽くしている藤の肩を抱く。その肩を大丈夫だと叩いてやってから、藤をオレの隣に並ばせた。 「兄者、これが藤だ。さあ、藤」 自己紹介しろと肩を叩くと、藤は覚悟を決めたのか、俯けていた顔を勢いよく上げた。彼もまた覚悟を決めたらしい。 「初めてお目にかかります、相樂様、桔梗様! 藤と申します」 言って真っ直ぐに相樂と桔梗姉さんとを見つめた藤に、二人はというと。 「──────」 目を瞠り、あんぐりと口を開けたまま藤を凝視ししている。 たっぷり数十秒は藤の顔を見つめた後、徐に視線を外した二人は、互いに顔を見合わせる。そして、次にその視線をオレに向けた。 「・・・・・な、何だよ 」てっきり、 「マジで男か─────────っ!!!」 「やりますわね、火群様─────────っっ!!」 と、大爆笑がすぐに訪れると思っていたのだが、 (な、何だ。この反応は )静かすぎて、怖い。 想像していなかった兄夫婦の反応に、藤と二人して戸惑っていると、ようやく相樂が口を開いた。 「───え? 男?」 「はァ? 知ってたんだろ??」 呟くように向けられた問い。どうやら本当に驚いているらしい。 (まさか、知らなかったのか?? いや、知ってたからこそ早く連れて来いって言ってたんだろうし) どういうことだと疑問符を飛ばしまくっていると、再び相樂がポツリと呟くように言った。 「───想像してたのと違った」 「はァ?」 だからどういう意味だと訝るオレの疑問は、次なる桔梗姉さんの言葉で晴れた。 「ええ、本当に!! 何て愛らしいお嫁さん・・・っ!」 「ああ、そういうコトね」 どうやら、やって来る男の花嫁をもっと無骨に想像していたらしく、その想像との違いに驚いていたようだった。 未だにぽかんとしている相樂を差し置いて、桔梗姉さんは嬉しそうに顔を綻ばせ、固まっている藤の頬を、髪を、ぺたぺたと触り始める。 「本当に男の子かしら。可愛いわ こんな子だなんで思ってもみなかったから嬉しいわ」「い、いえ。そのような・・・/////」 「もう、可愛い〜 」可愛い可愛いと触られまくって、藤は顔を赤くしている。 どうやら姉さんは藤が気に入ったらしい。 (あー・・、そう言えば・・・) 前々から、相樂がオレの嫁の話をする度に、 「火群様、お嫁さんは可愛い子が良いわ」 「って、オレの好みとかは?」 「あら。私の妹になる子なんですもの。可愛い子が良い」 「いや、だから、オレの───」 「可愛い子が良いと申しております」 「───はい 」と、オレの意見を総無視して言い張っていた人だ。 実は相樂より、桔梗姉さんの反応の方が気になっていたんだが、姉さん的にはご満足なされたらしい。 ひとしきり藤を愛でて満足したらしい桔梗姉さんが、未だに呆然としている相樂を無視して、藤とオレの背を押した。 「さあさ、火群様、藤。こんな所で立ち話も何ですから、中へお入りなさいな」 「おう」 「は、はい。お邪魔いたします」 相樂を表に残し足を踏み入れた屋敷の中で、再び藤が固まった。 「・・・・すげーだろ」 「は、はい」 外見の派手さそのままの内装。 色の基調は赤。差し色は金。目が眩むほどの色彩に囲まれた屋敷。そして、その中には、オレも人数は数えたことがないが、多くの小天狗たちがちょこまかと忙しく動き回っていた。 眼前を通り過ぎる度に、深すぎるお辞儀で自分たちを迎えている、チビ天狗たちを見遣り小さな声で藤が問うてきた。 「・・・あの子たちは皆さん、天狗様で?」 「ああ」 人の子にすれば6、7歳くらいの姿をした小天狗たちは、おそらくオレたちを迎える準備のため、忙しなく動き回っている。皆、真っ赤な頬をし、背には小さな翼。隣を歩く藤が、「可愛らしいですね」と微笑みを零しているのを横目に歩いていくと、これまた豪華絢爛に飾り立てられた客室へと通された。 ・・・・・・・落ち着かねー。 立ち尽くすオレと藤に構うことなく、桔梗姉さんは両隣に引き連れている小天狗たちを連れて、踵を返す。 「さあさ、お疲れになったことでしょう。夕餉の支度をいたしますゆえ、それまでゆっくりと休んでくださいませ」 「あ、桔梗様!」 立ち去ろうとした桔梗を呼び止めたのは藤だった。 「私もお手伝いを・・・!」 「何を言うの、藤。あなたはお客様なんだから、ゆっくり休んでいてちょうだい」 「でも──」 「ではね、火群様。藤」 どうやらもてなされることに恐縮しているらしい藤だったが、今度こそ踵を返し部屋を出て行った桔梗に、彼女をとどめようと伸ばした手をぽとりと落とした。 「いいんだよ、藤。桔梗姉さんはオレたちを歓迎したいんだ。今日くらいはゆっくりしろ」 「はあ」 「まあ、こんな部屋じゃあ、落ち着かねーけど」 障子には黒い塗色で所狭しと文様が施され、部屋に置かれた調度品も色彩鮮やか、おそらく異国から取り寄せたのだろう、なかなか村ではお目にかかることのない形をしていた。畳の上に置かれた座布団も、朱色に金の刺繍の施された分厚いもの。座るのが躊躇われるほどの豪華なそれに、迷った末オレは腰を下ろした。 そんなオレに倣って、藤も腰を下ろす。 決して座り心地が悪いわけではないのに、その座布団の上で居心地が悪そうに身動ぎする藤に、オレは苦笑する。 「何か、落ち着かねーな。やっぱ」 「ええ。でも、賑やかで、楽しそうです」 そう言って藤が視線を遣った先は、障子の向こう。そこの廊下を、パタパタと足音を立てて小天狗が駆けていく影が見えた。それを見つめていると、藤が問うてきた。 「・・・火群様は何故お一人で?」 今までは雛菱山の小さな塒で二人と一匹で静かに暮らしてきた。きっと藤は、これが天狗の暮らし方だと思っていたに違いない。けれど、こうして眷属を引き連れて豪奢な暮らしをしている天狗もいるのだということを知り、何故オレが敢えて眷属を置かず一人で暮らしているのか疑問に思ったらしい。 確かに、小天狗を置いてはどうかと言われることは再三だったが。 「一人の方が気楽じゃねーか」 別に深い理由はない。ただそれだけのこと。 簡単なことだと笑って見せたオレに、藤も「そうですね」と頷く。そして、再び問うてきた。 「藤は、お邪魔ではございませぬか?」 僅かに不安な色を宿した瞳で、問うてくる。 こうしていつだって自分の居場所に不安を抱いている藤。 何度言えばコイツは納得する? 安心するんだ。 (まあ、付き合ってやるか) それならば、安心するまで、言い続けてやるしかない。面倒だけれど、仕方がない。 「邪魔なら置いてない。だから安心しろ、藤」 「はい!」 僅かに微笑んでやるだけで、不安の色を消し、輝く黒曜石の瞳。そして、「嬉しい」と、言葉よりも雄弁に伝えてくる、花が咲き零れんばかりの笑みを見れば、面倒でも引き受けてやる気になるもので。 そんな藤の笑みを見るともなしに眺めていると、不意に藤が部屋の中を見回した。 「良い香りがいたしますね」 「香を焚いているんだろ」 言われて見れば、畳の香りの中に、僅かに花の香が漂っている。僅かに鼻孔をくすぐる淡い香。 「これは、桜の香りのようですね」 それを瞳を閉じて胸一杯に吸い込んだ藤が、穏やかに微笑む。どうやらその香が気に入ったらしい。 「気に入ったのなら、貰って帰るか」 「いえ、そのような・・・!」 とんでもないと慌てて首を振る藤。けれど、その後に藤は付け加えて言った。 「それに、火群様が本物の桜を見せてくださるとお約束してくださったので、それで十分です」 そんな健気なことを言って笑うものだから、つい甘やかしたくもなる。 「では、帰りに見に行くか」 「はい!」 また、嬉しそうに微笑む。けれど、何事かを思い出したのか、藤が「あ」と声を上げた。 「でも、丈爺様もご一緒でないと──」 お花見には自分も連れて行ってくれなければ承知しないと文句を言っていた丈爺のことを思い出したらしい。 律儀な藤に笑いながら、オレは自身の口元に人差し指を当てて見せた。 「じゃあ、秘密だ」 「はい」 悪戯っ子の笑みで、藤は大きく頷いた。 その笑みの向こうで、小天狗の笑い声と、甘い花の香が僅かに漂っていた。 |