空を滑るようにして私と雷獣様を乗せた雨雲は都へ向けて流れていく。私たちの乗った小さな雲に引っ張られるようにして、後ろに大きな雨雲がくっついてくる。
 恐る恐る下を覗けば、雲が作る大きな影が地上に落ちているのが分かった。僅かに景色が霞んでいるところを見ると、地上に雨を降らせているらしい。
(気付かなかった・・・)
 雲の上にいる私たちの頭上には、太陽の光が燦々と降り注いでいたものだから、まさか足下で雨が降っているなどとは思ってもいなかった。
 耳元で鳴る風の音を掻き消したのは、雷獣様の明るい声。
「どうや、藤。気持ちええやろー??」
「はい!」
「空飛んだんは、初めて??」
「いいえ。いつも火群様に連れられていますので」
「ふーん」
 なんやァ、と残念そうに唇を尖らせた雷獣様にすみませんと詫びると、気にするなと言うように手をお振りになり、すぐにまた別の問いを口にされた。キラキラと好奇心を宿して輝く瞳は黄金色。
「なぁなぁ。火群の嫁って、ぶっちゃけどうなん?? アイツ、オレ様やし大変なんとちゃうー?」
 ニコニコと楽しそうに笑いながら寄越された問いに、首を左右に振って答える。
「いいえ、そんなことはありません。火群様はとても優しくしてくださいますよ」
「ほぉ〜、おアツいことで。ごちそーさん」
「そ、そういう意味では/////」
 アツイアツイと手扇で顔を仰ぐ雷獣様に、カァッと頬に熱が集まってくる。火群様がお優しいことは事実だし、それを正直に言っただけなのだけれどそんな風に茶化されると恥ずかしくなる。
 顔を赤くする私を見た雷獣様がまた楽しそうに声を上げてお笑いになる。
 風に頬を晒して熱を冷ましていると、少し表情を真面目に変えた雷獣様が再び問いを投げかけてきた。
「でもさ、ホンマに何で藤は火群んトコに来たん? だいたいは噂で聞いてるけど、別に藤が来る必要なかったんとちゃうの? そもそも藤、男の子やん」
 その問いに僅かに迷った末、正直な答えを唇に載せた。
「そうなんですが・・・・。ちょうど良いかな、って」
 私の答えに、雷獣様がきょとんと目を瞠る。
「へ? なんやの、そのちょうど良いって」
「・・・約束を果たすために」
「約束??」
「交わした約束があるのです。火群様は覚えておられませんけど、昔々に交わした約束が」
 遠い昔に交わした約束事。確かめたことはないけれど、屹度、火群様は覚えていないに違いない。それを少し寂しく思うけれど、そもそも私が一方的に交わした約束事なのだから、それを責める権利なんて私にはない。
 けれど、雷獣様は「えーっ!」と不満の声をお上げになった。
「火群が忘れてるんやったら、藤も忘れたったらええやん。律儀やなー」
 雷獣様の言い様に、私は笑いながらも首を左右に振って答えた。
「いえ、そういうわけにはいきません。たとえ忘れられていても、交わした約束を果たさねば、男ではありませんから」
「可愛い顔して、しっかり男の子なんやねー」
 まるで幼子にするかのように「良い子良い子」と私の頭を撫でる雷獣様の手がくすぐったくて身を捩ると、すぐに雷獣様の手は離れた。その手が、足下の雲をきゅっと握る。私に向けられていた黄金色の瞳が、ふいに遠くを見据えた。
 突然どうしたのだろうと瞳を瞬かせていると、静かな声で問われた。
「いつ果たせんの? その約束」
 てっきり私の話から既に興味は外れたのだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。
 雷獣様の問いの答えを考える。
 考えたけれど、その答えは明確には示せなかった。
「・・・この命が、続く限り」
 私が、火群様のお側に居られる限り。
 私の答えにしばし考え込んだ後、雷獣様がくるりとこちらを振り返った。
「そしたら、藤が死んじゃったら、終わりってことやんな?」
「? ええ」
 嫌にこの話題に執着しておられる雷獣様に何故だろうと不思議に思っていると、再び何処か遠くへと視線を遣った雷獣様が、ぽつりと呟くように言った。
「そしたらうちの約束も、もうええんやろか・・」
 それは私に聞かせるための言葉だったのか、ただの独り言なのか分からなかったけれど、どうしてもその言葉が気になって、問うてしまっていた。
「・・・・どなたかと、交わした約束があるんですか?」
 すると雷獣様は視線を私に向けて笑った。
「そうやねん。あるんやなー、ライちゃんにも」
 その笑顔が少し寂しそうで、気付いてしまった。
「お相手の方は、もう?」
「人間やったからねー。とっくの昔に死んでしもて。でも、やめられへんねんなァ」
 そう言って雷獣様は苦い笑みを浮かべた。
「・・・どんなお約束か、聞いてもよろしいですか?」
 遠慮がちに問うた私に雷獣様は構わないと言うようにヒラヒラと手を振って答えてくれた。
「夏に、雨雲を連れて行くって約束」
 そう答えた雷獣様の顔に、笑顔が戻ってきた。
「変わった子ぉやったわー。雷雲から落っこちたうちのこと心配してくれてなー。それが嬉しくて何かお礼したげたくてな」
「それで、雨を降らせてあげたんですか?」
「そ♪ 夏に雨が少なくて困ってる言うし。そんなん、うちにとったらホンマに簡単なもんや。でも、めっちゃ喜んでくれてなー。やから、また来年も来たるって約束してもうて。今でもついつい夏には雲を連れていってまうねんなー」
 約束を交わした相手が亡くなってもやめられないのだと、また笑みに苦いものを交じらせて、雷獣様は笑った。
 忘れられない約束。例え交わした相手が既に亡き人でも、止めることの出来ない約束。破ることの出来ない約束。そんな約束を私も持っていたから、雷獣様の気持ちが少しは分かる。
 果たしても、その人はもういない。
 そんな約束を果たす意味があるのか、疑問に思う時もある。けれど、それでも破ることができない 忘れることが出来ないのは、「約束よ」と向けられた瞳があまりにも真剣で、それを思い出してしまうと、どうしても破ることなんて出来なくなってしまう。忘れる事なんて出来なくなってしまった。
 きっと雷獣様も、喜んで下さったその人のお顔が忘れられなくて、例えその笑顔をもう見ることが出来なくなった今でも、ついつい思い出して行ってしまうんだろう。
「きっと今でもその方は喜んでおられます」
 既にその方の魂はこの世になくとも、きっとその方が残した子供さんやお孫さんはその雨を見上げて喜んでいるに違いない。それはとても素敵なことだと思う。
 そんな気持ちを込めて笑みを向けると、雷獣様はまだ苦笑したまま。
「んー。そうなんかなァ」
「ええ。絶対に!」
 大きく頷いて見せると、雷獣様はようやくいつものお顔で───
「藤がそう言うなら、そういうことでええわ。もうちょっとだけ、続けたろかな」
 否、ちょっとだけ照れくさそうなお顔で笑ってくれた。
 はにかんだようなその笑みが可愛らしくて、微笑ましくそれを見つめていると、不意に雷獣様が前方を指さした。
「あ、見えてきたで、藤!! あれがみかど様の居はる都やで!!」
 指さした先に視線を向ければ、雷獣様が仰った通り、眼下に都が広がっていた。
「わァ・・!」
 思わず、感嘆の溜息が零れた。
 思っていた以上に大きな街。
 四角く大地を切り取ってそこにある整然とした都。四方を水堀と高い土塀に囲われた都は、東西南北それぞれに大きな門があり、そこから真っ直ぐな大路が中央へと延びている。それと交差する小路は遠い空の上からでは数え切れない程。都は碁盤の目状に道が張り巡らされ、それぞれの門から伸びた大路が交わったそこに、三つの大きなお屋敷があった。
 中央に立つ一番大きなお屋敷の東西に、一回り小さなお屋敷が寄り添うように建っていた。南北には美しい舟の浮かべられた大きな池があった。
 大路を行くのはゆったりと動く牛車。その間をお侍さんを乗せた馬が駆けて行く。笠をさして歩く人は皆美しく着飾り、元気に駆け回るのは篭に様々な商品を詰め込んだ商人たち。大内裏から離れた堀の近くには、町民たちが暮らしている。
 何処もかしこも、活気に満ちあふれていた。
 都のきらびやかさに目を奪われている間に、雲は都の真上。
 雷獣様が中央のお屋敷を指さす。
「真ん中のごっついお屋敷が大内裏だいだいり。帝様が住んではるトコやで」
「本当に大きなお屋敷ですね!」
「その左に見えるお屋敷が右内裏うだいり。お公家さんのボスが住んではるトコ。大内裏の左側が左内裏さだいり。お侍さんのお頭が住んではんねん」
 世情には疎い私でも、国の兵の頂点に立つその人のことは聞き及んでいた。
大将軍たいしょうぐん様、ですね」
「そうそう。血の将軍───鳳 惟隆おおとりのただたか
「血の将軍??」
 物騒な呼び名に目を丸くしたところで、雷獣様が賑やかな声を上げた。
「あ! 藤! 見てみ見てみ! ちょうどお散歩の最中みたいや。ほら、アレが大将軍様!!」
 バンバンと私の腕を叩きながら雷獣様が左内裏を指差した。そちらへ視線を遣れば、彼女が言ったとおり、お屋敷の中庭に人の姿があった。
 高い所にとどまっていたゆっくりと降下していく。次第にお屋敷が近付いてきて、ようやくその人の顔がはっきりと見てとることが出来た。
 見えて、驚いた。
「・・・・」
「ん? どうかしたん、藤」
 雷獣様に不思議そうに顔を覗き込まれて、我に返る。
「あ、いえ。思った以上に、お優しそうな面差しをされていたので・・・」
 血の将軍、などと恐ろしい呼び名をお持ちのお侍様のことだから、険しいお顔をされているものとばかり思っていたのだけれど、お庭で色鮮やかな鯉が遊ぶ小池を見つめているそのお顔は穏やか、驚いてしまった。
 年の頃は四十の半ばくらいだろうか。黒髪はきっちりと結い上げられ、おそらく普段は烏帽子で隠されているのだろう。口元と目元には僅かに皺が刻まれているが、強い光を宿した瞳と凛と伸ばされた背の美しさが、その人を年齢よりも若く見せている。唇は硬く引き結ばれていたけれど、細められた瞳の優しさが彼の雰囲気を穏やかなものにしていた。
 まじまじとその人を見つめていると、雷獣様が言った。
「優しいんかどうかは分からんなァ。巷の噂によれば、叔父を討ち、腹違いの弟と実の弟を討って大将軍の地位を守ったお人、やそうやでぇ」
「だから、血の将軍、なんですね」
 改めて鳳惟隆様を見遣るけれど、
「・・・そんな風には見えません」
 穏やかな雰囲気を纏っておられるのだけれど、それは刀を持っていない今だけ見せるお顔なのだろうか。
「あ。あかんわ!!」
 唐突に、雷獣様が声を上げた。
 何がと私が問う前に、突然雲が上昇を始め、お屋敷から離れていく。
「藤、今庭に出て来たヤツ、あれがイケズなヤツやねん」
「え?」
 言われて見遣れば、将軍様のお隣に年若い人が歩み寄っていくのが見えた。
 長い黒髪を一つに結わえ、背に流している。遠目では、男性か女性か分からない細い体躯。成長しきっていないその体の線の細さからして、自分と年は変わらないようにも見える。
 僅かに空を仰ぎ見た大きな瞳。そこには強い輝きが宿っていた。都の雅やかさにそぐわないような、ギラギラと光る──まるで警戒心の解けない野生の獣のような緊張感を宿した瞳。
 何か大将軍様に進言しているのだろうか、僅かに口を尖らせているその面差しには幼さが残っているようにも見えた。
「あの方は?」
「この都を守ってる大陰陽師様や。嵯峨 雪峰さがのゆきみね
 その名は、私も聞いたことがあった。
 都を一人でお守りしている恐ろしく強い力を持っているという術師様。その強大な力故の噂なのだろう。その身に妖の血を宿している、なんてお話を聞いたこともある。
「あの方が・・・」
 まさか、あんなにお若い方だとは思っていなかった。
「アイツがうちら妖怪を都から追い出して結界を張りよったイケズさんや」
 ぷぅっと頬を膨らませた雷獣様。
「雷獣様は都に入れないんですか?」
「雷獣やのうて、ライちゃん! そうやねん。火群もあかんで。小っこいのは大丈夫やけど、うちらみたいな力のある妖怪は弾かれんねん。ホンマつまらんわァ」
 体を雲から乗り出し、べーっと嵯峨様に向かって赤い舌を出していた雷獣様が、不意に固まった。
「あ、しもた!!!」
「え?」
 どうかしたのですかと下を覗き込んだところで、雷獣様が顔色を失った理由が分かった。
 雲は十分に都から離れていた。それでも、彼は気付いたのだ。
 嵯峨様と、目が合った───。
 かなり距離が離れているにも関わらず、はっきり目が合ったと分かる程にその瞳の力は強い。体を射貫かれてしまったのではないかと思うほどに強い視線。
 そして、赤い唇が僅かに動いたのを見た、次の瞬間だった。
「え───」
 足下の雲が、消えた。
「き、きゃーーーーーーーーーーーっ!!」
「───っ!!」
 雷獣様の甲高い悲鳴と、突然空に訪れた急降下。
 悲鳴は喉で詰まり、口から溢れることはなかった。
 落ちる───!
 空を飛ぶ術を持たない私に出来るのは、この身を落下に任せることのみ。
 おそらく雷獣様は大丈夫なはず。そのことが救いだった。
「──────っ!!」
 体中を風が覆っている。諦めて目を閉ざしてしまえば、恐怖が遠のき、いっそ気持ちが良いくらい。
 だが、
(あ。火群様・・・)
 ふと、気が付いた。
 このまま地面に落ちれば、死んでしまう。火群様や丈爺様にお別れを言うことも出来ず。
「───嫌・・」
 閉ざした瞳を持ち上げる。写ったのは、鉛色の雲。雷獣様と私が連れていた雲がバチバチと稲光を体内に蓄えているのが見えた。
 それが次第に遠ざかっていく。比例して、この体が大地へと叩き付けられる時が迫っているのが分かった。
「嫌です!」
 それでも、どんなに嫌だと言っても、抗おうと手を伸ばしてみても、体を落下から救ってくれるものなど、ない。
 ない───はずだった。
「!!」
 突然、全身に走った衝撃に、きつく瞳を閉ざす。ついにこの身に終わりが来たのだと思ったけれど、それにしては衝撃が小さい。バラバラになるものと思っていた体も繋がったまま。
 何が起こったのか理解する間もなく、次にこの体を覆ったのは凄まじい落雷の音。雷獣様がその身に雷土を宿って大地に落ちた音。
 閉ざしていた瞳を更にきつく閉ざし、咄嗟に両手で耳を塞いでその音をやり過ごす。
 そして、気付く。
 落下が、止まっている。
 恐る恐る瞼を持ち上げれば、自分を見下ろす赤い瞳と目が合った。
 抱き留められたらしく、肩と膝とを支える力強い腕の感触。それはよく知った感覚だった。こうして下から赤い瞳を見上げることも、最早日常茶飯事となっていた事。
 けれど、私を両腕に抱き留めて下さったのは、
「火群様───」
ではなかった。
 火群様と同じ赤い瞳と、背に広がった黒い翼。空に優雅に流れる髪の毛は、黒色。
 いつも明るい光を宿している火群様と同じ赤色をしているはずなのに、まるで違う輝きを持った瞳。まるで新月の夜を静かに包む宵闇のような穏やかな静寂。そんな瞳がじっと私に向けられていた。すっと通った鼻梁と、細いおとがい。真一文字に引き結ばれた薄い唇は動く気配もない。
 一切の感情を宿さないお顔で私を見下ろしているのは、冴えた美貌の天狗様だった。
 火群様と同じ赤い瞳をしておられるところを見ると、私の知らない火群様のご兄弟かもしれない。
 そう言えば雛菱山ひなびしやまから出掛ける直前、相樂さがら様ではない別の兄上様から遣いの烏が来ていたことを思い出す。
 この方が、火群様と丈爺様が仰っていた火群様の兄上様なのだろうか。
 考えていても、答えは見つからない。
「あ、あの・・・」
 恐る恐る口を開くと、それまで固く引き結ばれていた天狗様の口が開いた。そこから、短い問いが発せられる。
「藤か」
「は、はい」
 小さく頷いて見せると、更に天狗様が問うてきた。
「白葉瀬の子か」
「え? は、はい」
 何故、ここで母の名が出て来たのか、私には全く分からなかった。しかし、真実を告げよと求める静かな瞳に気圧されて、首を縦に振って是と答えた。
 するとそれまで何の感情も込められていなかった天狗様の瞳に、不意に光が宿った───ような気がした。じっと私を見つめたままの赤い瞳が細められ、そこに優しい光が灯ったように私には見えた。
「子、怪我はないか」
「あ、は、はい」
 問われるままに頷けば、更に瞳に宿された優しい光が強くなるのが分かった。あまり感情を面にお出しにならないけれど、どうやら私をとても心配して下さっているのだということが分かり、緊張に強張っていた体から力が抜ける。
 そこで気付く。助けていただいたというのに、私はお礼の一言もまだ口にしていないのだということに。
 己の無礼さを恥じ、慌てて礼の言葉を口にしたのだけれど、それも途中で途切れることとなった。
「ありがとうございました! 助けていただき───って、え??」
 突然、黒い翼を羽ばたかせ、天狗様が何処かへ向けて駆け始めたのだ。
「あ、あの、何処へ?」
 私としては取り敢えず雷獣様のご無事を確かめるため、地面に降りていただきたかったのだけれど、天狗様が向かうのは更に空の高い所。しかも、私たちがやって来た雛菱山とは逆の方角へ向かって翼を羽ばたかせる天狗様に、私は慌てて問う。
「天狗様、あの、どちらへ───」
 その問いも途中で遮られた。
 静かな声音で告げられたその言葉に、私は目を瞠る。
「今日から、私の元で暮らせ」
「───え?」
 私の元で暮らせ、と天狗様は仰った。それは、火群様のあのお家ではなく、この天狗様のお側でということだろうか。
 どんなに考えてみても、それ以外の答えなど出てこない。
 けれど、何故?
 思わず言葉を失い、何故と瞳で天狗様に問う。けれど、待てど待てど、それ以上の説明が天狗様の口からもたらされることはない。
 一向に口を開く気配のない天狗様に焦れて、私から問う。
「あの、火群様は?」
 私が天狗様の元へ行くことを、火群様はご存じなのだろうか。
 私は火群様の元に嫁いだのだ。確かに勝手に火群様の元へ行ったのは私だったけれど、それを火群様も許して下さった。何か理由があるのだとしても、それを説明することなく私を放り出すようなことを火群様がなさるとは思えない。
 否。思いたくない。
 けれど、天狗様から返されたのは、
「火群に話はつけてある」
「え、それは───」
 口にしたかった色んな言葉は、口の中で消えてしまった。
 話は、つけてある───?
 それは、私が雛菱山を離れることを、火群様が許可したということ、なのだろうか?
 それ以外に考えられることはない。
 そうであるのならば、
「一時だけ、ということですか」
 何か急な事情で、一時、火群様のお傍から離れていなければならないのだろうか。
 混乱する頭の中で辿り付いた小さな希望を、天狗様は残酷に切り捨てた。
「いや。お前があそこに帰ることはない」
「─────」
 胸に走った痛みに、きつく唇を噛む。
 ───私は、追い出されたのだろうか。
 理由も告げられぬまま、己の居場所を得たと思っていたのに、それを奪われたのだろうか。
 誰に───?
 火群様、自身に───?
 火群様に逆らうことなんて許されないのだということは分かっている。分かっているけれど、それでも胸に沸き上がってきた絶望と、それを拒絶する往生際の悪い希望が胸に渦巻く。
 思わず天狗様の袂を両手で握り、真っ直ぐ私の知らない場所を見据えている天狗様に問うていた。
「本当ですか? 本当に火群様がお許しになったのですか!?」
 どうか、違うと言って欲しい。
 縋り付くような瞳に、けれど天狗様は答えてはくれなかった。

 視線を向けることすらしてくださらない。答えは、返ってこない。
(どういうこと・・・?)
 何も分からない。
 胸の中が、ザワザワする。さまざまな感情が入り乱れて、整理がつかない。
(何故・・・)
 帰る場所は、あそこだと思っていた。
 一時だとしても、あの場所を与えてもらえたのだと思っていた。
 家族、とまでは言わないけれど、確かに火群様と丈爺様と一緒にいることを許されているのだと思っていた。
  思っていただけなのだろうか。私が、勝手に。一方的に。
 そうだとすれば、悲しすぎる。
「───ッ」
 胸が、痛くてたまらない。
「火群様・・・」
 聞かせて欲しい。そうならそうと、せめて火群様の口から聞かせて欲しい。それならばまだ諦めもつくというもの。
諦めたくは、ないけれど・・・)
 こんな風に自分の知らない所で自分の身の行く先を決められるのは嫌だ。たかが人間のくせにと怒られるかも知れないけれど、嫌なものは嫌。
(もう一度、火群様に会いたい───!)
 けれど、飛ぶ術を持たない私に、空の上で天狗様に抵抗する術はない。
 気付けば鳴り響く雷の音が、随分と遠くなってしまっていた。