【第四章 定められたる出逢い】
天帝が、そして、双王が散った。 天界の地が、謀反人の手に落ちた 。 身体を覆っていた闇が、ゆっくり光の中へと溶けていく。 かつて天帝が坐した城──幻炎城の地下。柔らかな光で埋め尽くされた真っ白な空間で、水日と風樹は目を覚ました。 徐に持ち上げられた瞼に注がれる光は淡いものだったが、先程まで身を置いていた闇に慣れた瞳には、眩しすぎる。 「水日様!」 「風樹様! お目覚めになられましたか」 心配そうな声が降ってくる。同時に、背中に感じる温かな腕。 瞳を慣らすため、瞬きを繰り返していた水日は、瞳を声の主へと向ける。 その瞳の色は、青。 晴れ渡った空よりも濃く、深い青色。それが、本来の彼女の色。 それを優しい瞳で見つめているのは、清癒。かつて、父王の右腕としてその隣に立っていた副官の弟。幼い頃から、かつての副官──龍影と共に自分を可愛がってくれた人。 こみ上げてくる懐かしさに瞳を細め、心配そうな清癒に大丈夫だと笑みを返して答える。 どうやら王剣を抜きはなった所で意識を手放したらしい。清癒の大きな腕に身体を支えられ、辛うじて立っている状態だった。 横にされていないところを見ると、意識を手放したのは一瞬のことだったらしい。 (あんなに、長かったのに・・・) 自分の知らない過去を巡る旅。己がこの世に生を受けてから、父王が果てるまでの時間を巡ったのだが、それも一瞬のことであったらしい。 「ありがとう、清癒」 支えてくれたことに礼を述べ、己の足で白い床を踏み締める。 隣で同じように副官に身体を支えられていた風樹も、同様に己の足で地を踏んだ。 いつもは五月蠅いくらい常に喋っている風樹が、今ばかりは黙ったまま、己の手に握られている王剣を見つめていた。 代々、乾翠王がその身を鞘として守り、受け継いできた王剣が、彼女の手に握られていた。 父王から己へと託された剣───風雅刀。 白い光を受け白銀に輝く刀身は僅かに身を反らせている。刀身は、刀と呼ぶには短く、短刀と呼ぶには長い。握っていることを忘れてしまうほどに軽い剣。その柄には、彼女の瞳と同じ碧玉が埋もれていた。 新緑の碧と同じ色彩が、今、風樹の両の瞳に嵌っていた。 握り締めた王剣をじっと見つめている風樹の横顔から、水日も己の掌中へと視線を戻す。そこにあるのは、記憶を封印する代償として神に捧げられ、そして、今己の手へと引き渡された王剣───冰流刀。 水日の華奢な体には不似合いな、太い刀身。真っ直ぐに伸びた刀身は、手に握れば床についてしまうほどに長い。小柄な水日には大きすぎるその剣だったが、既に掌にしっくりと馴染んでいる。徐に持ち上げ、白銀の光を宿した刀身を眼前に掲げれば、そこに写る己の青い瞳。 蘇るのは、父王の青い瞳。血に濡れて、それでも優しい光を宿して細められた瞳。 娘の命運を祈ってゆっくりと閉ざされた瞳の青を、きっと一生忘れることはないだろう。 彼が託してくれた剣が、今、掌中にある。 「お父様の、剣──冰流刀」 それを胸に抱きしめた水日に、清癒が問う。 「水日様、記憶がお戻りになったのですね?」 その問いに、はっきりと頷いて見せた。 隣に立つ風樹は、風雅刀を見つめたまま、未だに口を開こうとしない。 王剣を抜くと同時に傾いだ風樹の体を支えていた若き副官──犀霖が心配そうに主の顔を覗き込む。 「風樹様。お加減は?」 「ん。だいじょぶ・・・」 答える風樹の声に、力はない。僅かに震えを帯びた声の後、風樹の碧玉の瞳から、ポロリと一粒、涙が零れ落ちた。 「──風樹様・・!?」 唐突に涙を零した主に、犀霖が目を瞠る。 「・・・風樹」 涙は、次々と溢れ出し、風樹の頬を濡らしていく。 それを痛ましげに目を細めた水日が、彼女の名を優しく呼び、手を伸ばした。 「風樹──」 ただ幼なじみの名を呼び、その体を抱きしめる。強く強く抱きしめると、嗚咽を必死に堪えようとしている風樹の体の震えが直に伝わってくる。 ついに、風樹が堪えきれずに口を開いた。 「父様ぁ・・!」 散った父を呼ぶ震えた声。 閉ざした瞳に蘇るのは、優しい碧玉の瞳。表情は豊かではなかったが、いつだってそこには優しい光を宿していた。そして、血に濡れ果てるその時にも、優しい瞳で名を呼んでくれた人。 大好きで大好きでたまらなかった人。会いたくて会いたくてたまらなかった人なのに、もう見えることは二度と叶わない大好きな人。 胸が痛くて、苦しくて、潰れてしまいそう。 「風樹」 水日はただただ名を呼び、幼なじみ抱きしめる。その眦に、じわりと涙が滲む。けれど、それを頬に零すまいと、きつく瞳を閉じる。 きっと、彼女の体の震えも、風樹に伝わっていたに違いない。 突如、二人を包み込むように、優しい風が巻き起こった。 風などそよぐはずもない地下の閉ざされた空間に、けれど確かに風が舞う。それは、二人の少女の手に握られた二本の王剣から溢れ出していた。 風樹の体をゆっくりと離し、風の出所へと視線を遣った水日は目を瞠る。 己の掌中に握られた王剣が仄かな光を纏い、次の瞬間、 「─────!」 風がふわりと水日と風樹の髪を揺らした次の瞬間、掌中に確かに握っていたはずの王剣が姿を消した。風に溶けた王剣は、二人の髪を揺らした後、少女らの胸に吸い込まれるようにして、消えた。 一体何が起こったのかと涙に濡れた瞳を瞬かせていると、傍らに立って二人を見守っていた先の天帝──猩火が口を開いた。 「王剣の鞘は、そなたらの体そのもの。王剣が、そなたらを主と認めた証。そして、神がそなたらを王と認めた証」 「猩火様」 「そなたらが今世の双王となったのだ」 猩火の言葉に、水日と風樹は顔を見合わせる。 今世の双王となったのだと、彼は告げた。 父がその背に負っていた、乾翠王と、蒼巽王の位。それを今、己の身に背負ったのだ。それは重くてたまらないけれど、手放すつもりはない。 視線を猩火へと戻した水日と風樹は、 「はい」 「はい」 力強く頷いて見せた。 父王が残してくれた剣。それを抱きしめるように、水日は己の体を両手で抱き、風樹も剣が吸い込まれていった胸にそっと手を押し当てた。 身の内で確かに息づき、脈打つ王剣。 己が、父王から全てを受け継いだ証が、確かにここにある。 ジンと、熱くなる胸。 思い出されるのは血に濡れた父王の最期の姿。無残に絶たれた生を嘆くことなど一切せず、ただただ優しい瞳で自分たちの行く末を案じてくれた父の瞳。 己が生きる可能性を削ることだと知りながら、それでも天界に舞い戻る娘の為に王剣を託してくれた人。 それを今、確かに受け取った。受け取ることが出来た。 父が託してくれた剣の律動を確かに感じた後、己の体を解放した水日が、視線を螺照へと向ける。 膝を床に落とした彼の腕の中には、瞼を下ろしたままの火陵が抱かれていた。その隣には、同じく床に膝をついた流炎羅王の副官──焼妓が心配そうな顔で、幼い主を見つめていた。 火陵の白い頬にまつげの影が落ち、艶やかな髪が白い床に広がっている。その手には意識を手放しているにも関わらず、王剣がしっかりと握られていた。 「・・・猩火様。火陵は?」 「どうしてまだ目覚めてないの?」 目覚める気配のない幼なじみに、不安げに瞳を揺らして水日と風樹が猩火に問う。 「案ずることはない。未だ記憶を辿っている最中なのだろう。今しばらくは目覚めまい。螺照、部屋まで頼めるか」 「御意」 大丈夫だと水日と風樹に笑みを向けた後、猩火は孫娘を支えている螺照へ火陵を部屋へ運ぶよう命じる。 それに応じて、螺照が火陵の体を改めて腕に抱いて立ち上がった。その隣に焼妓が並び、猩火が求めた通り火陵を部屋へと運ぶため歩き始める。 「・・・私たちも行っていいですか?」 視線を猩火へ移して水日が問えば、猩火が笑みで皺を深くした。 「勿論だとも。そなたらは王なのだから、思うままにすれば良いのだ」 自分に許可を得ることなどないのだと優しく諭され、水日は首を縦に振る。 「はい」 「行こう、水日」 ぐいっと頬を濡らしていた涙を拭い、風樹が水日の腕を引き、離れていく螺照と焼儀の背を追いかける。地下神殿を抜けて階段を上れば、懐かしい廊下が広がっていた。 蘇った記憶が連れてくる懐かしさ。 幼い頃、幼なじみ三人で連れ立って駆け回った城の中。赤い月の下に繰り広げられた激戦によって無残なまでに崩れ落ちた城だったが、自分たちが人界で全てを忘れ静かに生きている内に修復され、かつてと同じ美しい姿を取り戻した幻炎城。 まるで、あの日の戦が夢であったかのように、痕は一切ない。 けれど、夢ではない。 確かにここで繰り広げられた血の戦。 ここが、父王が果てた場所。 黙って螺照と焼儀の後をついて行きながら、ぽつりと水日が問うた。 「───ねぇ、何か、変わってる?」 失われていた記憶を取り戻し、己の知らない過去を知った。そして、その身に王剣を宿したが、実感として体に大きな変化はない。 「・・・目の色くらい、かな」 うーん、と唸った後、寄越された風樹からの答えに、改めて幼なじみの瞳を正面に見つめる。 「あ、ホントだ。風樹も戻ってる」 王剣の刀身に写した自分の瞳も、青色に戻っていた。 「人界での記憶も残ってるし、特に変化はないみたいね」 天界での記憶を封印されていた間の人界での記憶も残っている。 「ただ・・・」 「うん」 小さく頷いた風樹が、己の眼前に掌を掲げ、そこに風を巻き起こす。 血に溶けた力。神から授けられた力が己の中にある。 それは、人界にいたころにはなかったもの。 「大きな変化、ね」 「うん」 取り戻した力。 そして、己の中で力強く脈打つ剣と、それを携える覚悟。 これまでの自分にはなかったもの。 ここに、新たな王が、確かに生まれた───。 |