【第三章 解き放たれし記憶】




 三人の少女は、三本の剣を対価に、人界へと降りた。
 父の思いと、戦を生き残り自分たちを待つ民たちの願いを携えて。
 しかし、記憶を旅する三人の意識は、未だ天界に残ったままでいた。
 地下神殿から、いつの間にかその意識は幻炎城内 今は戦場と化したその場にいた。
 記憶にはない過去。
 そして、
これが・・・」
 父王の最期の時。
 打ち破られた城門の前では、敵味方入り交じり、剣が閃き、炎や水や風、雷光が暴れ回っている。それよりも更に城を奥へと向かった場所、そこに広がった広間にも、すでに敵兵の姿があった。
 その目的は、天帝―炎輝えんきの首。
 それを阻むのは漆黒の髪に青い瞳を持つ兵士―蒼巽そうそん族の兵士たちのようだった。
 戦局は、蒼巽族の劣勢。
 一歩、また一歩と後退していく兵士の背を突如として叩いたのは、
「引くな! 迎え討て!!」
「王!」
「蒼巽王!!」
「いいか! 城の一つや二つ壊しても構わん。とにかく、退けろ!!」
 声を張り上げ、兵士を鼓舞した蒼巽王は、自らも掌中に宿した水 の塊で敵兵を蹴散らす。突然双王が姿を現したことに驚き、 敵兵が後退ったのを見逃さず、蒼巽王―沓欺とうぎが更なる攻撃を加えるため、その掌中に水龍を宿したその時だった。
!」
 空を切り、背後から己へと向かってくるもの気配に、沓欺は飛び退っていた。その刹那、沓欺が立っていたその場所を、黒く強靱な鞭が打っていた。床に敷き詰められた固い石をも容易に砕くその武器に、沓欺は己に襲いかかってきた者の名を知る。
鍍乎邏とからの姫君か」
 徐に振り返ると、やはりそこには己が思い描いていたとおりの女の姿があった。
 白銀の甲冑の下から覗く肌は褐色。強いウェーブのかかった髪は茶金。姫君と呼ぶには少々体躯は逞しすぎるだろうか。
 そこに立っていたのは、数年前に鍍乎邏族の長となった鍍乎邏王―鎖羅紗さらさ。その手には、鍍乎邏族の村が生産する脅威の強度を誇るくろがねでもって作られた、しなやかだが、岩を軽々と砕く鞭のような武器がある。滑らかな弧を描く黒色の、拳よりも幾分小さな鉄の塊を、やはり強度の高い鉄で作られた鎖によって一本に繋げられたその武器。
 代々、鍍乎邏の王が受け継ぐ武器―錏主羅あすら
「姫君ではない。既に私が鍍乎邏の王。お相手願おう、蒼巽王」
 鋭く険しい瞳の色は、髪と同じ茶金。感情のこもらない淡々とした声音で告げる鍍乎邏王へと、沓欺はニッと唇の端を吊り上げて見せる。
「踊りのお相手ならば喜んで。鍍乎邏王」
 ヒュッ・・!
 空を切る音と共に、沓欺は高く跳躍し、己を打たんとうねりをあげ向かってきた錏主羅を避けた。
 軽口への激しい返礼に、沓欺は再び唇の端を歪める。
「ふ。そなたの気性に似合いの武器だな」
 その沓欺の嫌味に、鍍乎邏王が応じることはない。
「生憎と踊りは苦手。この錏主羅を踊らせる方が好ましい」
「そうか。それは残念だ」
 フラれたか、と言って沓欺は笑う。しかしその青い瞳は少しも笑ってなどいない。鍍乎邏王に負けない鋭さでもって彼女を見据え、翳した掌中に水玉すいぎょくを宿す。
 それを放つよりも先に、再び錏主羅が空を切った。
 今度はそれを避けることはせず、手に宿した水玉を放ち、錏主羅の軌道を己から逸らせる。しかし、すぐに沓欺は眉を寄せた。
「しまった・・!」
 己がそらした錏主羅の先に、兵士の姿あったからだ。
 鋼鉄の錏主羅に打たれた己の兵と、そして、鍍乎邏の兵の姿に、沓欺は声を上げ彼らへと命じる。
「皆、ここから離れろ!!」
 王の命令に従い、蒼巽の兵が広間を離れていく。しかし、 鍍乎邏の兵は敵をなくしてもなお、そこに立ち尽くす。王の命を待っているようだが、鍍乎邏王が口を開く気配はない。
「・・退却を命じないのか? それくらいなら、待ってさし上げるものを」
 周囲を気にすることなく戦える方が良いだろう、と声をかけた沓欺に返ってきたのは、
「周囲の者がどうなろうと知ったことではない。強い者は生き、死ぬのは弱い者だ。それがこの世の摂理。死に逝く弱い者など私には必要ない」
 弱い者は勝手に果てればいいと言い捨てた鍍乎邏王に、沓欺は眉を寄せたが、すぐにそれも皮肉の笑みに消えた。
「そなたより強き者などこの天界を探しても数える程しかいまい。それが婚期の遅れておられる所以か? 鍍乎邏の姫君」
お喋りな男も嫌いだ」
「それは残念」
 軽口を叩く蒼巽王に、鍍乎邏王の瞳に宿った険しさが増す。
 すっと挙げられた鍍乎邏王の腕を認めた次の瞬間には、錏主羅が目の前にまで迫っていた。
 咄嗟に腰に帯びていた剣を抜き、錏主羅をそこに絡め取る。そのまま力任せに剣を引き、錏主羅を断ち切ろうとするが、
ッ」
 ぐっと剣を引く腕に力を込めた瞬間、剣が折れていた。その切っ先が錏主羅へと絡め取られ、うねりをあげながら鍍乎邏王の元へと連れ去られていった。
「ちっ」
 思わず舌打ちをする。錏主羅と共にうねった剣先が、沓欺の胸元に傷を残していた。
「王!! お使いくださいませ!」
「礼を言う!」
 聞き慣れた声と共に己の元へと投げて寄越された剣を受け取る。見れば、副官―呼清こせいの姿があった。彼へと礼を言い、すぐさま鍍乎邏王へと向き直る。
 鍍乎邏王は絡め取った剣先を錏主羅を軽く振り捨てた後、副官から剣を受け取った蒼巽王に、訝しげな視線を遣る。
「・・・何故、王剣を使わぬ」
「王剣などなくとも、この蒼巽王は強いぞ」
 答えは変わらず軽いもの。
「戯れ事を・・!」
 ギッと沓欺をにらみ据える鍍乎邏王に、沓欺は肩を竦める。
「敵とはいえ、俺は女と戦うのは苦手なんだがな」
 その言葉に、鍍乎邏王の瞳に宿っていた鋭さが増す。
「女を蔑んでおいでか、蒼巽王」
 蒼巽王は、その問いに首を振る。
「いや、恐れている。女には、頭が上がらぬ。いつだって敵わぬからな」
 一番怖いのは妻だ、と笑った沓欺に、
「なれば、死ね!!」
 錏主羅が襲いかかる。
 音もなく掌中に宿した水玉で、再度その軌道を逸らせようとしたが、鍍乎邏王も二度同じ手をくってはくれなかった。錏主羅は先程のように見当違いの場所を打つかと思いきや、速度を緩めただけで、沓欺への攻撃をやめるまでには至らなかった。
 沓欺は速度の緩まった錏主羅を避けることはせず、それを左手に絡め取った。そのまま、錏主羅を握り、鍍乎邏王の手から奪い取らんと力を込めた、その瞬間だった。
ッ!!」
「王!!」
「蒼巽王様っ!!」
「お父様 っ!!」
 副官―呼清と蒼巽兵の悲鳴にも似た声、そして、父と敵兵の将との戦いを固唾を呑んで見守っていた水日とが声を上げていた。
 錏主羅が蒼巽王の腕を解放し、鍍乎邏王の元へと戻っていく。その黒光りする鉄の至る所を赤い血が濡らし、その身をうねらせるたびに真っ白な床へと赤い血を散らした。
驚いたな」
 きつく唇を噛みしめ、痛みに口を破ろうとする悲鳴を噛み殺した後、蒼巽王がいつもと変わらぬ笑みを口許に浮かべ、鍍乎邏王へと視線を遣った。右手は左手の付け根を押さえている。そうやって止血を試みている左手には、掌から肘にかけて、至る所に深い裂傷。腕は血に染まり、足下は滴り落ちた血で小さな水溜まりが作られている。
刃を隠しているとは、驚いた」
 錏主羅を腕に絡め取り奪い取ろうとしたその瞬間、滑らかだった鉄の中から、音もなく小さな白銀の刃が現れたのだ。小さいながらも、一つ一つの鉄の塊から生まれた幾本もの刃は、沓欺の腕を奪いはしなかったものの、ズタズタに引き裂いていた。
 熱を伴う激しい痛みに滲んだ汗が、頬を伝う。それを拭うことすら出来ぬまま、それでも蒼巽王は顔の笑みを消さない。
「もう、隠しているものはないだろうな、鍍乎邏王。あとは、その冷たい美貌の下の心くらいのものか」
「・・減らぬ口よ、蒼巽王」
「黙らせたくば、手ではなく口をそいでくれ」
 左手の止血を諦めた右手に、剣を握り直し、沓欺は唇の端をニッと吊り上げる。
「お望みとあらば!」
 それへと返される鍍乎邏王の視線は錏主羅の纏う刃の如く、鋭い。そして、その手が振るう錏主羅は、今度こそは蒼巽王を切り刻まんとする激しさを帯びていた。
お父様・・!」
 胸の前で両手を握り、水日は父と敵将との戦いを見守る。
 どうか無事で。
 つい、そんな祈りの言葉を呟いてしまう。
 この結末を、既に己が知っているのだということも忘れて。










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