【第三章 解き放たれし記憶】




 天界の大地が、夜のとばりに包まれている。
 天界の中心 神が降り立ち、一人の炎を操る神族に神のつるぎを授けたとされるその場所に 、代々天帝が住まう白亜の城―幻炎城げんえんじょうが聳え立っていた。
 しかし、今ばかりはその白亜の肌は、見る影もない。訪れた宵闇に包まれている所為ではない。幻炎城自らが黄金の炎をその身に纏っているのだ。
 城に施された不思議の力でもって、主に危機が迫る今、城は主を守るために自ら炎の結界を纏い、敵の侵入を拒んでいた。
  りん族が攻めてきた。
 神の声を聞き星宿せいしゅくを歌う天琳てんりん族の女王が告げた言葉の通り、 血が滴るように赤い月が天上に昇った今宵、雷を操る稟族―その長、是軌ぜきによって謀反が起こった。
 彼は天帝一族―流炎羅るえんら族の村へと攻め入り、天帝を守る双王一族―蒼巽そうそん族と、乾翠けんすい族の城を攻めた。
 そして今、天帝―炎輝えんきの首級を挙げんと、幻炎城への侵入を試みている。
 幻炎城を包む黄金の炎の外では、結界と城門とを打ち破らんとする稟族の兵士達と、それを阻止せんとする蒼巽族兵の咆哮とが響き渡っている。
 その城の最上階、常には静かなる闇によって包まれている天上の神殿に、幻炎城の主―天帝、炎輝の姿があった。 細い体躯に白銀の甲冑かっちゅうを纏っている。しかし、腰に剣は帯びていない。 流炎羅王としての力を秘めた王剣は、彼自身をさやとし、彼の中に常にある。彼が剣を帯びる必要はないのだ。
 しかし今、彼の手には一振りの剣が握られていた。
 それが意味する所を知るのは、神殿の中央に佇む天琳王―迦羅カーラのみ。
 彼女は淡青色の瞳を不安げに細め、主と、その手に握られた剣とを見遣る。
「・・・流炎羅るえんら王」
 しかし、天琳王の視線に、流炎羅王は答えなかった。空を仰ぎ、黄金の炎がはためくさきにチラリと垣間見えた月をその紅の瞳に映す。
赤い月が昇り、稟族が謀反を起こした・・・」
 数日前、天琳王が告げた星宿の通り、赤い月の昇った夜―今宵、戦の鏑矢かぶらやが唐突に放たれた。
「全て、運命さだめのままに動き始めた、か」
 低い声で呟き、空を仰いでいた瞳を閉ざした流炎羅王の横顔を、天琳王が見つめている。そして、ふと流炎羅王が浮かべた微かな微笑に、 彼女は細めていた瞳を瞠った。主のその横顔が、己の死を告げた星宿を受け入れたかのように見えたのだ。
 たまらず天琳王は許しを請うことなく、流炎羅王の腕を握っていた。
「王! まだ全てが運命さだめのままに進むと決まったわけではありません! 少なくとも、私は信じませぬ! 王が 王がこの戦で果てるなど、信じたくはありませぬ・・・!!」
 いつもの冷静さをかなぐり捨てた天琳王の姿に、流炎羅王は驚いて彼女を見遣る。 真っ直ぐに見上げてくる彼女の瞳には、涙が滲んでいた。その涙の美しいきらめきが、流炎羅王に思い出させる。
「諦めるのは、まだ早い」
「え?」
 小さすぎた主の呟きに、天林王が目を瞬かせる。その拍子にぽろりと零れ落ちた涙の雫を、彼女自身が慌てて拭う。
 そんな天琳王の姿を見つめながら、
「ありがとう、天琳王」
 礼を捧げ、微笑する。
 その微笑は、先程天琳王に涙を浮かべさせたものとは違っていた。星宿に抗うことをやめ、己の死を受け入れたかに見えたその切ない微笑ではない。 それが愚かなことだと言われようとも、最期の最期まで星宿に抗い運命さだめをも覆してしまおうではないかと、彼は笑っていた。 その笑みはまるで、少年が悪戯を実行する時のような、輝かしさを潜ませていた。
 そんな王の笑みに、天琳王も笑みでもって返す。
「私も、この命尽きるまで歌います。この星宿が現実のものとならぬよう、神へと祈りを捧げながら歌い続けます」
 天琳王はその手に握られた銀の錫杖の輪をシャララ、と鳴らし、胸に息を吸い込む。 そして、吐き出された息と共に唇から零れだしたのは美しい歌声と、神が告げる未来。




「赤き月昇りて
 空を覆いし群雲は やがて朱雨を零さん




 永き眠りより目覚めし血の雷神 天中に攻め入らん
 赤き炎絶え 天下に落つるは未だ幼き燈火なり
 其は天に仇なす紅蓮と成らん




 雷神 獣を宿いて血を欲す
 拒めど未来永劫 潜みし血の獣 燐火を得るまで止まずなり






 二つ分かたれし星の歌姫 響き続くは青き歌のみ
 歌いゆくまま巡りし運命の下
 天下に赤き月昇りし時 目覚めし燈火を我が元へと帰さん






 赤き月の下 鏑矢が宙を駆け行き
 雷鳴 燈火を摘みしその時まで鳴りやまず
 響き轟きて天を震わせる




 血の雷神 約束の地へと戻り
 燈火 仄暗き闇に落つる






 雷光 天を裂き 新たな運命の輪が廻る






 血の戦 其は即ち 炎の血の終焉なり


 神殿を包んでいた歌が消える。それを待って、天琳王でも流炎羅王でもない別なる声が神殿に響き渡った。
「星宿のままに、謀反の夜が来たな。炎輝」
 振り返るまでもなく、流炎羅王はそこにいるのが誰なのかを悟る。この天界の地で何処を探しても、 天帝たる流炎羅王を敬称をつけることなく幼名で呼ぶのは父親以外には彼しかいないのだから。
「蒼巽王」
 振り返った先にいたのは、やはり幼なじみでもあり双王の一人でもある蒼巽族の王―沓欺とうぎであった。そして、その隣には、
「乾翠王」
 やはり幼なじみであり双王の一人である乾翠族の王―昊咒こうしゅうの姿。
「待たせてしまってすまなかった」
「いや、乾翠王。来てくれただけでありがたく思っている。感謝する」
 小さく頭を下げ詫びた乾翠王に、流炎羅王が大きく首を振り、逆に礼の言葉を告げる。 彼らの村も是軌の命によって強襲を受けているだろうことは分かっていた。 それでも双王としての勤めを果たすためこの城へとやって来てくれた彼らに、流炎羅王は純粋に感謝の意を述べたいだけだったのだが、その感謝の言葉にむっと眉を潜めた男がいた。
 蒼巽王―沓欺だ。
「ちょっと待て。ただ来ただけじゃない。俺は覆すぞ、こんな運命さだめなど」
 その言葉に驚いたように目を瞠った流炎羅王を、蒼巽王はどこか怒ったような表情で見つめ返してきた。そして、その瞳が怒りから純粋な真剣さを帯びる。
「むざむざとお前を死なせるものか、炎輝」
 その為にやってきたのだと、言葉にはしなかったが蒼巽王の瞳に伝えられ、流炎羅王はますます目を瞠る。
蒼巽王」
 彼にも、天琳王―迦羅の告げた星宿は伝えてあった。そして彼も知っていたはずだ。この星宿が謀反によって天帝が果てること、星宿は定められた未来 覆ることのない絶対的な未来なのだということを。
 しかし、それでも蒼巽王は胸を張ってその未来を否定する。拒むために流炎羅王を守ると豪語する。
 そんな彼の強さに、流炎羅王は驚きを隠せない。
 口を閉ざし自分を見つめ返している主の反応をどう受け取ったのか、再び蒼巽王が眉を寄せた。
「まさかお前、諦めて運命さだめのまま散ろうとしてやしないだろうなァ?」
 是か非か問われているはずなのだが、どうやら己に答えは一つしか与えられていないらしい。「是」と答えようものならば噛みついていかんばかりの剣幕で訊ねてきた蒼巽王に、ついに流炎羅王は笑いを洩らしていた。蒼巽王の望んでいる答えは「是」。そして、己が答えるべき答えも、
「ああ、無論だ、蒼巽王。私は最後まで戦う」
 真っ直ぐに蒼巽王の青い瞳を見つめ返し、流炎羅王が告げた。
「王・・」
 その答えに、黙って成り行きを見守っていた天琳王がフワリと笑みを零し、蒼巽王はというと、「良し」と満足げに首を縦に振ったあと、隣に立っていた乾翠王へと視線を遣った。
「そうでなくては守り甲斐がないからな。なァ、昊咒」
「ああ」
 言葉少なに、けれどその意志の強さを表すかのように大きく首を縦に振って答えた乾翠王の肩を、やはり「良し」と 満足げに蒼巽王が叩く。そして、流炎羅王へと問うた。
「さあさあ、我らがきみよ、どうする?」
 問う蒼巽王の表情は明るい。これから戦に加わろうとする者には到底見えない。
 そんな幼なじみに、一瞬流炎羅王の表情が曇る。
「・・・沓欺、そなたは私を臆病者だと笑うだろうか」
「何だよ。言ってみろ」
「私は、火陵を もしお前たちが賛成してくれるのならば、水日殿と風樹殿を、今すぐにでも人界へと逃そうと思っている」
 神殿に沈黙が降りた。
 天琳王は何も言わず瞳を伏せ、蒼巽王と乾翠王は驚きに目を瞠る。そんな二人を、流炎羅王の紅い瞳が真っ直ぐに見つめていた。
 人界へと子供たちを逃がす。それは、


  赤き炎絶え 天下に落つるは未だ幼き燈火なり


 赤き炎とは炎を操る民の長である己のこと。絶えるとは、おそらく命が果てるということなのだろう。 そして、天下とは人界。そこに落ちる未だ幼き燈火とうかとは 娘―火陵のこと。  その星宿の一文が彼に望ませたことだろう。
 星宿に抗い覆そうというのであれば、星宿のまま子供たちを人界へと降ろすことなど考えなくても良いはずだった。 けれど、彼の中で不安は完全には拭いきれていなかった。ことに、大切な娘のことであるのならば尚更に不安は募る。 子供だけはどうあっても安全な場所にやっておきたいと思うのは、親であれば当然のこと。
 そんな流炎羅王の思いを察したのだろう。そして、彼も同じ気持ちだったに違いない。
 先に口を開いたのは、乾翠王だった。
「王。私に異論はない」
 続いて蒼巽王が口を開く。その言葉は流炎羅王の意に反していた。
「・・・俺も、異論はない」
 流炎羅王は、蒼巽王には「抗うならとことん抗え! 地味な抵抗をするな!!」と怒りの形相でもって責め立てら れるのではと思っていたのだ。しかし、思い返せば超がつくほど親ばかであり、娘のことを目に入れても痛くない ほど可愛がっている彼の事だ。娘をより安全な場所へという流炎羅王の言葉に頷かないはずがなかった。もしかしたら 、流炎羅王が言い出さなければ、彼がそれを進言していたかもしれない。
「やっぱり水日のことだし、念には念を入れておきたいしな。それに、安心してこそ俺も暴れられる」
 水日が側に居れば、娘を庇いながらの戦いになるだろう。 妻である師漣しれんの存在も彼の中で気にはなっているが、信頼し民と城は任せてある 。たとえ城が陥落しても、彼女は無事であると信じることができる。しかし、水日は違う。彼女は未だ幼すぎる。次代の王として戦う能力は十二分にある。けれど、それでも彼女の存在を頭の中から消し去り戦うことはできない。それが戦では命取りになることを蒼巽王は知っていた。
 勿論、流炎羅王と乾翠王も。だから彼らは子供を安全な場所に逃がすことを考えたのだ。
 双王から了承を得、勿論天林王からも反対の意が述べられることはないと察した流炎羅王は密かに安堵の息を吐く。
「供には、螺照をつけようと思っている。彼ならば火陵もよく懐いているし、責任感も、もしもの時には敵と戦う力も逃げる 冷静な判断力もある」
「・・・ああ、分かった。お前が言うなら確かだろう。任せる」
 螺照というのが、先程会った流炎羅族副官―利焦りしょうの第二子であることを確認したあと、 「水日の供に男をつけるのは気に食わない!」と言う言葉が口をついて出そうになったが、今はそんなことを言っている場合ではないと、 蒼巽王は己を叱責し、大人しく承諾する。
 隣の乾翠王も首を縦に振って答えた。
 二人が了承したのを見てから、流炎羅王は天林王へと視線を遣った。
「すまぬな、天琳王」
「え?」
「二の姫と許嫁を離ればなれにしてしまって」
 一瞬、何故主が己に対して詫びたのか理解できなかった天琳王だが、螺照が娘―沙羅サーラの許嫁であること、 そしてそんな彼らを引き離すことに流炎羅王が心を痛めてくれているのだと気付き、すぐに首を左右に振って答えた。
「王。娘も分かっております。お気に病むことはございません」
「すまぬな」
 子供たちを人界へと逃すことは決まった。次は、どうやって稟族と戦うかを決めねばならない。すぐに次なる問いを発したのは乾翠王だった。
「兵はどうする」
「今、俺の兵が外で稟族を蹴散らしてる。乾翠族は中で城門の守りを手伝ってる」
「そうか。すまない」
「おそらく乾翠族の村に居た牙羅ガーラ兵がこちらへ向かっているだろう」
「きっと鍍乎邏とから族もな」
 乾翠王王妃―鳳華ほうかが牙羅族に囚われたと風樹が言っていた。おそらく牙羅族は乾翠族の城を村を制圧し終え、 幻炎城へと向かっているだろうと告げた乾翠王に、表情を歪めた蒼巽王が付け加える。王妃―師漣に城を村の守りを託したが、兵が半分以下である状況で、 その二倍の兵力を持っている鍍乎邏族を討ち果たせたとは思えない。悔しいが、蒼巽族の村も制圧されているだろうと踏んだのだ。
 双王の意見を聞いた流炎羅王はすぐに答えを出した。
「そうなると蒼巽族の兵のみでは荷が重すぎる。流炎羅の兵の二分の一を外へ出そう」
「おい、どうやってだ。城門は完全に囲まれてるぞ」
「地下通路か」
「そうだ。地下通路は東の塔の地下から村の外の樹海まで繋がっている。そこに城内の兵を集め、蒼巽兵と共に稟族、そして牙羅、鍍乎邏族を迎え討つ」
 その説明に頷いたのは蒼巽王ただ一人だった。
「王」
 眉根に皺を寄せ、静かに乾翠王が流炎羅王を呼んだ。そして問う。
「他の一族はどうした?」
 その問いに、蒼巽王もはっとする。
「そうだ。もうそろそろ駆けつけてもいい頃だろう」

「おい、炎輝。お前、何を隠してる」
 口を噤み視線を双王から逸らした流炎羅王に、蒼巽王が表情を険しく変え、問い詰める。
 沈黙は、一瞬だった。
 僅かな逡巡の後、流炎羅王が答えたのだ。
兵は、出すなと命じてある」
 と。
 その答えに双王は目を瞠る。天琳王は視線を落としたまま何の反応も示さない。 彼女だけは既に知らされていたのか、神の言葉を聞き、未来を視る瞳でもって予め知っていたのか。
 だが、今そのことを聞かされた蒼巽王は驚きよりも怒りでもって流炎羅王の胸ぐらを掴んでいた。
「はァ!!? お前、何を考えてるんだ!! 兵を出すな、だと!?」
 流炎羅王の体を前後に揺さぶる蒼巽王の手に触れ、「やめろ」と言葉少なに幼なじみを宥めた乾翠王が、真っ直ぐに主を見据えて問うた。
「諦めているのか?」
 己が死する運命さだめに抗い戦うのだと彼は言っていた。その為には、全 一族の協力を持って稟族とそれに付き従う謀反一族を討たなくてはならないことは分かり切っている。 けれど、彼はそれをしないと言う。先程の言葉は偽りで、己の生を諦めているが故に無駄な犠牲を出さぬようにと、そう彼は考えているのか。
 その問いに、流炎羅王は首を振って答える。左右に振り、「否」と答えながら。
「私は、最後まで抗うつもりだ」
「だったら何故
 蒼巽王の言葉尻を奪い、流炎羅王は続ける。
「蒼巽王。私はやはり不安なのだ。もしもの時のため 戦いを継がねばならなくなる火陵達のために、 兵力を少しでも多く残しておきたいんだ。その為に、他の一族には今は動かないで欲しいと、そう命じた」
 流炎羅王のその言葉を、双王は黙って受け止める。そして、すぐに開かれた主の唇から零れ落ちる言葉を待つことにする。
「それに、これは私の戦いだ。運命さだめを覆すための私の戦い いや、戦いなどではない。 ただの醜い足掻きなのだ」
 そう言って浮かべたのは、自嘲気味な笑み。けれど、流炎羅王はすぐにそれを消しさる。
「だから、本当は流炎羅族の民たちとて巻き込みたくはない。私一人でいいと思っている。・・・いや、むしろ私一人の方が、思うさま足掻くことができる。 他の者に引け目を追いながらでは窮屈だろう?」
 そして、流炎羅王は笑った。
 それは、先程の蒼巽王の言葉に似ていた。娘という何にも代え難く大切な者がいては、そちらに気を取られてしまうと言った蒼巽王の言葉に。 だから、蒼巽王は先程までの激昂を消し去り、何も答えなかった。
 己が生き残る為だけに、多くの兵を従え死の危険に晒すことに、流炎羅王は罪悪感を抱くというのだ。 その罪悪感が己の邪魔をするということも、彼はまた知っている。だから一人で戦おうと彼は言うのだ。
「王らしいな」
 誰もが、天帝の為であれば、足掻きであろうと手助けをするにもかかわらず、それを拒んだおおよそ天帝らしくない天帝―炎輝。
 思わず乾翠王はふっと吹き出していた。それにつられるようにして、蒼巽王も笑いを洩らす。
「ああ、まったくだよ。そこに俺達だけを巻き込むあたり、本当にお前らしいよ」
「仲間外れにしたら、そなたらは怒るだろう?」
 そうして浮かべた笑みは、彼がいつも浮かべている穏やかなものではなく、先程天琳王に見せた時と同じ、まるで悪戯を思いついた少年のような輝きを孕んでいる。
 その笑みを、蒼巽王は懐かしさと共に受け取る。そして、彼自身は昔から何ら変わっていない快活な笑みでもって答えを返した。
「当然だ! 仲間外れになんてしてみろ。むしろ俺がお前の首を取りに行くところだ」
「ああ」
 からからと豪快に笑う蒼巽王の隣で、乾翠王も笑みをその面に刻み、大きく頷いてみせる。
 彼らの間に、懐かしい空気が漂う。それは、天帝と双王としての空気ではなく、未だそのような名を持たなかった若かりし頃 、彼らの間に流れていた空気。
 生まれたときからずっと、こうして三人で闘ってきたのだ。どんな困難にも、三人で向かえば恐れなどその顔をチラリとも覗かせることはなかった。 それだけの信頼が三人の間にはある。
 今、己の死を告げられた星宿が現実のものとなろうとしている今この瞬間でも、それは変わらない。
 運命さだめなど覆してやると言い放つ沓欺とうぎも、多くは語らないが沓欺に負けない意志の強さでもって側にいてくれる昊咒こうしゅうの存在が、流炎羅王に 否、炎輝に恐れを捨てさせる。
 そして、炎輝は二人の名を呼んだ。ひたと二人を見据え、
「沓欺。昊咒」
 幼い頃から呼び慣れていた、その呼び名で。
「最期まで、俺と共に戦ってくれるか?」
 そして、天帝としての衣を脱ぎ捨てた口調で、幼なじみ二人に問う。 己が死する運命さだめを迎えるか、それとも神が告げたものとは別なる道を歩み出す結末を迎えるか、それは分からない。それでも、
「俺と、運命さだめを共にしてくれるか?」
と。
 答えは、すぐに返された。
「無論だ。最期まで付き合おう」
 静かだが、その碧玉の瞳に込められた熱い光。
「聞くまでもないだろ、炎輝。お前一人で戦わせはしない。三人でバタバタ足掻いてやろう。 神が決めた運命さだめが何だ。俺がさらさらっと書き換えてやるよ」
 軽口を叩きながらも、青眼に秘められた真剣さ。
 それを受け止める紅の瞳には、光。何が込められているのかは定かではない。けれど、 ただただ真っ白で透き通った強い光がそこにはある。そして、恐れが張り付こうとすれば瞬時に焼き尽くすだろう熱がそこにはある。
「ああ。共に行こう」
 頷き返す二対の瞳に笑みを返すと、流炎羅王はそれまで黙って自分たちを見守ってくれていた天琳王へと視線を遣った。
 そして、詫びる。
「すまぬな、天琳王」
「何を謝られます、王」
 驚いて淡青色の目を瞠る天琳林王に、流炎羅王は答える。
「そなたの歌う星宿を、私たちは信じぬことにする」
 その言葉に、天琳王は瞠っていた瞳を細め、笑った。そして答える。
「はい。私も信じませぬ」
 己が口で伝えた星宿であるにもかかわらず信じないと言ってのけた女王に、流炎羅王と乾翠王は笑みを零し、蒼巽王は遠慮無く笑う。そして蒼巽王は言った。
「神に伝えてくれ、天琳王」
「蒼巽王殿。何とお伝えしましょう」
「撤回するなら今の内だ、と」
 その不遜な台詞に、天琳王は一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐに口許に手を添え、くすくすと上品に笑った。
「沓欺、そのように好戦的では神に見放されてしまうぞ」
「何を言ってるんだ、炎輝。嫌われた方がいい。その方が召されるのが先になるじゃないか」
「ああ、確かにその通りだ」
「炎輝まで何を言うんだ」
 困り顔の昊咒にすまないと笑いかけてから、炎輝は瞳を閉ざした。
 そうすると、己の中が不思議なほどに穏やかな気持ちで満たされていることに気付く。 瞳を閉ざしていても感じる黄金の炎のひらめきも、今は己の胸に穏やかさをもたらす。先程までは焦りばかりを生んでいたというのに。
 彼らがいるからだと、炎輝は思う。
 そして、それを嬉しく思う。
 ゆっくりと瞼を持ち上げ、炎輝は幼なじみを見遣る。
「よし、行こう。沓欺、昊咒」
 告げる言葉に即座に返される二つの声。
「ああ」
「派手に暴れてやろう!」
 歩き出した炎輝の隣に、昊咒と沓欺が並ぶ。
 三人の王の背に、天琳王は祈りを込めてその言葉を贈る。
「どうか、御武運を・・!!」
 戦場へ赴く天帝と双王の姿を、彼女らもまた見つめていた。
「父上・・」
「お父様・・!」
「父様!!」
 その三つの背に思うのは、己の二人の幼なじみのこと。
 自分たちが、三人一緒であれば何があっても大丈夫だと、だから記憶を取り戻そうと決めたように、父達もまた、お互いが特別な存在だったのだ。
 そうして三人で戦場へ赴いた父王達は、共に果てて逝った
(じゃあ、私たちは・・・?)
 運命さだめに抗い、けれど星宿のままに散って逝った父王。 
 星宿は告げる。細く美しい巫女王の歌によって、それは告げられる。
 迦羅の歌声が紡ぐ。
 沙羅の歌声が、そして、那雅ナーガの歌声が紡ぐ


 血の戦 其は即ち 炎の血の


 炎の血の行方を知るのは、神のみ。
 だから、父王達は終焉を拒み戦った。
 だから、人々は祝福を祈り待ち望む。


 赤い月の下、運命さだめの夜は、更けていく ・・










** back ** top ** next **