天櫂鳥の背に乗り、乾翠王と蒼巽王、そしてその娘─水日は、常とはその姿を一変させた天帝が居城―幻炎城の頭上に居た。その他にも、多くの天櫂鳥が乾翠王の指示を待ち、天空に待機していた。 眼下にあるのは、幻炎城。 しかし、その様相は常とは一変していた。美しい白亜の城が、今は煌々と燃えさかる黄金の炎によって包まれていたのだ。 まるで太陽のように黄金の炎をひらめかせ、幻炎城はそこにあった。 城内の様子は全く窺うことが出来ない。 炎に包まれた城を前に、けれど双王は顔色一つ変えることなく城を見つめている。 彼らは知っていた。その炎が敵兵によって放たれたものではないのだということを。その黄金の炎が、主の危機を察し、城が自ら張る結界。流炎羅王に害成す者なれば一瞬にして焼き尽くす業火の炎なのだということを。 そして、今、その炎を消し去らんと多くの兵士が城へと攻撃を試みている様が上空の双王たちの目に映っていた。 褐色の肌に、白銀の髪。そして、紫の瞳をした兵士たちは、紛うことなく稟族の兵。その中から敵将―是軌の姿を探し出そうと目を凝らしたが、それは叶わなかった。 「まだ姿を見せてはいないのか?」 「みたいだな。見つけ次第その首叩き落としてやるのにな」 忌々しげに舌打ちをする蒼巽王―沓欺に、乾翠王―昊咒が答えを返す代わりに軽く肩を竦めた。 「王! いかがいたしましょう!」 声をかけてきた副官―刀琉に、乾翠王は振り返ることなく、炎を纏った城と、その城へ侵入を試みている稟族の兵とを冷静に見遣った末に、 「城門の稟族の兵への攻撃は蒼巽族に任せよう。それで良いな? 沓欺」 「ああ。そう伝えてある」 「乾翠の兵はすぐに幻炎城内へと入る。そして城門の守備に当たるのだ」 その命に待ったをかけたのは、乾翠族兵兵隊長―景牙だった。 「しかし、王、あの炎 」 煌々と燃えさかる炎の中に飛び込んでいくことに躊躇いを持っているのは彼だけではないようだった。その後ろに待機している兵の誰もが、業火の炎を前に息を呑んでいる。しかし、乾翠王は否やを認めず、凛とした声で彼らへと告げた。 「恐れる事はない。かの炎は、天帝をお守りしようとしている我らを傷付けるものでは決してない。信じ、行くだの!」 兵たちを真っ直ぐに見つめ、幻炎城を指し示す。 そんな王の精悍な言葉に、兵士達の中から歓声が上がった。炎の恐怖を払うため、己の士気を挙げるための雄叫びだった。 それが止むのを待ってから、ついに兵隊長―景牙が動いた。 「行くぞ! 降り立て !!」 大きく手を振り、兵士の先頭に立ち幻炎城へと天櫂鳥を駆けさせる。その後へ、臆することなく兵士達が次々と続いた。炎の中に飲み込まれるようにして消えていった乾翠族の兵士達だったが、やはり乾翠王の言葉の通り、誰一人として業火に焼かれ断末魔の声を上げた者はいないようだった。次々と天櫂鳥が幻炎城へと降り、その代わりに兵士を運び終えた天櫂鳥が幻炎城から空を目指し舞い上がっていく。 その様を一瞥した後、乾翠王は改めて稟族へと視線を遣った。そして、眉をひそめる。 「 完全に囲まれているな。城内への侵入はまだのようだが」 「しかし、こうも完全に城門を囲まれていては、空からくる乾翠の兵以外は中へは入れない、か。まあ、外から蹴散らしてやればいい」 幻炎城表の城門も、勿論裏門も、幾重にも稟族の兵によってその行く手を塞がれていた。いくら蒼巽族や、他の一族からの援軍が来たとしても、城内へ入ることは出来そうにない。だが、城門が破壊される前に、城門を破壊するため躍起になっている彼らの背後から攻撃をしかければいい。そろそろ己の兵が村へと着く頃だと踏んだ沓欺は、兵が来ているだろう東の方角を見遣る。 すると、同様に幻炎城から視線を外した昊咒が、流炎羅の村を見遣って言った。 「村への兵は ・・」 しかし、そこから先の言葉は消える。 消えた言葉を察し、沓欺も昊咒の見つめている先を見遣り、眉を寄せながら答えた。 「・・もう遅い。完全な奇襲だったようだからな」 見下ろした眼下─流炎羅族の村は、至る所から黒い煙を立ち上らせていた。しかし、既に村での戦闘は終わったらしく、争う兵の姿も、それに応戦し、又は逃げまどう流炎羅の民の姿も気配もない。 その様を見て、水日が父王の腕を強く引いた。 「お父様! 流炎羅の人たちは!?」 まさか全滅したのだろうかと恐怖に顔を青ざめさせ問うた娘に、沓欺は「否」と首を振って見せた。 「大丈夫だ、水日。ここから見たところ、遺体の数はそう多くない。うまく樹海へと逃げおおせているのだろう。稟族も、目的は流炎羅族の殲滅ではなく、あくまで天帝の首を目指しているようだしな」 樹海へと逃れ、何処かに姿を隠しているのだろうと沓欺は娘に言って聞かせる。しかし、水日の表情が晴れる様子はない。 「 ・・・」 怯えた瞳が見つめるのは、戦火の犠牲となった流炎羅の民の骸。父王の言ったように、思っていたよりもその数は少ないけれど、それでも確かに幾人もの命が奪われ、無惨な遺体となり、冷たい大地に横たわっていることに変わりはない。 それが、水日にその台詞を口にさせた。 「 ねえ、お父様。お母様の所へ帰ろうよ」 「水日?」 娘のその台詞に、沓欺が訝しむ瞳を水日へと向けた。「今更、何を言っているんだ」と問うてくる父王の瞳に、水日はそれから先の台詞を口にするべきか否か迷ったが、その迷いも一瞬だった。すぐに、恐怖が打ち勝つ。 「もしかしたら村が襲われてるかも知れないじゃない! 今からでもお母様を 」 「駄目だ」 即座に、沓欺は答えた。はっきりと、娘の言葉を拒絶する。 「でも 」 それでも食い下がろうとした水日に、沓欺は静かな声で娘の名を呼び、問いかける。 「水日。忘れたのか? お母様の言葉を」 その言葉に、水日は口を噤んだ。 「 」 「俺は沓欺じゃない。蒼巽族の王―双王だ。お前は誰だ、水日」 再び、問われる。 「 」 その答えは、知っている。闍那城を出る前に、母―師漣に教わったのだ。 それは、父王と己とを城から送り出すために、母が口にした言葉。 「行かれませ、王。そして、水日」 毅然と、母は言った。 蒼巽の村への鍍乎邏族の来襲、そしてそれと同時に幻炎城が稟族に囲まれていることを知らされた瞬間に、母―師漣は父王よりも誰よりも早く華やかな衣装を脱ぎ捨て、甲冑をその身に纏った。その甲冑は、彼女の細い体と、そしてその体から繰り出される拳とを邪魔することなく作られた、華奢なもの。 彼女は即座に決めたのだ。この蒼巽の村を守るために、己が戦う事を。 そして、迷いを抱えている夫を叱咤した。 「何を迷っておいでなのです、王。貴方様は双王。今、貴方様が向かわれるべき場所は、決まっているのではないのですか?」 蒼巽の村に迫る鍍乎邏族を迎え撃つ為この城に残るべきか、天帝を守るべく幻炎城へ向かうべきか迷っている蒼巽王に、彼女は強い口調で問いつめる。彼の中で出ているはずの答え、けれど彼の甘さによって口をついて出てこようとしないその答えを、無理にでも口にさせようと。 「・・しかし、民を守る事も俺の 」 「いいえ。その必要はございません」 きっぱりと、師漣は言い切った。 「お母様!?」 まさか母が、民を見限って行くのですと、そう言わんとしているのかと目を瞠った水日だったが、それはやはり違った。 師漣は言った。 「民とこの城は、私が守ります」 「 師漣・・」 「貴方様は幻炎城へ向かうべきなのです。この蒼巽の村を守り抜いたとて、天帝様なくして、この天界に平和などありはしない。蒼巽王は確かに蒼巽族を守るための王。しかし、双王でもあるのですよ。双王とは何なのです? 貴方は、天帝様 ひいてはこの天界の平穏を守るための双王の名を戴いているのではないのですか?」 「・・・・」 ついに沓欺は押し黙る。 そんな彼へと、師漣は口調を緩め、まるで幼子に言い聞かせるかのように、優しい声音で告げた。 「ほら、答えは出ているではありませんか、王。行かれませ。天帝様を 主と認め、その手で守りたいと望んでいる、炎輝様の元へ」 「・・・・師漣」 「私ならば心配はございません。体術ならば、貴方よりも使えますでしょう?」 そう言って、目にもとまらぬ早さで拳を二度三度繰り出し笑って見せた師漣に、 「それは身をもって知っている」 ようやく沓欺も、沈鬱な表情を解いた。彼も覚悟を決めたようだった。 「それに、私には、これがありますから」 「それは・・」 「それ、なァに? お母様」 師漣が懐から取りだしたのは、美しい蒼玉の髪飾り。師漣の漆黒の髪に映える白銀の髪飾り。その中央に飾られた蒼玉は見事なまでに八面体を形作っているのだが、それは加工によって成されたものではない。自然にそうなったのだと自慢げに師漣へと語って聞かせたのは、若き日の沓欺だった。 「これはね、貴方が生まれるよりも前、私が王と結婚したばかりの頃に頂いたものなのよ」 「懐かしいな。持っていたのか」 「ええ。正念場では、いつもこれで髪を結うのです。だってこれは、私を守ってくださるのでしょう?」 「ああ、そうだ。俺の代わりに、お前を守る」 懐かしさに瞳を細めながら、沓欺は師漣の掌ごと、美しい蒼玉を握り締める。まるで己の力を分け与えるかのように強く握り、 沓欺は瞳を閉ざしている。 それは、沓欺の妻として闍那城に迎えられたばかりの頃。新しい生活に不安を抱えていた新妻を残し、 遠方へと出かけねばならなくなったその時に、沓欺自らが、蒼玉がいくつも沈んでいる湖に潜り、 形の美しいものをと懸命に探し、取ってきたものだった。それを髪飾りへと加工し、 「俺の想いをこめておいた。お前を守ってくれる」 そんな熱い台詞と共に贈ったのだ。 それは、根拠のないものだった。別段、特別な力が宿っているわけでもない。それでも師漣は、何か不安を抱いたときにはその髪飾りをつけた。そこには、己を思う夫の想いがこもっている。そう思うだけで、師漣の不安は消えた。 それは今も同じだ。 長く背を覆った髪を高くに結い上げ、その根元にカチリと髪飾りをつける。 覚悟は決まった。王の代わりに民を守り、この城を守る覚悟が。 あとは、断腸の思いでもって、夫と、そして娘を送り出すだけ。 「さあ、準備なさいませ。事態は一刻を争う。そうでしょう?」 覚悟を決めた妻の瞳に、沓欺は息を吐き出した。彼女の強い瞳が、沓欺の迷いを打ち払い、旅立ちを強く鼓舞したのだ。 「 ああ。ああ、そうだ!」 大きく頷いたあと、沓欺は困ったように自分たちを見つめていた副官─呼清を呼んだ。 「よし、呼清! 兵の準備を大至急行え! 兵隊長―留渦に伝えろ。兵を二分し、一方は村へ、一方は幻炎城へと向かう準備させろ! 村を守る兵の指揮は 」 その言葉の先を受け取ったのは、 「私が務めますとお伝えください」 凛とした声で言い放つ師漣。 覚悟を決めた王と王妃の凛々しい言葉に、呼清は自身も覚悟を決めたのだろう、大きく頷いた。 「御意!」 そして部屋を駆け出していく呼清の後ろ姿を、ぼんやりと見送っている水日の背に声をかけたのは、師漣だった。 「何をぼさっとしているの、水日。貴方も用意をなさい」 「用意・・?」 問い返すと、すぐに師漣から答えが返される。それは、水日を驚かせるものだった。 「貴方はお父様と共に幻炎城に行きなさい」 「え?」 当然、母親と共に城に残るのだと思っていた水日は一瞬大きく目を瞠った後、すぐに母親の腕に縋り付いた。 「どうして!? 私、お母様と戦うよ」 しかし、師漣の答えが変わることはなかった。それどころか、言葉は厳しさを増す。 「いいえ、行きなさい」 「お母様?」 不安げに瞳を揺らす娘の両肩に手を置いた師漣は、幼い娘を諭す。 「貴方は、次代の双王でしょう? お父様のお側で、お父様の戦う姿をしかと見なさい。一人、彼と決めた主を守る ためにお父様が命懸けで戦うその姿を、しっかりと見ておくのですよ、水日。それは、貴方の未来の姿でもあるのだから。 そして、貴方も火陵様をお守りしなさい。それが、次代の双王たる者の使命」 「・・守る?」 今の幼い自分にそんなことが出来るはずがないと、首を左右に振った水日に、師漣は厳しい口調で言った。 「怖ろしければ逃げなさい。逃げ帰っておいでなさい。その時は私が、貴方から双王の資格を奪います」 その台詞に、水日は目を瞠り激しく首を左右に振った。沓欺の一人娘として生まれ、当然のように蒼巽王を、 そして双王を継ぐのだと思っていた。それを誇りにも思っていた。強い父の姿は、己の目標でもあった。 そうして思い描いてきた未来を奪われることは、水日には耐えがたい。 「イヤよ! 私、お父様の後を継ぐの! 立派な王になるわ!」 その娘の言葉と、己を睨め付けるように強い瞳に、師漣は険しくしていたその表情をようやく解いた。そして、優しく細められた瞳で水日を見つめ、その背を押す。 「それなら、お行きなさい」 「お母様」 「行って、双王がどうあるべきなのか、お父様の姿から学びなさい。そして、火陵様と風樹様と共に生き延びるのですよ、水日」 その言葉に、今度こそ水日は首を縦に振った。しかし、 「お母様も 」 一緒に行こうと、その言葉を口にしようとした水日を、師漣が遮った。 「私はここに残ります。それが、王妃である私の役目」 「 ・・」 母の優しいけれど真剣な瞳に、水日はそれ以上己が何を言っても無駄であることを悟る。 「行きなさい、水日」 「 ・・はい。行きます!」 母は、ここに残る。それが、使命。 そして、己の使命は父と共に幻炎城へ行くことなのだと、水日は己に言い聞かせ、頷いてみせる。もう迷わない、と。 そんな水日を、 「良い子ね」 師漣は優しく優しく抱き締めた。 その母親の温もりが、天櫂鳥の上、風にさらされた水日の肌に蘇る。温もりと共に蘇る、強い瞳。そして、その瞳が語りかけてくる。 迷わず、行きなさい。水日。 「水日」 唇を噛みしめ、考え込んでいた娘の名を、沓欺が優しく呼んだ。 母の元へは戻らない。幻炎城へ行こう。と、そんな言葉を込めて呼ばれた己の名。水日はその呼びかけに応える。 「ごめんなさい、お父様。私は 私は、次代の双王! 行きます!!」 「ああ、行こう」 向けられた娘の瞳は、彼女の母が己へと見せたものと同じ強さを持っていた。それを目を細めて見つめ、沓欺は水日の頭を優しく撫でた。そして、それまでじっと黙し自分たちを見守っていたくれた昊咒へと視線を転じる。 「待たせたな、昊咒。俺達も行こう。我らが王の元へ!」 その言葉へ昊咒は頷いて見せ、天櫂鳥に幻炎城へと降りるように、告げようとした昊咒だったが、 「ああ。降り 」 突然、目を瞠り言葉を紡ぐことをやめた。 「どうした?」 昊咒の瞠った瞳が見つめる先へと視線を遣った沓欺は、そこに自分たちの方へ近付いてくる一匹の天櫂鳥の姿を見つけた。 そして、そこに乗っているのは、小さな影。その名を最初に呼んだのは昊咒だった。 「風樹!?」 「父様 っ!!」 天櫂鳥―タカに乗っていたのは、浮遊城へ残してきたはずの風樹だった。近付いてくるタカをよく見れば、その体には幾本かの矢が突き立てられてある。矢が飛び交う中、風樹をここへ運ぶため飛び立ってきたのだろう。そして、そうした状況に浮遊城が追いやられたことが分かった。 「風樹! 何故!?」 目の前までやって来たタカから手を伸ばしてきた風樹を己の膝の上へと下ろし、昊咒が 問う。その問いに返された娘の答えに、昊咒は己の予想が当たっていること、そして、最悪の事態が起こっていることを知らされるのだった。 「牙羅族が来たの! 母様が・・・っ!!」 「鳳華がどうした!?」 「連れて行かれちゃったの!!」 「 !」 涙を零しながら父親の胸に縋り付き訴えた風樹に、昊咒は言葉を返すことができなかった。衝撃に瞠った瞳をすぐに浮遊城のある方へと向ける。すぐに天櫂鳥を浮遊城へと向けるかと思われていた昊咒だったが、それ以上彼が行動を起こすことはなかった。ただ瞳を閉ざし、黙す。 「昊咒・・」 幼なじみの名を、沓欺がそっと呼んだ。 彼の思いはよく分かる。彼がどんなに妻の鳳華を大切に思っているのかも。だから、名を呼ぶ以上の言葉を彼へかけることは出来なかった。「今すぐ戻れ」とも、「このまま行こう」とも。 しかし、その答えを出したのは、昊咒自身だった。 「・・・行こう」 「父様!?」 言葉少なに、けれどはっきりと告げた父王に、風樹が目を瞠る。父王の瞳が、浮遊城ではなく幻炎城を見ていることに気付いたからだ。 「何故、母様を助けに行かないの!?」 そんな思いを込めて見つめてくる風樹の視線に昊咒は気付かないふりをする。そして、 「降りるぞ。タカ、戻っておけ」 己が乗っている天櫂鳥へ幻炎城へ降りるよう命じ、風樹を乗せてきたタカには巣へ帰るようにと命じる。 二匹の天櫂鳥は、主の命令に従った。 幻炎城へと降りていく天櫂鳥の背で、風樹が頬へと零れた瞳を拭う。 「風樹」 拭ってもまた溢れてくる涙をゴシゴシと掌で消そうとしている風樹の手を、水日がそっと握った。 そんな娘達の姿を見遣り、沓欺が小さな声で昊咒へと問うた。 「・・・昊咒、いいのか?」 短い問いだった。だが、昊咒は全てを察していた。彼が、「鳳華殿を助けに戻らなくても良いのか?」と、そう問いたいのだということを。 「そなたと水日殿が言っていたではないか。私は、双王なのだ」 流炎羅王を守るために来たのだ、と。ここで鳳華を助けに戻っては、己は双王としての任務を放棄したことになる。それをしてまで助けに行けば、鳳華に泣かれてしまうだろう。己の所為で乾翠王に迷惑をかけた、と。 今は、双王としての任務を果たすべきなのだと、昊咒は己に言い聞かせる。そして、 「風樹。母様は無事だ」 風樹へと告げる。 「母様に何かある前に、私が助けに行く。天帝をお守りして、是軌を倒し、そうしてすぐに母様を助けに行く。今は、双王としての役目を果たす」 多くを語らない父の、いつになく熱い言葉と、己に向けられた真剣な言葉に、風樹は再度涙を拭う。 「うん。分かった」 これ以上、父を困らせることは出来ない。今は、双王として戦おうとしている父を見守ることしかできない。そして、母の元へと駆けつけたい気持ちを抑え、 「貴方はお逃げなさい。貴方は、次代の乾翠王なのだから・・!!」 そう言って己を逃がしてくれた母のため、生き延びることを考えなくてはならないのだと、幼いながらも風樹は察し、己に言い聞かせる。そして、どうしても浮遊城へと向けられてしまう視線を無理矢理に引きはがし、黄金の炎を纏っている幻炎城へと向けたのだった。 昊咒達を乗せた天櫂鳥が黄金の炎を越え、幻炎城内へと降り立つと、そこには彼らを待つ流炎羅族副官―利焦の姿があった。 「よくぞおいで下さいました! 双王様」 本来ならば乾翠王様、蒼巽王様と一人一人名を呼ぶべき所を双王とまとめて呼んだ利焦に、 状況が切羽詰まっていることを察した昊咒と沓欺が、彼の非礼を咎めることはなかった。 そして、昊咒の方も挨拶を交わす間も惜しいと、天櫂鳥から飛び降りるなり利焦へと問いを発した。 「利焦殿、すぐに我らが兵を城門へと向かわせるがよろしいか?」 「お願いいたします!」 「刀琉は表門へ、景牙は裏門へと向かってくれ」 すぐさま昊咒は副官と兵隊長へと命じる。 その隣で今度は水日と風樹と天櫂鳥の背から下ろした沓欺が利焦へと問いをやった。 「炎輝は何処だ?」 「神殿にいらっしゃいます。双王方もどうぞそちらへと」 その言葉に従う前に、再度沓欺は問う。 「火陵様は?」 「美愁様とご一緒にお部屋においでです」 「では、水日と風樹殿はそちらへ向かわせるか」 「そうだな」 双王の会話を聞くなり、利焦が少し離れたところから状況を見守っていた己の子供たちを呼んだ。 「焼妓! 螺照!」 「はい」 「はい」 「御子方を火陵様の元へお連れしなさい」 双王には早急に流炎羅王の元へと行っていただかねばと、兵として出陣するには未だ若く、立ち尽くすしかない己の子供たちに水日と風樹の案内を頼んだのだ。 「はい」 「さあ、行きましょう」 すぐさま頷いた焼妓に習い、螺照は二人の背に手を添え、「お早く」と促す。 しかし、すぐには歩き出そうとせず、不安げな瞳を父親へと向けた水日と風樹に、沓欺がニカッと快活な笑みを浮かべて見せた。今はそのように笑っていられる状況ではない。しかし、それは幼い娘達を安心させるための笑みだった。 「炎輝と話をしたらすぐに会いに行く。火陵様と鬼ごっこでもして遊んでいればいい」 今まさに戦が起こっている状況であるにもかかわらず、まるで自分は少しお喋りをしに行くだけだから、と言わんばかりの気軽さで持ってそう言った沓欺の言葉は、功を奏した。 「うん。行こう、風樹」 頷いた水日が風樹の手を取り、行こうと促す。更に風樹を促したのは、 「さあ、風樹も遊んでおいで」 やはり、この場に限りなく似合わない穏やかさを含んだ父王の言葉。しかし、幼い風樹はそれを信じた。 「うん。早く父様たちも来てね」 「ああ」 「さあ、お早く」 肩に添えられた焼妓の手に押され、手を繋いだまま二人の御子は火陵の部屋を目指して早足に去っていく。 そんな彼女らの小さな背中を、ヒラリと大きくはためいた黄金の炎の先から、赤い月が覗いていた。 赤い月は黙し全てを見ている。己の傍らに居座る美しい星の輝き。夜の闇を、そして己を追い払わんとでも言うかのように燃えさかる黄金の炎。咆哮を上げ、炎の城へと攻撃を試みる兵士達と、それを影から見守る紫の瞳。村に残された哀れな骸、その腹に突き立てられた剣を伝う血の朱。 そして、運命に翻弄される三人の王と、幼い御子達の姿を 赤い月が見ていた。 |