【第二章 開かれし記憶の扉】


  記憶を取り戻す。
 運命さだめのまま、この天界の地に残り、父の無念を晴らすべく戦いに身を投じるか否かを決めるために、火陵は決めた。
 美しい世界と、己を愛し帰還を待ち望んでいてくれた人々のために戦いたい。そのために記憶を取り戻すと決めた水日と風樹。
 それぞれに決意を固めた三人の少女は、火陵の祖父−猩火しょうかに連れられ、幻炎城げんえんじょうの地下にいた。
 城の東にそびえ立つ。その中を伸びる螺旋階段をひたすらに地下へと下りていき辿り着いたその空間は、 光が届くはずもないのに白一色に染められていた。
 人の手の加えられていない少しでこぼこな床。壁も同様に全く削られた形跡はなく滑らかな白 。その空間に影は一切なく、白い光に全てが覆われていた。しかしどんなに見回しても、 幻炎城の廊下にあるような不思議の炎の浮かんだ燭台があるわけでもなく、その空間自体が仄かな光を発していた。 そこは自然と清浄な気に満たされており、とくに祭壇があるわけでもなく、 むしろ何一つないただのだだっ広い空間であるのだが、 猩火が地下神殿と呼んだことに対して、三人に何の疑問も抱かせない空気がそこにはあった。
 猩火を先頭に、その後ろにはそれぞれの副官だという焼妓しょうぎ清癒せいゆ犀霖せいりんが、隣には螺照らしょうが並び、三人の幼い主を中央にして地下神殿を進む。
 猩火の背の向こう、三人はある物を見ていた。それは、この空間に不自然な程唐突にそこにある物。
 やがて、猩火はそのある物の前で歩みを止めた。そして、三人の疑問を晴らすべく告げる。
「これが、そなたらの記憶を封印するための代償だ」
 三人の前から体をずらし、露わにして見せたのは、
「・・・剣?」
 不思議そうに瞳を瞬かせ、水日が思わず疑わしげに問い返す。
 三人の眼前には、床に突き立てられた三本の剣があった。そのどれもが反りのない刀身をしており、一点の曇りもない白銀の衣をその身に纏っている。
 それぞれ、刃の太さや長さの違い、柄に施された装飾の違いはあれど、どれも美しいと賞賛されて然るべき三本の剣を、少女達は惚けたように見つめていた。そんな三人を我に返らせたのは、低く僅かに嗄れた猩火の声だった。
「この剣は、流炎羅るえんら王、蒼巽そうそん王、乾翠けんすい王が代々継承する王剣。神の力を宿した剣だ」
「御子方のお父君、先代の王はこの剣を手放すという大きな代償を捧げ、御子方のご記憶を封印し、人界への道を開いたのです」
 猩火に付け加えられた焼妓の言葉に、火陵が「あ」と何か思い当たったのか声をあげ、そして隣に立っている螺照に視線を遣った。
「代償って、ここに来る時に螺照がしたみたいに?」
 人界から天界へと道を開く時、螺照も代償を払うのだと口にしていた事を思い出したのだ。
 火陵の問いに、螺照は首を縦に振ることで是と答える。そして、更に付け加えて言った。
「私は天界への道を開くため、己の血を代償にしました。王は火陵様たちの記憶を封印し、更には神族の力を封じ、 人界への道を開かれました。その代償は、血だけではあがなえません。何より、親たる神の下を離れる上、 神より授けられた力を一度放棄するというその代償は大きかったのです。王が王であるための絶大な力を宿した王剣を代償にしなくてはならないほどに」
 螺照の説明を黙って聞いていた三人だったが、そこへ遠慮がちに口を挟んだのは風樹だった。
「・・・もしかしてさ、あの剣を持ってたら、違ってたんじゃない?」
 何が、とは言わない。
 誰も、何が、とは問わない。
 神から授けられたという神剣を父王たちが持ってさえいれば、違う結末が待っていたのではないだろうか。 この世の覇権は変わることなく炎を操る天帝の手中にあり、平穏な御代が続いていたのではないのか、と。
「他の物じゃダメだったわけ?」
 王剣を代償にせず、別のものを捧げていれば、どうだったのだろうか。
 もしかしたら、死んでしまったらしい自分たちの父親も、ここに居てくれたのではないだろうか。
 風樹の言葉の全てを、皆が悟っていた。
 沈黙を破り、その問いに答えたのは焼妓だった。
星宿せいしゅくに従ったのです」
「星宿・・・。あの歌に?」
 星宿というその言葉に反応を返したのは火陵のみ。水日と風樹はと言うと、初めて耳にする星宿という言葉が何を意味するのか分からず、首を捻るしかない。 しかし、そんな2人に気付くことなく、猩火によって説明は進められていく。
「星宿は天帝の死を予言していた。しかし、炎輝は死ぬわけにはいかなかったのだ。 何故なら、神より授けられしこの王剣は、王の体をさやとしていたのだから」
「・・・王の、体を?」
「そうだ。だから王が死ねば、剣は王の体と共に消えてしまう。死を予言されていた王は、剣を代償として捧げることで所有を放棄し、そなたらに託したのだ」
 そこで会話が途切れたのを見て取ると、水日が疑問を晴らすべくすかさず口を開いた。
「ねえ、ちょっと待って。星宿って何なの?」
「星宿とは、神の声を聞くことの出来る天琳てんりん族の王が歌う運命さだめのこと。予言と言っても過言ではありません」
 犀霖のその言葉に、風樹は瞳をぱちくりとさせながら問う。
「予言ってことは・・・あたるの?」
 それに首を縦に振りながら応えたのは螺照だった。
「ええ。外れたことは一度としてありません」
 その答えに、風樹は更に問う。しかし、今までとは違い、その問いに答えが返ってくる事はなかった。
「じゃあ、その予言では、あたしたちはどうなるって言ってるの?」
・・」
 誰の口からも、答えは返されない。
 誰が答えるべきなのか、どう答えるべきなのか。互いが互いの意志を探る沈黙は、けれど長くは続かなかった。
「ま、何だっていいや♪」
 問いを発した張本人であるはずの風樹の呑気極まりない発言によって、沈黙は破られていた。
 きょとんと目を瞠る一同の前で、水日も風樹と同様にさして気にした風でもなくヒラヒラと手を振りながら言った。
「そうそう。イイ予言なら信じるし、悪いことなら信じないから、私」
風樹。水日」
 猩火たちの反応で、己の身に告げられている星宿が決して芳しい物でない事は分かったはずだ。それでも、この幼なじみ2人は恐れない。己に不利な予言であるのならば、信じなければいいじゃないかと、笑い飛ばせてしまう2人の強さに火陵はハッとする。そして同時に安堵する。
(そうだ。信じなければいいんだ)
 そう、思えた。
 どんなに怖ろしい未来が待っていると言われても、信じなければ怖くないではないか。そして、思い出すのは星宿を火陵へと告げた天琳てんりん王―沙羅サーラの言葉。


・・運命さだめは、変えられるのです』


 それが、火陵の胸に安堵を連れてくる。
(・・大丈夫だ)
 恐れる事は何もない。明確に見えないぼんやりとした未来に怯える必要はないのだ。不安になれば、いつだってその不安を笑い飛ばしてくれる頼もしい味方が2人もいる。
(やっぱり、2人と同じ道を行けて良かった)
 この2人とならば大丈夫だ。
 火陵は瞳を閉ざし、心の中でそう繰り返す。そしてゆっくりと深呼吸をする。その度に、胸をいっぱいにしていた緊張がほぐれ、その姿を消していくのが分かる。
 瞳を閉ざしたその耳に、水日に声が届いた。
「それで? 記憶を取り戻すには、この剣を抜けばいいの?」
 やると決めれば速攻で行動に移さなければ気の済まない水日らしい台詞だった。
 しかし、それに答える猩火の声は躊躇いを含んでいた。
「そうだ。・・・覚悟は、できておいでか?」
 それに答える水日と風樹の声は明るい。
「勿論よ」
「あたしも!」
 真剣な水日の瞳と、好奇心に瞳を輝かせながら大きく頷いた風樹を見遣り、猩火は最後に孫の火陵へと視線を遣った。
「・・・火陵、そなたもか?」
 その表情に浮かんだ悲しみの色。その表情が火陵に蘇らせたのは、


『それでも私は、そなたの幸せを願いたい』


 優しい瞳の中に、僅かに悲しみを交じらせた父の言葉。
 きっと祖父も、同じ気持ちでいてくれるに違いない。辛い運命さだめが待つこの天界での未来を歩ませたくないと、そう祖父は思ってくれているのだろう。
 火陵は察する。しかし、己の決意を曲げる事は出来なかった。記憶を取り戻さなくては、何も出来ない。人界へと帰る事も、この天界で戦う事も、何も、決める事さえも出来ない。
 だから
「取り戻すよ。私の記憶を」
そうか」
 真っ直ぐな瞳とその決意に満ちた言葉を、猩火は黙って受け入れる。そして、その面に浮かばせた悲しみの色を消し去ると、三人をかわるがわる見つめ、剣を指して言った。
「では、抜くがいい。封印の剣を」
 その言葉を合図に、三人は剣へと一歩足を踏み出していた。
 誰に言われるまでもなく、火陵は中央に突き立てられた細身の剣の前に立つ。剣を正面に、火陵の右隣に水日、左隣に風樹が並んだ。その足に、迷いはない。まるで導かれるが如く、三人はそれぞれ剣の前に立っていた。

 手を伸ばせば届く距離に、剣がある。スラリと細い両刃の剣。柄から刀身の根本を埋める装飾は炎を象っているようだった。その炎の中心に埋められた大きな紅玉は、所々に金糸を交じらせている。その色彩は、己の瞳のものと同じ。これが、代々流炎羅王が手にしてきた王剣。その名はまだ知らないが、確かにこの剣は自分の名を呼んでいる。
 火陵は、徐に手を伸ばす。その手が微かに震えている理由を特定する事はできそうにない。
 不安なのか、畏れなのか、それとも期待なのか。
 ざわめく胸を懸命に静めながら、火陵は思いきって剣の柄を握った。その瞬間、
っ!」


 ドクン。


 脈打つ鼓動を確かに感じた。それがいったい何だったのか、己の胸の鼓動だったのだろうか。 否、それは己の胸からではなく、剣から掌へと伝わってきたような感覚だった。
 剣が、鼓動した。
 火陵と同様に、水日と風樹も剣の鼓動を感じ取っていたらしい。火陵が視線を二人へと向けると、やはり二人も僅かに困惑したような表情で見つめ返してきた。剣を握る掌はそのままで、三人は顔を見合わせる。
 そして、火陵が口を開いた。
「・・・じゃ、せーの、で行こうか」
「ラジャった★」
「抜け駆けも後出しもナシよ」
 再度、三人は視線を交わすと、己が握っている剣へと戻す。そして、示し合わせたかのように体の横に落としていたもう片方の手を剣へと伸ばし、握る。
 覚悟は、決まった。
「じゃ、行くよ」
「「 」」
 火陵の声に、二人は頷く。
 それを確認してから、火陵は一度瞳を閉ざした。胸の中のざわめきは消えない。けれど、迷いはない。この剣を抜かなくては何も始まらない事は分かり切っているのだから。そして、隣には水日と風樹が居てくれる。その事が、火陵を不安から救ってくれる。この剣を抜くための力へと変わる。
 徐に瞼を持ち上げた火陵は、大きく息を吸い込む。そして、
「せーの!」
 かけ声と共に、三人は握っていた剣に力を込める。一瞬の抵抗を感じたものの、三人が躊躇う事はなかった。更に力を込め引き上げると、剣はスルリと難なく地面からその刀身の全てを表した。
「抜けた・・っ!」
 と、喜びの声を上げたのは一体誰だったのだろうか。それを確認するまもなく、
ッ!」
 突如、視界が一変した。今の今まで白一色で覆われていた空間が、一瞬にして闇に覆われたのだ。闇は火陵の瞳から全てを奪い去る。何も見えなくなる。手を伸ばせば触れられる距離にいたはずの幼なじみの姿も消えた。
「水日!? 風樹!?」
 声を張り上げるが、答えはない。
「螺照!! おじいちゃん!!」
 闇に包まれ、目の前に掲げているはずの己の腕さえ見えない。まるで闇に溶け込み、形をなくしてしまったのではないかと怖ろしくなる。そんな中、掌に握り締めた剣の感触だけが確かなもの。その感覚に縋り付くように、火陵は剣を己の胸に抱き締める。
 ドクン。
「また、だ・・」
 今度は確かに感じた。この鼓動は、己のものではなく、やはり剣のもの。
 もっと近くでその鼓動を感じたいと更に強く剣を抱き締めたその時だった。不意に、闇の中に光が差した。光は火陵を飲み込まんと迫ってくる。
アレは・・・」
 押し迫ってくる光を、怖ろしいとは感じない。何故ならそれは、今までに何度も感じたことのある感覚だった。
 そう。あの闇に覆われた夢の中で、扉を開いた瞬間に体を飲み込んだあの言葉と映像達の波と、この光は同じなのだと、火陵は疑うべくもなくそう信じていた。
 やはり、そうだったのだ。
「あれが、私の記憶・・・!」
 今、ついに扉の向こうに隠されていた記憶が、己の中に戻ってくる
 膨大な記憶の量に圧倒されながらも、火陵は覚悟を決めて瞳を閉ざす。そして、濁流となって激しく己の中へと入る込んでくる記憶に身を任せた。


 今、記憶の扉が、開かれん










【 第 二 章 終 幕 】



** back ** top ** next **