【第二章 開かれし記憶の扉】


 太陽が次第にその姿を空高くへと持ち上げ、燦々と強い日差しでもって天界の大地を照らし始めている。
 そんな太陽の下、三人の少女が己の道を決し、扉を開こうとしていた。
 そのことを誰よりも早く知ったのは、幻炎城げんえんじょうの最上階、人々が神殿と呼ぶその場所にいる神の歌姫だった。
 天琳てんりん族、族長―天琳王・沙羅サーラ
 硝子張りの天井から降り注ぐ陽光を浴び、僅かに黄金色を帯びて揺れるのは、美しい銀髪。彼女の背丈よりも高い銀の錫杖を持つ拳は固く握られ、同様に瞳もきつく閉ざされていた。
 その瞼裏まなうらに、いったい何が映し出されているのか。それは誰にも分からない。しかし、彼女は常人には見ることの出来ないものを視る。それは、神に愛された者の子孫であるが故の力。
 赤い瞳 けれど、流炎羅るえんら族のものとは違う、静かな紅―臙脂の色をした瞳で、彼女は視ていた。
 三人の少女が、己の運命さだめと向かい合う決断を下したその様を。
 そして、その唇から零れ落ちたのは、
「やはり、運命さだめは変わらない・・・」
 切なさを滲ませた言葉。その切なさの理由を知るのも、彼女のみ。神の言葉によって未来を知ることの出来る彼女しか知らない。
 神殿の中に零れ落ちたその呟きを聞いている者がいた。
「あー」
 言葉にならない声を上げ、沙羅の足下へと寄ってきたのは、一人の赤子だった。
煕羅きら
 よちよちと己の足下まで這い寄ってきた赤子を、沙羅は優しく抱き上げる。
 赤子は、名を煕羅と言った。
 絹糸よりも更に繊細な髪は、沙羅と同じ銀。沙羅を真っ直ぐに見上げる大きな瞳も、母王と同じ、赤。
 彼女は流炎羅るえんら族長副官の弟―螺照らしょうと、沙羅の娘。
 次代の天琳族の長となり、神の言葉を歌として奏で伝える役目を担った赤子。
 次代の歌姫は、沙羅の腕の中で、再度口を開いた。
「あー」
 何を言っているのかは、母親である沙羅にも分からない。しかし、煕羅は声を発し続けている。その、懸命に何かを伝えようとしているようにも見える娘の様子に、沙羅は優しく目を細め、彼女に問いかける。
「お前にも分かるの? この天界の運命さだめが、今、大きく動き出そうとしているのが」
 その言葉を解したのか、それとも偶然なのか、再び煕羅は声を上げた。
 娘の頬を優しく撫でながら、沙羅は瞳を閉ざした。そして、再び切なさを帯びた声でもって呟く。
運命さだめは廻っている・・星宿せいしゅくのままに
 神の言葉、そして己が歌として伝える星宿のままに、運命さだめは回り始めた。
 辿り着く先も、やはり星宿のままなのか
「いいえ。いいえ」
 己の中に沸いた問いを、沙羅は激しく頭を振ることで否定する。
「そうは、させない
 そして、沙羅は深く息を吸い込む。
 吐き出した吐息には、歌声が乗る。細く、けれど途切れることのない美しい声で、沙羅は歌を奏でる。
 この先の未来を告げる神の言葉を、沙羅は歌に乗せる。
 ひたすらに歌を紡ぐ母王の姿を、煕羅の赤い瞳がじっと見つめていた。



 ・・・二つの星宿が 絡まる。




 幻炎城から北へ北へと、馬を数日走らせたその場所に、もう一つの星宿が紡がれている城があった。
 その形は、例えるならば今にも花弁を広げようとする蓮の蕾。蕾のような楕円形の形をした主たる棟の周りには、綻び開き始めた細い花弁のような塔が幾筋も天を目指している。そんな幾つもの塔に囲まれたその城の姿は巨大な一輪の花のようだった。
 しかし、その外壁は黒一色で覆われている。
 城の名は、幻嚮げんむ城。
 それは、天帝が居城―幻炎城を模した城。
 その最上階にはやはり、幻炎城と同様に、神殿と呼ばれる場所があった。硝子張りの天井。そこから降り注ぐ陽光を浴びているのは一人の女。
 名を、那雅ナーガという。
 神殿の中央に坐した彼女の、床にたおやかに広がる髪の色は、銀。星宿を紡ぐその歌声は繊細で美しい。
 もう一人の歌姫 那雅。
 全て沙羅と同じ容姿を持つ歌姫。けれど、唯一違うのは、瞳の色。
 じっと閉ざされたままでいる瞳の奥に隠れている瞳の色は、沙羅の臙脂のそれとは違う、濃い灰色。
 それを厭い、彼女は堅く瞳を閉ざしていた。
 かつて、その両眼に嵌っていたのは、空の青を写したように美しく澄んだ空色の瞳だった。
 しかし、それを彼女は手放した。己の望みを叶える為の、神への対価として。
 彼女が閉ざされた瞳を開くのは、神の歌を聴く時のみ。
 今、彼女は、神の歌う歌を口ずさむ。
 そんな彼女の眼前には、彼女の全身を写す真っ黒な硝子板が立てかけてある。
 しかし、そこに写るのは彼女の姿ではなかった。ぼんやりとそこに写るのは一人の女の姿。 銀色の長い髪に、臙脂色の瞳。手には銀の錫杖。
 かつて天帝が坐した城─幻炎城で歌う、歌姫の姿。
 硝子の中の歌姫が歌うのと同じように、那雅も歌う。


 二人の歌姫の歌う、二つの星宿せいしゅく


 紡がれていた歌が、終わりを迎える。
 それを待っていたように、那雅へと声をかけた者が居た。
「那雅。新たな星宿か?」
 その声に、那雅は弾かれたように振り返り、即座にひれ伏した。閉ざされた瞳が開くことはなかったが、 己の名を呼んだ者が誰であるかは、問わずとも知れた。
是軌ぜき様!」
 気配もなく神殿を訪れたのは、この幻嚮城の主―りん族の王、そして、 この天界の全てを握っている天帝―神族の多くは彼を謀反人と呼ぶが―是軌その人だった。
 褐色の肌に、肩をいくらか過ぎた辺りで切りそろえられた白銀の髪。 刃のように鋭い瞳を染めるのは、濃い紫の色彩。固く引き結ばれた唇と、僅かに皺の寄せられた眉根、 そして紫の色彩に隠れた鋭い光は、見る者全てを萎縮させてしまう威圧感を放っている。
 彼が、天帝―炎輝えんきを屠り、その座を奪い取った男。
 低い声で是軌は再び那雅に問う。
「新たに神が語ったのか?」
 その問いに、ようやく頭を上げた那雅が答えた。
「いいえ。先の歌にございます」
 言って那雅はついと手を伸ばし、眼前の硝子に手を触れさせた。そこに写る 幻炎城の歌姫の姿がより一層色彩を濃くする。
 そして、不意に沙羅が歌うことを止め、瞳を閉ざしたのが見えた。次の瞬間、
「! 是軌様!」
 那雅が声を荒げた。閉ざされた眼で、それでも是軌よりも先に彼女には視えたのだ。
「どうした」
 眉根の皺を増やし問う主に、那雅は黙したまま再度硝子を撫でた。
 そこに現れていたのは、

 是軌は僅かに瞠目する。
 そこに映し出されていたのは、三人の少女―己が手で葬った先代の天帝と、双王の御子たち。
やはり、戻っておったのか」
 口許を、笑みとも言えない形に歪ませ、是軌は呟く。 そして、三人の少女をかわるがわる見つめていた是軌だったが、その瞳が一人の少女で止まった。 紫の瞳が、今度は確かに見開かれている。
 その視線の先にいるのは、紅い瞳をした少女。
 一目で先代天帝の御子だと知れる容姿。 そして、何よりも是軌が瞳を奪われたのは、炎が燃えているかの如くに赤い瞳と、 そこに散りばめられた金の色彩。黄金を交じらせた紅玉のようなその瞳を、是軌は食い入るように見つめる。
同じだ」
「え?」
 主の呟きを、那雅が聞いていた。そして、思わず問い返してしまっていた。 それが天帝に対するには恐れ多い行為であることは分かっていたのだが、是軌の呟きが、あまりにも唐突だったから。
 同じだと、彼は言った。
 先代の天帝の御子の何が、誰と同じなのか。その容姿が先代天帝によく似ていることを彼は言ったのだろうか。
 答えは分からない。
 しかし、那雅にそれを問う権利は与えられていなかった。
 当然、是軌もそれに答えることはしない。そもそも、那雅の訝しげな声が届いていたのかさえ分からない。 彼はただひたすらに、硝子面に映された紅い瞳の少女を凝視していたのだから。
 そして、再度彼が唇から零したのは、
「今度こそ、我が手に
 低い低い囁きだった。口許に浮かべられた笑みには、狂気の色すら滲んでいる。
「・・・・」
 那雅はその囁きに気付かなかったふりをする。時折見せる主の狂気に、背中を走る悪寒を堪えながら。
 するとようやく御子の姿から視線を逸らした是軌が、その瞳に那雅を映した。そして、命じる。
「さあ、歌え、那雅よ。我が勝利を予言した、その歌を」
「・・御意にございます」
 そして、再び幻嚮城に、星宿の歌が響き渡る。


 運命さだめを示した、もう一つの星宿の歌が










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