【第二章 開かれし記憶の扉】


「・・眠れない」
 暗闇に包まれた部屋に、火陵の小さな声が響く。
 夕食を食べ終え、部屋の隅の天井から小さな滝を作っている水で体を洗ってから、火陵はベッドに横になっていた。同様に水日と風樹も別に用意された部屋で眠りについていることだろう。
 しかし、火陵は眠ることができずにいた。
 慣れない部屋である所為か、それともあまりにも突然多くのことを知らされた所為か、一向に眠気が訪れる気配がない。それどころか、次第に目がさえていっているようにも思う。
 それでも最初は瞳を閉ざし、夢の誘いがくるのを懸命に待っていたのだが、瞼を閉ざしていることすら苦痛になり、見慣れない部屋の景色と、ベッドを囲う天蓋とを見つめていた。
 だが、それももう飽きた。
 何度目かの寝返りを打ち、火陵はついに体を起こしていた。
 勢いよく立ち上がり、そのままベッドから飛び降りた火陵だったが、

 突然、ピタリと一切の動きを止めた。呼吸すらも止め、火陵は耳を澄ませる。
 窓の外で鳴る風の音の中に、火陵はあるものを見つける。微かに鼓膜を揺らすそれが何であるのかを知りたいと 、そう思ったのだ。そうして頭で止まれと命じるよりも先に、体は反射的に動くことをやめ、全ての神経を耳へと集中させていた。
 そして、捕らえる。
歌? あの、夢の中で聞いた・・・」
 何処からか微かに聞こえてくるそれは、夢の中で、やはり何処からともなく流れてきたあの歌によく似ている。
 か細く高い声が、淡々と紡ぐ歌。綺麗で繊細、そして、どこかもの悲しい旋律。
 夢の中で、この歌をあの男は何と言っていただろうか。
「・・・・・」
 思い出すことはできない。代わりに脳裏に蘇ってきたのは、男がその面に浮かべた険しく、そして切ない表情。
 それは火陵の胸をチクリとついた。
 男が悲しんでいる理由を知っているわけでもないのに、 それでも心が痛むのは、それほどまでにその男の表情が切なかったから。 その紅の瞳が、ただひたすらに悲しげだったから。
 瞼裏に蘇った男の姿を消すように、火陵は左右に首を振る。
 そして、再び彼の姿が戻ってくる前に歩き出す。一歩目は躊躇いを伴っていたが、二歩目を踏み出したその足にもう迷いはない。
「気になるんだからしょうがない!」
 と誰にともなく言い訳をし、火陵は部屋の扉を押し開け、廊下へと出た。
 長く長く続いている廊下は、しんとした静寂を纏っていた。
 その静寂を破らぬよう、後ろ手で扉をゆっくりと閉める。そして、火陵は迷うことなく歩き出していた。
 勿論、どちらへ行けばこの歌に辿り着けるのかは分からない。しかし 、どんなに耳を澄ましても、微かにしか聞こえてこないその歌を頼りに行くのは至難の業。それならば、自分の勘に任せてみようと、楽観的な火陵はそう思ったようだった。
 廊下の壁に取り付けてある、銀の小さな燭台の上に、ぽわんと黄金の 炎が浮いている。その炎によって廊下は暖かな光で満たされていた。
 昼間には、太陽の光に照らされ、更には壁の真っ白な色によってただひたすらに白く、そして 清純な空間に保たれていた城の中は今、橙の炎に照らされ、温かく穏やかな空間へ とその姿を変えていた。
 穏やかではあるが、昼間にはそこかしこにいた女官の姿も今はなく、 通り過ぎる部屋の中からも人の気配を感じない所為か、 火陵の胸中を冷たいものが走る。無人の城を一人探索しているようで 落ち着かない気分になる。そうなると、いやに背後が気になってくるもので、 思わず振り返ってみるのだが、当然、誰もいない。
 勘と、そして耳とを頼りに歌の出所を辿っていく。
 そうして足を進めていくと、いつの間にか廊下を出て、火陵は階段を一歩一歩上っていた。次々と現れるフロアへ続く廊下へ足を踏み出すことなく、火陵はひたすら階段を上っていく。歌を辿る。
 階段を上り続けていく内、微かだった歌がはっきりとその音色で鼓膜を揺らすようになり、火陵はこのまま登っていけばこの歌を歌っている人に会うことが出来ると確信する。そうすると、自然と足が早まった。上へ上へと急く足に任せ、火陵は行く。
 そして、ついに階段が終わりを告げた。
「あれ? ストップ??」
 緩く螺旋を描いたその先は闇。途中、外へと繋がる廊下もないようだ。階段はあれどその先の階がないのでは何のための階段かが分からない。
 首を傾げつつも、火陵は階段を上る。
 そして、その先が闇に包まれている理由を知ることになった。
 階段をひたすらに上り辿り着いたそこは、この城の一番頂上部分だったのだ。 最上階の床に繋がっていた階段の先には、 夜空が広がっている。 天井が硝子になっているからだろう。そうして宵闇が壁に見え、 階段のその先が閉ざされていると思ってしまったのだろう。
 そして、歌はそこから階段へと溢れ出している。
 火陵は恐る恐る階段を上り、そして最上階の床から頭だけをそろりと覗かせ、中を窺う。そして、感嘆の声を上げていた。
わァ・・・」
 部屋の中は、闇に包まれていた。夜の闇に支配されたその部屋で天を仰げば、無数にきらめく星がそこで瞬いている。
 その部屋を覆った闇は完全なる黒ではなく、星の明かりや月の光によって和らげられた黒い闇。その中、空にあるはずの星だが、自らも空を包む宵闇の中に身を置いている所為か、その星々さえも手の届く場所にあるかのよう。
 そこはまるで現実世界とは切り離された異空間のようだった。
 そして、異空間かと疑ってしまうほど幻想的なその光景を、より一層濃く彩っているのは、部屋の中央に立ち、瞳を閉ざし天を仰いでいる一人の女の姿だった。
 月の光を浴び、女が両手で抱えている銀色の大きな錫杖が輝いている。シャラリと涼やかに鳴る錫杖の輪と、女の唇から零れる妙なる美声。
 火陵はその光景をしばし茫然と見つめていた。
 火陵の肩あたりまでしか身長がないだろう小柄なその女は、 体の線の細さも手伝ってか儚い印象を漂わせていた。 その細い体躯は、白い衣で覆われている。
 一瞬、少女なのだろうかとその横顔を窺ったが、それが間違いであることに火陵はすぐに気付いた。瞳を閉ざし、天を仰いでいる女は凛とした美しさを持ち、歌を紡ぐ唇には赤い紅が引かれてある。その赤と対照的な白い肌は雪のよう。そして、肩を、腰を過ぎ、床にまで流れるのは細く美しい銀髪。
 いつの間にか火陵は、階段を全て登り切り、不思議な部屋の床へと足を踏み出していた。
 女が奏でるその歌を、もっと近くで聴きたかった。
 しかし、歌が途切れた。
 そして、天を仰いでいた女の瞳が開かれ、火陵へと向けられる。
 その瞳の色は、薄い赤。それを間近に窺うことが許されるなら、その瞳の中に銀色が多く交じることで赤が薄まっていることを知ることができただろう。
 女が歌う事をやめてしまったその理由が、自分が突然この部屋に入ってきてしまった所為だと悟った火陵は慌てて謝っていた。
「あっ、ごめんなさい!」
 慌てて腰を折り詫びた火陵に、女はフワリと穏やかに美しく微笑み、そして大きな錫杖をゆっくりと地面へとおろした。
 シャラリと錫杖の輪が鳴ったことで火陵が折り曲げていた腰を元に戻すと、
「え!?」
 目の前で女が深々と腰を折り頭を下げていた。
 謝るのは明らかに自分の方で、彼女に非がないことを知っていた火陵は目を白黒させる。しかし、女は頭を上げることなく言った。それは謝罪の言葉ではなく、
「お帰りなさいませ、我らが御子みこ
 歌声と同様に細くたおやかな声で、女は火陵の帰郷を祝い、穏やかに告げた。
 その言葉は今日一日で何度もかけられたものだったが、しかし慣れることはない。ただの「おかえり」とは違う重みを含んだその歓迎の言葉への戸惑いは未だ消えそうになかったが、火陵は答えを返す。
「あ、は、はい。ただいま帰りました」
 火陵の戸惑いを、女は理解しているようだった。優しく火陵に微笑みかけると、今度は火陵の前に跪き、自らの胸の前に手を当てて己の名を告げた。
「お初にお目にかかります、我らが御子。わたくしの名は沙羅サーラ。 代々天帝の星詠ほしよみとしてこの神殿に仕えていた天琳てんりん族の王―天琳王にございます」
 沙羅と名乗ったその女の言葉に、火陵は僅かに目を瞠る。
「え? 天琳族って
 問いかけて、火陵は咄嗟に口を閉ざした。
 彼女は、自分が天琳族の王だと、そう言った。けれど、火陵が思い出したのは、 夜衣が言っていた言葉。
 天琳族という一族が、是軌ぜきという今の天帝に滅ぼされたと、彼は言っていなかっただろうか。
 火陵の疑問を彼女は察したようだった。火陵が途中で途切れさせた問いの答えを、沙羅は寄越してきた。
「先の戦の折、謀反人むほんにん是軌により、滅ぼされた一族の王にございます」
 そう言って、うっすらと沙羅は微笑みを浮かべた。火陵に気を遣わせまいとしたのかもしれない。
 しかし、火陵は表情を曇らせる。
一人なの?」
 滅ぼされたと彼女は言った。もう、天琳族は一人きりなのかと痛ましげに訊ねた火陵に、沙羅は「いいえ」と穏やかに首を振って言った。その面には、今度ははっきりと笑みが浮かべられていた。
「一人ではございません。天琳族の民は皆失ってしまいましたが、今は夫も、娘もおります」
 沙羅の笑みに、火陵は「そっか」と短く返事を返し、口を閉ざした。それ以上は何も言わない。彼女のその笑みから、「お気になさらないで下さい」という彼女の気遣いを感じたからだった。幸いなことに、何も彼女への言葉が思いつかなかったので、火陵はその沙羅の気遣いに感謝する。
 けれど、未だ火陵の面には苦しげな表情が張り付いている。それを笑みと共に見つめていた沙羅だったが、 突然何かを思い出したらしく「あ」と小さく声を上げてから、小さく笑いを洩らした。
「どうしたの?」
 急に笑った沙羅に、火陵がきょとんとして首を傾げる。
 すると沙羅は笑いながら言った。
「あの方はお伝えしてないのでしょうね」
「え?」
 再度火陵が首を傾げると、沙羅は言った。その言葉は、火陵を大いに仰天させるものだった。
「私の夫は、御子のお世話をさせて頂いておりました、螺照らしょうにございます」
「えええええええええええええええええええええええええッッッッ!!?」
 目を見開いて絶叫した火陵に、沙羅はくすくすと笑う。
「ら、螺照って結婚してたの!!?」
「はい。娘も一人授かっております」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
 火陵のナイスリアクションが面白くて仕方がないのだろう。口許を服の袖で押さえ、くすくすと上品にではあったが、笑い続けている沙羅。その瞳には涙まで滲ませている。
 だが、火陵がそれに気付くことはなかった。
 未だ驚き醒めやらぬ様子で何やらぶつぶつ呟いている。
 そんな火陵に、ようやく静かなる爆笑が収まった沙羅が訊ねた。
「驚かれましたか? 御子」
「う、うん。今日聞いたどの話よりも!!」
 その言葉に、沙羅はまたくすくすと笑った。
(そっか。この人のことだったんだ)
『そなたには、まず会わねばならん者たちがいるではないか』
 火陵の祖父、猩火しょうかの言っていたその人たちというのが、 妻である彼女と、娘のことだったのだろう。だから一目散に駆けて行ったのだ。
(そりゃ会いたいよね〜)
 もしも火陵たちと暮らしていたその十年という長い月日の間、 一度も家族と会うことが出来なかったのであれば、 一刻も早く会いたかったに違いない。そして、家族と会うことも我慢し、 自分たちを育ててくれていたのだとしたら、螺照へは勿論のこと、 旦那、父親と離ればなれになっていた彼女たちのことを思うと、 自分の所為ではきっとないのだろうが申し訳なさが込み上げてくる。
「・・・あの、ごめんなさい」
 一体何と言って謝るのが正解かは分からなかったが、火陵は取りあえず謝罪の言葉を口にした。
 何について謝っているのか火陵は言わなかったが、彼女の表情から 沙羅は火陵が何を思い謝罪したのかを察したらいい。驚いたように目を瞠った。
「何を仰います、御子。御子をお守りしお育てする重大な命を受け、そしてその命を全うできた夫を、私も娘も誇りに思っております。何ぞ不満はございませんでしたか?」
「ないないないナイです!! むしろ私たちの方がいっぱい迷惑かけちゃったよ。あ、でももう沙羅さんと娘さんにお返しします! あ! 返すって、あのっ、モノじゃないけどさ! 気持ち的に」
 ぶんぶんと首を振ったり、頭を下げたり、視線を泳がせたりと忙しく、けれど懸命に言葉を紡ぐ火陵の姿に、沙羅は目を細めて笑う。火陵の思いは、全て彼女に伝わったようだった。
「お優しい心を育まれたようでようで。安心いたしました」
「は、はぁ・・」
 そうかなァと思いつつ、ここで否定しては「螺照は優しい子にしてくれませんでした!」と言ってしまうようで、仕方なく火陵は曖昧に頷いて見せたのだった。
 そうして会話が途切れ、火陵が居心地悪く身じろぎしていると、沙羅が地面に置いていた錫杖を手に取った。
 シャラ・・
 澄んだ音が部屋中に響き渡る。そして、消えていく。まるで夜空に吸い込まれていくかのように、涼やかな金属音は消えていった。
 火陵は改めて部屋を見回す。
 そして、気付く。
(似てる・・・)
 似ていると、そう思った。この宵闇に包まれたこの部屋が、 あの夢の中によく似ている、と。 まさかあの夢でこの場所を訪れていたのだろうかと思い立った火陵は、再度部屋の中を見回す。この部屋の何処かに、あの夢の中にいた男がいるのではないかと思ったのだ。夢の中と同じように、不意に現れるのではないかと思ったのだ。
 けれど、男が現れる事はなかった。
 その代わりに、再び錫杖が鳴り響いた。そちらへと視線を遣った火陵は、錫杖を両手で持ち瞳を閉ざしている沙羅の横顔に問いかけていた。
「ねえ、ここは何なの?」
「ここは神に最も近い場所」
 歌うように柔らかな声で、沙羅は答えた。そして、語る。
「ご存知ですか? 御子。ここは、神が下り立った地だと言い伝えられています。 そして、ここに下り立った神が御子の祖先、 初代天帝阜燿ふよう様に神剣しんけんを授けた場所と言われています。ここは神が唯一下り立った天界の地。ですから、その地に立てられた幻炎城げんえんじょう、その一番上にあるこの神殿は、神に最も近い場所なのです」
「その、神に最も近いこの場所で、沙羅さんは何を歌っていたの?」
 沙羅の静かな声音につられるようにして、火陵も静かに問う。
 その問いに返ってきたのは、
「神の、御言葉みことばを」
「え?」
 どういうことだと眉根を寄せた火陵に、沙羅は答える。
「私たち天琳族の王は神からの御言葉を聞き、歌うことでそれを伝える役目を担っています」
 そして、沙羅は歌声を唇に乗せた。
 それはやはり細く、高く、美しい声で紡がれてはいたが、どこか悲しい旋律。
その歌、やっぱり知ってる。夢の中で聞こえてた」
 そう呟いた火陵に答えるため、沙羅は歌を紡いでいた口を閉ざした。
「御子の中にも、天琳族の血が流れておられるからでしょう」
 その言葉に、火陵は僅かに目を瞠る。
「・・・私、流炎羅るえんら族って一族じゃなかったの?」
「その通りにございます。しかし、御子の曾々お祖母様が天琳族だったのです。 天琳族の血を受け継いでおられる火陵様ならば、神の声だけでなく、過去や未来を垣間見たことがおありのはず」
「・・・・」
 幼い頃から何度となく視たあの予知夢。そして、夢の中で扉を開けはなったその瞬間に垣間見えたものは、 やはり過去や未来だったのだ。それらは全て、自らの中に流れている血が見せていたというのだ。
 俄には信じがたい話。だが、自分が予知夢や不思議な夢を見ること事態 がおかしなことではあったので、その理由を、例えそれが信じがたいもので あったとしても、知ることができ、多少ほっとしたのも事実だった。
「御子のお祖母様は、天琳王の妹姫でした。そして私のお祖母様 が姉、5代前の天琳王―神の御言葉を聞く者でした」
「で、その言葉って何?」
「神から我々への言葉―星宿せいしゅく。我々にどのような未来が待ちかまえているのか、 神が伝えて下さっている御言葉です。その御言葉を天琳族の女王が聞き、歌うことで人々に伝えます」
「じゃあ、さっきの歌はどういう事を言ってるの?」
 口を開けば質問ばかりになってしまい、詰問をしているようで申し訳なく思う気持ちもあったのだが、それでも問わずにはいられない。
 その心情を沙羅も察しているのだろう。嫌な顔一つせず、その問いにも答えた。
「あれは、先の戦で天位を奪った謀反人の事。そして、これからその謀反人と我々との間で起こるであろう、血の戦の事を唱っております。この天界、そして私たち神族に課せられたこれからの運命さだめです」
運命さだめ・・・」
天地あめつちことわり。決して違えることなき道」
 そこで沙羅は口を閉ざした。
 火陵も、問い返すことはせず、やはり口を閉ざした。
 沙羅の詠うこの歌が、これから起こることを詠っているものだと、彼女は言った。
(だから、悲しそうな顔をしてたの?)
 夢の中のあの男は、この歌を聴き、険しい眼差しをしていた。切ない顔をしていた。そして、抱き締められたその腕は、大きくて心地良いものだった。けれど、思い返せばその腕は、微かに震えていた。
(この歌が 悲しいから? 恐いから?)
 その理由を問おうにも、彼は今いない。
 だから、男がその面に浮かべた感情の理由を、想像でもって探るのはやめた。
 その代わりに、今度ははっきりと聞きたいと思った。
「ねえ、もう一度、さっきの歌を聴かせてもらえないかな?」
 男が苦しげに顔を歪めて聞いていた歌を、自分も聞こうと、そう思った。
 歌を聴き、そこに込められた未来を知れば、彼の思いも少しは分かるかもしれない。
 そして、これから一体どうすればいいのか全く分からない自分への、何かしらの道も見出せるかもしれない。
「あの歌を、聞かせて欲しい」
 火陵の真剣な瞳を、沙羅は受け止める。そして、一度瞼を閉ざした後、
仰せのままに、御子」
 錫杖を床に打ち付け、シャララと涼やかな音を響かせ、沙羅は歌を紡ぎ始めた。
 神が彼女へと伝えた、この天界の運命さだめの歌を




赤き月昇りて
空を覆いし群雲むらくもは やがて朱雨あけあめを零さん


永き眠りより目覚めし血の雷獣 天中に攻め入らん
赤き炎絶え 天下に落つるは未だ幼き燈火とうかなりて 時満ちるまで 隠し灯せ
さすれば赤き月の下 燈火目覚め 我が下へと帰さん


神の涙を拭い 悲哀ひあいの歌を奏でよ


鏑矢かぶらや 紅月を射て 戦乱の業火と成らん
雷鳴轟きて大地を揺らし 燈火ひらめきて闇を焦がさん
雷光 天を裂き 新たな運命さだめの輪が廻る


神の歌は絶え 青き眼 天を仰ぐ


いざ参れ 永遠とわの地へ


血の戦 其は即ち 炎の血の祝福なり












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