水音が微かに響くその部屋で、夜衣は静かに語る。一つ一つ、 言葉を確かめるかのように丁寧に口から紡ぎ出す。何も知らない―否、記憶を持たない少女達への配慮もあったのだろう。 そうして夜衣が丁寧に紡ぐ言葉を、三人は黙って聞いている。 耳にする全ての事が新しい。 もはや頭の中は、知らない事実を受け入れる為の要領をはるかに上回ってしまい、 ギブアップと白旗を上げているが、それでも三人は傾ける耳を塞ぐことはしない。 知りたい。 ずっと、知らなかったこと。そして知りたいと願っていたことなのだ、これは。 どんなに信じがたい話でも、これがきっと求めていた記憶。 三対の真剣な眼差しを受け、夜衣は口を開いた。 「先程、天帝は世襲されると、そう言ったのを覚えてらっしゃいますか?」 三人はただ頷いて見せ、その先の言葉を促す。 「代々天帝は親から子へ、孫へと世襲されるものなのです。しかし、今の天帝は先代天帝の子ではありません。ましてや、流炎羅族でもないのです」 そう口にした夜衣の顔には、苦い表情が浮かんでいる。 それを認めながらも、火陵はその表情の理由を問うことはしない。別の問いを発する。その問いを促すことでいつか彼の苦しげな表情の理由も分かるだろうと。 「誰なの?」 夜衣は答えた。その表情には依然として苦いものを乗せたまま。 「 現天帝の名は是軌。稟族が王」 「・・・どうして?」 天帝は代々その子、その孫へと受け継がれていくものだと聞いたのは今しがたのこと。けれども、今の天帝はそうではないという。 盛大に首を捻った風樹の後に続いたのは、「もしかして」と手のひらを叩いた水日だった。 「先代に子供がいなかったの?」 しかし夜衣はその問いにゆっくりと首を振った。 否というその反応に、火陵が眉を寄せる。 「だったら、何故?」 その問いを受け止めた後、夜衣は一度瞼を閉ざした。そして一つ深呼吸をしざわつく心の波を抑えた後、夜衣は答えた。 「・・・・是軌は、謀反によって天位を略奪したのです」 「ムホン?」 「裏切りってことよ」 風樹の問い答えたのは水日。 その答えに頷くことで「そうです」と答え、夜衣は再度息をついてから口を開いた。 「今この天界は、先の天帝を屠り天位を奪った是軌の一族―稟族と、謀反に手を貸した牙羅族、鍍乎邏族によって統治されています。いえ、もはや絶対的な支配が行われているのです。 稟王―是軌は本来土地を移り住み暮らしている漂住一族に定住することを課し、全ての一族の動向を把握しています。 我々流炎羅族の村も常に監視下に置かれ、結界によって村の出入りもろくに行うことが出来ません」 夜衣が浮かべたのはやはり苦いものを混じらせた表情。 眉間に寄せられた皺と、悔しげにかみ締められた唇を解き、さらに夜衣は語る。 おそらくは口にすることも苦しく辛いことなのだろう。しかしそれを堪え語る彼の表情は苦しげだった。 「是軌は全てを徹底的に支配し、逆らえば容赦なくその一族を逆賊として根絶やしにしてきました。 是軌の代十年余りの間に、八つの一族が滅ぼされました」 「ヒドイ・・」 火陵は眉根をきつく寄せる。そんな火陵の隣で、眉をつり上げたのは水日だった。 「つまる所、今の天帝は悪いヤツなんでしょ? だったらこらしめちゃえばいいんじゃないの? あっち側は三つの一族、こっちはもっといるんでしょ? 勝てないの?」 その言葉には、夜衣を責めるような響きがあった。 夜衣の話から、今の天帝が非道な人間なのだということはよく分かった。一族が滅ぼされる様を見たわけでもないので、実感というものは沸かないが、夜衣の悲しみや怒りは多少なりとも推し量ることはできた。だから、水日は責めるように夜衣に問うたのだ。 いったい、何故戦わないのか。抗わず、非道なる行いの元に屈しているのだろうか、と。 それは当然の疑問。夜衣も水日の問いに反発することなく、静かに答えを返した。 「僕たちは先代の天帝―炎輝様のお言葉を信じ、悪政に耐え待っています。神の詞を信じよという、先の天帝の遺言を信じ待っています」 「神の詞?」 また新たに出てきた聞きなれない言葉に、風樹が首を捻る。 「天帝にお仕えする運命を予言する一族、天琳族の巫女王が歌う詞です。 ただ、天琳族も謀反人に滅ぼされてしまいましたが、巫女王が唱った、定められたる日まで 決して無益な血を流すことなく待つようにと言う神の詞。 それを信じ待つようにと仰った天帝を信じ、耐えているのです」 「定められたる日って?」 問うたのは水日。 答えるのは、耳に心地のよい若草色の声。 「今日、赤い月が昇るこの日。そして、第二の運命の日―次に再び赤い月が昇る、血の戦の始まる日」 三人は顔を見合わせる。 その額に、じわりと汗が滲んでいる。その理由は、 ((( 嫌な予感が・・・))) 嫌な予感にかられ表情を暗くする三人に気付かず、夜衣は続けた。三人の不安をさらにかりたてる言葉を。 「僕たちは待っていたのです。先の天帝と双王が人界へと逃した御子が、この天界へと戻ってくる今日この日を」 「 ま、ま、ま、ま、まさか」 ダラダラダラダラと、あまり汗をかかないはずの火陵の額から異常なまでの汗が流れ出す。 隣の二人を窺ってみれば、やはり火陵と同様に汗をかいていた。暑いのかと問うまでもなく、その答えが否ということが分かる。なぜならば三人は一様に、いやに青ざめた顔をしていたからだ。 そんな三人をかわるがわる見遣り、夜衣は答えた。 三人の青ざめた顔に気付かなかったわけではない。気付いたけれど、夜衣は包み隠さず、真実を少女達に突きつけることにしたのだ。 「そうです。先が天帝が御子。そして、次代―12代天帝は貴女様です・・・」 その言葉に、三人は凍りつく。今までの話から、「もしかして」と思ってはいた。思っていたからこそ三人は冷や汗を浮かべていた。「まさか」と心の中で叫び、訪れるかもしれない衝撃の事実への驚愕に対抗しようとしていたのだが、こうして改めて言葉にして突きつけられると、恐ろしい。 三人は、ゴクリと生唾を飲み込む。 三人が想像したとおり、夜衣が―いや、この天界に住む神族の人々がその帰還を待っていたのは、自分達だったのだ。そして、自分たちの中に、この世界の王となるべく者がいるというのだ。 三人は互いの顔を見合わせ、次に夜衣へと視線を遣る。 しかし、夜衣はなかなか口を開こうとしない。 もったいぶっているのか、それともここまで言っておいて全てを言うことに躊躇いを覚えたのか。視線を落とし沈黙を作り出している夜衣に、ついに火陵が耐え切れず口を開いていた。沈黙を破った火陵の後に、我も我もと、風樹と水日が続いた。 「だ、誰!?」 「まさか、あたし!!?」 「んなワケないでしょ!」 「「じゃあ、水日!」」 「断る!!!」 せめて天帝の子供だという重大な地位からは逃れようと、三人は互いにその事実を押し付けあう。その様子を見守っていた夜衣がついに重い口を開いた。 先程までの躊躇いは見る影もない。視線はまっすぐに、その人へと向けられている。 そして、夜衣はついにその人の名を呼んだ。 「貴方様です 火陵様」 「 」 その場のリアクションは二つ。 ひくひくと頬を引きつらせ固まった火陵と、 「「良かった!!」」 心の底から喜ぶ水日と風樹。 しかし、二人の喜びも一瞬の後に無に帰すことになる。 「そして、双王、乾翠王が御子、風樹様」 「」 「まさか 」 「はい。次代の蒼巽王、水日様」 「」 もう自分たちは大丈夫だとたかをくくっていた風樹と水日は、唐突な夜衣からの攻撃に驚愕する。 驚きすぎて、風樹お得意の大げさすぎるリアクション芸も今はなりを潜めてしまっていた。 心底驚いてしまい、風樹も水日もただただ沈黙する。その口許は火陵と同様に激しく引きつっていた。 生まれた沈黙は、長かった。 夜衣は三人を見つめたまま口を開くことはしなかったし、三人は三人で、己へと突きつけられた衝撃の真実を消化するまでに相当の時間を要しているようだった。 そして、たっぷりと沈黙を味わった後、 「 夢だよね」 火陵が弱々しい声で沈黙を破った。 そんな火陵に続いたのは、 ヒュッ!! 空を裂く音。それは、口を閉ざしたままだった水日の拳が、同じく口を閉ざし呆然としていた風樹の頬めがけて繰り出された音だった。 その音で、風樹は我に返る。そして、慌てて水日の迫り来る拳を避けた。 「ちょ! や、やめれ ッ!!」 けれど、水日からの拳は次から次へと繰り出される。無表情のまま、ただ風樹へと拳を繰り出す水日のその様は、さながら感情を持たない殺人マシーン。 どうあっても自分を捕らえるまでやみそうにないその攻撃を、風樹は必死で避ける。 そんな風樹に火陵が声をかける。それは残念ながら声援ではなかった。 「風樹、お願いだから撲たれて!」 「そして痛くないとお言い!!」 「痛いに決まってんじゃんっ!」 「夢だから痛くない」 「そうよ。痛くないのよ。夢だもの」 「だから、夢じゃない夢じゃない夢じゃないんだってば ッ!!」 風樹のその絶叫に、火陵がバタリと床に倒れこみ、水日はピタリと攻撃の手を止める。そして、絶叫したその本人も己の言葉にはっとし頭を抱える。 三人はついに悟った。 「「「 夢ぢゃない・・・」」」 その言葉を、静かな声で肯定すべく夜衣が口を開く。そして、それに付け加えて言った。 「そう、夢ではありません。僕たちは是軌からの解放を望んでいます。三人の御子が反旗を翻し、是軌の代に終止符を打ってくださることを」 「 」 夜衣のその言葉に、火陵は僅かに目を瞠る。その瞼裏に思い出されたのは、 『お帰りなさいませ。お待ち申し上げておりました・・!』 そう言って涙を浮かべたあの女と、 『お帰りをお待ち申し上げておりました!!』 この城へと自分達を招き入れてくれた兵士の姿。 そして彼らの縋り付くような眼差し。 あの瞳が、夜衣の言葉の全てを肯定しているような気がしたのだ。彼らは、自分たちが帰ってくるのを待ち焦がれていたのだと。 黙り込んだ火陵の隣で、水日が引きつった口許を無理やり笑みの形に変えて言った。唐突に突きつけられた事実を受け入れることができないでいるのは、水日だけではなかった。水日の言葉に、風樹が続いた。 「ハ、ハハハハハ。そんな・・・まさか、ねぇ」 「待ってチョーダイよ。コレ、何? 映画の撮影か何か??」 「わ、私たち銀幕デビウなのね!?」 「そ、そうそうそうに決まってるって! 最近ファンタジックな映画って多いしさ」 必死で今のこの現状を否定しようとしている水日と風樹を、夜衣は黙って見つめている。その瞳は、まっすぐに少女たちを映す。 嘘偽りを知らぬ瞳。 しかし、水日と風樹は認めようとはしなかった。黙ったままでいる夜衣に迫る。 「ね! そうでしょ!?」 「遠慮はいらんよ!! さあ、言ってチョーダイ!!」 「「そうだと言って!!!」」 「・・・・・・」 夜衣は答えない。しかし、その瞳の真剣さが、既に答えを二人へと突きつけている。 全ては、真実。 と。 その時だった。扉がゆっくりと開かれた。 助け舟か、はたまた往生際の悪い少女たちへトドメを刺すための最終兵器となるのか、姿を現したのは、螺照。 見慣れた人の姿に、三人は一斉に立ち上がると、 「「「螺照!!」」」 ひしっとしがみついていた。今、この何もかもがわからない状況の中で、頼ることができるのは長年一緒に暮らしてきた彼だけだった。 だが、当の螺照はというと、三人からの激しすぎる大歓迎ぶりに驚き、ただただ目を瞠っている。そして、 「ど、どうされたんだい?」 彼女らがこんなことになっている理由を、夜衣へと問う。 「・・・全てお話いたしました。螺照様の指示も仰がず 」 申し訳ありませんでしたと夜衣が紡ぐはずだった言葉は、螺照本人によって遮られる。穏やかな螺照の声が、夜衣へと告げた。 「いや、いいんだ。ありがとう、夜衣」 労をねぎらうように優しく肩を叩かれた夜衣は、軽く頭を下げることで答えた。 螺照は自分の体に引っ付いている三人をそっとはがすと、彼女らに腰を下ろすよう勧め、自らも夜衣の隣に腰を下ろした。そして、一息ついた後、三人を代わる代わる見つめて言った。 「火陵様、水日様、風樹様。全て、聞いたのですね?」 三人はおとなしく首を縦に振る。けれど、三対の瞳が未だにその現実を受け入れることができずに揺れている様を見て、螺照は少し困ったように目を細めた。そして、優しい口調で彼女らを諭すように告げる。 「信じられないのも無理はありません。しかし、全て真実なのです」 ガ ン と、バックにそんな文字が見えてきそうな分かりやすいリアクションを取った三人に、螺照は苦笑を漏らし、夜衣と顔を見合わせた。 だが、それ以上は何も言わない。 どんなに上手い言葉で彼女らを納得させようと試みても今は無駄な努力に終わってしまうだろう。いや、むしろ言えば言うだけ彼女らが混乱するだけだ。 彼女らが今夜衣が語ったことが全て真実なのだと悟る時は今ではなく、別に用意されていることも彼は知っていた。 故に螺照は、この話は終わりだと、三人へと優しい笑みを向けた。 「さあ、食事を用意してもらいました」 螺照が立ち上がり扉を開け放つと、彼の言ったとおり鼻腔をくすぐる料理の匂いが部屋へと流れ込んできた。それと同時に、それぞれ両手で膳を持った三人の女官が部屋へと入ってくる。いっそう部屋の中に良い匂いが漂う。 「お腹がすいたでしょう。食べて、今日はゆっくりお休み下さい」 確かに空腹ではある。しかし、螺照のその言葉に三人はすぐには従わなかった。 先程聞かされたあの話。自分たちが忘れていた生まれ故郷の話。そして、これから自分たちに何が望まれているのか。 あの話は、真実なのだろうか。 いや、彼女らももう分かっている。 あれが、真実。 けれど、受け入れることは未だできない。 受け入れさせて欲しいのか、それとも否定して欲しいのか。もっと夜衣と、そして螺照の話を聞かせて欲しかった。 互いに顔を見合わせ、三人ともが同じ気持ちであることを確認した後、火陵が「もう少し話して欲しい」とそう告げるために口を開いたのだが、それよりも先に、 ぐぅ っ。 火陵の腹の虫が鳴いた。 「・・・ゴメン/////」 一気に緊張感がなくなってしまったことを感じ取り、火陵は腹を押さえ頬を盛大に染める。 水日はため息をこぼし、風樹はというと爆笑している。 「さあ、召し上がってくださいませ」 そう言って火陵の背にそっと手を触れさせた女官は、くすくすと小さく笑っている。そんな女官に火陵も「ありがとう」の代わりに、にへら〜と照れた笑みを返した。 「もう、緊張感ないわねェ」 「まったくだよ。火陵らしいというか何というか」 と文句を垂れつつ、水日と風樹の二人も腹は減っていたのだろう。 「いただきます」も忘れ、肉を目の前にした猛獣のように激しく夕食にがっつき始めたのだった。 空腹が満たされ始めた頃になって初めて、彼女らはその料理が今まで食べたことのないものだということに気付くことだろう。 |