【第二章 開かれし記憶の扉】


 夜衣に連れられ、三人は白い壁が一面を覆い病院を彷彿とさせる城の廊下を歩いていく。
 時折、髪を一つに結い上げ、薄紅色の衣服を身に纏った女たちとすれ違う。その誰もが同じ髪型、同じ服装をしていることから、どうやら彼女たちはこの城に仕えているのだということを察する。そして、どの女たちも皆一様に頭を下げる。無論、火陵たちに向けて、だ。丁寧すぎる会釈に戸惑いながらも、三人も女たちに頭を下げ返しつつ廊下を進んでいた。
 ひたすら廊下を真っ直ぐ行くと壁に突き当たった。その先からは階段になっているらしい。夜衣は少し暗くなっている階段に足を踏み入れると、「足下にお気を付け下さい」と丁寧に三人に告げた。
 螺旋になった階段を今度はひたすら上へ上へと行く。
 その途中で夜衣が口を開く。その若草色の爽やかな声が、壁に反響して響いた。
「本来ならば客室は東宮とうきゅうにご用意させていただくのですが、やはりお三方とも近いお部屋の方が宜しいかと思いまして、火陵様のお部屋の向かいに水日様と風樹様のお部屋をご用意させていただきました」
「は、はあ。どうも、ありがとう」
 何やらと っても気を遣ってもらったようで、火陵はへこりと軽く頭を下げる。その礼にあまり謝意がこもっていないのは、その視線が前を行く夜衣の背中を見つめたままだったからかもしれない。しかもその視線はうろんげだった。
 夜衣は初めて出会ったその時から丁寧な物言いではあったが、ここまで敬われ謙られては違和感を禁じ得ない。しかも同年代の少年に、だ。
 それは隣を歩く水日と風樹も同様だったらしく、三人はそろって顔を見合わせた後、代表して水日が遠慮がちに口を開いた。
「あのさ、夜衣」
「はい。何でしょう?」
「あの、どうして私たちのこと、様って・・・」
 問いは最後まで紡がれることなくもごもごと水日の口の中で消えてしまったが、夜衣はそれに対して問い返すことはなかった。整然と答える。
「そうお呼びせねばならないのです」
「・・・はぁ。さいですか」
 そう言われてしまってはもうどうしようもない。三人は再度顔を見合わせた後、火陵が納得のいかないままであることをありありと表現しつつの返答で、この話題に終止符を打った。
 階段はまだ続いている。何度か廊下が姿を現したのだが、夜衣はまだその廊下に出ることはない。目的の階はまだ上の方にあるらしい。
 若干膝が笑い始めた三人は、小さく息を吐いた。
 それに気付いたのか、否、たまたまだろう。夜衣が「こちらです」と告げ、現れた廊下へと出た。
 廊下に、煌々と燃えさかる黄金の炎が灯されている廊下に出た三人は揃って目を眇める。
 窓がなく、所々に灯っていた不思議な炎の明かりしか足下を確かめる術のなかった階段と廊下との光量の差は瞼の奥に突き刺さるようなまぶしさを持って三人を迎え入れた。
 まぶしさにもようやく慣れ、廊下を歩き始めた火陵は気付く。この明るさが、暗い階段から出た所為で余計に感じられるものだと思っていたのだが、それが違うのだと言うことに。そして、この廊下が、先程まで通っていた、一階になるのだろうか、その廊下よりも格段に大きな炎が灯され明るく、そして美しい装飾品なども飾られ雰囲気的にも華やかになっているのだということに。
 そんな美しい廊下を歩いていくと左手に二つの扉、そして右手に一つの扉が現れた。
 もしかしてここだろうかと思っていると、やはり夜衣がその扉の前で足を止め、そして言った。
「こちらが火陵様のお部屋です」
ちょいと、デカくはアリマセンカ?」
 思わず火陵は外人さん風になまりつつそう問うていた。
 火陵の前にあるのは一つの扉。遠目には普通の扉だと思っていたのが、こうして目の前にして見てみると、 取っ手から何から細かくそして美しい装飾が施されていることが分かった。 そして、ついーっと視線を流してみると分かる。この部屋が、アホみたいに広いのだということが。 次の扉が見えない。
 いや、あった。はるか向こうに次の部屋が見えた。 だが、遠い。
(どんだけ自由奔放に育ったんだよー)
 と心の中でツッコミつつ、いざ火陵は扉に手をかけ、押し開いた。そして、
「おわッ!」
 いきなり、叫んだ。
 奇行ではない。叫ばざるを得ない理由がきちんと彼女にはあったのだ。
 扉を押し開けると、目の前に女が立っていたのだ。
 まさか人がいるとは思っていなかった火陵は遠慮無く驚きの声をあげる。女の方もちょうど扉に手を伸ばしていた所だったらしく、その所作のままで腕を止め目をぱちくりとさせている。薄紅色の服に、きちんと丁寧に結い上げられた黒髪。廊下でよくすれ違う女たちと同じ格好をしていた。
 互いに目をパチパチと瞬かせている二人の様子に小さく笑いながら、夜衣が彼女らの間に立った。
「こちらは火陵様のお部屋をいつも掃除してくださっている女官の希淡きたんさんです」
 夜衣に紹介されてから、希淡と呼ばれた女官がハッと我に返りこれでもか!! と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、御子みこ様! お待ち申し上げておりました」
「は、はい。ども」
「ご用の際はなんなりとこの希淡にお申しつけくださりませ」
「あ、は、はい。ありがとう、ゴザイマス」
 始終しどろもどろ。そんな火陵に構うことなく再度深々と頭を下げた希淡は、「失礼致します」と告げると去っていった。
 そんな彼女の背中を見送っていた水日と風樹に、夜衣がそっと声をかける。
「水日様と風樹様のお部屋はこちらです」
「うわ、こっちも広ッ!」
「二人で一部屋で十分よ、コレ」
「いえ、せっかく女官の方が用意してくださったのですから」
 そんな幼馴染みと夜衣との会話を背にしながら、火陵は自分の部屋だと告げられたそこへと足を踏み入れる。
 外から見ても広い部屋だと思ったが、実際に中に入ってみると、
「やっぱり、広い」
 だが、部屋の中には多くの家具が並べられており、その所為か外から見た想像よりも小さく見える。けれども火陵一人の部屋にしては十分すぎるほどの広さだった。

 その広さにも驚いたが、火陵はその部屋の光景にも驚いていた。そこは今までに見たことのないもので溢れていたのだ。
 茫然と部屋の中を見回している火陵の隣に、夜衣が立つ。
 けれど火陵が夜衣に視線を向けることはなかった。おそらく彼の存在に気付いていないのだろう。そう察した夜衣は、笑みを零す。そして、自分が隣にいることに気付いていない火陵を驚かせないよう、そっと声をかけた。
「ここが火陵様がずっと住んでおられたお部屋です」
 不意に降り注いできた夜衣の声に、火陵はいつの間にか隣に立っていた夜衣へと視線を遣る。そして、その横顔を見つめた後、再び部屋へと視線を戻した。
「・・・・私、ここにいたんだ」
 思い出は、一つも蘇ることはない。そこは初めて訪れる部屋としか火陵には思えない。
 部屋の天井に吊されたシャンデリアと言っても良いほどに豪勢な照明器具。しかし、それは電気で灯っているのではなく、やはりフワリと硝子の中に浮いている黄金の炎によって部屋の中を照らしていた。
 温かな光に包まれた部屋。その左隅には胸から上を映すことが出来る楕円形をした鏡と、その前には何か台がある。 それは公園でよく子供たちが水を飲んでいる台に似た形をしていた。見れば、公園のそれとは違い蛇口はない。 だが、その台の中央からは滔々と水が溢れ出していた。
 その向こうは一面硝子張り。宵闇に包まれた世界が広がっている。硝子は全て開閉が出来るようになっており、天井から床にまで張られた硝子窓からは涼やかな風が部屋へと吹き込んでいる。
 その風に揺られるのは部屋の中央、そこに天井からフワリと下ろされている薄く白い布だった。その布は天蓋になっており、円を描いたその中には、見るからにフワフワフカフカしている寝床があつらえてある。お姫様ベッドもかくや。ベッドではなく、直接床に一般にいうところのマットレスを敷いた状態になっている。まん丸な寝床とそれを囲う天蓋。 今隣に夜衣がいなければ、迷うことなくその寝床へと火陵はダイブしていたことだろう。
 そして、幼馴染み達がいま正にそうして己の欲望を満たしているのだということを、火陵は何となく察していた。 それほどまでに柔らかそうな寝床だったのだ。
 部屋は美しく装飾の施された棚や机が並べられてある。水が溢れる台のあったちょうど対角線上、部屋の扉側右奥にも天井から布が下げられてあった。しかしその布は寝床の天蓋とは対照的に向こうが透けない素材でできていた。風にはためき翻ったその奥に、火陵は水が流れる様を見た。まるで小さな滝のように、天井から水が流れ出していたのだ。
 部屋の中を水音が支配しているその様は異様であるはずだが、火陵はそのことに何ら異を唱えることはしなかった。それ以前に、そうした状況を疑問に思わなかったのだ。
 夜衣はここが火陵が幼い頃暮らしていた部屋だと言った。
 記憶は戻らないが、この水音を体のどこかで記憶していたのかも知れない。
 火陵は徐に窓の方へと寄っていく。その隣に、夜衣は何も言わず付き従う。そして、ただただ惚けている火陵の横顔を彼は見つめていた。
・・・」
 外は宵闇に包まれている。ここは、昨日まで自分たちが暮らしていたあの場所のように、夜になっても煌々と明かりが灯されるような場所ではないらしい。空を仰ぐと、そこにはキラキラと瞬く星達の姿があった。幸いなことに、この空の中央に君臨しているあの赤い月はここからは見えなかった。
 ここは、何処だろう?
 見知らぬ人々、見知らぬ村々。
「ここは・・・」
 知らず零れた問いに返ってくる声があった。
 それは夜の闇を壊すことなく、そっとその中に溶け込む優しい声だった。
「ここは幻炎城げんえんじょう。天界の中心たる場所。そして、我らが天帝が居城です」
 優しく爽やかな夜衣の声がサラリと告げる。

 火陵は、押し黙る。
 今、サラッと彼は言ったのだが、その台詞には多々ツッコミたいところがある。小一時間問いつめたい所がある。
 しばし無表情で押し黙った火陵だったが、一つ溜息をついたあと、口を開いた。
わ、わんもあぷりーず
 しかし、その問いを遮る者たちがいた。
「「スト ップ!!!」」
 いきなり背後から轟いた大音声に、びくう!! と火陵は盛大に体をはねさせ振り返る。そこには、いつの間にやって来ていたのか、水日と風樹の姿があった。
 彼女らは、これでもかと目を見開き顔中で驚きを体現している。風樹に至っては、「what’s!!?」と外人さんよろしく、両手を肘のところから曲げ、両の掌も全開で驚きを訴えかけてきていた。
 そして、開いた風樹の口からは、
「なななななななななななななな」
 彼女の滑舌の良さに思わず惚れ惚れしてしまう程器用に動揺を口から漏らしている風樹に代わって、水日がドスドスと床が抜けるのではと心配したくなるほど地面を踏みしめて夜衣へと迫りつつ言った。その台詞も、風樹ほどではないが水日が動揺していることを十分に表していた。
「何て!? 今何て言いましたソコなる美少年よッ!!」
「てててててててててててててて」
 これはちょっと人間には難しいか。と思われるどもり方をする風樹に代わったのはやはり水日だった。
「天界ですって!? んでもって言うに事欠いて天帝ですって ッ!!?」
 叫んだ水日に、火陵がガックリと地面に膝を着いた。
「か、火陵様! どうされました!?」
 突然盛大に項垂れた火陵に夜衣が驚くが、今の火陵にそんなことを気に している余裕などない。
聞き間違いじゃ、なかったのか・・・(号泣)」
 よもや聞き間違いかと夜衣に訊ね返そうとしたのだが、やはりそう聞こえたのは自分だけではなかったらしい。
 これでもかと動揺し、かたやこれでもかと凹んでいる少女を代わる代わる見遣った夜衣は、溜息を吐いた。
 そして、三人が待ち望んでいた言葉を、ようやくその唇に乗せたのだった。
「そろそろ、お話しした方がいいのかもしれませんね」
 その言葉に食い付いたのは風樹と水日。
「イエス! ざっつゥらいと ッ!!」
「もう妄想ばっか膨らんで行く上に、その妄想が現実になってる気さえするのよ」
「・・・・そう、ですね」
 早く話してと急かす二人に、夜衣は頷いて見せた。けれど、歯切れは悪い。 そして彼はなかなか口を開こうとはしなかった。 彼女らに真実を話して良いのか否か、迷っているようだった。
「ねえ、夜衣」
 難しい表情で押し黙った夜衣の名を、火陵は静かに呼んだ。火陵も、当然幼馴染み二人と同じ思いだ。知りたいと、心から思う。
 火陵は真っ直ぐに夜衣の赤い瞳を見つめて言った。
「お願い。教えて、夜衣」
 火陵の真剣なその瞳に、夜衣は頷いてみせる。一つ息を吐き出し瞳を閉ざしてから、夜衣は三人を見つめて言った。
「分かりました。お話します」
 夜衣は彼女らに全てを告げる覚悟を決めた。
 そして、そんな夜衣の真剣な瞳に、三人も全てを受け入れる覚悟を決めたのだった。








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