【第二章 開かれし記憶の扉】


 大きな扉が軋むのをやめる。開け放たれた門と、飛び込んできた城内の光景に、三人はこれでもかと目を瞠り閉口することとなった。そこに広がっていた光景は、三人でなくとも目を疑わずにはいられないものだったのだ。
庭??」
「お城の中に・・・・・・・・庭?」
「庭には二羽ニワトリが
「適当なコト言うんじゃないわよ!」
「ぶふぅッ!」
 城門をくぐってすぐ彼女らの眼前に広がっていたのは、淡い緑が瞳に心地良く、柔らかそうな色をした草と、青々と葉を茂らせた木々の生える庭園だった。よく見れば、一体どこから流れ出しどこに消えているのだろうか、小さな川のようなものまでもがそこにはある。茫然とその天国のように美しい風景を見つめるしかない三人の耳に小鳥のさえずりが届く。それは、あまりにもそこが豊かな自然に酷似しているが故の幻聴か、それとも本当に鳥が放たれているのか、答えは判然としなかった。
 そうした限りなく自然に近い上、庭園というにはそこがあまりにも広すぎる所為か、まるで瞬間移動で森にでもぶっとばされた気分が襲ってくる。念のため、火陵は後ろを振り返って見るのだが、やはりそこには今し方自分たちがくぐった門がある。そうなれば、紛れもなくここは城の中。どうやら、城の中に巨大な庭園が造られているようだった。
 ようやく事実を受け入れ始め、天井や周囲にまで視線を配る余裕が出てきた火陵はふと気付く。よくよく見ればその庭園は、一体どんな素材で出来ているのか全く予想もつかないが、透明な壁によって囲われていたのだ。そして、透明な壁と、大地と同じ限りなく城に近い薄茶の壁によって区切られた廊下が、庭園を避けるようにして弧を描き続いている。その廊下の壁には、所々燭台のようなような小さな皿が取り付けてあり、その上で小さな黄金の炎が踊っていた。油でもさしてあるのかと目を凝らしてみたが、その皿の上には炎以外の何物も乗ってはいない。
・・ま、魔法?」
 そう火陵が呟いてしまっても仕方のない光景だった。
 天井を見上げれば、遥か彼方に青い空が丸く見える。円形に穴が開いているのだろうか、それとも硝子張りになっているのだろうか。あまりにも高すぎて視認することは出来ないが、吹き抜けになったそこから、太陽の光が庭園へと燦々と降り注いでいた。
 城内に足を踏み入れたきり、足に根がはってしまったかのように立ち尽くし、そして惚けてしまっている三人を見遣り、螺照と夜衣が顔を見合わせて笑う。そうして自分たちのリアクションを見られていることすら気付いていない三人に、螺照が火陵の名を呼んで告げた。その事実は、一気に三人を我へと返すことに成功するのだった。
「火陵さん。ここが、貴女の家なんですよ」
「え!!? ホントなの!?」
「何だとぅお !!? 姫!? 姫なのか、お主はよ ぅ!!」
「・・・・・・い、いやいやいや、まいったなァ、こりゃ」
 目玉をひん剥く水日と、首がもげるのではないかと心配される程の早さで火陵を振り仰いだ風樹が火陵を拝み、火陵はと言うと、一瞬の沈黙の後頬を見事に引きつらせて笑った。笑おうとしていた。
「ヤッバイ! ヤヴァイわよ、風樹! このパターンで行くと私たちは火陵の従者か乳兄弟ちきょうだいよ!!」
「え っ。火陵だけズぅ〜ルぅ〜い ! あたしもお姫さまやりたいな!! ぷんぷん
「おぇ! キモッ!!」
死んだ方がマシだぁ(号泣)」
「おい、水日! マジ泣きすんな、火陵!」
 と、ここが何処だろうと彼女らのやりとりに変化は見られない。
 そんな三人の背中を、螺照と夜衣が密かに押している。そのおかげで三人は知らず知らずのうちに、透明な庭園の壁と白い土壁との間の広い廊下を歩き進んでいた。
 廊下は緩やかに弧を描きながら続いていく。
 やがて永遠に続くのではないかと思われていた美しい庭園は、その姿を唐突にぷつりと途切れさせていた。透明な壁によって直線に切り取られて終わった庭園の向こうには、やはり廊下が広がっており、その向かいの白い壁には扉があった。それを横目に見ながら、ようやくどんちゃん騒ぎを終えた火陵たちが弧を描いた廊下を歩き続けていく。
 先程までは壁はあるものの片方が透明であったため、広々とした印象だったが、庭が終わり、白い壁が左右に現れてからは、先程の印象との違いから圧迫感を感じずにはいられない。片方は城の壁、もう片方は部屋になっているらしく、時折扉が現れる。そしてそのまま幾つかの扉の前を通り過ぎて行くと、再び壁が消え視界が開けた。しかしそこは、先程とは違い草木も何もない場所だった。灰色の石が敷き詰められたその広場の大きさは、先程の庭園を遥かに上回っているようだった。その広場の前方を見れば、先程外から見ていた巨大な城門が見える。左右に首を振って見れば、どちらにも広い廊下が延びているのが確認できた。見た目にも巨大だったが、中もとてつもなく広い城だった。
 火陵たちをつれた螺照と夜衣はそのどちらの廊下にも向かうことはせず、広場に面し、城門の眼前の位置にある荘厳な装飾の施された扉の前に三人を導いていった。そして螺照はまず火陵の体を覆っていた黒い外套を手際よく取り除き、続いて風樹の頭の布を、水日の額の布を取ると、その布で三人の衣服についていた埃を払った。
「な、何? 螺照」
「ちょっとちょっとちょっと、もしかしてこれから会っちゃうのかしらァ? お偉いさんに〜?」
「見初められちゃったらどうしよう、あたし
「ん? 早くも耄碌したかい? 風樹ばあや」
「寝言は休み休み言ってね 殴られたくなかったら
「・・・・・
 と、荘厳な扉と嫌に念入りに衣服のヨゴレを払い服装を正している螺照の行動に、これはいよいよすンごい人との対面ではとドキドキしている三人を余所に、螺照はいきなり扉に手をかけた。
「ちょっと! 心の準備がッ!」
 火陵が慌てて螺照を止めようとしたが、彼はにっこりと笑って扉を押した。
「さあ、こちらです」
 そう言って螺照は扉を押し開く。ギギギギギ、と重そうに軋んだ扉だったが、すぐにその部屋の中を火陵たちに広げて見せた。
 まず最初に目に入ってきたのは、赤い色。それは、扉から一直線に伸びる絨毯の赤色だった。否、それを絨毯と呼ぶには少々相応しくなかったのかもしれない。それは確かに縁に豪奢な刺繍があしらわれてはいたが、その素材自体はフカフカしているわけでも、長い毛が美しく波打っているわけでもなかった。ごくごく薄い布が真っ直ぐに伸びている。
 そして、その先には数人の男女が火陵たちを待っていた。その誰もが恭しく跪き、火陵たちを待っている。
 その中で只一人、赤い布の先に置かれてある豪奢な椅子に腰を下ろしている初老の男だけが、真っ直ぐに火陵たちを見据えていた。
 おそらく昔は黒かったのだろう髪はその所々を白く変えている。目元、口許にも僅かに皺が刻まれてはいるが、 年老いた印象を受けない。それは、硬く引き結ばれた唇と強い意志のこもった切れ長の瞳。 そして、その瞳を染める鮮やかすぎる緋色が彼を若々しく見せている。  自分たちを真っ直ぐに見据えている初老の男を見つめるなり、火陵は 慌てて隣に立っている水日の腕を引いて言った。
・・ででででででで出たよ、王。カッコ推測、でも多分合ってるカッコとじ」
「合ってるに5円賭けるわ」
「ご縁がありますようにってね♪ ちひっ」
「「・・・・殴りたい」」
 しかし、二人はその願望を必死の思いで堪えるしかなかった。そうさせたのは、火陵たちをじっと見つめているあの男。厳格なその姿、他の者と比べると豪奢な服を纏い椅子に座っている彼の姿はまさに王と呼ぶに相応しい雰囲気を漂わせている。そんな御仁の前でいくらお馬鹿ちゃんであるとは言え、風樹に手を上げることは大いに憚られたのだ。命拾いした風樹ちゃんだった。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
 先程までの元気は何処へやら。三人は揃って口を閉ざす。
 おそらくこの赤い布の上を彼の前まで進むべきなのだろう。それは雰囲気で分かってはいるのだが、なかなか足は進まない。それを優しく急かしたのは螺照だった。
「さあ、お進み下さい、火陵さん。いえ、火陵様。我が君」
キミ?」
「黄身?」
「白身??」
「卵?」
「玉子?」
「王子?」
「さあ、お進み下さいませ」
 優しく微笑む螺照に促されるまま、火陵はついに一歩を踏み出していた。その隣に、水日と風樹が並び、その後ろには螺照と夜衣とが並んで歩みを進めていく。
 一歩一歩、椅子に座りおそらく自分たちがやって来るのを待っている男の元に近づくたび、火陵は得も言われぬ感覚を感じ始めていた。
・・・私は、この人を知っている?)
 それは、あの夢の中の男に感じたものと同じ感覚。
 螺照はここが自分の家なのだと告げた。もしかしたら、目の前にいる男を自分は忘れてしまっているだけで、知っているはずの人なのかもしれない。もしかしたら、血の繋がった家族なのかもしれない。
 男からの堂々たる威圧よりも、今火陵はその期待に胸を大きく高鳴らせていた。
 そして、男の座る椅子の前まで進んだ火陵は、そこで足を止めた。徐に男に視線を遣れば、男の赤い瞳と目が合った。
 男は、三人がこの部屋に入ってきたその時からずっと火陵を凝視していた。鋭い瞳を瞠り、引き結ばれていた唇が僅かに開いてしまっている。
 その驚いたような男の表情と、あまりにも露骨すぎ長すぎる凝視に、居心地の悪くなった火陵は身じろぎする。そして、耐えきれず口を開いていた。
「あ、あの、何ですか?」
 何ですかとは何だよ、オイ! 頼むよ、もう!! と隣に立つ幼馴染み二人が、火陵の適当すぎる問いにドキマギする。しかし、その問いによって男はハッと我に返ったようだった。皺を刻んだ口許を動かし、言葉を唇に乗せた。
「そなた・・・・・本当に、火陵なのか?」
 そう、男は問うた。
「・・・はい」
 男の問いに、イエス以外の答えなど存在しない。嘘をつく必要性も全く感じない。火陵は素直に頷いて見せた。
「・・・そうか。そうか」
 男はしばし火陵を見つめた末、唐突に顔を伏せ、片手で顔を覆ってしまった。
 そんな男と、彼に心配そうに駆け寄る見知らぬ男の姿をぼんやりと眺めながら、火陵は考えていた。この男も、自分の名前を知っている人なのだと。そして、先程から感じていたものは、予感から確信へとその姿を変え始めていた。
 彼は自分を知っている。
 おそらく、自分も彼のことを知っている。
 そして、その確信が真実だということを、火陵はこのあとすぐに知らされることになるのだった。








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