【第二章 開かれし記憶の扉】


 村を過ぎ、螺照につれられた三人は再び草原へと足を踏み入れていた。しかし、草原もすぐにその姿を消し、再び白く四角い建物の建ち並ぶ村が火陵たちを迎え入れてくれた。その村の人々も、先程の村人たちと同様、一様に暗い表情をその麗しい面に乗せている。しかし、先程の村よりも僅かに華やかな印象を受けるのは、その村の至る所で咲いている、美しい花のおかげだった。大きく楕円形に開いた五つの花弁は、薄紅色。白い家々や地面によく映える色彩ではあったが、少し触っただけでもサラサラと崩れてしまいそうな印象を見る者に与える儚い色だった。だが、花弁よりも僅かに小さいだけの、大きな薄緑のがくに支えられ咲き誇る姿は非常に美しいものだった。
「・・・綺麗な花ね」
 ぽつりと洩らした水日に、螺照が小さな声で答える。
「クスターナという花ですよ」
「へぇ。名前も綺麗だね」
 火陵がクスターナという名をしているのだと教わったその薄紅色の花を眺めながらそう感嘆の溜息を洩らした。それと時を同じくして、唐突に風樹が火陵の腕をつついた。否、その衝撃に大きく前のめりになった火陵の反応からして、それはどついたと表現した方が相応しいだろう。
「ちょ、ちょちょちょちょちょちょちょ い!!」
「うわッ ど、どしたの風樹!?」
 危うく地面にコンニチワと頭突きをかましそうになりつつ、両手をバタバタと振って何とか転倒を免れた火陵が、冷や汗を額に滲ませつつ風樹の方を振り返る。
 同様に水日も何事かと、クスターナから顔色を変えている風樹へと視線を遣った。
 そんな二人の視線を一心に受けつつ、風樹は前方を指差して言った。
「アレ! アレ見てみそ!!」
 その言葉に従い、二人は視線を風樹が指し示している方へと向けた。そこには、
「う、う、う、う、う、うそーん!!」
「ホントに・・・あったんだ
 水日が小刻みに首を振りつつ現実を否定する隣で、火陵は切れ長の瞳をこれでもかと瞠っている。
 その反応も当然だった。いつの間にその姿を現していたのか、クスターナにばかり目を取られていた三人は気付かなかった。眼前に、おそらく自分たちが目指している城がその片鱗を覗かせていたことに。そして、その城が彼女らの予想に反して巨大であることをそこに誇示していたのだ。
「これが・・・・城?」
「た、多分そうじゃない?」
 思わず火陵が目を瞬かせ、水日も首を捻る。
 家々の向こう、そこから覗いていたのは、城。おそらく、城。
 断言できない理由は、その城の形状にあった。
 三人が想像していたのは、まさに城、西洋風のキャッスルを想像していた三人の目の前に顔を覗かせているその城の形は、 彼女らの想像にまったくもって掠ってもいなかったのだ。例えるならば、今にも花弁を広げようとする蓮の蕾。 家々と同じ限りなく白に近い肌を持ち、蕾のような楕円形の形をしており、その周りには綻び開き始めた細い花弁のように塔―と呼んで良いのかは分からないが―が蕾に沿うようにして緩やかに弧を描きながら天へと伸びている。そんな幾つもの塔に囲まれたその城の姿は巨大な一輪の花のようだった。
 そのような形をしているそれを城と言って良いのか、三人には分からなかった。けれど、自分たちが目指しているその方向に、城と呼べるようなものは他には窺えない。
 おそらく、あれが城。
 ひとしきり不思議な形状をした城を見つめた末、ついに火陵が洩らしていた。
夢?」
 それに応える声はなく、無言のまま水日が拳を繰り出した。向かう先は勿論、隣で茫然と城を見つめている風樹の頬。だったのだが、
  ビュッ!
「ハッ! 二度も同じ手くうかァ!!」
 見事、避けた。
 しかし、
  ゲシ!
 息をつく間もなく迫ってきたローキックからは、さすがの風樹も逃れることはできなかった。哀れ、餌食。
「痛ッ!!!」
「「 夢じゃない!!」」
 またもや風樹の痛みによって今この現状が夢でないことを火陵と水日が確認していると、
「早く行きますよ」
 呆れたような螺照の声に急かされ、三人は再び歩み始めたのだった。
 向かう先はやはりあの城。一歩一歩足を踏み出すにつれ、城がその自らの巨大さを三人に見せつける。
 城を眼前に見つめながら、クスターナの咲く村を誰からも話しかけられることなく、黙々とは四人は進んでいく。
 そして村が再び終わりを告げ、その向こうに現れたのはやはり草原だった。だがしかし、その先にまた村が続くのではという予想は外れた。草原の先に待っていたのは、横にズラリと建ち並ぶ木々。一瞬、再びあの薄暗く、魔物という名の怖ろしい生き物のいる樹海に入るのかと眉を潜めたのだが、よくよく見ると木々はすぐに消え、その向こうには薄茶色の、おそらく人の手によってならされたのだろう、草木の全くない更地が広がっているのが窺えた。
 四人は草原を渡り、木々の合間にある道へと入る。木は数本並んでいただけで、すぐにそこを抜けることが出来た。そして、その正面、薄茶色の大地のど真ん中にそびえ立っていたのは、
「「「 ・・・」」」
 ようやくその全貌を表した城が、三人を見下ろしていた。
 視界に到底おさめることの出来ないその大きさに、三人は目を瞠り、そしてポカンと口を開けて城を見渡す。
 悠然とそこにある城。
 遠目には分からなかったが、至る所に硝子窓があることが、光を受け反射を返していることで分かった。城の中心、蕾の部分にそれは窺えないが、それを取り巻く花弁のような塔にはそうした窓が多く見られる。全てが部屋になっているのかも知れない。
 そして、火陵たちの前方には、やはり巨大な門があった。豪奢な施しをされた門はその口を硬く閉ざしている。
「・・・・・やっぱ、いちゃったりすんのかな?」
「何が?」
 ポツリと洩らした風樹の問いに、火陵が視線は城に向けたまま問い返す。
「いや。だから、王、とかさ」
 その言葉に、やはり城を凝視したままの水日が答えた。
「美形の王子様がいるなら、この現状を甘んじて受け入れてあげるわ」
 しかしその言葉に覇気はない。彼女らが驚きから醒め、この現状を受け入れるにはまだまだ時間が必要だった。
 そんな三人の肩を叩き、螺照が歩き出す。
「さあ、行きますよ」
 促されるまま歩き始めた三人だったが、
「ねえ、いいの!? すンごい見られてるよ?」
 巨大な門の両脇に、胸と肩だけを覆った鼈甲べっこう色の甲冑かっちゅうを纏った兵士らしき男たちがいる。そして彼らが自分たちの方を凝視していることに気付いた火陵が、螺照の腕を引く。
 しかし螺照はそれに微笑んで答えた。
「大丈夫です。彼らは味方ですから」
 そう言われて見れば、彼らは何ら警戒した様子も見せず、城門へと向かってくる自分たちを見つめている。その様子にほっと火陵が胸を撫で下ろした、ちょうどその時だった。


 ゴ ・・・ン


「・・・鐘?」
 突然、何処からともなく低い鐘の音が響いてきたのだ。
 その鐘の音を聞くやいなや、螺照は突然天を仰ぎ、呟いた。
「四ツか・・・まずいな」
「え?」
 一体何のことを言っているのか水日が問いつめる間もなく、螺照が突然身を翻す。
「一旦戻りましょう!」
「え!?」
「早く!!」
 突然どうしたのかと目を瞬かせる三人を急かし、螺照は駆け出していた。彼に連れられるまま三人が向かった先は、木々の中。数本重なり合っているだけの薄っぺらい森―とは呼べないのだが―に入った螺照は、三人に木陰に身を伏せさせると静かにするよう言った。
 言われた通り身を潜め息を殺していると、複数の足音が三人の鼓膜を揺らした。視線だけで足音の聞こえてくる方を見遣ると、先程自分たちが通った木々の合間の道を、黒い色の甲冑を身に纏った兵士らしき男たちが数人、城へと向かっているのが見える。そして、巨大な門の前に立っている兵士たちを二言三言話すと、彼らはまた元来た道を戻り始めた。
 どうやら、螺照は先程の鐘がなると彼らが来るのだと言うことを知っていたらしい。そして、 城門の兵士たちは味方だが、そこを訪れた黒い甲冑の兵士たちは敵に当たるらしい。
 そう理解してから、火陵は首を捻った。 自分たちの味方である兵士と、敵である兵士が何故こうして接触をはかっているのかが分からなかったから。
 それを理解するためには、この国がいったいどんな状況におかれているのかを知る必要があったのだが、 今螺照に訊ねても、答えは返ってこないのだろうと諦める。
 完全に黒い甲冑の兵士たちがその姿を村の中に消してから、螺照は徐に立ち上がる。
「もう大丈夫です。行きましょう」
 と言い、歩き始めた螺照だったが、何故か彼は目の前の城門へと足を向けなかった。木々を抜けたものの、その脇を歩き続けている。未だ敵兵がどこかにいるかもしれないと危惧しての行動だったのかも知れない。木々添いを歩く螺照の足は、城の裏手を目指しているようだった。
 城を乗せている、ならされた薄茶色の土地は円形をしており、それを囲う木々も同時に円形をし、城を覆っていることが分かった。城壁の役割をしているのかもしれないと火陵は何となくそう予想をつける。
 城の裏手まで回ると、螺照は木々の側を離れ、ついに城へと向けて薄茶色の大地に足を踏み入れた。そして、その向かう先にはあるのは門。表の門ほどではないが人一人が通には十分すぎる大きな門。そこにもやはり二人の兵士が立っている。甲冑の色は鼈甲、その腰には剣のようなものを帯びているのが分かった。
 武装している兵士たちを見て、水日が眉を寄せ前を歩いていた螺照の腕を引いた。
「ねえ、螺照。あの人たちも仲間、なのよね?」
「ええ。安心して下さい」
 笑顔で請け負って見せた螺照に三人は緊張し強張っていた肩の力を抜く。
 しかし、木々から出できた火陵たち四人を確認した兵士は、一瞬腰の剣に手を伸ばし警戒する仕種を見せた。 だが、螺照が安心しろと言った通り、彼らはすぐに剣へと伸ばしかけた腕を下ろした。 敵ではないと見なされたらしい。その上、彼らは慌てて大地に膝をついたのだ。
 恭しく跪き自分たちを迎え入れようとしている兵士たちを見て、水日と風樹は顔を見合わせる。
「きゅ、救世主なの?」
「やっぱ救世主なんですかい、あたしたち!?」
 漫画や小説などで植え付けられた彼女らの適当〜な予想そのままに物語が進んでいることに二人が色を成している隣で、突然火陵が喜々とした声を上げた。
「あ!」
 兵士たちが跪いているその隣を通って、巨大な門の片隅に設けられてある小さな扉を押し開けて出てきた少年の姿は、彼女らも良く見知った者だった。
「夜衣!」
 その姿が夜衣であることを確認した火陵は表情を和らげる。 見知った人間に会うことが出来、螺照の言葉通り、その城の中は安全らしいと確信できたのだ。
「こちらです」
 手招く夜衣に従い、螺照と共に火陵たちも門へと駆け寄る。すると、今までずっと膝をついていた兵士たちが突然体を起こした。見れば非常に若い兵士だった。彼らは螺照と、そして火陵、次いで水日と風樹へと視線を遣り、息せき切って言った。
「よくぞお帰りになられました!」
「お帰りをお待ち申し上げておりました!!」
「「?」」
 その言葉に水日と風樹はきょとんと目を瞠る。

 しかし、火陵は二度目のその言葉を冷静に受け止めていた。
 一度目は、最初の村で出会った女が涙と共に零した「お帰りなさいませ」という言葉。そして、自分が彼女に返した「ただいま」の言葉に、女は泣き崩れた。泣き顔を見せられるのことに少しの躊躇いを感じた火陵が、男たちの言葉にどう答えていいものか迷う。しかし、何も答えないのは気が引けたのだろう、うっすらと笑いかけると彼らは一瞬目を瞠り、そして再びこうべを深く垂れた。
「ご苦労だったね。扉を開いてくれないか?」
 螺照が頭を下げている二人の肩を労いの言葉と共に叩く。
 兵士たちはすぐに頭を上げ、言われた通り門に手をかけた。その扉の大きさに、二人だけで大丈夫なのかと不安に思った火陵たちだったが、それは杞憂に終わった。
 大きな扉は二人の兵士の手によって開かれていく。


 ギギギギギギギ・・・


 軋みを上げながら開かれていく扉を見つめながら、火陵は思い出していた。
・・・似ている)
 扉の軋む音が彼女に思い出させたのは、あの夢の中、やはり軋みを上げて回っていた、一つの歯車と、そして、


  そなたの運命さだめも、いずれ全てを絡め取り、大きく回り始める。


 夢の中でいつも火陵を待っている、あの男の言葉だった。








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