【第二章 開かれし記憶の扉】


 螺照らしょうにつれられた三人は、ひたすら薄暗い森の中、否、樹海を歩いていた。 奇妙な形をした木々が建ち並ぶそこが森という名ではなく、樹海と呼ぶのだと螺照から知らされたのは、歩き始めてすぐのことだった。
 螺照に言われた通り、三人はなるべく喋らぬよう黙ったまま歩を進めていく。そうしてただひたすら樹海を歩いていっていると、周囲に光が満ち始める。 次第に木々がその姿を減らし始め、太陽の光が大地を照らし始めたのだ。
 そして、木々は更にその本数を減らし続け、四人はついに木々のない、草原と呼ぶのが一番相応しい場所に出る。
 その草原の向こうで三人を待っていたのは、螺照が言っていた通り村。だがそれは、三人が想像していたものとは大きくかけ離れていた。 背丈のない草が覆う大地の向こうにあった村は、 三人の想像していた日本の田舎でよく見られる大きな和風の家々が点在しているような、そんな村ではなかったのだ。 かと言って欧州風の、レトロだが洒落た家々が建ち並んでいる、そんな村でもない。
 彼女らを待ち受けていたその村の風景は、今までに彼女らの見たことのないものだった。
 村を走る道は、一応舗装が施されているらしく、白く美しい道が村を這っている。 しかし、彼女らの住んでいた場所のようにアスファルトが敷かれてあるわけでもなく、 おそらくはその土地の土が元から白い色をしていたのだろう、踏み固められているだけで美しく舗装されているように火陵たちには 見えたのだ。
 そして、家はというと、これまた彼女らが今まで実際に見たことのない形をしていた。 単刀直入に言うと四角く大きな箱。正方形であったり、長方形であったり、更には一つの大きな四角い家に、 日本で言う所の離れのようなものだろうか、もう一つ小さな四角い家がくっついていたり。 それが日干しされた少し大きな煉瓦を積み上げることによって形作られていた。 その壁の色は限りなく白に近いベージュ。よく見れば、屋根からはおそらく煙突なのだろう、筒状の棒が伸びていた。
 そこは、白い家々が建ち並ぶ地中海沿岸の街、とまで言っては言いすぎかもしれないが、なかなかに美しい外観の村だった。
何処の国すか? イタリア? はたまた・・え? 何処? 思いつかないし」
 火陵かりょうは頭を抱える。自分たちが何らかの不可思議な力によって 外国にぶっ飛んでしまったわけではないことは、湿気も暑さもなく、今自分たちを包み込んでいる空気が、 春のような陽気であることが証明していた。かといって、日本でもない。日本は今湿気熱気充満中の真夏だったのだから。
 では一体ここは何処なのか? こんなにものどかな陽気に満ちている国が、今の季節、世界中の一体何処にあったのだろうか。
 その答えが出る前に、火陵はふと気付く。 体を優しく包んでくれる朗らかな陽気とは対照的に、 村を多う雰囲気が重いのだということに。
 多くの家々が並び、よく見れば店のような建物も並んでいるのだが、行き交う人の姿があまりにも少ない所為だろうか。 そして、人の声が一切聞こえてこないことも、その雰囲気の重さに拍車をかけているようだった。
 何故こんなにも寂れているのだろうかと火陵が首を傾げたのと、風樹があるものに気付いたのとは同時だった。
「ん? 何、これ? 膜?」
 遠目には気付かなかったのだが、村の周りを何か半透明の膜のようなものが覆っていたのだ。見れば、それは村の中心から半円形の形で村を覆い尽くしているのだろう、空高くにまで伸び、途中から弧を描いていた。
 思わず問いを洩らした風樹に、螺照がその半透明の膜を凝視し、何かを捜すような仕種を見せながら小さな声で答えた。その答えはと言うと、
「これは結界です。民の出入りを監視しているのです」
 という、再び三人が閉口せざるを得ないものだった。
「「「 」」」
 三人は一瞬目を瞠り、次に閉口する。
 そして、三人揃って顔を寄せ合い、小声で意見を論じ始める。
 まず最初に口を開いたのは風樹だった。
「ま、また出ましたよ〜? ファンタジー度数激高ワード」
「まさに激高よね」
「う、うん
「もう、認めちゃう? あたしたち異世界にやってきた救世主ってコトで、納得しちゃう?」
 突然命を狙われていると宣告され、同居人螺照のオカシナ呪文によって、これまたオカシナ場所に瞬間移動。そして、次々と耳に飛び込んでくるファンタジックな単語。魔物・城・敵兵・結界。魔物についてはその目でしかと確認済みだ。ここまでくればもう全てがどうでも良くなってくるもので、風樹はハハハと乾いた笑いを洩らしつつ、漫画でよく見るパターンを口にした。
 そして、風樹の言葉に首を縦に振ったのは水日。
「そうね。きっと私たちこれから敵を倒しに行くのよ。んでもってこの世界を救うのよ! オホホホホホホホ」
「もうそんな感じでいっか★ あははははははははははははははは・・ははは・・はは
 と、水日と火陵に高らかな笑いは、すぐに萎んでいってしまう。
(((・・・・・・・無理だってば)))
 そこまで信じてしまうことは未だできそうにはなかった。
 そうして再び「じゃあこれは何なわけ!?」と三人が唸り始めた時だった。
「三人とも、こちらへ」
 先程から、結界という名前をしているらしい半透明の膜をまじまじと見つめ、何かを捜していた螺照が三人を呼んだ。
 三人が螺照の手招く方へと駆け寄ってみると、彼の目の前の結界に穴が開いているのが見て取れた。それはとても大きな穴で、人一人の身長よりも頭一つほど小さい程度だろうか。どうやら彼はこの穴を捜していたらしい。そこは家のちょうど裏。人目につかない場所だった。螺照の緊張した面持ちと、潜められた声に、おそらく誰かに見つかってはまずいのだろうと察し、三人も息を呑み螺照の言葉を待つ。
「ここから村に入ります。なるべく結界には触れないように行って下さい」
 声を潜める螺照につられるようにして、三人も静かに頷いて答える。そして、螺照に背を押されるまま、まず火陵が結界の割れ目から村の中へと足を踏み入れた。次に水日が慎重に結界の穴に足を通しているのを一瞥してから、火陵はそっと歩み出していた。家の影から僅かに顔を出し、村の中の様子を窺う。
・・」
 やはり、村はとても静かだった。いや、何も音がしないわけではない。結界の外にいては聞こえてこなかった音がいくつもある。それぞれの家の脇に設けられてある、そう大きくもない畑を村人が耕している音、微かではあるが、家の中からは子供の声も聞こえてくる。
 しかし、やはり暗いという印象は拭いきれない。
 畑を耕す人々の表情は一様に暗いものだったし、家の数のわりに道を歩く人の姿も少ない。その人々は、今火陵が纏っているのよりも質素ではあったが、美しい色とりどりの衣服を纏っていた。そして誰もが、目を瞠るほどに美しい容貌をしていた。だが、その花のかんばせに張り付いているのは暗い表情。
ちょっと、静かすぎじゃない?」
 いつの間にか自分の隣に並ぶようにして村の様子を窺っていたらしい水日が、火陵が抱いたものと同じ感想を洩らす。
「うん」
「何か、暗いね」
 続いてそう洩らした風樹に答えたのは、村の人々と同様に表情を曇らせた螺照だった。
「昔はもっと華やいでいたんです」
 言って、螺照は辛そうに眉を潜めた。
 その横顔を三人は黙って見つめる。彼への慰めの言葉は、誰の口からも零れなかった。彼に何と言っていいのか、三人には分からなかったから。
 沈黙し家の影から村の様子を見つめていた螺照だったが、すぐに憂いを消し去り、三人へと向き直って言った。
「それでは行きましょう」
 その言葉に緊張気味に頷いた三人に、「大丈夫です」と言う代わりに螺照は穏やかな笑みを向けた。そして、火陵の体を覆っている黒い外套をかけ直し、次に風樹の頭にバンダナのように巻いてあった布を解き、再びきちんと巻き直す。ぴょんと布の隙間から顔を覗かせた明るい茶色の髪を布の下に押し込む。完全に風樹の髪を隠そうとしているようだった。
 そして、螺照は再び三人に向き直って言った。
「いいですか。決して、誰とも言葉を交わさないで下さい」
 穏やかな表情を作ってはいたが、瞳に隠しきれぬ緊張を滲ませた螺照の念押しに、三人は口許を引き締め、大きく頷いて見せた。
 それを確認した螺照は、歩き始める。人の少ない道、家々の裏に面した道を歩き、何処かを目指していく。
 時折すれ違う人々はチラリと四人に視線を向けるが、声をかけてくる者は誰一人としていない。誰もがすぐさま怯えた様子で視線を逸らし、関わり合いになるまいとそそくさと去っていく。
 そんな人々を見つめながら暗い村を歩いていく。そして、誰にも声をかけられることなく、四人は村の外れまで辿り着いていた。家の数が次第に少なくなり、再び背丈の低い草の生い茂る草原が見えてくる。そこでおそらく村は終わり。かと思いきや、その草原の向こうに再び家が見え始める。別の村に入るのだろうかと、最後尾を歩いていた火陵が首を傾げたその時だった。
「ん?」
 小さな子供の足音が背後で聞こえ、火陵は振り返る。振り返ってみると、やはりそこには小さな女の子が居た。歳は十にも満たないだろうか。その小さな腕には収まりきらないほど大きなかごを抱え、その中にはジャガイモだろうか、穀物が一杯に積まれてある。よろよろと今にももつれそうな足取りで歩いていく子供の姿を心配そうに火陵が見つめていると、
「あッ!」
 案の定、足をもつれさせた女の子が、小さな悲鳴を上げて地面へと倒れてしまった。
「大丈夫!?」
 何も考えず、火陵はその女の子の元へと駆け寄っていた。その時になって、螺照や水日、風樹は火陵がいつの間にか足を止め、自分たちからずいぶんと離れていたことに気付く。
 螺照は水日と風樹にここで待つようにと言い、慌てて火陵の元へと駆け出していた。
「大丈夫? 怪我しなかった?」
 すぐさま女の子を起こした火陵は土で汚れた服を払ってやる。最初涙を浮かべていた女の子だったが、火陵の顔を見つめ、大きな瞳を瞬かせた。見知らぬ顔に驚いたらしい。
 きょとんと自分を見つめている少女に、痛む所はないようだとほっとした火陵だったが、ふと気付く。
「・・・・赤い」
 彼女の瞳が、赤い色をしていたのだ。それは間近で見つめなくては分からないほどの色彩だったが、確かに赤。今の自分の瞳と同じ色をしていたのだ。
 火陵が茫然と子供の瞳を見つめていると、
U奈ゆうな!」
 女の子の母親だろう、女の声と共に足音が近づいてくる。顔を上げた火陵は、女の他にもう一人自分たちの方に駆けてくる人物を見つけた。
「螺照!」
 と、火陵が彼の名を呼んだのと、
「え!?」
 そう言って女が弾かれたように火陵に視線を遣り、黒い外套の下に隠された火陵の紅い瞳と目が合ったのとは、ほぼ同時の出来事だった。その 女の瞳も、やはり赤い色。
 そして、女は震える吐息と共に呟いた。
まさか・・」
「え?」
 じっと自分を見つめてくる女に火陵が訝しげに眉を寄せていると、駆けてきた螺照が女の肩を掴んだ。
「気付かれましたか」
まさか、お帰りになられたのですか?」
「・・・・決して、他言なさいませんよう、お願いいたします」
「はい。はい! 勿論でございます」
 螺照と女の会話とを、火陵は目を瞬きながら見つめていた。同様に、子供も母親と見知らぬ男とのやりとりをきょとんとした顔で見つめている。
 不意に、女が火陵の方に視線を向けた。
 その瞳に、涙が滲んでいるのを見て火陵は目を瞠る。その優しく細められた瞳にも驚く。そして、女は言った。
「お帰りなさいませ。火陵様」

 彼女は、自分の名前を知っていた。そして、言った。
「お帰りなさいませ。お待ち申し上げておりました・・!」
 涙を零し、時に縋るように見つめながら、彼女は言う。

 しかし、火陵にはその言葉に応えることはできない。いや、口にすべき言葉は決まっている。それは、
・・・ただいま」
 恐る恐る口にしたその言葉に、ついに女は両手で顔を覆い、泣き伏してしまった。
「お母さん? どうしたの? ねえ、お母さん」
 突然泣き出した母親に、子供が不安げな顔で縋り付いて問うている。そして、そんな母娘に何事かを言い聞かせているらしい螺照のその姿を、火陵は茫然と見つめていた。頭の中で誰かが叫んでいる。
「ウソだよ。ウソ」
 けれど、その声に火陵は耳を閉ざす。もう、認めざるを得ないようだった。
ここが、私たちの故郷なんだ・・・」
 ここには、「お帰りなさい」と言って、涙と共に迎えてくれる人がいるのだから。








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