【第二章】 開かれし記憶の扉

 待ちに待った夏休み。宿題は多いけれど、毎年のように三人で分担して進めれば夏休 みの半ばには終わる予定だった。そして、残り半分は思い切り遊んで過ごそうと今から計画していた。
 プールに遊園地。少し贅沢をして、四人で一泊二日の温泉にいけたら素敵だと、 心弾ませながら迎えた夏休み。
 しかし、そんな例年と何ら変わりのない夏休みに異変が起こったのは 、螺照らしょうを一人の少年―夜衣やいが訪ねて来てからだった。
 それでも、夜衣を迎え入れての家は普段と変わることなく、否、 むしろ活気を増して時は過ぎていった、


 運命さだめの輪が廻る


 赤い月。星宿せいしゅくのままに ・・


 赤い月が全ての始まりを告げた。それは、日常が、非日常へと変わった瞬間だった。
 この日まで火陵かりょうは命を狙われたこともなければ、 家の屋根まで軽々と跳躍できる人間を見たこともなかった。 そして、己の瞳の色が赤く変わることなど知りもしなかった。
 しかし、その非現実的な出来事は全て現実。
 腕に巻かれた包帯や絆創膏の下には生々しい確かな傷があり、 自分を軽々と抱え上げた夜衣の腕の感触も確かに覚えている。 屋根から屋根へと跳躍したあの時の、言いようのない浮遊感もそうだ。 そして、瞳の色は未だ緋色のまま。
 もしもこんな話を誰かから聞かされようものなら、
「ん? 暑さで頭が沸いたのかな
 と大笑いと共にその人の額に手を当てたことだろう。
 それほどまでに今のこの現状は、ファンタジックで非現実的、かつ陳腐な妄想としか受け取ることの できないもの。もしくは脳がどうにかなっちゃった程異常な目の錯覚か・・・。
 しかし、火陵は今確かにそんな非現実の中にその身を置いていた。
 火陵だけではない、幼馴染みの水日すいひ風樹ふうきも、ただ目を瞠るしかない非現実の世界を目の当たりにしていた。


「「「 」」」


 三人はただただ瞠目するしかなかった。
 突然、珍妙な衣服に着替えさせられ、オカシナ呪文と共に 閃光が部屋中を覆い尽くした次の瞬間、三人は見知らぬ場所にいた。 凄まじい光の所為でしぱしぱする瞳を懸命に瞬かせ何度も確認したのだが、 そこは先程まで三人が居た水日の部屋ではなかった。 どう贔屓目に見ても、そこは森という名が相応しい場所。
 様々な木が密集し、天を目指して伸びている。 陽の光など一切降り注いでこない暗い場所。しかし、夜が訪れているにしては明るすぎると 空を仰げば、微かに青空が垣間見える。
 その事実に、三人は再度首を捻る。
 確か既に日は暮れたはず。しかし、今頭上にある空にはまだ太陽がいるのだ。
 目に映るもの全ての事実に首を捻らざるを得ないこの現状に、茫然と辺りを見回りした三人だったが、
「・・いやいや、まさかね」
「・・いやいやいやいや、まさかでしょ」
「・・・・いやいやいやいやいやいや、まさか
 目の前に繰り広げられている信じられない光景に、耐えられず口を開いたのは風樹だった。取りあえず現実を否定してみた。だが、それに続いた水日が否定を重ねても、目の前に広がる広大な森 原生林と言っても過言ではないだろう が消えることはない。それを見て火陵が頬を引きつらせた。
 そんな三人を尻目に、螺照と夜衣は真剣な表情で何事かを話し合っている。
「顔をお隠しした方がいいかもしれませんね」
「しかし、三人が三人とも顔を隠しては逆に怪しまれてしまうかもしれない」
「そうですね」
 彼らにとってこの状況は、すぐに受け入れて然るべきもののようだった。
 しかし、やはり三人の少女達は未だこの現状を理解できずにいた。そして、ついにお決まりの台詞を呟いてしまうのだった。
・・・・・夢?」
 火陵のその言葉に、水日は目を瞬きつつ、
「ちょっと待ってて」
 と答えると、今のこの状況が夢であるのか否かを確かめるため、頬をはたいた、
「いだ ッ!!」 
 風樹の頬を。
「ちょ、ちょっといきなり何なわけ!? いッたいな もう」
 と、しきりに痛みを訴え頬を撫でている風樹の姿を、十分すぎるほど見つめた後、二人は確信した。
「「 夢じゃない」」
「自分の痛みで知れ!!」
「だって、私の玉のお肌に傷でもついたらイヤじゃない
「風樹、お願いだから痛くないと言って! 痛くないと言って!!」
「いッ! 痛い痛い痛いッ!! 火陵、痛いってば! 本気でつねらないで
 と、夢だろうが現実だろうが構わずいつもの調子で騒ぎ始めた三人に、螺照が慌てる。
「静かにしてください! あまり騒がれると魔物が寄ってきます!」
 その言葉に、三人の騒ぎはピタリと怖ろしいほど瞬時に止まった。
え?」
はい?」
アハン?」
 彼女らを瞬時に諫めた単語、それは、


((( 魔物??)))


 だった。
 普段生活していて、そんな単語とは出会わない。
「あ。火陵、また魔物%・んでるじゃ ん」
「あ、やっちゃった
 なんて風に使われる可愛いものではないし、
「水日、あんまり魔物≠オてると可哀想だよ〜」
「仕方ないがないわねェ」
 と使われる単語でもない。
 かといって、
「風樹! 魔物≠ェ出たわよ! 餌になりなさい!!」
「イヤ ッ!!」
 これでもない。
 否、この使用方法が一番正しいわけではあるのだが、こんな会話をしたことがあるのかというと、
(((ないないないない! あり得ない!!)))
 のである。
 そして三人はそろって螺照をジロリと見遣る。
 あんさん一体何言ってんの!!
 と睨め付けてくる三人に、螺照は夜衣と顔を見合わせ困ったように肩を竦めた。しかし、説明を施そうとはしない。くるりと三人に背を向け、夜衣に小さな声で言った。
「私が三人を連れて行くから、夜衣は先に行ってくれないか?」
「分かりました。城へ連絡を入れておきます」
 その小さな会話を、耳をジャンボにして盗み聞いていた三人は、またしてもギョッとした。そして、
「集合!」
 とマッハで螺照と夜衣の側から離れた水日が呼びかけると、
「「イエッサー!」」
 と火陵と風樹が水日の元へと駆け足で集合し、三人顔を付き合わせ座り込んでの会議が始まる。
「ちょっとちょっとちょっと、またまた出ちゃったよ。魔物に続きファンタジック度数の極めて高いワードが・・!」
 怖ろしや! と微かに首を振りつつ火陵が訴えると、二人もうんうんと頷く。
「次に出てくるのは多分、村・・とか、敵とかだって、絶対!」
「RPGチックね」
 風樹が大胆予想をかましたその瞬間、夜衣が言った。
「分かりました。おそらく今の時間なら、村に敵兵はいないと思われますが、お気をつけください」
「「「キた !!」」」
「静かに!!」
 思わず立ち上がり絶叫した三人に、すかさず螺照から叱咤の声が飛ばされる。仕方なく再び座り込み、顔を寄せ合って三人は小声で話し始める。
「出た出た出た出た! 出ちゃったよ」 
「夢じゃないとすればこれは何なのよ!」
「RPG・・・・・・・の世界に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は、入った?」
 このファンタジックな世界が現実であると仮定して考えた結論は、やはりファンタジックなものにしかならない。
 風樹のその迷いに迷った末出された仮定に、火陵も水日も頷くこともできないが、否定も出来ず「う ん」と唸る。
「何かそんな漫画あったよね。幽○白書とかで」
「懐かしい ! 私、○馬好きだった
「そうだと思った! さすが美形好きの水日さん。あたしは・・やっぱ桑○!」
「あ〜、ぽいね。ん〜私も水日と一緒で蔵○かな。○影も好きだけど、○馬は何たって声がイイもんね
「そうよね あ、でも火陵似てるよ、声」
「あ、確かに! 低くした声似てる!」
「うそ! やった
「最近、完全版? 何か分厚いの出たの知ってる?」
「あ〜、あれ欲すぃい〜。久々に読みたくないっスか!!?」
「うん! 読みたい読みたい !」
 三人は非現実な世界について言及することを放棄したのか、懐かしい記憶に身を委ね始めてしまった。
「あの 、そろそろいいですか?」
 ひたすら、今この場で話さなくてもいいことを延々と語っている三人に、ついに螺照が遠慮がちに声をかけた。
「あれ? 夜衣は?」
 立ち上がった火陵は、先程まで螺照と話していた夜衣の姿がなくなっていることに気付き表情を曇らせる。今この右も左も何もかも分からない非現実な空間においては、見知った者が一人いなくなっただけでも不安を覚えてしまうようだった。
「夜衣は先に行ってもらいました。私たちも行きましょう」
「あの、一ついいっスか?」
 と、遠慮がちに手を挙げたのは風樹だった。
「何ですか?」
 螺照が問い返すと、風樹は訊ねた。
「至極当然な質問をします。ここ、ドコ!!?」
 確かに、風樹にしてはまともで、今この場に最も相応しい質問だった。火陵と水日の二人も「うんうん」と同意している。
 しかし、螺照はと言うと真実を言うべきか否か迷っているのだろう。瞳を伏せたあとしばし沈黙した後、
「目的地に着いてから、お話しします」
 と答えた。
 その答えに即座に食ってかかったのは水日だった。
「ちょっと待ってよ! さっき故郷に着いたら話してくれるって言ってなかったっけ!?」
「すみません。ここはまだ危険ですので」
 しかし水日は止まらなかった。
「何? 魔物が出るっての!? 何よ、魔物って! 漫画じゃあるまいし。確かに何か出そうだけど・・・・って、そもそも何処よここ! 手品!? 手品師!!?」
「え!? まさかコレ超リアルなセットっスか!!?」
「すげいすげ
「ちょっと、静かに
「何!? 何が目的なの!? ドッキリ!? なら私たちはもう十分すぎるほどリアクションしたわよ! もうイイでしょ!?」
「幽白の話とかして案外冷静に見えるかもしんないけど、こう見えてもうそうやって周りをみないようにしないとパニクっちゃいそうだからなんだよ!?」
あれ? そうだったの? 私普通に楽しんじゃってた。ごみん」
「順応性高すぎな火陵は例外として! 私たち案外繊細だって知ってるでしょ!? もうそろそろ終わってよ!」
「本当に、今はまだ危険な状態なんです」
「もうその手は通用せぬぞ、螺照!!」
「そうよ! いい加減白状しなさい!!」
「お願いですから、静かにしてくださいよ。本当に魔物が寄って来るんです」
寄ってきました、魔物」
「「後にして って、え!!?」」
 茫然と火陵が指差す先に視線を遣った水日と風樹は、仲良く同じリアクションを取る。
しかし螺照だけは違う行動に出た。
 三人が思わず後ずさってしまう中、螺照だけはそんな三人を守るように歩みを進める。
 その先には、三人が今まで見たこともない生き物がいた。生き物、なのだろうか。中に人間が入っているリアルな怪物の着ぐるみなのではないかと一瞬疑ったが、その可能性はすぐに否定される。
 その生物の胴体は、人間が中に入れるほどの太さをしていなかったのだ。まるでカマキリのように細い胴体をしており、その先にはやはりカマキリのように小さな逆三角形をした頭が乗っていた。しかし、その口はぱっくりと開いており、そこからは真っ赤な長い舌と、肉食獣の犬歯のように鋭い牙が覗いていた。その細い体を支えているのは、棒きれのように細い足2本。胴体からは長すぎるのではないかという程に長く細い腕が地面まで伸びており、その先からは長い爪が伸びていた。
 その姿は、やはり漫画などで見たことのある、魔物という名の空想の生物。
 空想であるはずなのに、
[ギ ギィイ
 一体何処をどうして鳴いているのだろうか、耳に障る嫌にリアルな鳴き声。そして、その場を覆った緊張感も同様にリアル。体が震えるのは、本能的に命の危機を感じ取っているからだろう。
 知らず知らず互いに身を寄せ合わせただ立ち尽くしているしかない三人の前に立ち、その魔物という名の生物と対峙していた螺照が動いた。
「螺照!」
 突然魔物に向かって駆け出していった螺照に、火陵が驚く。水日は思わず瞳を閉じ、風樹も息を呑んだ。
 しかし、恐れていた事態は訪れなかった。
 螺照が優雅に舞うように腕を振ったその瞬間、
!」
 赤赤と燃えさかる炎が螺照の掌中から躍り出てきたのだ。
[ギイイイィィィ ・・ !]
 けたたましく鳴いた魔物が、突然目の前に現れた炎に驚いたのだろう、踵を返し木々の奥へと姿を消していった。
 緊張感から解放された三人だったが、胸の高鳴る鼓動はおさまらない。むしろ更に強く胸を打つ。
「何よ、コレ
 思わず洩らしたのは水日だった。
 漫画でしかない世界が、今目の前で繰り広げられている。やはり夢なのだろうかと疑うが、身をちりちりと突くような緊張感と恐怖、そして炎の赤さと遠くにいても感じる熱が夢であることを即座に否定する。
 魔物が完全に樹海の奥へと帰っていったことを見届けてから、螺照が駆け足で三人の元へと戻ってくる。
「これで分かったでしょう? 早く行った方がいいんです」
 茫然としている三人に、優しい口調で言い聞かせる。
 さすがの三人もその言葉にコクコクと首を縦に振っていた。あんなものがまだこの周辺にいると思うと、怖ろしくて仕方がない。事情を話してもらうことより、この場を去ることの方が先決だった。
 大人しく頷いてくれた三人に、螺照はほっと胸を撫で下ろしたようだった。そして、腰にぐるぐると結わえ付けていた布を解くと、手際よく火陵の頭に被せた。布は思ったよりも大きく、火陵の頭だけでなく体中をすっぽりと覆い隠してしまった。
「え?」
「顔を見られては事ですから隠していてください。誰にも顔を見られないようにしてくださいね」
「う、うん」
 納得のいかない火陵だったが、それでも今は螺照に従うしかない。同様に水日と風樹も、されるがまま、螺照の手によって額にバンダナのように布が巻かれるのを受け入れていた。
「お二人も、なるべく顔を見られぬようにしてくださいね」
「うん」
「分かった」
 その言葉に、水日と風樹も大人しく首を縦に振る。
「いいですか。これから村に行きます。多くの民がいますが、誰にも話しかけてはいけません。声をかけられても決して答えないでください。いいですね?」
 その言葉に三人は不安げに顔を見合わせたあと、揃って頷いてみせる。
「では、行きましょう」
 螺照は三人の不安を和らげるよう穏やかな微笑を見せたあと、歩き始めた。
 そんな螺照の後を、三人はすぐには追うことができなかった。わけの分からない世界で、一歩を踏み出すことには多大な勇気と決意を必要とした。
「・・・・行くしかないわよね?」
「うん。だよね」
 こんな森の中に取り残されては生き残れる気がしない。水日のその言葉に、風樹も大きく頷く。
 そうこうしている間にも遠ざかっていく螺照の後ろ姿を見て、火陵はタッと駆け出していた。未だ、全てを受けれたわけではない。それでも、水日の部屋で言ったように、螺照を信じていれば大丈夫だという思いは変わっていない。
「行こう! 水日。風樹」
 螺照の後ろに並び、火陵は水日と風樹を手招く。大丈夫だから、という言葉を付け加えながら。
 そして、水日と風樹も観念したように溜息を洩らしたあと、螺照の後ろに三人そろって並んだ。
 拭いきれない不安の所為だろうか、誰からともなく手を握る。そしてその手を拒む者はおらず、三人は手を繋いだまま薄暗い森を歩いていく。
 その先に、どんな光景が広がっているのか、誰一人として想像できぬまま。
  







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