家にいる水日と風樹には、赤い月は見えない。たとえ見えたとしても、「赤〜い!」くらいの感想しか洩らすことはなかったのだろうが。 そして彼女らは月がその色をいつもとは異にしていることを知らないのと同時に、姉妹とも言うべき幼馴染みが危険に晒されていることにも気付かない。気付きようもなかった。 しかし、彼女らにも異変は訪れていた。 「水日さん! 風樹さん!」 水日の部屋で変わらず談笑を交えつつ宿題をしていた二人の名を呼び、部屋に勢いよく入ってきたのは、明らかに表情を強張らせた螺照だった。 「急にどうしたの? 螺照」 すぐさまドアを閉ざし、自分たちの側でピタリと動きを止めた螺照に水日が大きな目を更に大きく見開き瞬く。 「 」 水日のその問いに螺照が答えることはなかった。何故か全身に緊張感をみなぎらせ、じっと窓の外を見つめている。 水日と風樹も窓の外に目をやってみるが、何も見えない。気付いたことといえば、いつの間にか完全に日が暮れ、外が闇に包まれていたことだけ。 「「??」」 水日と風樹は顔を見合わせ、首を傾げる。疑問符がこれでもかと踊り乱れるのも仕方がないことだろう。常に穏やかな螺照が、その面を険しいものに変えている様子など今まで見たことがなかったのだ。そして、その全身からほとばしる緊張感は次第に部屋中を支配し、二人を息苦しくする。 空気が動く。 この部屋に入ってきた時と同様に、螺照が唐突に動いた。 「螺照?」 何をするのかと風樹が問う前に、螺照は勢いよく窓を開け放っていた。生暖かい夏の夜風がクーラーによって快適に冷やされた部屋に流れ込んでくる。生暖かさが部屋を一杯にする、その直前だった。 「きゃ ッッ!!」 「うそ ん!!」 開け放たれた窓から、水日と風樹の絶叫が容赦なく外に溢れる。それとは対照的に部屋に飛び込んできたものがあった。 それは、 「ただいま帰りました」 「・・・・・た、たたたたたたたたたたたただいま」 火陵を軽々と腕に抱えた夜衣と、ひどく動揺しているのだろう、奇跡的な具合にろれつの回っていない火陵だった。 それは誰が見ても絶叫に値する場面だった。 「ちょっと待って!! 何で窓から入ってくるのよ!!?」 「ワイヤー!? ワイヤーアクションすか!!?」 「どこ!? ドッキリスタッフどこ!!?」 「お静かに!」 水日と風樹の動揺は、ピシャリと窓を閉ざした螺照の毅然とした声によって終止符を打たれていた。 「ご無礼をいたしました」 丁寧に詫びてから、夜衣が火陵をゆっくりとその腕から下ろす。 「いえいえいえいえいえいえ、こちらこそとんだデカ女を」 とよく分からないことを口走りながら地面に足をつけた火陵だったが、 「うおっと、火陵!」 「ちょっと大丈夫!?」 力の入らない膝は、火陵の体を支えることが出来なかったらしい。 へなへなと床に座り込んだ火陵に、慌てて風樹と水日が駆け寄る。そうして幼馴染みの身に何かが起きたことを二人は察することになる。 「火陵! アンタ血が出てるじゃない!」 所々破けた制服とそこから滲む血のあとを見て、水日が慌てて立ち上がり踵を返す。 部屋に常備してある簡易救急箱を取りにいこうとしたようだった。 その間に半ば茫然としている火陵を風樹が揺らす。 「ねえ、火陵。どうしたのさ」 「いや、あの、私も何が何だか 」 と火陵が視線を上げた時だった、 「 火陵、目が・・・!」 「・・え?」 「ウソ!! 赤いわよ!? 火陵!」 最初に気付いたのは風樹だった。しかし、当の本人はきょとんとしている。自分の瞳に起こっている異変に気付いていないらしい火陵のために、風樹の言葉で幼馴染みの異変に気付いた水日が、救急箱と同時に手鏡を持って帰ってくる。 「ほら、見てよ」 「 いやいやいやいやいやいやいやいや、待ってよ」 たっぷりと間を置いたあと、火陵は「ははは」と乾いた笑いと共にそうタンマをかける。しかし事態は変わらない。 鏡の中の火陵の瞳は、燃えるような赤に変わっていたのだ。つい先程まで火陵の黒かった瞳が、一転し紅にその色を変じていたのだ。 「今流行りのカラコンですか !!?」 風樹のその問いに、火陵は鏡の中の自分を見つめたままふるふると首を左右に振ってそれを否定する。言葉さえ出ない。 「でもまあ、怪我してるってわけじゃないみたいね」 明らかに異常な変化ではあるのだが、どうやら怪我によるものでもないようだと案外冷静に火陵の変化を受け入れた水日は手際よく火陵の腕や頬に走る裂傷を消毒し始めた。 落ち着いた水日の様子に、動揺を隠せないでいた風樹と、同じく動揺していた火陵も落ち着き始める。 そんな少女達とは対照的に、部屋の隅で立ち尽くしている螺照と夜衣は変わらず部屋に緊張感を充満させるほど強張った表情のままだった。 「 ついに来たか」 「はい」 重々しい雰囲気はすぐに三人にまで伝わってくる。 三人が思わず視線を向けたのだが、そのことにすら気付かないほど二人は真面目な表情で話し込んでいた。 「すぐに追ってくるかと思われます」 「 ・・戻ろう」 「・・・分かりました」 「夜衣、すまないが一瞬ここを頼むよ」 「御意」 一体何の話をしているのか三人が察しをつけることも出来ぬ間に、二人の中では何かが決まったらしい。夜衣を残し、螺照が部屋から駆け出して行ってしまった。 再び唐突に部屋を出て行った螺照の後ろ姿を見送った後、火陵の治療を終えた水日が立ち上がり夜衣へと歩み寄る。そして否を許さぬような強い口調で問うた。 「何があったのか教えて。夜衣」 「・・・今は、未だ」 どうしても言えないと、困ったように視線を逸らす夜衣に、けれど水日はその答えを許さなかった。 「そう? 私は今まさに知っておいた方がいいような気がするんだけど」 一歩も引き下がらない水日のその言葉に、夜衣は迷った末、口を開いて言った。 「・・・これからお三方を、生まれ育った故郷にお連れします」 その言葉に食い付いたのは風樹だった。 「故郷ってどこ!?」 「それは・・・」 再び夜衣が困ったように視線を泳がせた、その時だった。螺照が部屋へと戻ってきて、三人の視線は夜衣から螺照へと移る。そして、彼が何やら布のようなものを抱えていることに気付くと、三人はそろって顔を見合わせた。 一体何を持ってきたのかと少女達が問う前に、螺照はそれを水日へと差し出して言った。 「三人とも、これに着替えてください」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい??」 「ただのカラフルな布に見えるのはあたしだけっスか??」 水日の短かった問いを代弁するように風樹が続く。しかし、螺照はそれに答えようとはしなかった。 「時間がありません。お早く」 その答えについに水日が軽くキレた。勿論顔は笑顔のままだったが。 「ちょっと待って。いい加減にして。さっきから二人だけで話進めちゃって。まず説明してもらえないと私たちだって困るわよ」 「そうそう。別に反抗するわけじゃないんだけどさ。ホントに何も分かんないままだから、少しくらい教えてもらいたいかなって、ね」 水日のきつい物言いを和らげるように、続く風樹の言葉は柔らかなものだった。 二人の言葉にしばし沈黙したあと、螺照は「信じてはいただけないでしょうが」と前置きをし、重い口をようやく開いて言った。 「今、あなた達の命を狙っている輩が、ここに向かってきています」 「「 」」 実際に先程まで正体不明の男に襲われていた火陵にはその螺照の言葉を受け入れる用意が出来ていたが、水日と風樹は違った。 今まで、何ら変わったことなどなく平凡に生きてきたのだ。確かに、三人共に両親がおらず、血の繋がっていない螺照という男に育てられ、ついでに幼い頃の記憶は失われていた。確かにそれだけで普通でないと言ってしまえばそうかもしれない。しかし、それだけで何故命が狙われる状況に立たされなくてはならないのだろうか。信じられるはずがない。 水日と風樹はたっぷりと沈黙した後、堰が切れたように喋り始めた。それは唐突に知らされた怖ろしい事実を、騒ぐことで蹴散らすためだったのかも知れない。 「何何何何!!? 何で何でどうしてよ!!?」 「あたし達が何したって言うのさ!!」 「ハッ! 実は大金持ちの子供とか!?」 「逆に殺し屋の子で逆恨み!!?」 「それはないわよ、風樹!」 「令嬢もあり得ないって!」 「「 だったら何で!!?」」 二人から一斉に向けられた問いに、螺照は僅かな逡巡の後答える。しかし、それはやはり答えになっていなかったけれど。 「話せば長くなります。先に参りましょう」 「どこに?」 風樹が問えば、 「故郷です」 夜衣が繰り返す。 「だから故郷ってどこなのかって訊いてんのよ!!」 ついに声を荒げた水日に、しかし螺照は冷静なままだった。 「時間がないんです」 どうあっても全てを告げる気はないようだと、水日も風樹も口を閉ざす。しかし、水日の顔にある不満と、風樹の顔にある不審とは拭われずにいる。 緊張感と苛立ちとが混ざり合った沈黙のあと、徐に夜衣が口を開く。その言葉は、ずっと黙ったまま座り込んでいる火陵に向けられていた。 「火陵様」 名前を呼ばれ、火陵は視線を夜衣に向け、何だとその視線だけで問う。 「火陵様ならばお分かりですよね。あの男が来るんです」 その言葉に、火陵は一瞬体を震わせる。 脳裏に刻まれた恐怖。その向こうには黒い服に身を包んだ男の冷たい瞳が見える。 家に帰ってきて安心していたが、ここではあの恐怖から逃れられないのだ。そして、あの殺意は自分だけにではなく、幼馴染みの二人にも向けられているのだ。 胸に去来した恐怖が完全に去ってから、火陵は徐に立ち上がり、水日と風樹に視線を遣った。そして口を開く。 「 ・・行こう。水日、風樹」 「火陵」 どうしてと視線で問う水日に、火陵は訴えかける。 「ここに居たら本当に危険なんだよ」 しかし水日は納得のいかない様子で火陵を見つめ返している。その瞳に、火陵はなおも言い募る。 あの味わったこともない深い恐怖感は、水日には分からないだろう。あの恐怖を知っていれば、彼女もすぐに納得してくれるだろうが、分かってなど欲しくないのが火陵の本音だった。大切な幼馴染みがあんな目に遭うことをよしとするほど火陵は薄情ではなかった。 「さっき、本当に命を狙われたんだ」 「ホントに?」 「でも夜衣が体を張って助けてくれた。螺照だってずっと私たちを守ってきてくれた人なんだよ? だから、信じようよ」 一つ一つ言葉を選び組み立てながら火陵は告げる。 「何も分からなくて不安なのは私も一緒だけど・・・・信じていいと思うんだ。だから、従おうよ」 懸命に言葉を紡ぐ火陵の様子に、水日が態度を軟化してきていることは誰の目に見ても明らかだった。しかし、完全に折れてしまうには彼女のプライドが邪魔をしている。そのことを知っている風樹が、火陵に助け船を出すように口を開いた。 「そうだね。行こうよ、水日! だって故郷だよ!? 思い出せるかもしんないじゃん♪」 その言葉に、ようやく水日は頷いた。 「・・・・分かったわよ」 「はい。決まり♪ 着替えればいいんだよね、螺照」 水日の気が変わる前にと、風樹がすぐさま螺照が差し出していた、よく分からない布を受け取る。 「はい。一番上から火陵さん、風樹さん、水日さんのものとなってますから」 「ほいほ い」 「では着替え終わったら呼んでください」 そうして螺照と夜衣が緊張感を連れドアの向こうに消えたところで、ようやく水日の部屋にいつもの雰囲気が戻る。いや、いつものと言ってしまうには少々空気が重いだろうか。 「「「はぁ 」」」 思わず三人の口から溜息が零れ落ちていた。 信じようとは思うものの、分からないことが多すぎた。しかし、服を着替えて故郷とやらに帰らなくては真実は教えてもらえないらしい。 仕方ないと、水日が再度大きく溜息をついた。 「とにかく、着替えましょうか」 「そだね。えっと、これが火陵で」 「さんきゅ」 「これがあたしで、これが水日、かな?」 「うん。多分」 と、三人がそれぞれの衣服と思しきものを手にする、そして、 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 揃って沈黙した。クーラーが生暖かい風を受け入れた部屋の温度を下げようと躍起になっている音だけが響く。 最初にその沈黙を破ったのは水日だった。 「 これ、どうやって着ればいいの?」 広げて見てみてると、それらはどれも今までに着たことのない物だったのだ。服とは少々言い難い、明らかに薄い布が数枚。所々に穴が開いているのだが、いったい何を通せと言っているのかが分からない。 同じく手にした衣服と思しきものを広げ眺めながら火陵が答えた。 「こう・・・フィーリングで?」 その適当な答えにノッたのは言わずもがな風樹だった。 「感じろ! 感じるんだ、服の意志を・・!」 「可能なわけ? 風樹さん」 「素敵だよ、風樹 頑張って!」 呆れる水日と、応援を試みる火陵の前で、風樹は本当にフィーリングでその使用意図の分からない数枚の布を器用に身に纏い始めたのだった。 「あ! この穴があたしを呼んでいる !!」 と奇声を発した後、布の中央にぽっかりと口を開けている一つの大きな穴に風樹は首をつっこんだ。 「風樹は感受性豊かだな 」 と火陵がまたもや適当な感想を述べているその間にも、 「おうっ!? 今度はこのヒラヒラがあたしに巻き付きたがっている!」 と次々と布を体に巻き付けていく。はたしてその使用方法で合っているのか否か。判然とはしないが、風樹のSHOWは続いている。もはや神懸かり的なSHOWだった。 「・・・・何か気持ち悪いわ、この子」 「まあまあ、水日。いつものコトだからさ」 と風樹をちょっぴり貶しつつ、けれど密かに彼女が穴に手を入れ足を入れ、紐を腰に巻き付け首に巻き付けたりと奮闘し、正解を導き出してはそれをパクって布を身につけたりしている水日と火陵だった。 「よし、着るか」 火陵が手にしていたのは、基本的に赤を基調とした衣服だった。 (目が赤いから?) と考えつつ、風樹が導き出した正解のみを見習って火陵も、一枚、明らかに身長の2倍はあるだろう長方形の細長い布を手に取った。その布は中央にポッカリと穴を開けている。これはおそらく風樹がそうしたように、真ん中の穴に首をつっこみ、体の前と後ろとを覆うためのものだろう。その布は微かに薄紅を交じらせ、桜の花びらに似た色をしていた。 (おっと、側面はノーガードっスか) 一応身につけていたキャミソールはそのままで被ったため、脇腹全開は免れたのだが、この服をデザインした人の感性を疑いたくなる。 次に火陵が手に取ったのは、先程の布よりも更に濃い薄紅をした短い布だった。しかし、それは布ではなく、衣服ときちんと呼べる馴染みのある形をしていた。きちんと腕を通す穴もあれば、先程の布とは違ってきちんと側面もカバーできる。羽織ってみると膝よりも少し丈の短い、前開きのベストやカーディガンであると言っても差し支えのない形をしていた。 (あ、これでさっきの脇腹全開をカバーするのかな?) と自己の解釈を交えつつ、どこの民族衣装ともいえない服を身につけていく。 紅を基調とし金や銀の見事な刺繍を施されたまるで着物の帯のような布は、ちょうど腰回りを一周するのにピッタリな長さをしているので、腰に巻く。そして、その両端に着いている細い紐でその布を腰に固定する。 そしてやたらと長く細い金の布で、その美しい帯―と火陵が命名した布―を腰にきっちりと固定する。 次に火陵が手に取ったのは、五つに先が別れた黒い靴下のようなものだった。靴下だと断言できなかったのは、別れた先がちょん切られていたからだ。これでは足を通しても指だけがにょきんと出てしまう。 「・・・これ、靴下かな?」 「じゃない? 形的に」 水日に後押しされ、両足にそれを履く。やはり指だけが出て、少し不格好な上、違和感があった。しかし、開放感もあり、靴下嫌いの火陵はちょっと気に入ったりする。 最後に残ったのは、同様に先が五つに分かれた黒い、おそらく手袋だった。やはりそれも指が出るように作られていた。しかも長い。肘の上まであるその長さに少々驚きつつも、二の腕は全開なので、これくらいでバランスがいいのかもしれない。と、やはり自分なりに解釈し納得しつつ、火陵は与えられたもの全てを何とか身に纏った。 見れば、水日と風樹も既に着替え終わっていた。 水日は青を基調とした服。風樹は緑を基調とした服だった。 どちらも多少の違いはあるが、感じとしては火陵が纏っているものとよく似ていた。強いて違いを挙げるとすれば、水日は片方に「大胆すぎだよこれは」とつっこんであげたいスリットが入っており、風樹はと言えばスカート嫌いの彼女には「良かったね」と拍手をあげたい。ゆったりとしたズボンを纏っていた。 まあ、兎にも角にも、感想をば一言。 「「「 コスプレ?」」」 思わず揃ってしまう。全員一致で、どこぞの漫画にでも出てきそうな衣服だと認識できた。 「や ん。ちょっとイイかも」 と水日が鏡の前でくるくる舞う。風樹はと言うと、 「ぎゃあああああー恥ずかすぃ !!」 と鏡から目を逸らし、さほど服装には頓着していないらしい呑気すぎるのか順応性が高いのか、火陵は、 「着たよ !」 と言われた通り螺照と夜衣を呼んだ。 そして開かれた扉の先には、 「ちょっとちょっとちょっと! カッコイ イ」 「あ、コレこうなのかぁ」 「ドコだよ、私の故郷」 螺照と夜衣も、三人と同様に着替えを済ませていた。その服は当然、三人が纏ったものと似たようなものだったが、その着こなしは三人の比ではなく、すんなり似合っている。違和感がない。 思わず水日が黄色い悲鳴を上げ、その隣で二人の着方と自分とを見比べて間違いに気付いた風樹がそこを直し、「こんな人ばっかりがいる所が故郷なのか・・・」と火陵は大いに不安を抱いたのだった。 「では、参りましょう」 どうやらいよいよ故郷に帰るらしい。しかし、 「へ?」 出かけると言いつつ、水日の部屋に入ってきて扉を閉めた螺照と夜衣に、風樹が目を丸くする。 「ま、まさか・・・!」 まさか夜衣がやったように窓から出入りするつもりかと、高い所が苦手な水日が顔色をなくしたが、それは杞憂に終わった。しかし、夜衣の答えに、疑問は更に募るのだが。 「この部屋から行くんです」 「「「???」」」 「では、始めます。何が起こっても、静かにしていてくださいね」 そう釘を刺し、螺照はつかつかと部屋の中央まで歩み寄り瞼を閉ざした。 それを確認してから、夜衣が部屋のカーテンを全て開け、電気を落とす。 一瞬にして闇に包まれた部屋だったが、すぐに雲間から赤い月がその姿を現し、その光で持って部屋を闇から救う。 しばし沈黙が部屋の中を覆う。しかし、それもすぐに破られた。螺照が何事かを小さな声で囁き始めたのだ。その言葉はあまりにも小さすぎて誰の耳にも鮮明には届かない。ただ、呪文のように朗々とした響きだけが三人の鼓膜を揺らした。 そして、次の瞬間だった。 「 !」 「な、何!?」 「人間扇風機!!?」 突然螺照の体から、風が解き放たれたのだ。 それは螺照の体を中心に渦を巻くようにして水日の部屋中を巡り、壁に掛けられていたカレンダーをバタバタと揺らす。 次に螺照は腰に帯びていた小刀をスラリと抜き放つと、その刃を掌に当てた。そして、引く。 「螺照!」 「大丈夫です」 小刀が螺照の掌を裂き血を滲ませる様を見て思わず叫んだ火陵を宥めたのは夜衣だった。その言葉の穏やかさに火陵も落ち着きを取り戻す。しかし、螺照へと戻された瞳は心配そうに細められている。 いつの間にか、詠唱のようなものは終わっていた。しかし、風は未だ絶えず吹いている。 三人の見守る前で、螺照がゆっくりと瞳を開く。そして、そこにあったのは、 「目が 赤い」 その瞳が火陵と同様の色に変わっていることに驚き、水日が茫然と呟く。 しかし、まだ螺照は答えない。小刀を鞘へとおさめると、その小刀によって傷付け、握り締めていた掌をゆっくりと広げた。そして、掌を地面へと向ける。 螺照の掌を離れた血は、床を目指す。風に攫われることもなく、床へと真っ直ぐ落ちる。そして、床で砕け散るその瞬間、 「 !?」 血の雫が忽然と消えた。 目を瞠る三人に、ようやく螺照が答えた。 「これは、神への対価」 「 神・・・?」 敬虔なキリスト教徒でもなければ、真に仏教徒と言えるほどの信仰心も持っていない。しかし、螺照は神の名を口にする。 「神は私たちの創造主です」 その言葉が終わるのが先だったか、部屋に吹いていた風がその威力を増したのが先だったのか。判然とはしないが、確かにそれは起こった。 螺照の体から、風だけでなく、光が溢れ始めたのだ。否、螺照の足下、ちょうど血が消えたその場所から、光が床を伝って広がっていく。それは何かの文様をしていた。 その様を茫然と見つめている三人に、螺照は厳かに告げる。 「対価を受け取り、神は私たちの願いを聞き届けてくださるのです」 床から溢れる光は、次第に部屋中に満ちていく。やがて文様さえも判別できぬほど光に満ちた部屋の中、三人は一体何が起こるのかと不安に駆られ、誰からともなく手を繋ぐ。 もう、光以外何も見えない。そんな中で、螺照の声が聞こえた。 「天界への道が開きます !」 そして、次の瞬間、 カッ ・・・!! 閃光が、弾けた!! 瞳を貫くその閃光は、あっというまに部屋中を覆い尽くし、三人の少女を包み込む。 「 ッ!」 「きゃ !!」 「うそ !!?」 三人の悲鳴をも、光は飲み込んでいく。 「 」 瞼を閉じていてさえも鮮明に感じる光。その向こうに、火陵は黒い影を見たような気がした。それは人の形をしていた。 そして、幼馴染み達の悲鳴が耳をつんざく中で、 火陵。 名前を呼ばれたような気がする。あれは、あの夢の中の男の声。その向こうでは、歯車の軋む音が響いている。そんな気がした。 これはもしかして、夢・・・? そして、閃光が消えた後の部屋に、五人の姿はなかった。 |