朝日が昇り、次第に闇が追いやられていく。そして、完全に太陽がその姿を人々の前に現し、 地面をじりじりとまた焦がし始めた頃、リビングには、珍しい人物の姿があった。
 水日だ。
 朝早くに起き出した螺照は既に家にはおらず 、風樹に命懸けで起こされるでも、火陵にモノを投 げつけられて起こされたわけでもなく、水日は一人で起き出し、リビングにいた。きっちりと出かける準備も済ませ、 けれど何処かに出かけていく風でもなく、黙ってソファに腰を下ろしている。 テレビを付けてはいるが、特にその内容に集中しているわけでもなく、ぼ〜っと眺めているようだった。
 時折ドアの方に視線を遣っているその様子から、誰かが下りてくるのを待っているようだった。
 コーヒーを片手にテレビから流れ出すアナウンサーの明朗な声に耳を傾けならが待っていると、しばらくして二階から誰かが下りてくる音が聞こえてきた。
 水日がすぐさまリビングのドアに視線を向けると、引かれたドアの向こうから姿を現したのは夜衣 水日が待っていた人だった。
「おはよ、夜衣」
 とびきりの笑顔で自分を迎えたのが水日であったことに夜衣は一瞬驚いたようだったが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべ、水日に軽く頭を下げた。
「おはようございます。お早いですね」
 この家にやって来てからまだ日は浅いが、火陵や風樹の話から水日が超低血圧でなかなか起き出してこないことは 知っていた。
 しかし、今日に限って水日が早くに起き出し、夜衣を待っていたのには理由があった。
「ちょっと話したいことがあってね」
 そう言って水日に手招きされ、夜衣は僅かに目を瞠る。どうやら自分に話があるようだが、 わざわざ苦手な朝、早くに起き出してまで話すことがあったかというと、どうにも心当たりがない。しかし、彼女があるというのだから何かあるのだろう。
「何ですか?」
 手招かれるまま、夜衣は水日の向かいのソファに腰を下ろす。夜衣が徐に促すと、水日はいつもより幾分硬い表情で口を開いた。
「夜衣は、私たちがなくしている過去を知ってるんだってね」
「・・・はい」
 しばしの沈黙の後、夜衣は徐に頷いて見せた。おそらく、火陵から聞いたのだろう。だがそれがどうしたのだろうかと夜衣が考えていると、硬い表情のまま水日が言葉を紡いだ。その口調は、いつも愛想の良い水日の口調からは想像も出来ないほど、厳しさを滲ませていた。
「そのこと、もう火陵には言わないで」
「え?」
 夜衣は水日の言葉の意味を計りかねて眉を寄せる。
 すると水日は押し殺したような声で言った。
「今のこの生活を失うんじゃないかって不安がってるのよ、火陵が」

 水日のその言葉に、夜衣は言葉を失っていた。
 途端に閉口し、驚きに目を瞠る夜衣のその様子に、水日は逆に驚いてしまう。 まさか夜衣がこんなにもショックを受けるとは思っても見なかったのだ。
 ついには視線まで落としてしまった夜衣に、水日はさすがに彼が可哀想になったのだろう、口調を緩め付け加える。
「火陵はぼんやりしてるようで色々考えてて・・結構繊細だから、気にしちゃうのよ。だから、もうあんまり言わないでね」
申し訳ありません。僕が・・火陵さんを
 ますます項垂れてしまった夜衣に、水日は小さく溜息をつく。こんなに気を落とさせてしまうと分かっていれば、最初からやんわりと言っていたのだが。
(失敗したわ
 内心で舌打ちをしてから、水日は更に口調を和らげて言った。
「夜衣に悪気がないのは知ってる。私も火陵も。だから、そんなに凹まないでよ。ごめんね。強く言い過ぎちゃったね」
「いえ、いいんです」
 水日が申し訳なさそうに詫びると、夜衣は途端に顔を上げ首を横に振る。水日が詫びる事など 何もないのだ、と。
 そんな自分を気遣ってくれる夜衣に、水日は笑みを洩らす。人の気持ちを十分に推し量ることが出来る人間の出来た少年だと 心中で感心しつつ、水日は笑顔のまま夜衣に声をかけていた。
「ねえ、夜衣」
「はい」
「教えてくれない?」
「え?」
 あまりにも言葉を省略しすぎたらしい。言葉の意味を計りかね目を瞬く夜衣に、水日は付け加えて言った。そんな水日の表情はいつものように朗らかな笑みを浮かべてはいたが、その瞳は真剣そのものだった。
「私は大丈夫だから。私には教えて欲しいの。本当に嫌なことだった時、私が二人を支えてあげたいから」
「水日さん・・」
「ほら、私は優しくてちょっぴり強くて、何より美し〜いお姉様様だから
 言って悪戯っぽくウインクをした水日に、夜衣は表情を和ませた。彼女の真剣さと、姉妹のようにして過ごしてきた幼馴染み達への愛情が確かに見えた。そして、彼女ならば真実を語ってもいいだろうと思わせた。
「分かりました。何をお教えしましょう?」
 そう問われた水日は、一旦口を閉ざす。そして、しばしの沈黙の後、
・・記憶が戻ったら、私たちはバラバラになっちゃうの?」
 という問いを口にし、答えを待つ水日の瞳が僅かに揺れていることに夜衣は気付いていた。大丈夫だと彼女は言ったが、それでもやはり不安を完全には追い払えないでいるようだった。
 しかし、夜衣はきっぱりと答えた。その問いが、彼女の不安を大きくしてしまうおそれがないことが彼には分かっていたから。
「いいえ。お三方はずっと一緒です。幼い頃から、今までも。そして、これからも」
「そう」
 水日は小さく溜息を洩らす。それは安堵の溜息だった。そして、完全に溜息が消えてから、表情を明るいものへと戻した。
「はぁ、安心した! 三人一緒にいられたら、きっと大丈夫だわ。何があっても」
 そう言って水日は笑みを零した。
 そんな水日の笑みを見つめながら、夜衣は薄弱な笑みを浮かべた。
はい。そうですね」
 それは、少し淋しさを滲ませた笑みだった。その淋しさに水日が気付かなかったことは幸いだったのか、否か。
 リビングに落ちかけた沈黙を嫌うかのように、すぐにまた声が響き渡った。それは、
「え !? か、か、か、火陵 ッ!! す、す、す、水日がああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ううううううううううううううううううう嘘 ッ! 水日・・・の、生き霊かッ!!?」
「か、か、神が 神がお怒りじゃ !! 死にたくない
「逃げよう、風樹! 地の果てまで!!」
「火陵・・・
 というツッコム隙すらない火陵と風樹の朝っぱらにしてはちょっとキツイボケに待ったをかけたのはやはり水日の、
今すぐ地の果てどころか、地の底に送ってあげよっか
 という笑顔が満載、しかし殺気を充満させつつのお言葉だった。
「「ひ、ひぃぃぃぃっ」」
「風樹だけでけっこうです!!」
「なぬううううぅ!?」
「私は天国行きの切符なので
「よこせ !!」
「誰がやるか、こんにゃろ !!!」
 今日も、賑やかな一日になりそうだった。


 そう。忘れられない日になるのだった 。 







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