「「カッコイイ」」 「おい」 火陵から、昼過ぎに夜衣と二人で行った散歩での出来事を聞かされた水日と風樹の第一声がそれだった。うっとりと目を細め、組んだ両手を頬に当て小首を傾げている気持ちの悪い二人に、火陵が遠慮無く引いている。 すでに深夜を目前に控えた時間帯であるにもかかわらず、遠慮のえの字も窺えない声量で水日が続ける。 「もう! 素敵すぎッ!! これがブ男や中途半端なカッコつけ男ならもう瞬殺決定、即実行モンのクサさだけど」 言ってバキバキと指の骨を鳴らし、ついでに首も一発ゴキッとやった水日に、火陵と風樹が怯えて体を小さくする。 「「恐ッ」」 二人が思わず洩らしてしまった一言へのツッコミは、 ビュッ! 「「」」 隣り合ってソファに座っていた二人の前髪をかする水日の拳だった。 拳によって強制的に黙らされた二人を尻目に、水日はなおもうっとりと続けている。 「何たって夜衣だもんね。私も言われたい」 「大暴走」 「大妄想」 どんなに脅されてもつっこむことをやめられない風樹がまず口を開き、ついつい一緒になってつっこんでしまうノリのいい火陵がその後に続く。 それを黙らせたのはやはり、 ビュッ!! 「「」」 先程よりも確実に威力を増した水日の拳が、二人の前髪を激しく揺らして消えた。 ((近かった! 今度はさっきよりも近かった!!)) ガタガタと恐怖に体を震わせながら、二人は視線を交わす。そして、しばらくは水日をネタにつっこむこと、ボケることはやめようと誓いを立てた。 「それにしても、何なんだろうね、夜衣って」 水日も軽口を叩くのはやめて、真面目にそう呟く。 突然、螺照に会いに来た少年。それだけならば何ら不思議ではない。螺照を訪ねて来た者は今までに何人もいたのだから。そうしてこの家を訪ねてくるのは、決まって顔立ちの整った青年や女性ばかりだった。その度に、「螺照の交友関係ってどんなだ? 美形選りすぐりの会かよッ!!」と心の中で激しくつっこんだものだったが。 今回訪ねてきた夜衣もそうだ。歳は今までの人たちより幾分若かったが、 やはり申し分なく整った顔立ちをしていた。 だが、こうして一緒に暮らすようになった人はいない。 訪ねてきた人をほいほいと簡単に家に置いておくわけにはいかない。 それが当然だ。今回の夜衣が異例なのだ。 その異例の事態でも、詳しい理由は聞かされていない。 聞いていないのだから仕方がないが、訊いたとしても何も答えてはくれないのだろう。 「・・何だろう?」 再度、真剣に呟いた水日に返されたのは、 「人間」 という、「お前、さっきボケないって誓ったんじゃなかったのか!? あァん!? 何秒保った!? 何秒間の締約だったんだ!!?」と火陵が心の中で激しくツッコミをかましたくなる風樹のお馬鹿な答えだった。しかし、火陵はつっこまない。なぜなら、 「んなこたァ分かっとんじゃ、ボケェ」 「ヴぐっ」 と、拳を腹にめり込ませながら凶悪な顔 で、水日が風樹に容赦なくつっこむであろうことを知っていたからだった。 「痛いって・・・ホントに痛いんだってば。もう。冗談じゃんか。ねえ、誰か聞いてよ」 という風樹の悲痛な呻き声がおさまり、その場の雰囲気がボケモードから脱したことを確認した所で、火陵は口を開いた。 「夜衣さ、私たちが小さい頃・・・私たちの記憶がない頃、私たちの近くにいたらしいんだ。私のこと・・多分、二人のことも知ってる」 「あたしたちが忘れてることをってこと?」 「うん」 水日と風樹は顔を見合わせる。 おそらく、夜衣が昔からの知り合いなのだろうことは、螺照と夜衣との親密さから感じてはいた。そして、自分たちが失ってしまった記憶を、彼が知っている予感も同時に感じていた。それは今までこの家を訪ねた者の中に、「思い出しませんか?」そう言って悲しい顔をする者が何人もいたから。この家を訪ねる者は皆、自分たちが記憶喪失であること、そしてその失われた記憶の中に存在する人なのだろうと三人は悟っていた。だから、夜衣が自分たちの過去を知っているという事実に、驚きはしなかった。 「うーん。近くにいた、か。多分火陵の近く、でしょうねー」 口許に手を当て、しばし唸った水日はそう結論づける。それに風樹も続いた。 「うんうん。何たって、火陵様≠セもんなァ」 突然火陵を様呼ばわりしたのもそうだが、 彼が何かと火陵を構う様子からも そうした推測が導き出される。 おそらく、夜衣は火陵にかかわりが深かったと見て間違いないと、 水日と風樹はうんうんと頷いている。 「私の? 私の・・・何だろ??」 そして、火陵に近しい人という前提で、水日と風樹による大予想大会が始まるのだった。 「水日の鉄拳をかわしたところから見て、ボディガード!」 「なに? 私はどこぞの要人か? 姫か??」 「あり得ないわね。様≠セから〜・・・召使い?」 「やっぱりお嬢か? お嬢系なのか?」 「いやいや。やっぱあの強さがポイントだってば! うん・・・あっ! 殺し屋!!」 「私は何さ? 依頼人?? え? ターゲット!? はたまたボスかい!!」 「・・・あり得るわね!」 「得ない!!」 火陵の懸命のツッコミをものともせず、二人の大予想は続く。 「家庭教師とか!」 「おおッ!」 「いやいやいや! 年考えて、年! 風樹も、おおっとか言わない!!」 どう見ても夜衣は火陵と同い年くらい。火陵が子供だった頃、当然夜衣も子供だったのだから、家庭教師というのは納得がいかない。水日の仮説をズバッと切ったのだが、すぐにまた風樹がトンデモナイ仮説を立てる。 「オモチャ!!」 「どっち!? どっちが!!?」 「どっちも」 「おい、水日!!」 「あっ!!」 「今度こそ何かキましたか!? 風樹さん!」 「ダンサー!!」 「うん。もう何も言わずに死んでくれるかな?」 「そんな華麗なステップ、片鱗だって未だ見てないわよ」 「ってかもう、適当でしょ? 適当言ってるでしょ!? ね!!?」 「「「う゛ん」」」 そして、一旦ストップがかかる。どんなに思い出しても思い出すことは出 来ない。そして、どんなに多くの可能性を挙げてみても、 たとえそれが合っていたとしても、三人には分からない。 それでも眉間に皺を寄せ、あらゆる仮説を立てている三人の姿に思 わず声をかけたのは、今まさに話題の渦中の人となっている夜衣だった。 「・・・あの、どうかされましたか?」 「「「ちょっと今話しかけないで!!」」」 「す、すみません」 周りの状況すら見えないほど真剣に考え込んでいる三人に、夜衣は仕方なく声をかけることは断念し、見守ることにする。 誰か一人でも冷静さを保っていれば、夜衣に直接聞くという合理的か つ思いついて然るべき手段に気付いたのだろうが、残念ながら三人はそこまでお利口ではなかった。 「なァんか、もうココまで出てるんだけどな」 そう言って風樹はポカポカポカと頭を叩いている。逆に忘れてしまいそうな思い出し方だ。だが、 「幼馴染み!!」 「お。ようやくマトモなの来た!!」 思わず拍手で風樹の提案を受け入れる火陵。 風樹のまともな案に触発されたのか、水日からも、 「あ、兄弟ってのは!?」 「あ、似てるって言われたしなァ」 なかなかにまともな案が出た。しかし、 「あ、でも、妹や姉に向かって様≠ヘないかなぁ」 残念ながら火陵によって却下される。今のところ最も有力なのは幼馴染みだろうか。歳も近いし、現にこの三人だって関係を問われればそう答える間柄だ。 火陵の中で、「じゃあ、そういうことでいいかな」と適当に決着をつけかけた、その時だった。 「Σ(●Д●)」 「な、何だ!?」 「何かいいの来たの!? 風樹!」 突然、顔のあらゆるパーツを全開にし、「思いついた!!」と顔中で表現した風樹に火陵が驚き、水日が期待の眼差しを風樹に向ける。 そして、風樹がうち出した仮説とは、 「恋人!!」 だった。 「だから、年考えろや、お前 どれだけマセとんねん、ワシァ」 「駄目! お母さん許しませんのことよッ!!」 本気でブチキレ気味の火陵からのツッコミと、「誰だ、アンタ? ママン??」と逆にツッコミを入れなくてはならないツッコミをかます水日。 そんな二つのツッコミに怯むことなく、風樹は続けて言った。 「これはキたよ!! 許嫁!!?」 「よし、キた!!」 「羨ましすぎッッ!!」 誰もが、「だからぁ、ご近所さんはもう寝てるからさ、アンタ達ィ。頼むよ、もう」と半ば涙目になりながらツッコミたい気持ちになってしまうほど、張り裂けんばかりの絶叫をかました風樹。それに続いたのはツッコミではなく、思わずガッツポーズをかました火陵と、頭を抱えて身悶える水日だった。 そして、その過剰なリアクションは止まることなく、よりにもよって可哀想に、見守ってしまっていた夜衣の方に向けられたのだった。 「娘はやらんぞ!! 蓬莱山の玉の枝を取ってこい!」 と風樹がわけの分からないことを口走り、目の玉をひん剥けば、 「迷うことなく私に乗り換えなさい!!」 と水日が夜衣の胸ぐらを掴み上げ、極上の笑みで迫れば、 「ふつつか者ですが・・」 と火陵がぽっと頬を染め、気持ち悪くくねくねと体を捩らせる。「火陵ちゃん、恥ずかし〜い」を表現したつもりらしい。 「え? え!? え!!?」 夜衣が完全にどうしていいのか分からなくなったところで、神様も夜衣を哀れに思ったのか助け船を出してくれた。それは、 「コラコラ、夜衣が困ってるでしょ」 「あ。螺照様」 水日の魔の手から夜衣を解放したのは、螺照だった。 「さあ、夜衣。逃げて逃げて」 「は、はい」 そうして夜衣は無事逃げおおせたのだった。 「「「ちっ。逃げられたか」」」 二階へと上がっていく夜衣の後ろ姿を見送りながら、三人は揃って舌打ちする。 そんな三人に、螺照は大きな溜息を洩らしながら言った。 「さぁさぁ、三人とも早く寝るんですよ」 そう言って二階へと上がっていく螺照に、 「「はい」」 と水日と風樹が良い子の返事を返した。そして、その返事は嘘ではなかったらしく、大人しく言われた通りリビングを出ようとした水日と風樹だったが、 「火陵?」 ソファに座ったまま、立ち上がろうとしない火陵に気付いたのは水日だった。 顔を俯けた火陵は、膝の上に組んだ腕をじっと見つめていた。その様子がいつもの火陵とは違うことに気付いた水日と風樹は、僅かに眉を寄せ首を傾げる。 「どうしたの?」 徐に水日が問うと、火陵は小さな声で答えた。 「いやだなァ」 その言葉にここぞとばかりに食い付いたのが風樹だった。 「夜衣がフィアンセなのが??」 「このメンクイ娘がッ」 「火陵、逃げて! ここはあたしがくい止める!!」 うがー!! と火陵に襲いかかる水日を、風樹が後ろから羽交い締めにしてその突進を阻止している。その―風樹にとっては―命懸けで幼馴染みを守ろうとする己の姿に、 (ああ、あたしってばカッコイイ) と、風樹が勝手に悲劇のヒロイン気分に浸っていたのだが、 「もうすぐ分かると思うんだ」 火陵の静かな声が、まだまだ暴れ―ボケ―足りない二人を止めた。 「「え?」」 当然ノッてくるだろうと思っていた火陵が、変わらずソファに座ったまま真剣な表情をしていることに、水日と風樹は僅かに目を瞠る。これは本気で火陵が何か考えているのだと悟った二人は、いそいそと振り上げていた拳を下げ、羽交い締めにしていた腕を解き、火陵の隣に腰を下ろした。 「何が? 夜衣のこと?」 水日のその問いに火陵は頷き、そして続けた。 「夜衣のことも、私たちのことも」 「・・・あたしたちが、記憶を取り戻すってこと?」 「多分」 火陵のその言葉は躊躇いがちだったが、縦に振られた首に迷いはなかった。 それを見て、水日と風樹は顔を見合わせる。自分たちの記憶が戻ることにも驚きだったが、それよりも記憶が戻ることに対して火陵が否定的であることの方が分からない。 「ねえ、どうして嫌なの?」 優しく水日が問うと、火陵は僅かに表情を曇らせて言った。 「辛いことだって言ってた。思い出さない方が幸せなのかもって。今の生活が壊れるみたいなことも言ってた」 「「・・・」」 「過去が辛いのは、いいよ。過ぎたことだもん。でも、これからが辛いのは嫌だな。今の生活が壊れるのは嫌だな。毎日楽しくて、幸せなのに・・・」 「火陵・・」 言って唇を噛んだ火陵を見て、水日は思わず彼女を抱き締める。 「血は繋がってないけど、二人とは姉妹みたいなものだから、離ればなれになったら嫌だなぁ」 「うん。うん。そうね」 火陵の正直なその言葉に、水日は優しく頷き、子供にするようによしよしと火陵の背を撫でた。 それに倣うようにして、風樹も火陵の頭をぽんぽんと撫でる。少し照れくさそうな仕種だった。 だから、その手が風樹のものだと、見なくても火陵は知っていた。 「風樹はさ、ホントやたらめったらボケようとしてて、ちょっとウザイけど」 「ンだとこらァ!!」 「まあまあ、天然天然」 突然毒を吐いた火陵に一瞬風樹が目を剥いたが、それを水日が天然なだけで悪気はないんだと宥める。 今度はそんな水日に対して、 「水日はお姉ちゃんみたいな存在で・・・ボケは強引だし、ツッコミも格闘技ばりだけど」 「」 「どうどうどう!!」 おそらく火陵にしてみれば、自分が感じていることを素直に言っているだけなのだろう。だがしかし、水日は遠慮無く額に青筋をビキビキと浮かばせる。顔には満面の笑みがはりついている。それを風樹が必死で宥めていると、 「でも、そんな二人だから好きなのに」 「「・・・」」 「過去を知って、今のこの関係が変わっちゃったら嫌だよ」 その言葉には、さすがの水日も青筋を収めないわけにはいかなかった。再び火陵の背を優しく撫でる。少々その手が荒いのはよしとして。 「大丈夫よ、火陵。過去に、たとえ敵同士だったとしても、今更こんな天然だかどうだか判別すらつけられなくて憎むに憎めない小娘を憎んだりなんてできないでしょ、ね?」 「ん?」 「そうだよ、火陵。さり気なく、でも強烈な毒を吐く火陵に耐えられるのはあたしたちだけだもんね。今更俗世間に放流したら死刑モンでしょ。一生あたしたちが監視しないと、ね」 「・・・あれ??」 優し〜い口調で何だかとんでもないことを言っているような気がする。思わず二人の言葉を反芻しようとした火陵の思考を遮るようにして、風樹が大声で言った。 「だから一言で言うと、あたしたちの友情はフォーエバーってこと!!」 その台詞に、その場の空気が止まる。そして、しばしの後続いた沈黙は、呆れたように肩を竦め、ついでに溜息までついた水日によって破られた。 「もう、もっといいまとめ方してよね」 そして、そんな水日の腕から抜け出した火陵が、クスクスと笑う。 「フォーエバーって」 「//////」 二人につっこまれて初めて自分がちょっぴりクサイ台詞を言ってしまったことに気付いた風樹は、カーッと頬を赤く染める。そんな風樹に水日も火陵も笑ったが、それ以上つっこむことはしなかった。 「ま、そーゆーことよ、火陵」 頬を赤くした風樹の頭を撫でながら、水日が笑って言った。 「・・うん!」 風樹のフワフワとした茶色の髪を撫でながら、水日は火陵にも手を伸ばし彼女の絹のような黒髪を撫でる。両手にそれぞれ違う感触の髪を味わいながら、水日は口を開いた。 「もう、火陵は心配性なんだから」 「ごめん。私、二人みたいに神経極太じゃないからさ」 その言葉に、風樹が頬の赤みを一瞬にして消し去り叫んだ。 よい、 「お前、天然じゃないだろ!!」 「風樹! 行け!! 今日こそ成敗じゃ!!」 「うきい」 どん!! 追いかけっこが始まる。ご近所さん? そんなもの知ったこっちゃない。そんないつも通りの賑やかな追いかけっこだった。 珍しく追いかけられているのは火陵。追いかけているのは風樹。それを応援しているのは水日。なかなかに珍しい構図だったのだが、 「来るな、猿!!」 「猿だと!!? じゃ、水日は猿回しかッ!」 「誰が猿回しじゃ!!」 「え!? 今のあたしが悪い!!?」 と、いつの間にやら、いつも通りの追いかけっこに戻る。 追いかけられるのは風樹。追いかけるのは水日。それを、 「ふぅ。助かった」 と、優雅にソファに座りながら見守っているのは火陵。 ドタドタドタドタ・・ぼかっ! ドタドタドタドタ・・ばきっ!。 数分後、 「コラ! 静かにしなさい!!」 という螺照の怒号によって、三人の鬼ごっこは幕を閉じたのだった。 |