火陵と夜衣が一歩玄関を出ると、じりじりと肌を焦がす太陽が二人を出迎える。同時に、蝉の声が一気に近づいてきた。
「わぁお。焼かれるッ!!」
 大仰に顔を顰め、目深に被っていたキャップを更に深くする火陵を見て、夜衣は言葉の割に彼女が涼しそう な顔をしていることに気付く。
「その割にお顔は涼しそうですよ」
 笑って言った夜衣に、火陵も笑いながら答えた。
「よく言われる。アンタは暑さを感じてないんじゃないか、って。私だって普通に暑いのにさ」
 と言ったところで、火陵は気付く。
「・・って、夜衣だって全然暑そうじゃないじゃん」
 じりじりと強い太陽の光を受けながらも、夜衣は顔色一つ変えずに火陵の隣に立って歩いている。しかも、火陵は気付かなかったが、彼は火陵に少しでも太陽が当たらないよう、自らの体を盾にしているようだった。
「そうですか? 僕も暑いですよ」
 しかし、その顔はやはりあまり暑そうではない。
「暑いの慣れっこ?」
 その問いにも夜衣は首を左右に振って答えた。
「いえ。苦手です。以前住んでいた所はあまり暑くなかったので、少しまいってますよ。顔に出ないだけなんです」
 実はかなり堪えているんですと笑った夜衣に、火陵も笑う。
「あはは。そっか」
 そう答え、火陵は空を見上げる。青い空に、入道雲が我が物顔で座っている。その雲の隙間に、煌々と燃える太陽がある。橙の炎を絶やすことなく燃やしている太陽の姿に火陵が思い出すのは、今朝方に見た夢だ。そして、その夢の中で男が言った言葉。


 炎は全てを司る。炎は我らを獣から守り、しかし時として人の命の燈火ともしびを消す業火へと変ずることもある。そして、人の命の燈火ともしびもまた美しい炎の形をしている。


 男が持っていた炎は赤赤と燃え、太陽が纏っている橙の炎とはその様相を異にしていた。美しい炎だった。
「・・・どうかされましたか?」
 ぼーっと空を見上げていると、遠慮がちな夜衣の声に問われ、火陵は視線を隣に並んだ夜衣へと移す。
「あー・・うん。ちょっと、夢見が悪くてさ」
「昨日仰っていた、いつもの夢ですか?」
「うん。でも、今日は火がたくさん燃えてた。その炎が私を包む夢。真っ赤で・・でも、時々金色に光ったりする炎で、綺麗だったけど・・・ちょっと怖かったな」
 そう言って苦笑にも似た笑みを浮かべた火陵に、夜衣は穏やかな笑みで答える。
「その炎は火陵さんを怖がらせるために現れたんじゃないですよ、きっと」
「・・・何で?」
「何となく、分かるんですよ」
 きょとんと首を傾げる火陵に、夜衣は少し困ったように笑った後、曖昧にそう答えた。その答えではやはり火陵の疑問を解くことが出来なかったことを知った夜衣は、僅かな逡巡の後、口を開いた。
「炎はきっと火陵さんのことが好きだから、包んだんです。怖がらせるためではありませんよ」
 その台詞に、火陵は僅かに目を瞠る。
「螺照も同じこと言ってた」
「そうですか」
 夜衣が口にしたその台詞は、朝、螺照が言った台詞とよく似ていた。螺照も、炎が火陵を傷付けたりはしないから大丈夫だと言っていた。何故、そんな発想が出来るのか火陵は密かに首を傾げる。
 炎に包まれた夢と聞けば、「ちょっと火陵、今日は火使っちゃ駄目だからね!」「ん? 燃える情熱ですか?」などと言われるのは想像できるが―この発想も普通ならば出てこなさそうだが―、炎が火陵のことを好きだから、という発想はなかなか出てこない。
「・・・兄弟?」
 螺照と夜衣が同じ思考回路なのは兄弟だからかと予想を付けたのだが、
「違いますよ」
 笑いながらの夜衣に否定されてしまった。
「そっか。何となーく雰囲気とか似てるからさ」
「そうですか?」
「そうそう。だから信頼できるんだよね」
 螺照と同様に夜衣の穏やかな雰囲気が、突然同居することになった少年への警戒心を解くのに役に立ったのだった。これがオレ様な少年だったらば、水日を筆頭に家から追い出していたかもしれない。
 と火陵がくだらない妄想をしていると、夜衣が静かに口を開いた。
「螺照様と、仲良くしてらっしゃるんですね」
 その言葉に、突然何故こんな台詞が出てくるのかと一瞬不思議に思った火陵だったが、すぐに大きく頷いて答える。
「そりゃあずっと一緒だからね。お父さんでもお兄ちゃんでもない・・何だかよく分からない微妙なポジションではあるけどね、螺照は」
 そんな火陵の台詞に夜衣は笑う。火陵も夜衣に笑い返した後、付け加えて言った。
「でも、優しいし大切にしてくれるし、大好きだよ」
 言った後で火陵は照れくさくなったらしく、ずれてもいない帽子を直す。しかし、言葉には未だ続きがあった。
「変なこと言っちゃったな〜、もう。あ。螺照には言わないでよ〜?」
 そう言って夜衣を伺う火陵の頬は、見事に赤くなっている。それを見て夜衣が、水日や風樹のように彼女をからかうことはなかった。
「はい。言いませんよ」
 笑いながら夜衣は頷いた。その時だった。
「あれ〜? 火陵??」
 不意に名を呼ばれ火陵が視線を前方へと向けると、そこにはクラスメートの少女達がいた。どちらも小柄な少女だった。と言っても、火陵が長身なため、よけいにそう思うのだろうが。
「あ。久しぶり!」
 夏休みに入ってからは会っていなかった友人達に、火陵はヒラヒラと手を振るのだが、
「もう、そんなに久しぶりでもないよ」
「まだ夏休み三日目じゃん」
 と笑いながらつっこまれる。
「そう言えばそうだった」
 と苦笑すると、少女達はカラカラと笑い、続いて火陵の腕をつついた。
「ねえねえねえ、誰??」
「え? もしかして彼氏? 彼氏?」
「いいなぁっ」
 と勝手に決めつけ、姦しく騒ぐ友人達に火陵は慌てて二人を止める。夜衣はと言うと、賑やかな少女達に面食らっているようだった。
「ちょっと待った待った! 違うよー。従兄弟従兄弟」
 火陵は適当にそう答えたあと、夜衣にチラリと視線を遣る。
 説明すると面倒だから、そういうことにしよう。と、そう訴えかけてくる火陵に、夜衣は小さく頷いて見せた。
 友人達はと言うと、火陵と夜衣とを見比べていたかと思うと、
「へぇ、やっぱちょっと似てるね」
「ね」
 と言った。それを聞いて、火陵と夜衣は再び視線を合わせる。先程までは夜衣と螺照が似ているという話をしていたのに、どうやらそう言い合っていた自分たちも似ているらしい。思わず笑っていると、再び火陵は友人達に腕をつつかれる。
「螺照さんといい、彼と言い、アンタの血筋は美形揃いかよ、コノコノ〜!」
「いやァ、それほどでも・・・ありますかねェ。ふふ
「ムカツク〜!!」
 友人二人とじゃれている火陵を、黙って夜衣は見つめていた。最初は微笑んでいたその表情が、次第に曇っていく。その瞳は、何故か痛ましそうに火陵を見つめていた。夜衣自身、そのことに気付いているのかいないのか、ただひたすら火陵と友人達とを見つめている。
 夜衣が自分を見つめていること、その瞳が何故か憐れむようなものであることに、火陵は気付いていたけれど、彼女はそのことに気付かないふりをして、友人達の相手に徹していた。すぐにでも夜衣に声をかけたかったけれど。
「じゃ、またね♪」
「今度、遊ぼーね」
「うん。じゃね
 二人で買い物に行くのだという友人を、火陵は手を振って見送る。そして、友人の背中を見つめたまま、火陵はポツリと言った。
そんな、憐れむような目でみないでよ」
 その言葉でようやく夜衣は自分がどんな瞳を火陵に向けてしまっていたのかを知る。 それは火陵を思うあまりのものだったが、この瞳が火陵をひどく不安にさせてしまったのだ。その不安が どれほどのものかは、先程までの穏やかな表情が嘘かのように顔を強張らせている様子を見れば 理解ができた。夜衣は己の軽率さに歯噛みする。しかし、彼女の不安を和らげる方が先だ。
「あの
 しかし、弁解の言葉を拒むかのように、火陵が先に口を開いていた。
「記憶が戻ったら、今みたいなこんな生活は出来なくなるってことなの?」
 強張った表情の下、瞳が不安で揺れている。それを見て夜衣は慌てて首を振ってそれを否定する。
「いえ。そんなつもりじゃないんです・・!」
「・・・・」
 夜衣が申し訳なさそうな顔をしているのを見て取った火陵は、 小さく溜息を吐く。これ以上彼を責めるのは可哀想だと思ったのだ。
「・・・ごめん。色々変な夢見るから、ちょっと神経質になってるみたい。ごめんね」
 ただの八つ当たりだったと謝り、火陵は歩き始めた。
 不意に蘇った不安は消えない。そして、この不安は、ずっとつきまとうのだろう。
 赤い月が昇る、その日まで。
 しかし、一瞬だけだがその不安は吹き飛ぶこととなる。それは、火陵の後を追わず 立ち尽くしている夜衣が口を開いた直後のことだった。
「火陵様!!」
「え!?」
 火陵が弾かれたように夜衣を振り返る。その表情は強張っていた。
(公衆の面前でまた出ちゃった様=I!)
 と振り返った火陵の目に映ったのは、そんな文句など言えなくなるほど真剣な表情をしている夜衣の姿。火陵は口を閉ざさざるを得なかった。
 そうして火陵が驚いたように夜衣を見つめていると、彼は言った。
僕は貴方様をお守りするために参りました」
・・・え? は? はい!?」
 少女ならば思わずときめく台詞だが、免疫のない火陵はきょとんとしてしまう。きょとんとしたあとに、 すぐさまパニックに陥る。
 驚きに目を瞬いている火陵に構うことなく、夜衣は言葉を紡いでいた。
「貴方が今のこの生活を守りたいとお考えなら、僕はこの生活を守ります。 例えそれが運命さだめに逆らうことでも、罪だと罵る者がいても、それでも全力でお守りいたします」
 夜衣のその台詞を、火陵は茫然と聞いていた。告白のようなその台詞だが、火陵は舞い上がることができなかった。
 何故か、不安ばかりが火陵の中に残ってしまっていた。







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