時刻は3時を少し回った頃だろうか。燦々と照りつける太陽は、アスファルトを焦がし、ゆらゆらと空気を揺らしている。
 いつも幼馴染み達から「あんたは暑さを感じないのか!?」とつっこまれるほど、暑さには強い火陵だったが、やはり風のない真夏日に部屋の中に居るのは耐えきれなくなったらしい。徐に、クーラーのスイッチを入れた。常に涼しげな顔をしてはいるが、それは「あぢ〜」という雰囲気が表に現れていないだけであって、火陵だってやはり暑いものは暑いのだ。
 クーラーから涼しい風が送られ始めたのを確認してから、火陵は窓を閉める。
 部屋の真ん中に置かれてあるテーブルには、先程下から持ってきたジュースのグラスがあった。コースターを置いていなかった所為で、グラスに溜まった水が、テーブルに小さな水溜まりを作っていた。おそらく、中のオレンジジュースも温くなってしまっているだろう。
 再度キッチンに飲み物を取りに行こうかとも考えたが、やめた。
 先程、飲み物を取りに下に行ったのだが、螺照らしょうと、彼を訪ねてきた夜衣やいという少年は、まだ話し込んでいた。いったい何を話しているのだろうか。真剣な表情で話し込む二人の姿に、火陵はその度に不安を抱かずにはいられない。だから、下に行くのはやめた。
 火陵がベッドにぼふんと横になったその時だった。
「ただいまー」
「たーだいまー」
 不意に部屋のドアが押し開かれたかと思うと、二つの元気な声が響く。勢いよく体を起こすと、両手にたくさんの袋を持った―否、おそらく持たされた―風樹と、小さなポーチ一つを持った水日の姿があった。
「お帰りー! お土産はー??」
 開口一番そう訊ねると、水日はくすくすと笑う。
「はいはい」
 言って、風樹が持っていた袋の内、一つを手にとって掲げて見せた。
「どーぞ。タルトでーす
「やった―――― ナイスチョイス!!」
「でしょでしょ〜??」
 両手を上げて喜ぶ火陵と、上機嫌で頷いている水日。風樹はと言うと、こちらは部屋の隅で、両手に抱えていた大荷物を一つ一つ下ろしていた。おそらくゲームか何かに負けて荷物持ちをやらされたのだろう。その背中は、疲れのためか少し淋しそうだった。
 と、そんな風樹のことなどおかまいなし。
「紅茶でも淹れて、おやつにしよっか」
「賛成!!」
 袋から二つの箱を取りだし、その内一つを手にとって問う水日と、それに万々歳で賛成する火陵。
「少しは労おうよ、ねぇ」
 と、決して二人には聞こえない声量で、それでも微かに訴える風樹。時折、こんな自分のポジションに涙が出る風樹だった。
 芝居じみたしぐさで涙を拭っていると、ようやく水日がうなだれた風樹の様子に気づき、声をかけた。
 いや、彼女はきっと最初からずっと風樹が悲しみにくれていることを知っていて、それでもなお放置していたのだろう。そうしてしくしくと己の不遇にわざとらしく嘆いている風樹を見て、心の中でほくそ笑んでいたに違いない。彼女はそうして風樹で遊ぶことが大好きな人間だった。が、さすがに疲れている風樹でこれ以上遊ぶ気はないらしい。
「じゃ、行ってくるね。風樹もアイスティーでいいでしょ?」
「レモンティーがいいなー」
 いつもなら「あァん!? 贅沢言うんじゃないわよ、こらァ」と、―勿論冗談で、だが―返す水日も、今は「分かった」とすんなり頷いて見せた。気の利く水日は、テーブルの上にある空のグラスを持って立ち上がる。そして、何か思い出したらしく、「あ」と声を上げた。
「そう言えば、誰が来てるの?」
 買い物から帰ってきた時、まずリビングに向かおうとしたのだが、螺照と見知らぬ人が話し込んでいる姿が窺えたので、声はかけず真っ直ぐに火陵の部屋へとやってきたのだ。
「夜衣って人。螺照の知り合いだって」
 そう答えた火陵に、
「ふーん」
 と風樹が相槌を打つ。そして、風樹も、水日もそれ以上は問わない。螺照を訪ねてくる客については、いつだって深入りしないことが彼女らの鉄則になっていたから。訊ねても、絶対に螺照から答えは返ってこない。いつだって、困ったように笑い、曖昧な答えを螺照は返すのだ。だから、もう問わない。彼を困らせるのは可哀想だったから。
「あ。じゃ、お客さんにも出して来ようかな」
 たくさん買ってきたし、と付け加え、水日が提案する。
「うん。そうだね」
 賛成の意を唱える風樹に続いて火陵が口を開いた。
「あ。今回のお客さん、水日好みの綺麗な男の子だったよ」
 と言うや否や、
「よっしゃ! 行ってくる!!!」
 と、タルトの入った二つの箱をひったくるようにして胸に抱え、水日が猛ダッシュをかます。が、
「おいおいおい! それはいいけど、全部持って行くのはやめれ―――――ッ!」
 慌てて火陵が水日の腰に腕を回し引き止める。と同時に、風樹がすかさずドアの前に立ちふさがっていた。なかなかの反射神経。なかなかのコンビネーション。
 火陵と風樹に阻まれた水日は、「冗談よ」と笑った後、二つ持っていた箱の内一つを二人の前に置いた。
「半分置いていくわよ。あとはお客さんと螺照にね。お茶も淹れてきてあげるから。ついでに」
 そう言って二人を退け、部屋を出て行った。
 パタンと静かに閉まったドアを見つめつつ、火陵が呟く。
「・・・目的の8割方は、美少年見たさ、だろうね」
「・・・うん」
 十年近く共に暮らしてきた水日のことなどお見通し。
 水日は、男女問わず綺麗な人が大好物―失敬。大好きだった。特に、日本人形のように清楚な綺麗さを持つ人ならば尚のこと水日は好みだった。なので、長い黒髪を持つ火陵なども、よく水日の観賞用に着物などを着せられたりするのだった。
「―――」
「―――」
 水日が美少年見物のため下におりて数分が経とうとしていた。
 一向に帰ってくる気配のない水日に、二人は顔を見合わせる。愛想のいい水日のことだ。挨拶だけでは失礼かと、客人と二言三言交わしている内に、だんだん話が弾んだか、客人を気に入ったのか、話し込んでしまっているのかもしれない。そうなると、完全に自分たちの存在は忘れられているだろう。
「――いいと思うんだ、私」
 視線を目の前に置かれたタルトの箱に移しつつ、火陵は言った。何がとは言わなかったが、風樹は彼女の言いたいことを悟ったらしく、頷く。
「あたしも、そう思う」
 再度顔を見合わせた二人は、「よし」と頷くと、タルトの入っている箱へと手を伸ばす。
 もう、待ちきれない。帰ってこない水日が悪いと決めつけた二人が、箱を開き、いざタルトを手に取ろうとしたその瞬間、


 バタン!!


「あばばばばばばばばばばばばばばッ
「ノ――――――――――――ン!!」
 開いたドアの向こうには、髪を振り乱した水日の姿。
 火陵はあばばばばばと意味不明な慌て方をしつつタルトの箱を閉ざし、風樹はというと、こちらもよく分からない悲鳴を上げ、開いたタルトを隠そうと両手を広げ大の字で水日の前に立ちはだかる。
 だが、水日がそのどちらの奇行にもつっこむことはない。むしろ、彼女自身も奇行の真っ最中だった。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ」
 髪を振り乱し、鼻息荒く立ち尽くしている水日の姿が、今この場で一番気持ちが悪いと言ってもいい。
「★\#'ω¶!! 水日が変態さんになってる!!」
 その事実に気が付いた火陵が人の言葉では到底記しきれない悲鳴を上げ、頬をひくつかせる。
「え? ヒィっ!!!」
 火陵の言葉に、水日を見た風樹が怯えて後ずさる。
「「こ、怖い〜ッ」」
 終いには、ひひひひひひひひひ・・・と笑い始めた水日に、火陵と風樹は抱き合って怯える。が、次の瞬間、
「GOOD!!!」
 勢いよく顔を上げ、親指を天へと突き立てて水日が宣言する。
「――そ、そっか。良かったね
 どうやら、客人の美しさに、大いに満足なさったらしい。その所為か、やはり美少年見物のついででしかなかった、お茶を淹れてくるという任務を、彼女はすっかり忘れてしまっているようだった。どこをどうみても、お茶を持っている様子はない。そのことに気づいた火陵だったが、あえてそこへのツッコミはやめておくことにする。上機嫌の水日に下手なことを言って、機嫌を損ねてはたまらない。茶をしばくことはおろか、むしろ自分がシバかれることになってしまうだろう。
 そんな火陵の配慮のおかげか、水日はにこにこと上機嫌のままテーブルの前に座る。そして、乙女のように―まあ、実際乙女なのだが。多分―両手を胸の前で組んで言った。
「一日中風樹といて汚れてた目の、イイ保養になったわ〜
 その言葉に、すかさず風樹が反応する。
「どォいう意味だそりゃ!
「その理由は、チャックでーす
 うふv と可愛らしく気持ち悪い笑みをプラスした水日に、風樹は頭を掻きむしる。そして、どう反撃に出るかと火陵がワクワクしながら風樹を見守っていると、何を思ったか風樹はすっくと立ち上がり、
「あたしも目の保養してきてやりゅうううううううううう――――――――!!!!」
 そう絶叫し、部屋を出て行ってしまった。
 その反応は、水日の予想していなかったものだったらしい。
「・・・どういう反抗の仕方よ」
 勢いよく閉ざされたドアを眺めつつ、冷ややかに水日がつっこんだ。
「ホントだよ・・・」
 水日と同様に、意味なくドアを見守ってしまっていた火陵はそう相槌を打つと、すぐさま我に返る。タルトの甘い香りが彼女に覚醒を促した。覚醒と同時に、小悪魔が火陵の中で目覚めていた。火陵はニヤリと方頬を上げて笑うと、水日をつついた。
「ねェ。今の内に風樹の分も食べちゃうってのはどうでしょ。水日さん」
 その誘いに、水日も火陵が浮かべているのと同じいやらしい笑みを浮かべ口を開く。
「採用!!!」
「ありがとうございます!!」
 高らかなる採用宣言に、思わず火陵は水日を拝む。その理由は彼女にしか分からない。
 火陵の奇行は日常茶飯事なので、わざわざそれを咎めることはせず、水日はタルトの箱を開けつつ、またニヤリと笑う。
「ふふ。おバカさんめ」
 タルトを取りだした水日は、それを均等に二分し自分と火陵の前に並べた。お皿を持ってくるのが面倒臭かったのだろう。タルトの入っていた箱をビリビリと破り、火陵に差し出す。
 それを面倒くさがり屋の火陵も厭わず受け取り、タルトを並べる。自分の前に並べられた数個のタルトに、 火陵は思わず幸せそうな笑みを洩らす。天にでも召されるのかと見紛うほど、 火陵は至福の時を感じているようだった。彼女にとって、美味しそうなものが目の前にあるときと、ふかふかの布団に潜るとき程幸せなことはないのだった。
「「いっただっきまーす」」
 お行儀良く手を合わせ、二人がタルトにかぶりつこうとしたその瞬間、
 バタン!
 良いタイミングでドアが開く。視線を遣って確認するまでもなく、風樹が帰ってきたことを二人は悟る。
「はぁはぁはぁ」
 美少年に興奮した水日とは違い、おそらく階段を駆け上ってきたからだろう荒い呼吸を整えようとドアを押し開いたまま立ち尽くしている風樹に、水日が舌打ちする。勿論、風樹には聞こえないように、だが。
「・・ちっ。お帰り、風樹」
「ねぇねぇねぇ、風樹」
 ようやくおやつにありつけた所を邪魔され、多少舌を尖らせたい気分ではあったが、それよりも風樹の客人に対する反応の方が気になったのだろう。手にしていたタルトを置き、火陵が風樹に駆け寄り、問う。
「どうだったよ??」
「――合格!!」
 水日がしたように親指をグッと立てて見せた風樹に、火陵は満面の笑みを零し、
「おめでとう!!」
 そう言って、強く風樹の手を握った。
 何を祝われているのやらいまいち分からない風樹だったが、その場のノリで火陵の手を握り返す。
 そんな二人の背後で、
「いただきまーす」
 と、呑気な水日の声が響く。そこでようやくおやつの存在を思い出した火陵が、ダッシュでテーブルにつき、水日にならってタルトを口に運ぶ。
「それじゃあたしもー
 うきうきとテーブルについた風樹だったが、
「って、ない――――!!?」
 頭を抱えて絶叫する。そんな風樹に、水日が笑いながら言ってのけた。
「色ボケちゃんのは没収で〜す」
 すると風樹はまたもや声を張り上げる。
「は―――ッ!!? こ、こンの、色気より食い気娘共が――――――!!!」
「食い気ばんざーい」
 風樹の反撃にめげることなく、火陵が呑気に返す。
「食い気より色気の風樹ちゃんにはいらないわよねー、コレ」
 風樹の反撃を更に冷ややかな反撃で返し、水日はこれ見よがしに手に取ったタルトを、
「はい、火陵ちゃーん。あーん
 と火陵に差し出す。火陵はと言うと、
「あーん
 遠慮することなくそれに食い付く。
「美味しい?」
「うん! 美味しい〜
 そんな二人がかりのいじめに、ついに風樹が負けた。
「ご、ごめんなさ――――――い! 食い気万歳――――――!!!」
 降伏の徴に食い気を讃え万歳する風樹に、水日はようやく攻撃をやめた。
「もう。仕方ないわねー」
 とぶつくさ言いつつ、風樹の前にタルトを差し出した。自らの傍らに置いておいた、余った箱の切れはしにタルトを乗せる水日の様子からは、最初から風樹にもあげるつもりだったことが窺える。
 自分の前にもタルトが置かれたのを見た風樹は、わざとらしく目頭を押さえた。
「あッ、ありがとうごぜェますだ――――ッ!」
 すると、水日もまたわざとらしくふんぞり返る。
「おう、よいよい。ほれ、食らえ食らえ〜」
「オラぁ、幸せだー。幸せだァー」
 風樹は出てもいない涙を何度も拭いながら、まるで餌を与えられた犬のようにタルトに食らいついた。そして、おいおいと泣いている。
 悪ノリし始めた風樹と水日を、いつの間にか冷静になった火陵が見つめていた。
「・・・もっとプライド持とうよ、風樹・・・」
 冗談だとは分かっているのだが、哀れな風樹の姿に、こちらは本当に涙を拭う。
 そんな、いつも通りの三人のおやつ。いつだって、穏やかという言葉を軽〜く突き抜け、近隣の幼児達に良からぬ影響を及ぼしかねない凶悪な悪ふざけを交えつつのコミュニケーション。
 彼女たちは気づいていなかった。自分たちのバカ騒ぎが下の階まで、そして、客人の耳に余裕で届いているのだということに。そんな姦し娘たちのトークはおやつを頬張る瞬間だけやみ、おやつを終えた途端に再び弾み始めるのだった。






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