さよなら。 魔王を討伐し英雄と讃えられていた戦士―ルヴィウスが、天へと召されて逝った。 戦士の瞳の色と同じく晴れ渡っていた空の青はその姿を次第に橙へと変えていくが、風は変わらず啼いている。若い戦士の死を嘆くように、空高くをビュウビュウと吹きすさんでいる。 風の泣き声は、ヒューディスの端、森を目前にしたその場所でも変わらない。荒野の砂を攫い、空へと高く舞わせている。 そんな風の下に広がる荒野に、二人の影が長く映っていた。 英雄を捜し旅を続けてきた少年戦士アノンと、かつて最強の魔導師一族と謳われていたカナンテスタ一族唯一の生き残りティスティーの影が、ヒューディスの大地に黒く長く伸びている。 そんな二人の前には、一つの墓が作られていた。 片腕の自由を失ったアノンと、ティスティーの手によって長い時間をかけて作られた、ルヴィウスの墓だった。そこには、墓標の代わりにルヴィウスの剣が天へと垂直に突き立てられていた。 風は、まだ啼いている。ティスティーの瞳を濡らしていた涙はもう消えているというのに。それでも、泣き叫んだ所為で枯れた喉は未だ治っていないようだったけれど。 「やっと会えたと思ったら、またすぐに行っちゃうなんてね、まったく・・」 じっとルヴィウスがその手に握っていた剣を見つめるティスティーの目は、赤く腫れている。 そんなティスティーの言葉に答えるアノンの瞳も、涙の所為で赤く腫れていた。 「・・・でも、今度はルウがティスティーを待つ番なんだね」 そう言って、アノンは笑った。いつもの彼の、とはまだ言うことはできないけれど、彼らしさを取り戻そうとする懸命な笑みだった。 その笑みを見つめ返すティスティーの瞳は真剣そのものだった。 数年前に出逢った愛しい人は、『また会おう』という言葉一つを残して姿を消してしまった。何年も何年もかけて捜しだしたその人はまた、先に逝ってしまった。しかし、もう彼の行き先は分かっている。待ち合わせ場所も決めてある。もう、不安はない。 けれど、 「 そうね。たっぷり待たせてやるわよ」 彼にすぐに会いにいくわけには行かない。待ち合わせ場所は決めたけれど、時間は決めていない。数年間待たされたのだ。今度はその腹いせに、もっともっと待たせてやろう。そして、 (アノンと、もうちょっと旅をしたいの) 肉親同様に慕っていたルヴィウスを失ったこの少年と共にいたいと思う。だから、 (たっぷり待たせてやるわよ、ルヴィー) 瞳を閉じ、ティスティーはその言葉を噛みしめる。そして祈る。 ( もう少し、アノンといさせて) その祈りが天に届いたのかどうかは分からない。けれど、届いたと信じるほかない。閉ざしていた瞳をゆっくりとティスティーが持ち上げた、その時だった。 「 っと」 突然アノンが声を上げ、魔王の剣によって深く切り裂かれた左腕を押さえた。おびただしい出血は、ティスティーの魔法によって止まっていたが、おそらく断裂してしまっているのだろう神経までは回復されていない。その所為なのか、時折腕がビクンとはねる。己の意志に反して動くその腕を、アノンが気味悪そうに眉を寄せて撫でさすっている。それを見たティスティーがアノンの腕を取った。 「傷、見せてみなさい」 「うん」 応急処置として軽く巻いていた包帯を取り、ティスティーは傷の具合を見る。傷口がうっすらと見える。皮膚は繋がっているが、内部の傷は完全には癒えていないようだった。 「時間はかかるけど、たぶん治せるわ」 その言葉にアノンが表情を輝かせたのを見て、ティスティーも表情を緩める。今まで顔にも言葉にも出さなかったけれど、動かない左腕をひどく不安に思っていたのだろう。 「治るわ」 アノンを再度安心させてから、ティスティーは掌を彼の傷口へと当てた。そして魔力をもってアノンの自然治癒力に働きかけようとした、その瞬間だった。 「 !」 突然ティスティーに襲いかかってきたのは、ひどい眩暈だった。一瞬にして目の前が白くなり、次に黒くなる。怖ろしく深い闇の中へティスティーを誘い込もうとしているそれは、あの日彼女が味わったものと同じ感覚だった。あの日、オル・オーネと出逢ったあの日、木から落ちたアノンを救うため、風を起こしたその時に起こった眩暈と同じもの。一時はその姿を潜めていたのに、密かに、そして着実にそれ≠ヘ迫っていたのだ。 ( うそ・・) 突然突きつけられたその事実にティスティーは愕然とする。知らず、目の前にまで迫っていたもの。 それは ティスティーの期日=B 「ティスティー? どうしたの?」 傷に手を当てたまま茫然としているティスティーにアノンが不安げに表情を曇らせて問う。その声でようやくティスティーは衝撃から舞い戻る。 「え、あ、ううん。な、何でもないわよ」 しかし、口がうまく回らないのは、動揺が未だ残っている所為。 「ホント? 大丈夫?」 心配そうに表情を曇らせ、覗き込んでくるアノンから逃げるように、ティスティーは視線を伏せて言った。声が震えてしまうことだけは、何としてでも避けたかった。アノンには、気付かれたくなかったから。 「今ちょっと疲れてるみたい。戻ってからオル・オーネさんに治してもらうといいわ」 いつも通りしっかりとした物言いでそう言ったティスティーに、アノンも不安げな表情を解き、納得したようだった。 「そうだね。じゃあ、行こっか、ティスティー」 「ええ」 アノンはティスティーからルヴィウスの墓へと視線を移すと、瞳を閉ざしてそっと囁く。 「また会いに来るからね、ルウ」 墓標の代わりに突き立てられたルヴィウスの剣に軽く口付け、アノンは胸の前で十字を切った後、意を決して踵を返した。 そうして歩き出したアノンの後について、ティスティーも歩き出す。否、歩き出そうとしたのだが、 「 ・・うそ」 ひどく震える声で、ティスティーは驚愕を吐き出す。 ティスティーはもう、動けなかった。 ついに期日≠ェやってきたのだ。 命の期日が。 ティスティーの異変に気付いたのは、歩みを進めていたアノンだった。 「ティスティー?」 自分の後ろをついてきてくれていると思っていたティスティーが、何故かルヴィウスの墓の前に佇んだままでいたのだ。墓を背に向け、アノンを見つめてはいるが、追ってこようとはしないティスティーに、アノンは目を丸くする。 「どうしたの? ティスティー」 そんなアノンの言葉に返されたのは、冷たい声で、 「 アンタこそどうしたの? 行きなさいよ」 そんな言葉だった。驚きに見開かれていた瞳は、すぐに怯えたように細められる。 「ティスティーも・・行くんでしょ?」 縋り付くような瞳から、ティスティーは逃げる。とても、真っ直ぐ見つめ返すことなどできなかった。 ( 行きたいわよ、でも・・) ティスティーはきっぱりと言った。言うしかなかった。 「行かないわよ」 「 ティスティー!?」 唐突な拒絶の言葉に、アノンは愕然とする。 「どうして 」 その問いを、ティスティーは遮る。 「アノン。最初から目的を果たすまでって言ってたじゃない。私はルヴィーに会えた。アンタもルウに会えた。目的は果たしたし・・・ここでさよならよ」 ティスティーは言った。彼がさよなら≠嫌っていることは分かっていた。つい今し方ルヴィウスと別れたばかりの彼に、その言葉は残酷すぎるものだということも分かっていた。それでも、ティスティーは言った。 「さよならよ」 「 そんな・・・嫌だよ! 一緒に行こうよ!」 激しく首を振るアノンの瞳は、泣き出しそうに細められていた。しかし、その涙はアノンの頬を伝わる前に、一気にティスティーに伝染する。突然瞳に滲んできた涙を、ティスティーは唇を噛んで堪える。必死で堪える。ここで泣いてしまっては、元も子もない。アノンを、さらに悲しませてしまうから。 だからティスティーは更に冷たい口調で言い放つしかなかった。 「ダダこねてるんじゃないわよ。さっさと行きなさいってば」 「嫌だ。一人は嫌だよ!!」 アノンの懇願が、ティスティーの胸を裂く。それでも、やめることはできなかった。 「 行きなさい」 「ヤだよ!」 「行きなさいって言ってるでしょ!!」 「 」 ついにアノンは閉口する。茫然と瞳を瞠り、じっとティスティーを見つめている。瞬かれる瞳が、懸命にティスティーの真意を探ろうとしているようで、ティスティーはすぐさまアノンから視線を外す。そして、瞳を閉ざす。 ( ああ、神様。いるならどうか・・・!) その時、初めてティスティーは神の名を呼んだ。 あの日、一族の全てが死に絶えたあの日、どうしてこんな酷い仕打ちをなさるのかと激しく憎んだ神の名を、ティスティーは呼んでいた。そして、祈ることはただ一つ。 (どうか、もう少しだけ、アノンの側にいさせて !) ただ、一つだけ。 その祈りが天に届いたのかどうかは分からない。分からないまま流れていた沈黙は、アノンの消え入りそうな小さな声によって破られていた。 「 ティスティー、オレのこと・・・嫌いになっちゃったの?」 「・・・・・・」 震える声に、ティスティーは何も答えられない。 その沈黙を肯ととったのか、アノンはたまらず声を荒げていた。 「ねえ、どうして? オレ何かした!? 謝るから!」 必死のアノンの叫びに、ティスティーは沈黙を返すほかない。 「 」 ここで嫌いだと突き放してしまえればいいのだろうか。そうすれば彼も諦めて行ってくれるのだろうか。 それが、一番良い方法なのだろうか。 (お願いよ、神様・・・ッ!) 未だ、神からの声は聞こえない。体も、動かない。瞬くことさえも億劫な程、体は体力を消耗しきっているようだった。そんなティスティーの体を震わせるような声で、アノンが叫んだ。それは、口に出すことでアノン自らを傷付ける言葉だった。 「 オレが・・オレがルウを死なせたから!!?」 それ以外に考えられないと、必死で思考を巡らせた末の問いだった。 ルヴィウスの命を繋いでいた魔王を追い出した自分に嫌悪を抱いたのだろうかと、だから一緒に来てはくれないのかと問うたアノンに、ティスティーはようやく口を開く。 「違うわよ」 「じゃあどうして嫌いになっちゃったの!?」 その言葉に、ついにティスティーの口から堰を切ったように切ない思いが溢れ出してきてしまった。もうこれ以上、可愛いアノンの悲痛な叫びを聞いていられなかったのだ。 「何バカなこと言ってんのよ! 好きだから・・・好きだから、ここで別れようって言ってんじゃない!」 「・・ティスティー?」 好きだから、別れる。その矛盾した言葉に、アノンは目を瞬く。 そんなアノンを、先程とは打ってかわり優しく細められた瞳でティスティーが見つめている。そして、優しい声で残酷な言葉を囁く。 「アノン、大好きよ。だから さよなら」 「どうして!? どうしてさよならなの!!? ねえ! ねぇ、ティスティー!!」 ついにアノンはティスティーの側まで駆け寄り、そのまま彼女の腕を掴んでいた。そして揺さぶとうしたティスティーの体が、大きく傾いで初めて、アノンはティスティーの側の体に起こった異変に気付く。しかし、その異変が何なのかを知ることは出来ぬまま、ティスティーの側の体が地面に仰向けに倒れ伏していた。 「 ・・」 ふらりと地面に倒れ伏したティスティーのその様は、アノンのルヴィウスを思い出させていた。確か、彼もこうして倒れたのではなかっただろうか、と。 そして、アノンは目を瞠る。 (まさか ) そこから先の言葉を、アノンは慌てて掻き消す。頭の中で言葉にしただけでも、それが現実になってしまうのではないかと思ったから。 「 ・・ティスティー?」 徐に膝を突き、ティスティーの体を抱き起こし、瞼を閉ざしている彼女の名を恐る恐る呼ぶ。 「ねえ、ティスティー?」 すぐにティスティーは緩慢な仕種で瞳を開け、アノンの不安げに瞬く明青海の色をした瞳を見つめて言った。 「ほらね。もう、さよならするしかないのよ・・」 そして、ティスティーは笑った。きっと、笑ったのだろう。その表情は、笑顔とは言えない形に歪んでしまったけれど、それでもアノンはティスティーが微笑んだのだろうと思った。しかし、そうして彼女が泣き顔のように顔を歪めながらも自分を追い払おうとしていた理由は分からない。 「ねえ、どうしたの? 何があったの? ティスティー」 問うと、ティスティーは静かに瞳を閉ざして言った。 「あーあ。こんなことなら、もっと大事に魔力を使っておくんだったわ」 「 !」 その言葉で、アノンは気付く。気付いてしまった。 ティスティーの方も、既に隠し通すことはできないと察したのだろう。遠回しに告げた真実は、確かにアノンに届いていた。 思い出したのは、旅の初めに彼女が告げたカナンテスタ一族の末路と、秘密。 私たちの命は、魔力そのものなのよ。 そう告げたのはティスティーだった。 カナンテスタ一族は、通常の魔導師のように精霊を召還しその力を借りるという方法はとらず、自らの魔力で魔法を使う特別な魔導師一族。そして、そんな特別なカナンテスタの一族に与えられていたのは、普通の人間のものとは比べるとはるかに長い時を与えられた寿命。精霊を使役することなく魔法を使えば、生命力そのものを容赦なく削られてしまうがゆえに与えられた強大な魔力 長い命。 魔力を使い果たしてしまうと死ぬわ。 魔力と生命が同等であると語ったティスティー。 (ティスティーは、魔力を ) アノンが真実を悟るまで、数秒とかからなかった。 目を瞠り自分を見つめているアノンに、ティスティーは彼が全てを悟ったことを知り、観念したように瞳を閉じていった。その口調は、神への祈りを諦めたのか、妙にさばさばとしていた。 「アンタと会ってからは、これでも結構自制してたのよ?」 そう言ってティスティーは笑った。今度は、その表情が笑顔だとすぐに分かった。 「でも一人の時は、何だかどーでも良くってね。早く魔力が尽きてしまえばいい、死ねたらいいのにって、魔法をむやみやたらに使ってた」 そこまで言ってティスティーの表情が一変した。 「バカね。無駄遣いしなきゃ良かった・・・」 ティスティーは瞳を閉ざしたまま、きつく眉を寄せた。 「ティスティー! まさかもう 」 その言葉に、ティスティーは頷く。 「そういうことよ」 ティスティーの魔力 命は、もう尽きるのだと。 (だから・・) アノンは思い出す。 オル・オーネの家で食欲がなかったり、体調が悪そうだったのはこの所為だったのだ。ティスティーは疲れたからだと言っていたけれど、違った。魔力 生命力の消耗の所為だったのだ。 魔力を消耗して消耗して、消えてしまう。 ティスティーの命の火と共に。 「 嫌だ」 小さすぎてティスティーには聞こえなかったのか、それとも聞かなかったのか、ティスティーはアノンのその囁きには答えない。 「ルヴィーは気付いてたみたい。私がもうルヴィーの傷を癒す魔力さえ残されていないってことに」 だからルヴィウスは自分の傷を癒そうとしていたティスティーを止めたのだ。 君は少しでも いや、これからもずっとアノンの側にいてやってくれ。 そう自分の命が尽きていくことを恐れず、ルヴィウスはそう言ってくれたというのに、 (ごめんなさい。ルヴィー) ティスティーは、心の中で詫びる。 あの時、ルヴィウスの制止を振り切ってでも彼の傷を治していれば良かったと、今更になって後悔する。たとえ、もう魔力を使わなくても、すぎに尽きてしまうような生命力しか残されていなかった。すぐに死んで逝く体だったのだ。それならば、全力で彼を治せば良かった。 ( そうすればアノンが独りぼっちになることもなかったのに) しかし、それをしなかったのは、我が儘。 少しでも長く自分がアノンの側にいてやりたいと思った。一緒に旅をしたいと夢を見てしまったから。 その我が儘が、アノンを傷付ける。 「もう少し・・・もう少し時間があると思ってたんだけど、もう、駄目なのね」 後悔ばかりが、ティスティーの胸を埋め尽くす。唇を噛んで涙を堪えながら、ティスティーは言葉を紡ぎ続けた。それはまるで、アノンへ言いたいことの全てを伝えておこうとするかのように、言葉を紡ぎ続ける。 「せめてアンタをリダーゼの家まで届けてあげたかったのよ。だってアンタは危なっかしいんだもの。目を離すとすぐ迷子になったり、また人に攫われたりしたら大変だもの。今度こそ売られちゃうんだからね。ホントに、色んな事しでかしてくれたわよ、アンタは」 そうして語るティスティーの表情はとても穏やかだった。そして、懐かしそうなその口調は、ここまでのアノンとの旅を思い出している所為だろう。 それを聞きながら、アノンはティスティーの言葉を遮るように口を開いていた。どうしても言いたかった。 「嫌だ!! 大好きだから、やっぱりさよならはしたくないよ・・ッ!!」 「・・・アノン」 宥めるようにティスティーがアノンの名を呼んだが、アノンは聞かなかった。ぐったりと己の体に寄りかかっているティスティーの脇に腕を差し入れ、彼女を立たせようと試みる。しかし、ティスティーの足は彼女自身を支える力もないようだった。それでもアノンは自由の残っている右腕で懸命にティスティーの体を支え、立たせようとする。 「行こうよ! 立って、ティスティー!!」 「アノン・・」 「オル・オーネさんの所まで行ったら、きっと助けてくれるよね!? そうでしょう!?」 「 」 ティスティーが答えないのは、答えが分かっているから。その答えが否だということが分かっていたから。 (駄目だったのよ・・) 己のものでない魔力は、ティスティーの生命力に代わりはしなかったのだ。 オル・オーネが授けてくれた彼女の魔力を込められたハーブは、確かにティスティーの中に流れ込んできた。そしてその魔力は、魔法を使うための魔力としてティスティーを助けてくれた。しかし、既に魔法を使い魔力を少しでも消費すれば体調に異変を来すほど消耗されていた生命力を補うことまでは出来なかったのだ。オル・オーネの魔力は、ティスティーの魔法へと姿は変えたが、生命力には変わってくれなかった。 「アノン」 無理だからと、緩く首を振り視線で伝えるけれど、アノンはその答えを頑なに拒み、ティスティーの体を起こそうとし続ける。しかし、それを止めたのはティスティーの制止ではなく、アノン自身の体から上がった悲鳴だった。 「 ッ!」 突然痛みに顔を歪めたアノンに、ティスティーが視線をアノンが不意に抑えた腕へと遣る。辛うじて傷口を閉ざしていた左腕の傷から、血が滲みだしていたのだ。 「アノン。傷、見せて」 「オレのことはいいよ!」 傷はいつか治る。けれど、ティスティーは今まさに命を火を消そうとしているのだ。それでも自分のことを気遣うティスティーにアノンは必死で彼女を抱えようとする。そうすればするほどに、傷は痛み血を吐き出す。 「オレはいいから、早くティスティーを 」 「嫌よ」 強い拒絶の声に、アノンはついにティスティーを再び己の膝の上に寝かせた。 「ティスティー?」 どうしてと視線で問うアノンに、ティスティーはうっすらと笑みを浮かべながら答えた。その答えは、 「アンタが痛いと ・・」 ティスティーに、あの日を思い出させる。そして、あの台詞を蘇らせる。 でも俺は、自分が傷つくよりこの子達が傷つく方が痛いんだよ。 それは、初めてルヴィウスに出逢った時、彼が言った言葉だった。魔物を傷付けようとしたティスティーに、己の身を挺したルヴィウスが向けた言葉。 その言葉を、今度は自分が口にする番。 「 アンタが痛いと、私も痛いのよ」 あの時は、わけが分からないと言った自分に、ルヴィウスは言った。 いつか分かるよ。君に大切な人ができたら、きっとね。 (私にも分かったわ、ルヴィー・・) その事が、素直に嬉しい。 かつての人間嫌いだった自分の姿は、きっともうない。いつのまにか解きほぐされていた心は、こんなにも穏やかな思いを抱けるまでになったのだ。今ならば、仏頂面ではなく店や人に視線を配りながら街中を歩くことができるかもしれない。旅の途中に出会う人と友達になったり、時には言い争ったり、そんな普通のこともできるかもしれない。今からなら、今までの何倍も楽しく生きていくことができるかもしれない。 けれど、もう、ここで終わり。 その事実はティスティーの胸を締め付けるけれど、それでも表情ににじみ出た穏やかさは消えない。 「さあ。傷、見せてごらんなさいよ」 再度促すが、アノンは首を振った。 「いいよ! いいから 」 そこでアノンは口を閉ざしてしまっていた。 離れたくない。 死なないで。 置いていかないでと言いつつも、彼ももう分かっているのだ。ティスティーが、自分を置いて逝ってしまうのだということを。 ティスティーの体から力が抜けるにつれ、自分の腕に彼女の体重が寄りかかってきていることを、自らの腕をもってひしひしと感じていたから。 「オレのことはいいから・・・少しでも長く、側にいてよ」 そのアノンの台詞で、ティスティーは彼が全てを受け入れたことを察する。と同時に、 「あーあ」 アノンの傷を癒すために掲げられていた腕が、パタリと両脇に落ちていった。それを見て、アノンはティスティーに確実に近づいてきている終わりに怯え、ティスティー自身はそれを溜息と共に受け入れた。 「アンタがぐずぐずしてるから、もう腕も上げられなくなっちゃったわ」 そんな言葉で、ティスティーは自らの終わりを告げた。そのまま、瞳を閉ざす。 「ティスティー!」 アノンが慌てて声をかけて来たが、「何よ」と声を返しただけで、瞼を持ち上げることはしない。 (驚きだわ) 心中で、ティスティーはそう洩らす。 終わりが、こんなにも突然訪れるものだとは思っていなかった。もっとはっきりと徴候が現れるものだと思っていたのだ。 (そうだったら良かったのに) 終わりがあと何日であるか、それを知ることが出来れば良かったのにと、そう思う。そうすれば、この体が自分の言うことを聞かなくなる前にアノンの側から離れることができた。アノンを悲しませずに済んだのに 。 ごめんなさい。アノン 。 ティスティーは、静かに詫びた。 |