戦おう。 生き残るために、愛する人を守るために、互いに命を賭けて戦おうと、アノンは剣を振るっていた。 先程まで頬を濡らしていた涙は見る影もない。青い瞳にもやはり涙はなく、あるのは戦士の鋭い瞳。その瞳は真っ直ぐにルヴィウスを写し、狙っていた。 「!」 魔王は、次々と繰り出されるアノンの剣を避けていた。どれも、紙一重。それは、その剣筋が明らかに今までとは違ったから。 ルヴィウスを傷付けることを恐れ、深く切り込めないでいたアノンの剣ではない。確実にルヴィウスの体を深く切り裂くための剣だった。 その剣に、迷いは見えない。 魔王はその剣を受け、交わしながらも、じりじりと後退していく。 その事実に、魔王は唇を噛む。 相手は齢二十にも満たない人間の子供だ。しかも、片腕を奪ってやったというのに、そんなことなどなかったかのように、残った片腕で先程よりも鋭い剣を振るう。 「!」 目前にアノンの剣が迫る。それは魔王の頭を串刺しにせんとした突き。 しかしアノンの剣が魔王を捉えることはなかった。 「!?」 突然魔王の眼前に現れたのは、分厚い土の壁だった。アノンの剣はその土の壁に突き刺さる。腕に一瞬ジンとした痺れが走るが、アノンはそれを無視し、すぐさま土の突き刺さった剣を抜いた。そして、その剣で土の壁を二度三度と分けて切り上げる。土の壁は砕け散り、粉塵が舞い上がり辺りを包み込む。その粉塵の中に、アノンは身を消した。 「何処だ!?」 己の作り出した土の壁が逆にアノンの体を隠すことになろうとは思っても見なかった。魔王は歯噛みし、辺りを見回す。気配は感じ取れない。あれほど自分に向けられていた鋭い殺気が、微塵も感じられない。 遠く離れたのだろうかと思った、その瞬間だった。 「!!」 魔王はぐっと膝を曲げ、勢いよく後方へと飛びすさっていた。それに加えて、数回ジャンプを繰り返し、アノンから距離を取る。 アノンはと言うと、一瞬前まで魔王がいたその場所に剣を突き立てていた。 粉塵に身を潜め、魔王の背後まで忍びより振り下げた剣だったが、惜しくも魔王を捉えることは出来なかった。 しかし、魔王の頬には、新たな傷が生まれていた。伝う赤い血は、魔物のものではなく、人間のもの。それを知らしめるかのように鮮やかに赤い血が、一瞬アノンの意識を奪う。 剣を握る時にはね、自分がいったい何のために剣を振るっているのか、考えてみるんだ 不意に蘇ってきたのは、ルヴィウスの声だった。 (何のため・・・?) 何のために、今、剣を握っている? 最初は、ルヴィウスを魔王から解放するためだった。しかし今は、生き残るため。そして、魔王が狙っているティスティーのことを守るため。 否。ルヴィウスのため、ティスティーのためと言っているが、それは違う。結局は、ルヴィウスと一緒にいたい自分自身のため。ティスティーに死んで欲しくないと願っている自分自身のため。その為に、今、剣を振るっている。 願わくば、その剣が誰かを傷付けるためのものでなければいいと、俺は思うんだ (この剣は・・) 自分のこの剣は、ルヴィウスを傷付ける。そして、愛しい人を傷付けられたティスティーも傷付いてしまうだろう。 そして何より、 (オレも・・・苦しいよ・・・!) それでも、アノンは剣を振り続けていた。ルヴィウスの声に問われながらも、それでも剣を振るう。 魔王の足を払い、倒れた魔王の頭めがけて剣を垂直に下ろす。 しかし、魔王はそれを横に転がることで避ける。 「・・」 己の剣が魔王の・・・ルヴィウスの頭を串刺すことなく、一瞬安堵が生まれる。 (やっぱりオレは・・ルウを傷付けたくない) それでも、目はまだ魔王を追っている。次の攻撃の手も、その数歩先の手も瞬時に頭の中で組み立てられる。しかし、片手に握った剣は、いやに重い。まだ鞘をつけたままなのだろうかと疑わしくなり、魔王を切り裂かんと振っている剣に、チラリと視線を向ける、そこには白銀の刃が輝いている。 しかし、やはり重い。 下ろしてしまおうかという誘惑に駆られる。それでも、 (駄目だ。剣を下ろしちゃいけない) 戦うと決めたのだ。魔王を・・ルヴィウスを殺さなければ、ティスティーを守ることはできない上に、自分が生き残ることも出来ない。だから、決めたのだ。 しかし、剣は重いまま。 (ねえ、ルウ。オレの剣は間違ってる!?) ルヴィウスは、答えてくれない。 目の前のルヴィウスは今まで見たこともないような怖ろしい顔で、自分のことを睨みつけている。あの優しい声など、聞こえてこない。先程までは鮮明に頭の中で響いていた思い出の声さえも、聞こえてこない。 誰も、答えてくれない。 誰もこの行為を肯定してはくれない。否定してもくれない。 剣はただ魔王を切り裂き、その度に心は揺れる。そして、何度も問う。何度も、何度も。それでもルヴィウスの声はない。どこかで自分たちの戦いを見ているはずのティスティーの声も聞こえない。 終わりのない孤独な葛藤が、アノンを飲み込もうとしていた。 しかし、 「炎!!」 アノンの意識を混沌から救い上げたのは、ティスティーの凛とした声だった。 轟々と唸り声をあげながら、疾風が如く駆けてきた炎の塊は、魔王の背中にぶち当たっていた。 突然襲いかかってきた炎の塊を背中に受け、辛うじて地面に俯せることはなかったが、魔王は大きくよろめいていた。 「ティスティー・・」 炎が駆けてきた道を辿ると、驚くほど近くにティスティーの姿があった。 彼女は、優しい瞳をしていた。そして、アノンの隣に立ったティスティーは、優しくアノンの右腕を撫でる。 その瞬間、アノンの腕から力が抜け落ちる。 剣が重かった。ずっとこうして、剣を下ろしてしまいたかった。しかし、それは許されないと自分自身に何度となく言い聞かせていた。それでも重かったのは、黙ったまま何も手を出してこないティスティーが、ルヴィウスを殺そうとしている自分を責めているからだと、心の何処かで怯えていたからかもしれない。 しかし、そのティスティーが、全て分かっていると、そう言っているような瞳で、優しさでアノンを解放していた。そして、 「アノン、私がやるわ」 今度はティスティーが、きつく杖を握っていた。 「私にやらせて」 その瞳は、魔王を見つめていた。アノンの答えなど、もう必要ないようだった。 ティスティーは、決めていた。 (アノンにやらせるくらいなら、私がやる) ここまでずっとアノンと魔王との戦いを見守っていた。 魔王を殺すことに何の躊躇いもなく繰り出される剣。しかしその剣を操っている戦士の顔は、不安で今にも泣き出しそうな子供の顔をしていた。 そんな顔をさせるくらいなら、己の手で決着をつけようと思ったのだ。 「でも、ティスティー」 そのアノンの言葉を、ティスティーは封じていた。 「!?」 言葉だけではない。ティスティーは、アノンの動きすらも封じてしまっていた。 「ティスティー、何したの!?」 体が動かない。それがおそらくティスティーの魔法だということは分かっていた。しかし、何故彼女がそうしたのかは分からない。 驚きに目を瞠るアノンの前に、ティスティーが立つ。そして、真っ直ぐに見据えるその先には、魔王がいた。 魔王も、ティスティーをじっと見つめていた。 そのコバルトブルーの瞳を見つめ返すティスティーの瞳は、驚くほどに穏やかなものだった。アノンのように、覚悟を決め闘う者の冷たく鋭い瞳はしていない。凛と、彼女らしい強さを讃えたままではあったが、穏やかな瞳。 それは、全ての迷いを消化し、己のすべきことを知った、真に迷いのない瞳だった。 「ティスティー!!」 自分の前に立つティスティーの背中が、とても大きく感じる。しかし、同時にその背中が大きすぎて、不安を感じてしまう。 「ティスティー!」 再度、名前を呼んだアノンに、ティスティーは僅かに振り返り、笑いかけた。その笑みは、瞳と同様に穏やかなものだった。 |